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	<title>夏原平和さん､早すぎる。惜しい。けれど見事な人生だった。 へのコメント</title>
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	<description>結城義晴ブログ</description>
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		<title>結城義晴 より</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2021/12/20/129082/#comment-629441</link>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 15 Jan 2022 13:02:49 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[谷野正志朗さま

ご投稿、感謝します。

平和堂も夏原会長も、おっしゃる通りの会社であり、経営者でした。
ご冥福を祈りたいと思います。

ありがとうございました。]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>谷野正志朗さま</p>
<p>ご投稿、感謝します。</p>
<p>平和堂も夏原会長も、おっしゃる通りの会社であり、経営者でした。<br />
ご冥福を祈りたいと思います。</p>
<p>ありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>タニノ　セイシロウ谷野　正志朗 より</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2021/12/20/129082/#comment-629440</link>
		<dc:creator><![CDATA[タニノ　セイシロウ谷野　正志朗]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 15 Jan 2022 05:23:52 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[1960年東京の菓子問屋に嫁に来た家内は取引先の滋賀の平和堂さんに出荷伝票を書いていました。まだ4,5店舗ぐらいだと思いますが、担当セールスが良くフォローをしていて、ひいきにされ、たびたびの出荷伝票で記憶に残っていました。半世紀して家内が造る八ヶ岳のバラ園に二人連れのご婦人が訪れ、牧草地を望むデッキでお茶をさしあげ、どちらからとお伺いすると、滋賀の彦根からと言われた。家内は咄嗟に「昔、彦根の平和堂さんと言う得意先がありお世話になりました」と言うと、ご婦人たちは顔を見合わせ、やおら高齢の方が「私平和堂です」と答えられた。偶然にも夏原平和会長の奥様だったのです。それ以後、交流は続いているようですが、今夏お出でになられたようですが、急いで帰られた様子、暮れにご主人が亡くなられたと知り、家内は偉く落胆をしております。同時代を生きた戦士として寂しいのでしょう。平和会長と家内は同年、初めてお会いした奥様は、山から会長に電話して「私たちよりすごい人に会った」と報告していたと聞きました。皆さん多忙で会長様にはお会いすることは出来ませんでしたが、昨日、家内からお話を聞きました。ご冥福をお祈り申し上げます。　　　　合掌]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>1960年東京の菓子問屋に嫁に来た家内は取引先の滋賀の平和堂さんに出荷伝票を書いていました。まだ4,5店舗ぐらいだと思いますが、担当セールスが良くフォローをしていて、ひいきにされ、たびたびの出荷伝票で記憶に残っていました。半世紀して家内が造る八ヶ岳のバラ園に二人連れのご婦人が訪れ、牧草地を望むデッキでお茶をさしあげ、どちらからとお伺いすると、滋賀の彦根からと言われた。家内は咄嗟に「昔、彦根の平和堂さんと言う得意先がありお世話になりました」と言うと、ご婦人たちは顔を見合わせ、やおら高齢の方が「私平和堂です」と答えられた。偶然にも夏原平和会長の奥様だったのです。それ以後、交流は続いているようですが、今夏お出でになられたようですが、急いで帰られた様子、暮れにご主人が亡くなられたと知り、家内は偉く落胆をしております。同時代を生きた戦士として寂しいのでしょう。平和会長と家内は同年、初めてお会いした奥様は、山から会長に電話して「私たちよりすごい人に会った」と報告していたと聞きました。皆さん多忙で会長様にはお会いすることは出来ませんでしたが、昨日、家内からお話を聞きました。ご冥福をお祈り申し上げます。　　　　合掌</p>
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