結城義晴のBlog [毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2008年4月5日(土曜日)


自分の目に関する歴史を振り返る。
変なテーマですが、
私にとっては重要な出来事ばかりだったのです。

「㈱商業界に入社して」

さて、10歳からコンタクトレンズ常用者となった結城義晴。
右目コンタクト使用で、2.0。
左目裸眼で、0.7。

これで、編集記者としての仕事に邁進しておりましたが、
36の時に『食品商業』編集長となる。
40歳くらいから、会社の制度で、
毎年、人間ドックに入るようになる。

すると、40代中盤から、右目の緑内障を指摘される。

今から考えると、
左目ばかり酷使しているようでいて、
実際には見ていないように思われる方の目にも、
負担がかかるようになっているらしい。

さらに、右目は水晶体を摘出しているので、
眼球の大半の部分を占める硝子体(ガラス体)が、
後ろから圧迫を加え、それが眼圧を上げるよう作用していた。

そんなことを知らない結城義晴、
40歳から少年ソフトボールの監督を務める。
土曜・日曜、休祭日、休みなしで、
グランドに出る。
ノックの嵐、激戦続き、
チームはそこそこに知られるようになるものの、
右目はいつも風やほこり、ごみに悩まされた。

さらに、40代後半から、仕事にパソコンが入ってくる。
これも、目には負担のかかることばかり。

44歳のころ、取締役編集担当、
49歳の時、専務取締役編集統括、
そして50歳、代表取締役社長と、
役目は重くなっていきます。

そして、53歳の春、突然、網膜剥離にかかってしまうのです。

4月28日、午前中、横浜・大口のユニー関東本部で講演。
なぜか、この日は熱が入って、
2時間を超え、3時間近くの講演となりました。

どうも目の具合が悪く、
掛かり付けの山王病院眼科に行って検査してもらうと、
若い茶髪の医者は言う。
「そのまま動かずに、池尻の東邦大学病院に行ってください」

タクシーで、池尻へ。
北喜幸先生に診てもらったら、
「すぐに手術です。このまま入院してください」
私、講演のために、ダブルの濃紺のスーツを着ていた。
そのまま入院。
4月30日、午後8時から2時間半の手術。

剥がれていた右目の網膜を縫い合わせる処置を受けたのでした。

10歳からコンタクトをつけて、酷使した両目。
そのうちの弱い方の右目に、ストレスや疲労が集中する。
私の弱点なのです。

ゴールデンウイークを、東邦大学病院のベッドで過ごした後、
右目は、コンタクトをしても、0.7くらいしか見えませんでした。
直線が、ぎざぎざに見えるからです。

網膜というのは、目をカメラに例えると、フィルムの機能を担う。
そのフィルムが、剥がれてきたので、縫い合わせた。
だから映像がどんなにくっきりと、目の中に入って来ても、
写りこむフィルムが凸凹ならば、写りは悪い。
視力は出ない。

それでも、ゴルフなどのおとなしいスポーツは続けておりました。
少年ソフトボールは、監督を退き、チームの代表。

それから2年、㈱商業界を卒業し、
㈱商人舎を設立したばかりの今年2月、
右目の調子が悪く、
とうとうスーパーマーケットトレードショー前日の深夜12時ころ、
東邦大学病院にタクシーで乗り込むと、
眼圧が40台後半。
点滴を打って眼圧を下げてもらい、
有明ワシントンホテルに戻る。
翌日、北医師の診断で、緑内障の手術を決定。

単行本執筆や講演のスケジュールを調整して、
さらに4月17日の「商人舎発足の会」の前に、
手術日が設定されました。
この間、点滴を2回受けつつ、トレードショーを乗り切る。

結局、3月24日(月曜日)、入院。
そして25日(火曜日)、夕方、手術。

「緑内障の二度の手術模様」

さて、25日は、朝食をとってから、
手術を待つために、病室で安静に。
点滴を打ち、点眼をしつつ、手術を待つ。
手術直前
この日は、東邦大学病院で、
大安の日のホテル並みに手術が目白押し。

私が、自室をストレッチャーで出たのは、
時間
6時50分を回ったころでした。
ストレッチャー
ストレッチャーに乗せられて、
病院の、低い天井を見ながら、
手術室へ。
5階の自室から、エレベーターに乗り換えて、
移動2階、手術室へ。

昔、子供のころ、ベン・ケーシーというテレビドラマがあった。
そのイントロダクションが、こんな感じだった。
ストレッチャーで運ばれていく患者の視点からの映像だった気がする。
手術室へ
私は第6手術室。
この病院には、7つの手術室があるという。
手術室へ
手術室前までは、病棟担当の看護師が運ぶ。
白い制服。
いざ
手術室に入ると、手術担当の看護師。
みな水色の制服。
私は、頭に帽子をかぶせられる。

手術台に移し替えられると、
耳に音楽が聞こえた。
ゆずのメロディー。

すぐに左肩に注射。
右手には、血圧計。
5分ごとに自動的に膨らんで、血圧を圧迫し、
計測する。
手術中、この規則的に膨らんでは「プシュー」という音とともに計測する血圧計には、
なぜか精神的に助けられた。
励まされた。

胸には心電図のセット。
手術中、ずっと、「ピッピッピッ」という音を出している。
左手人差指の先には、サックがはめられ、
酸素が末端まで通っているかどうかをチェックする。

まず、両目に目薬を点される。
これがよく効く麻酔薬。
目薬だけで、十分な麻酔が効いて、
白眼に直接注射したり、メスを当てたりできる。

その後、右目の部分だけ穴のあいた布が顔にかぶせられ、
テープで右目の周りが固定される。

私はもう右目だけが、この世と繋がっているような気分。

そんなとき、右手の血圧計の5分ごとの「プファー」の音と、
心電図計の「ピッピッピッ」という音、
そしてゆずのメロディーが、私を癒してくれる。

麻酔が効いてきたら、右目に注射。
これが決定的に麻酔効果を高める。

その後、何でもないかのように、執刀、手術。
ときどき眼を洗い流す水が掛けられる。
右目で、物を見ているはずが、
その右目を切り開いて手術は行われている。

濃い灰色の背景に、二つの光が見える。
それだけ。
切られている感覚はないし、
メスが見えるわけでもない。

ただ濃い灰色の背景に、二つの光。

心電図と血圧計の音。
いつしか音楽は、ストリングスに変わっている。
左手の中指、薬指、小指がしびれてきた。

目に水をかけている。

富田教授の声。
北医師の相槌。

手術は淡々と進み、
十数回の血圧計のふくらみが終わると、
「これでいいだろう」
富田教授の声。

「やるべきことはやりました」

私の眼は、眼圧が高い。
眼圧を調節するために、眼中の水分を抜き取るパイプがあるが、
それが金属疲労をきたしている。

そこで、新たに、バイパスをつくる。

その手術。

人間の体は、傷が付けられると、
自然治癒力を持つ。
目にあけたバイパスは、自然に閉じられてしまう。
するとまた眼圧は高まる。

だからここに抗癌剤を塗りつけるという。

それによって、バイパスが保たれる。

しかし、バイパスが太すぎると、
今度は、眼圧が下がりすぎてしまう。

眼圧は低すぎても高すぎても、失明する。

だから、バイパスの太さを調整しなければならない。
それが、この緑内障手術のあとに施される大事な処置。

部屋に戻ると、夜9時を過ぎていた。
1時間ほど静養して、食事。
考えてみると、朝、食べてから何も口にしていない。

いつもの病院食。
お腹が「グー」と鳴った。
もちろん完食。

その夜は、意外にも熟睡。

翌26日、朝から診察。
眼を開いて、目薬を点し、
「正面を向いて」
「足元を見て」
「右を見て、左を見て、上を見て」

「眼圧は25です。様子を見ましょう」

私、この日も、ブログを書いた。
短いもの。
[毎日更新宣言]だから。
お約束だから。
手術後
さて、26日の夕方、富田教授の見立て、
「明日、硝子体をとりましょう。
ゲル状の硝子体が、バイパスに入り込んできている」

こんな経緯で、27日、二度目の手術をすることになった。
第2回手術後
手術は、やはり同じような手順を踏む。
準備も術式も。

これをマニュアル方式と呼ぶ。
マニュアル否定を唱える人がいる。
私は、それはおかしいと思う。
例えば、手術の時、
たくさんの人がそれにかかわる。
実際、二度目の手術には、富田教授は都合で立ち会えず、
北医師の執刀となった。

それでも、まったく同じ手順を踏んで、
つつがなく手術は行われた。
マニュアル方式を採用しない手術があるとしたら、
私は怖くて、御免こうむりたい。

同じ手順で、血圧計、心電図計が付けられ、
同じ手順で麻酔の目薬と注射が打たれた。
しかし、術式は違っていた。
今度は硝子体除去手術。

北医師の技術は高く、それでも、この二度目の手術にも、
1時間半がかかった。

無事、硝子体は取り除かれ、
バイパスへのゲル状の硝子体の侵入はなくなった。

この晩も、夜の食事、完食。

私は、元気だった。

「私の両目に、ありがとう」

振り返ってみると、
ずいぶん右目には迷惑をかけた。

10歳の夏。
あんなにも蛙を撃たなければ、
罰が当たることもなかったかもしれない。

学生時代、駆け出し時代。
あんなにも酷使しなければ、
網膜剥離や緑内障にならずに済んだかもしれない。

しかし、私は、振り返らない。
この手術も、
積極的な、攻めの手術だったし、
ポジティブな入院だった。

秋山先生、富田教授、北医師。
皆さんに感謝している。

皆さんのおかげで、仕事をすることができた。
皆さんのおかげで、ここまで生きてきた。

ありがとうございます。

何よりも、私自身のこの右目。
よく耐えてくれました。
そして、この左目。
よく支えてくれました。

両目が、互いにかばいながら、
ものを見続けたから、
今の私がある。

見たものを感じ、考える自分がいる。

私は、右目に対して、
四度の手術をしてもらいました。

どれも大きな手術でした。

どれも、私の人生に、影響をもたらした。

これからも、お世話になります。
この両目には。

ありがとう。

目を見開いて、合掌。

<結城義晴>

2008年4月4日(金曜日)


昨日、退院しました。
お花、お便り、メール、電話など、
本当にありがとうございます。

入院や手術、退院を、
宣伝しながら挙行しているみたいですが、
[毎日更新宣言]となると、
そうなってしまいます。

でも、こういったときの励ましのお花や、
思いやりに満ちたお言葉は、
本当にありがたいものです。

ですから、私、まったくといってよいほど、
後悔や不安がありませんでした。

ずっと、前向きに、それでいて冷静に、
ものを考え、行動することができました。

ありがとうございます。

そこで、退院記念に(?)
私の眼といくつかの手術を、思い出しながら、
振り返ってみようと思います。

時間は、45年前にさかのぼります。
結城義晴、10歳の夏。

私は、横浜に暮らしていました。
小学校4年生。

夏休みに、両親とともに、福岡の田舎に帰りました。
福岡県早良郡早良町大字小笠木字脇山村。
私の生まれ故郷です。

ここに、結城一族が住んでいるのですが、
私は叔父の家に、1カ月近くも、居座って、
田舎暮らしを満喫していました。
同じ年の従兄たちと、
野山を駆け巡り、
虫を捕ったり、花を摘んだり、
それはもう大自然の中で、
のびのびと生活していたのでした。

この夏は、とりわけ手作りのパチンコで遊びました。
木の股を切り取ってきて、
そこに太いゴムをかける。
そしてパチンコをつくる。
竹を削って、細い矢のようなものをつくる。

それで、蛙を撃つのです。
残酷な遊びです。

夏中、私たちは、田んぼの畦で、
何百匹もの蛙を撃ちました。
矢が、蛙の背中から腹まで、突き通される。
それを高々と持ち上げて、収獲とする。

竹の矢じりだけでなく、
針金をU字型に曲げて、
それを打つという遊びもしていました。

ある暑い日の午後、見事なアゲハ蝶が、
叔父の家の縁側にひらりひらりと飛んできました。

たった一人で退屈していた私は、
パチンコを取り出し、
U字型の弾を引っ掛け、
アゲハ蝶にねらいを定めました。

思い切りゴムを引っ張って、
弾を解き放つ。

それ以来、私の右目は、
視力を失いました。

針金の弾が、跳ね返って、
右目に刺さってしまったのでした。

ダークダックスというコーラスグループがありました。
リーダーは、確か、「マンガさん」。
そんなあだ名のついた小柄な人でした。

私の右目は、あの「マンガさん」と同じ症状となりました。

それまでは、両目とも1.5でした。

このときから、右目には霞がかかって、見えません。

近所の眼科で応急処置をしてもらって、
私は横浜に帰りました。

何軒もの眼科医を訪れました。
母が、とりわけ心配してくれました。

ちょうどそのころ、横浜の関内に、
秋山眼科がオープンしました。

若き病院長・秋山先生は、
ドイツ仕込みの最先端の技術を持っていました。

その秋、私は、
水晶体摘出手術を受けました。

子供でしたから、完全麻酔。
注射を打たれて寝ているうちに、右眼のレンズは除去され、
1カ月間、両目に包帯を巻かれて暮らしました。

包帯も眼帯も取れたとき、
私の右目は、ものが鮮明に見えるわけではないのですが、
以前より、くっきりと光をとらえるようになっていました。

昭和37年、目に備わっていたレンズを失った代わりに、
私は、10歳にして、ケース
コンタクトレンズ常用者となったのでした。

当時の秋山眼科は、欧米のクリニックそのものの、
洗練されたオフィスでした。
そこに美しいモデルのような看護婦さんがたくさんいて、
みなコンタクトレンズの扱い方や保管の仕方などを、
コンサルティングしてくれました。

私の右目は、分厚い凸レンズを、黒眼につけると、
2.0の視力を出しました。

ものが両目で、くっきりと見える。

私の右目は、復活したのでした。

しかし、それは遠くを見るときの場合。
近くを見ると、視点が固定されているために、
ぼけている。

以来、私は、書かれたものをずっと左目で見るようになります。

スポーツも大好きでしたが、
屋外の競技や接触プレーのある種目は、
積極的には、できませんでした。
クラブ活動は、従って中学高校と6年間、器械体操。
屋内競技で、接触プレーのないもの。

もちろん野球やサッカー、バスケットボールなど、
球技は大好きでしたので、
授業や遊びでは、楽しみました。
しかし、本格的にはできないものと、
はじめから、あきらめていました。

大学受験の時、
夜中に、突然、その左目も、真っ暗になって、
見えなくなったことがあります。

それでも、明け方、恐る恐る目をあけると、
光が光が入ってきて、
心の底から安堵したことを覚えています。

大学時代は無頼派。
夜ごと飲んだくれて、
目に良いはずはない。

べろべろに酔っぱらって、バク天をする。
それが当時の私の芸でした。

その後、学校を出て、
私は、㈱商業界に入社しました。

雑誌の出版社に入ってしまったのです。

『販売革新』という編集部に配属されると、
私は、毎月のように、
何夜も徹夜で原稿書きを始めました。

右目にはコンタクトレンズ、視力2.0.
左目は裸眼、視力0.7といったところでした。

20代中頃、いつしか左目にも、
ハードコンタクトレンズが入っていました。

それでも、若さに任せて、目を酷使し続けてきました。
自分では、それほどの不自由もハンデも感じませんでした。

私の仕事は、お店を見ること、
商品を見ること、
人の話を聞くこと、
それを文章にまとめること。

日本中のお店を見て歩きました。
アメリカやヨーロッパのお店まで巡りました。
すべて、私の眼を通して見たものばかりです。
メガネ
よく耐えてくれたと思います。
今では、メガネにもお世話になっていますが。

今、こんな仕事ができるのも、
みな、私の目のおかげです。
秋山先生のおかげです。

だから、私は目の手術をしても、
ありがたいとしか、思いません。

ダークダックスのマンガさんのように、
なっていたかもしれないからです。

江戸時代ならば、伊達政宗か柳生十兵衛、丹下左膳。
昭和でも、30年代前半に怪我をしたのならば、
ほぼ同様だったでしょう。

昭和37年だったから、水晶体摘出手術が受けられた。
現在の白内障です。

そして、私は、その右目に、
次の試練を受けることになるのです。

<明日につづく、結城義晴>

2008年4月3日(木曜日)


突然ですが、プロフェッサー富田から、
退院の許可が、発せられました。

今日、4月3日、晴れて、退院。
ありがたいことです。
ベッド
ベッド、パソコン、お世話になりました。

昨日、バイク便で、単行本の再校が届けられました。
それを、読みつつ、退院します。
再校
「『お客様のため』に、いちばん大切なこと」
単行本をつくりながらの入院。
「ポスト資本主義社会の中の知識商人」
商業現代化を考えながらの退院。

繰り返しますが、
「知識商人」は、
「専門知識」とともに、
「専門技術」を持っていて、
しかもそれを駆使しながら、
「お客様のため」に、
行動できる職業人のことです。

ここで重要なのは、
行動できること、
実行できること、
実践できること。
結果として、
お客様の満足を、
実現できること。

最後のところが「知識商人」として、
大切なことです。

商人伝道師・水元均さんが言うところの「コト」。
「モノ」だけではなく、「コト」が大切。
これが、「知識商人の専門知識」の一部でもあります。

モノの典型としての「コモディティ・グッズ」も、
人が生活していく上では不可欠です。
今、日本中がガソリンに注目しているように。

ガソリンなしでは、車は走らない。
ガソリンは、レギュラーとハイオクしかない。
だから、ガソリンに「コト」販売はしにくい。
一方、ノンコモディティには、
さまざまな「コト」が付随している。
それをお客様から「待ってました」といわれるくらいに、
お客様の目の前に御披露する。
それが、「知識商人の専門知識」の「見える化」です。

さて、3月24日に入院した時には、
右目の眼圧が47にも上がっていました。
「このままでは失明する」
そう言われました。

しかし今朝、その眼圧は14に下がりました。
正常な左目とかわらない状態に。

ありがたいことです。

病室の廊下から見える景色にも、
桜の絵柄が入りました。
景色

私の病室の窓から見える空も、
くっきりとしてきました。
窓の外3

最後の朝食も、
完食。最後の朝食

二度の手術の後の、夜中の食事も、
ご飯一粒、残さず食べてきました。

本当にありがたいことです。

でも、入院の予定は2週間でしたから、
退院したといっても、
今週いっぱいは自宅療養します。
ありがとう

それからです、
パワー全開で、4月17日、
商人舎発足の会へ突入です。

元気になった結城義晴に、
会いに来てください。

「目一杯の元気を差し上げます!」

商人舎発足の会、
「流通業界のVIPをこんなに集めて、
何かあったらどうするんだ」

こう言われました。

そう考えると、恐ろしいくらいです。

21世紀の日本商業を担う人ばかり。

でも、お集まりいただく「発起人」の皆さん。
規模が大きな会社の社長さん、会長さんばかりでは、
ありません。

「本物の商人」
「本当の親友」
「素晴らしい同志」

私がこう考える人に、
たくさん発起人になっていただきました。

岩手県の小松製菓・小松務さん、
石川県の芝寿し・梶谷晋弘さん、
埼玉県のダスキンくりはらの栗原一博さん。
それに足利屋洋品店店主・「虹の架橋」編集長の松崎靖さん、
福岡県のむすんでひらいて原田政照さん。

さらに、ニチイ創業者夫人の西端春枝さん。
私の尊敬する人です。

もっともっと多くの人にも、
お集まりいただきます。

会社や売上高の規模だけではないのです。

昭和30年代のことです。
箱根の商業界ゼミナールの一室。
深夜。

倉本長治先生をはじめとするそうそうたる先生方が、
談笑したり、議論したりしていました。

その後お菓子のタカラブネを創業することになる野口五郎さん。

遠くで、その光景を見ていました。

すると長治先生が言いました。
「野口君、こっちに来て、仲間に入りなさい。
君も、僕たちの仲間なんだから」

そう声をかけられた野口さん、
涙が出るほどうれしかったそうです。

そして、そこから勉強を重ねて、
タカラブネのチェーンをつくりました。

大切なのは、
自分に誇りを持つことです。
誇りを持てるように努力することです。
努力すると決意することです。

それだけでももう、
仲間であり、
同志なのです。

私は、4月17日を、そんな日にしたいのです。
イオン岡田元也さんやユニクロ柳井正さんと、
仲間になっていただきたいのです。
同志として、同じ空気を吸っていただきたいのです。

私の友達は、みんな仲間。
みんな同志です。

「お客様のために」と
仕事し続ける「知識商人」なのです。

退院します。
感謝の気持ちを、胸一杯にして。
ありがとうございました。

<結城義晴>

2008年4月2日(水曜日)


入院、10日目となりました。
第1回手術から、1週間。
散歩する目黒川の桜も散り始めた。
サクラ1

この東邦大学大橋病院にお世話になって、
心より感謝しています。

満開の桜も楽しみました。
一本
昨日書いたこと。
「知識社会と知識経営者、知識専門家」。

ちょっと難しく聞こえるかと、
心配になってきました。

先ごろ、あるところで講演をしました。
分かってくださる方も勿論、いらっしゃったのですが、
「あんな難しいこと知ってたら、商売なんかしていない」
という率直な声もありました。

私が、「クリティカル・マス」や「コモディティ」に関して、
時間が短かったにもかかわらず、
説明しようとしたことが原因でした。
私、大いに反省しました。

「知識経営者」「知識労働者」「知識専門家」
これも難しいのかもしれません。

どう説明しようか、よく考えてみます。
4月17日の「商人舎発足記念講演会」は4時間ありますので、
十分に解説できると、楽しみにしています。

ピーター・ドラッカー先生は、「知識社会」の知識に関して、
『ポスト資本主義社会』のなかに、このように書いています。

「夕食に招く客には教養のある人がよい。
だが、砂漠では教養のある人はいらない。
何かのやり方を知っている人がよい」

「マーク・トウェインが1889年に書いた小説の主人公、
コネティカット出身のヤンキーは教養ある人間ではなかった。
ラテン語もギリシャ語も知らず、
シェイクスピアを読んだこともなく、
『聖書』もほとんど読まなかった。
しかし彼は、機械のことなら、
電気を起こすことから電話機をつくることまで
すべて知っていた」

商売のこと、
商品のこと、
お客様のこと、
これらをよく知っている専門家。

それが、
知識社会の「知識商人」
です。

そして、
その専門知識に応じて、
体を動かして、
お客様のために動くことができる。
実行することができる。
それが「知識商人」です。

いかがでしょうか。

私の主治医は、東邦大学医学部教授の富田先生です。
プロフェッサーと言います。
執刀してくれたのが、北先生。
こちらはドクターと呼ばれます。

日本を代表する眼科の専門家。
緑内障や白内障、網膜剥離のスペシャリスト。
知識だけでなく、手術の腕も、確かなもの。

こういった先生方は、
もちろん医学全般の知識はある。
しかし、その面だけでは、
普通の医学人。

先生方が、社会貢献しているのは、
専門知識と専門技術によって、なのです。

これが今、偏見なく、どんな分野でも、
それぞれに高く評価されようとしている。

「商売の世界」
「お客様のために奉仕する世界」でも。

そのために、私たち自身が、
自分の専門性を高め続けなければならない。
自分の専門性に誇りを持たねばならない。

これを「志」と呼びます。銀杏

「志定まれば、気盛んなり」

今年の私の標語ですが、それが、
「知識社会」のなかの「知識商人」に、
つながっています。

私は、強くそう考えています。

もうすぐ、退院の日がやってきそうです。

<結城義晴>

2008年4月1日(火曜日)


今日から4月。
4月1日です。

4月は、風が入れ替わる月。

たとえば東京・横浜の関東地方。
3月までは北風が多い。
4月からは南風が多くなる。
4月は北風・南風、同じ割合。

そして、新年度に入る会社も多い。
人事異動、転職、新年度方針、新政策。

日本国中、ガソリンの値下げと消費財の値上げで、
話題は持ちきり。

普段は、価格に無頓着な層も、
今は、価格にすごく敏感になっている。

だから、わが社らしい価格政策を持ち、
それを鮮明にするとき。

わが社の政策の明確化が、
まず、なされていなければならない。
その上で、いかにその政策が、
全員に浸透しているか、
そして取引先や顧客に伝わっているか。

注目されているときに、
凛として立つ。

その心意気です。

さて、今日、
三越伊勢丹ホールディングスのスタート。

1兆5000億円を超える年商の百貨グループ誕生。
しかし私は、何度も言っている。
経営管理コストやマネジメント効果、
そして人材の厚みは出るが、
営業上、マーチャンダイジング上は、
効果は薄い。

百貨店は、ノン・コモディティを扱う商売だから。
百貨店で販売され、サービスされるものは、
たとえばガソリンというコモディティ・グッズの
真反対の商材ばかり。

規模が大きくなりすぎることは、
こと商品上、マーチャンダイジング上では、
むしろマイナスにすらなりかねない。

このあたり、間違わないように。
もちろん、新ホールディングスのトップ連には、
先刻ご承知のことと思う。

悪しからず。

ところで、昨日、
単行本の初校を読んでいて、
つくづく考えたこと。
そして、ありがたくも、わざわざ、
お見舞いに訪れてくださったイオン常務取締役の堤唯見さんと、
話し合ったこと。

単行本のタイトルは、
「お客様のために
いちばん大切なこと」

私が、昨年から使い続けているデータ。
米国の雑誌「FORTUNE」の「最も働きたい企業100社」。

これは、21世紀の今の時代を鮮明に映し出している。
これからの時代を先取りしているとも考えられる。

資本主義社会の次に来る時代。

どんな時代か。

それは、「知識社会」

ピーター・ドラッカーが、1993年、
『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社)の中で、
見抜いていた。
ドラッカー

私は、無頼派の大学時代、
それでも産業社会学研究ゼミに属した。
壽里茂先生のもと、
J・S・ミルを読んだりしていた。

勤勉な学生とはとても言い難かったけれど。

昨年、恩師壽里先生は、紫綬褒章を受賞された。
早稲田大学名誉教授として悠々自適。
私たち?商人舎発足の会では、
「結城義晴君を励まし商人舎発足を祝う会」
発起人にも名を連ねて、応援していただいている。

私は、学生時代の不勉強にもかかわらず、
壽里茂ゼミ稲門会の代表幹事を仰せつかっている。

その壽里先生のもと読んだミルは、
資本主義社会が出来上がったイギリスで、
『自由論』を書いた。
「脱工業化社会」の到来を唱えた。
ミル

私には、この考え方が、しみついている気がする。

そしてその延長上に、ポスト資本主義社会、
すなわち知識社会の予見があった。

ドラッカーも言う。

「ポスト資本主義社会において、
基本的な経済資源、
すなわち生産手段は、
もはや資本でも、
天然資源でも、
労働でもない。
それは、知識である」

「知識の、
生産的使用への配賦の方法を、
知っているのは、
知識経営者であり、
知識専門家であり、
知識従業員である」

私は、「最も働きたい企業100社」には、
知識経営者がいると思う。
知識専門家がいて、
知識従業員がいると考える。

そう、私自身が入院している
東邦大学病院のように。

アメリカでウェグマンズやホールフーズに、
働きたい人が多いのは、
ウェグマンズやホールフーズが、
知識社会の中の典型的な企業だからである。
ウェグマンズやホールフーズに、
知識経営者がいて、
知識専門家がいて、
知識従業員がいるからである。

東邦大学病院に1週間以上もいるとよくわかる。

ここには知識専門家の医者や、
知識従業員の看護師や職員が、
確かに生き生きと仕事をしている。

ウェグマンズやホールフーズ、
コンテナストアやスターバックス、
そしてステーションカジノもクイック・トリップも、
脱工業化社会、ポスト資本主義社会の
知識社会の中の会社なのである。

私は、緑内障の手術を受け、
この病院に入院して、
本当によかったと思う。

ウェグマンズやホールフーズと、
東邦大学病院がつながってきたことに、
不思議なものを感じている。

これが、「商業の現代化」を説明し、
そこに日本の商業を導く軌道になる。
皆で、進むための格好の目標になる。
そう考えている。

心より、感謝。

この考え方は、
4月17日の講演会までに、もっと煮詰めて、
もっとわかりやすくして、発表します。
「小売流通サービス業が、
21世紀の日本を救う」

日本は、ポスト資本主義社会として、
知識社会になっています。
商業・サービス業が、
その意識を強く有することで、
私たちは総体として、高齢化していく日本の、
経済を回し、消費生活に活力をもたらすことによって、
この国を救うことができるのです。

<結城義晴>

2008年3月29日(土曜日)


全国的に、花見日和。
㈱商人舎の裏の公園や、
近くの川沿いの桜は満開か。
事務所の桜
昨夜は、小雨まじりの天候。
東京は今日、明日が絶好の花見ごろ。
「花冷え」は、
「光の春」の次にやってくる、
美しい響きを持つ言葉。

入院6日目、
その間、二度の手術。
皆さんの仕事に役立つ情報やメッセージを、
発信できないことがもどかしい。

パソコンは、疲れます。

本格復帰は、来週です。
すみません。

そんなところに、単行本のゲラ刷りが届きました。

待ちに待った、という感じ。
ゲラ
紙に書いてある文字は、
パソコンの画面よりも、
優しい。
癒されます。

私は、活字世代。

昨日は、我慢して、
読むのを控えました。
今日から、読み始めます。
文章の推敲、事実の確認・訂正、など。

これ、私の本業。
私、プロなのです。

だから何をおいても、やります。

本のタイトル、決まりました。

「お客様のため」に
いちばん大切なこと

いかがでしょう。

㈱中経出版の腕利き編集者・飯沼一洋さんが熟慮の末、
出してくれたタイトル。
私もたくさん案を考え、提示しましたが、
私は、書き手、語り部。
それに雑誌の編集長。
単行本に関しては、はじめから、
餅は餅屋に任せる気持ち。
それがチームワーク。
それがいい仕事になる。

ちなみに飯沼さん、若いのにその仕事ぶりは、凄い。
『仕事の「5力」』(白潟敏朗著)発売即4万部突破!の最新刊!
『100%幸せな 1%の人々』(小林正観著)発売2カ月で12万部突破!
『幸せの法則』(望月俊孝著)5刷り!紀伊國屋書店・週間ランキング1位
『デキる上司』(白潟敏朗著)6万部突破!全国の大型書店で続々1位獲得
『上司の すごいしかけ』(白潟敏朗著)11万部突破
『プロ☆社長』(竹田陽一著)2006年アマゾンビジネス本ランキング17位
『アツイ コトバ』(杉村太郎著)5万部突破
『トヨタのできる人の仕事ぶり』(石井住枝著)6万部突破
などなど、多数。

「お客様のため」に
いちばん大切なこと

(結城義晴著)

ご期待ください。

<結城義晴>

2008年3月28日(金曜日)


緑内障手術後3日目、
今日、単行本1冊分のゲラが届く。

校正態勢に入る予定でしたので、
ブログも通常通りに、
元気良く再開するつもりでした。

が、昨日朝の診断の結果、
昨夜、第2回手術を受けました。
第2回手術後
右顕微鏡下硝子体茎離断術という手術。
第6手術室に入って、
もうおなじみの手順を踏んで、
約1時間半ほど。
網膜剥離や25日の緑内障手術ほど、
長くも難しくもないものですが、
私だけの特殊な事情から、
右目の硝子体の一部を取り除くことになりました。
でもこちらのほうが、きつかった。
硝子体をかなりの割合で除去したからです。
信頼する北善幸先生がやってくれました。
3度目の執刀です。

これで、右目の水晶体と硝子体のほとんどがなくなり、
網膜は縫い目だらけという状態になりました。

江戸時代でいえば、
伊達政宗、柳生十兵衛、丹下左膳と同じでしょうか。
それでも幸いなことに、
右目に光を感じることができます。
ありがたい。

だから、今日も安静に。

ブログもこれくらいに。

私は大丈夫です。
自分がマゾかと思うくらいに、
試練には強いのです。

アメリカの西部劇でも日本の時代劇でも、
最近のハードボイルドものでも、
よくあるでしょう。
痛めつけられて痛めつけられて、
耐えて耐えて、最後に勝つというパターン。
あれ、結構好きなのです。
涙流しながら、見たりするのです。
そんな感じでしょうか。

私、辛抱強いのです。

心は燃やせ、頭は冷やせ。

<結城義晴>

アメリカ報告・その①「ダイソーの歴史的バラエティストア新展開と行きつく先のウォルマートの現状」
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