〈第24話〉 夢へ、少しずつ動き出す

2010年7月1日(木曜日)

カテゴリー: 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.  11時23分24秒

第8章 ――――  Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

夢へ、少しずつ動き出す

  米国エステティシャン日記の連載を始めて1年後の2006年7月7日、東京の神田にあるCMPジャパン社にて、“ダイエット&ビューティ新聞”の読者の方々を集めた座談会が催された。私もその座談会に招かれ、皆の前で話をさせて頂く事になった。そんな経験は初めてのことでとても緊張した。しかし、同時に楽しくもあった。


座談会に来られた人々は、掲載開始から欠かさず私の日記を読み続けて下さった方ばかりで、また、美容産業で活躍さている方々も沢山おられた。そんな人々から、私のつたない日記を楽しみにしていると言われ、私は非常に恐縮した。


先ず、私が1時間ほど話した後に皆様から様々な質問を受けた。そして、日本の現場の悩みやストーリー等を聞かせて頂き、逆に沢山の事を教えて頂いた。
私がこうして記事を投稿する事によって、人との繋がりが増えて、今回のような、今までに体験出来なかった事にもチャレンジする事が出来たのだ。そして米国のコラムニストの一員としてCMP ジャパンとも更に繋がり、美容と健康関連における通訳の仕事を毎年頂けるようになった。

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それから暫くして、この健康関連の通訳業務を通し、統合医療のパイオニアとも言われるジョセフ・シバラシ医師という方のインタビューに、立ち会うことになった。
カリフォルニア州サンタモニカ市で、1992年からウエルネス・クリニックを営われているジョセフ医師は、ニューヨーク私立病院の緊急救命医師として長年の激務に就かれ、多くの命を救ってきた最先端西洋医学の医師である。
彼の元に、死と背中合わせで運ばれてくる重症を負った人々。その中で、助かる人とそうではない人を日々見続けてきたジョセフ医師は、西洋医学の見地だけでは説明しきれない何か別の“癒しの力”について感じることがあったそうだ。そしてシバラシ医師にとって大きな転機となったのは、自ら経験した肉体の不調を通してだった。

  救命医師の殆どがそうであるように、朝と夜とが逆転した生活を送る激務の毎日が彼を疲労のどん底に押しやり、ある日、仕事へ行こうと起きた時に身体が動かせなくなったそうだ。その時ジョセフ医師は、肉体が求める限り、ひたすら睡眠を取った。そしてファーストフードなどの加工食品を食べるのを止めて、胃に優しい野菜を多く取り入れた食事を多く食べることを心がけた。長い時間眠ることと、栄養のバランスが取れた食生活はジョセフ医師の心身を急速に回復させたのだという。変化していく身体の状態をまさしく体感した彼は、人体の自己治癒力について深く考えるようになった。そしてそのアイデアは、西洋医学の見解とは異なる新たなる治療法  『代替療法』 について詳しく研究したいという思いに、とジョセフ医師を導いていった。彼がそれまで行ってきたトラディショナルな西洋医学に、東洋医学やホリスティカル的療法を合体させれば、もっと違うアプローチで患者を救えるのではないかという考えは、自らの新しいフィールドを切り開くきっかけとなり、これがジョセフ医師が実践する統合医療ウエルネスセンターの原点になったそうである。


その後、ジョセフ医師と昼食を共にする機会があり、私は自分の闘病経験について打ち明けた。ジョセフ医師は、非常に興味深い話であると言い、こう続けた。
「その貴重な体験談を何かの形にして、多くの人と分かち合ってみるのはどうだろうか?そうすることで、様々な病気を抱える人達やその家族に新しい情報を与えるだけでなく、君に共感し、君が抱く計画に興味を持ち、将来的に力を貸してくれる人だって現れるかもしれないよ。」
いつか浅野氏から言われた言葉、“新しい何かが見えてくる”が心に浮かだ。“あの言葉が意味していたのはこういう事?私は自分の仕事を通して、貴重な出会いを体験し、夢への糸口を掴もうとしているのだ。” 

   ジョセフ医師との出会い、そして彼が語ってくれた言葉は、私の心を大きく揺さぶった。
“私の体験を、何らかの形で人々とシェアーすることがもし出来たら、もしかしたら、少しずつでも何かが動き出すかもしれない。”と。

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五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

〈第23話〉 一期一会

2010年6月24日(木曜日)

カテゴリー: 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.  11時28分31秒

第8章―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

一期一会

  米国エステティシャン日記を書き始めて、私は徐々に色々な変化を自分自身に感じ始めていた。それは、今までとは別の視点で物事を観察するようになった事である。時には、物事を自分の考えだけでなく、他の観点から見た場合についても考えてみたりする。そして、一番身についた事と言えば、以前に比べて文章を書くことが苦にはならなくなった。


  それからまもなくして、私は一生忘れることの出来ないある体験をする。それは、私が仕事を通じて出会ったお客様の死であった。その方が発病し、他界されるまでの余りにも短い時間を見とどけたという経験によって、“人が生きる為の力=QUALITY OF LIFE ”についての意味を今まで以上に深く考えるきっかけとなった。そして、私はこれから自分が仕事を通して出会う人々と共に過ごす時間が、たとえ僅かな時間であっても、一瞬でも、大切にしなくてはいけないのだと言う“一期一会”の精神を強く心に刻みつけることになった。

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この手の向こうに - 米国エステティシャン日記 2006年6月号

  Hospitality―心のこもった接客、客を手厚くもてなす事。
欧米では、ホスピタリティーについて深く学ぶ事は、カスタマーサービス業界で働く我々にとって、各自の技術に匹敵するほど重要視されています。私は、お客様と向き合う際に、サービスという仕事を行うだけでなく、そのワンランク上の接客である、ホスピタリティーを提供するということを、今までも、そしてこれからも心掛けていきたいと思っています。

  今回、この日記を書くにあたって、皆様にお伝えしたい事があります。
突然ですが、去年から毎月サロンにお越し頂いていたお客様が、先週末に他界されました。
お客様の名前はアイリーンさんといいます。2005年9月から来ていただいたお客様ですので、丁度、このエステ日記が紙面に出た頃からのお付き合いでした。

  最初は病院の検査の後、その後は定期的治療に通われる1~2日前に来て頂いておりました。一番初めの施術が終わった後、いびきをかかれ熟睡された事を覚えています。その際、付き添いで来られた彼女のお嬢様から、病気による症状や不安で夜に何度も眼が覚めて、睡眠不足なのだと伺いました。何か少しでも良いので私に出来ることがあればとの思いから、次の予約からは30分程余分に時間をお取りし、ベッドを暖め、照明を落として、少しの間でもゆっくりお休み頂けるようにとの心配りをしてきました。

  お亡くなりになる3日前、お嬢様だけがいらっしゃり、あまり調子が良くないと言う事をお聞きして、お見舞いのお花とカードを差し上げたばかりでした。最後にお会いしたのは丁度1ヶ月前で、ハワイへ家族旅行に行かれて戻られたばかりでした。その時にかなりお疲れのご様子で、少しお痩せになられたなと思いましたが、こんなに早く永久にお別れすることになるとは想像が出来ませんでした。正直言って、この日記を書いている今も、アイリーンさんが亡くなられた事が信じられず、人の命の儚さを感じます。

  アイリーンさんは、薬の投与で美しい髪を全て失くされた後も、いつもお洒落なスカーフを頭に巻き、明るい色のお洋服を召され、マニキュアとペディキュアをフェイシャルの前に済まされて、とても重いご病気と闘っているとは思えないほど凛とされていました。本当にステキな御婦人でした。


  今思えば、アイリーンさんにとって、どんな時においても美しくいる事は、病に負けそうなる自分の気持ちを奮い立たせ、精一杯生きていく為の支えだったのではないかと思います。そしてサロンに御越し頂いてる間は、病気のことを束の間でも忘れ、本当にリラックスされたかったのでしょう。

  彼女が去った今、以前にこの日記に書かせて頂いた“一期一会”という言葉が、心に浮かびます。その昔、戦に出向く武士に主(あるじ)がいっぷくのお茶に誠心誠意を込めて“これが最初で最後の一杯だ”という気持で差し出した。それは、究極のもてなしを表す言葉と聞いております。


一瞬、一瞬を大事に、明日再び会うことが叶わないかもしれない客人に、悔いが残らないような応対を行う。それはホスピタリティーの“心のこもった接客”と通ずるものがあります。

そのことを再び、アイリーンさんというお客様を通じて教えて頂いた気がします。

  最後に、本日店に立ち寄られた彼女のお嬢様から頂いた言葉です。
「私の母は天国へ旅立ったのだけれど、ゆう子から贈られた花は今も次々に蕾を開いて、美しく咲いていて、それらは母を癒したように、今度は私を癒してくれているのよ。本当に有難う。」
私達は、どちらからともなく両手を差し出し、長いハグ(抱擁)を交わしました。

100624_agapansus.jpg    2006年5月31日

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  自宅に戻って、私は一気にこの投稿記事を書き上げた。実はアイリーンさんが亡くなったことを聞いた時、6月号の締め切り日は既に過ぎており、別の記事を既に書き上げて投稿していた。でも、どうしてもこのことを伝えたくて、編集長の江渕さんに無理を言って差し替えを頼んだ。何故だか解らなかったが、今すぐにこの思いを誰かに伝えたかった。いや、伝えなくてはいけないという気がしたのだ。


  人と言うのは不思議なもので、自分が病と戦い明日をも知れない状況の時は、本当に一瞬一瞬を大事に生きていた。朝、目が覚めて、家族や誰かに「おはよう」の一言を発する事さえ貴重な瞬間に思えて、精一杯の笑顔で挨拶をした。しかし、それを他の誰よりも判っているはずの私でさえ、社会に復帰して、日々の忙しさに押し流されて、忘れていた。
昨日と全く同じ今日など、けしてないはずなのに・・・。


私はこみ上げてくる思いを一字一句に込めながら、パソコンのキーボードを叩いた。

 五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

〈第22話〉 米国エステティシャン日記初回原稿

2010年6月17日(木曜日)

カテゴリー: 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.  10時35分01秒

第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.

米国エステティシャン日記初回原稿

ヘルス&ウエルネス関連の展示会で、通訳の仕事を通して知り合った健康産業新聞社の編集長である江渕敦氏の勧めと、浅野氏の後押しもあって書き始めることになった米国エステティシャン日記。その記念すべき初回の記事は、2005年9月号から掲載が始まった。

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この手を通して出会う人々―米国エステティシャン日記

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手で触れる
手を当てる
幼い頃、転んだりぶつけたりした時
急な病気でお腹や頭が痛い時
熱が出た時
泣いて助けを求めると
親や祖父母が駆け寄って来て
その個所に彼らの手を当てがい
痛みを和らげてくれたという経験はありませんか?

それだけではありません。悲しい時や辛い時に、傍にいる誰かがその手を握りしめてくれた事で、倒れそうになる自分を支えることが出来たという方は多くいらっしゃると思います。
“手で触れる”ただそれだけの事で、私たちは身体だけでなく心までも癒すことが可能なのです。そして私は、この自分の手で人に触れる、【エステティシャン】という職業についています。

米国の古い諺に、“最後にラクダが倒れたのは一握りの藁のせいだった”というものがあります。The last straw (that breaks the camel’s back) 「働き者のラクダが、いつものように自分が背負える限りの荷を背負い、運んでいたある日の事です。幼子がその背に一握りの藁を乗せました。その僅かな重みでラクダはたちまち膝をつき、とうとう倒れてしまった。」というお話です。破壊の引き金になる小事、という喩え話しですね。

これは最近、私が経験した本当の話です。ある日、仕事の合間に銀行で並んでいた時に、美しい胡蝶蘭の花首飾りを身に着けたご婦人が目に入りました。蘭が好きな私は「綺麗ですね」と声を掛けたところ、彼女は嬉しそうに微笑み、昨日の70歳のお誕生日に友人から贈られたものだと話してくれました。仕事着の私は、婦人から職業を聞かれたので、求められるがまま自分の名刺を差し出しました。
その翌日、最後のお客様が終わり、帰宅しようと片づけをしていたところ、昨日のご婦人から、「今からフェイシャルをして貰えませんか?」という問い合わせの電話がありました。
道すがら、会う方に名刺を差し上げる事はたまにありますが、早速翌日に来て頂けるというのは珍しいことでしたので、私はすっかり嬉しくなり疲れも忘れて、
「もちろん大丈夫です。お待ちしております。」
と答えました。
それから数分足らずで、お洒落なカラーストーンのネックレスを身に着けた彼女が来店されました。後で聞くと、そのご婦人は、このような装飾品を扱う店をラスベガスで二店舗経営されており、若い頃はブロードウエイの舞台にも立たれたことのある女優さんだったそうです。
施術が始まると、そのお客様は5分も経たないうちに、ストーンと眠りに落ちられました。マッサージの後、最後のマスクを施し、化粧水で肌を整える、私の微かに弾む指先の感覚に目を覚まされ、
「貴方のお陰で久しぶりにぐっすり眠れたわ。有難う。」
と、おっしゃいました。そして、
「最近ビジネスの方でトラブルが生じ、お店を手放さざるを得ないかもしれないという不安感から、眠れない日々が続いていた。」
と話され、そっと涙ぐまれました。私は、コットンで静かに彼女の涙を拭った時、その華奢な肩に背負った重みを、私なりに感じ取ることが出来た気がしました。誰にでも限界はあるのです。そこにほんの一握りの重みが加われば、バランスを失って、いっきに倒れこんでしまう瞬間があることを悟りました。

翌日、偶然にもある方から The last strawの話を初めて聞いた時、そのご婦人のまぶたから流れ落ちた、一筋の涙を思い出しました。その時、私の中にある思いが浮かんだのです。“私は、自分のこの手を通し、人々の肌に触れることで、もしかしたら、少しでもその方々の重みを軽くしてあげることが出来るかもしれない。大きなことは出来ないけれど、せめてその背に降りかからんとしている、一握りの藁のような重みだけでも、この手で振り払ってあげられれば”と、思いました。
私はその気持を忘れずに、日々、仕事を続けて行きたいと思います。

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翌月、CMPジャパンから、私の記事と写真が掲載された“ダイエット&ビューティ” の9月号が届けられた。
“あ、載っている。嘘みたい!”と思い、何故だが一人で恥ずかしくなった。私の稚拙な文章には、編集の意図によって一切手を加えられていなかった。五十嵐ゆう子という名の、米国で働く一人の日本人エステティシャンが、日ごろ見て感じた事を、言葉のまま、息遣いの音までが紙面から伝わるようにとの配慮だった。

そして私の日記は、ダイエット&ビューティの紙面にて2010年の現在も連載を続けている。

 五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

〈第21話〉夢への架け橋

2010年6月10日(木曜日)

カテゴリー: 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.  12時14分47秒

第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

夢への架け橋

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浅野秀二氏に肩を押され、私はエステティシャンの仕事をしながら通訳兼流通コーディネーターとして二足の草鞋を履く人生を、自ら選んで歩んで行くことになった。

幸い、エステティックを行うサロンのスペースはレント契約をしており、私の仕事は全て予約制であった。浅野氏から入る仕事は通常1~2ヶ月以上の猶予を貰えるため、フェイシャルに来られるお客様の予定を上手く調整すれば良いだけであった。以前にその店で働いていた米国人エステシャンは、引越しをする最後の1年ほど、お客様の予約を彼女のスケジュールに合わせながらニューヨークとラスベガスを往復して仕事をこなしていた。私にも同じことが出来るはずであると考えた。そう決めてからは浅野氏に言われたように、本や、インターネット、新聞、雑誌などの資料を見て流通の情報を出来る限り頭に叩き込み、参考書を買い集めて通訳の勉強もした。

浅野氏から、山のような専門誌や新聞の切り抜きを訳すようにと、E-mailにPDFが添付され、送られてきた。最初は、小売店の四半期や年間売り上げの数やら、各既存店の面積と坪当たりに比例する利益や、専門家らの意見などを訳していると、正直言って退屈で、つい居眠りをしては、何度か同じ箇所を訳しているのに気が付く始末であった。それでも、何度か資料を訳すうちに色々な情報が頭に残っていくのを感じていた。

研修の為に、私は浅野氏のツアーに幾度か同行した。視察する場所についての専門的なことばかりを話すのかと思っていたら、氏の話は哲学的な事から、若き日の恋愛体験やアメリカ人宅のホームステイ体験談、日々の暮らしでの事等、ありとあらゆる話が飛び出すのだが、それが最終的に米国視察の話しと絡み合い、参加している人々に気づきや、時として感動を与えていた。それから様々な店舗や企業を訪問し、そこで働く人々や責任者から色々な話を聞く事は新鮮であり、又、日本から参加されている企業の人達と時間を共にし、交流する事で、自分の視野が限りなく広がっていく気がした。けれども最初は、皆が注目する前で話す事が怖く、不安だった。集めた資料を手に持ち、バスの先頭で一生懸命話していたが、後ろを振り返ると、殆どの人が眠っていた事もあった。

私が生活していた街ラスベガスは、カジノやエンターティメントだけではなく、様々な業種展示会の開催が多い場所である。初めの頃は、その会場にて、日本から来られたお客様が各ブースを回る際に同行して通訳を行う仕事が多かった。そして、コーディネーターの仕事を月に1度か2ヶ月に1度と、日程が短い少人数のグループから始めた。そうやってこの仕事を続けていくうちに、私は次の扉を開くきっかけとなる人物と出会うことになる。

ある日、浅野氏からいつものようにE-mailで仕事の依頼を受けた。“ラスベガスのコンベンションセンターで、SUPPLY SIDEというサプリメント関連のショーが開催されます。米国の健康関連事情を視察する日本のグループがそのショーに参加しますので同行出来ますか?”との打診であった。
健康関連、サプリメントといえば、私が闘病中に、それらに関する書物を沢山読むだけでなく、実際に“癌に効果がある”と言われるサプリメントを何種類も試した。その際には、成分やその効能について穴が開くほど読んで自分なりに調べた経験がある。それから、美容学校でもサプリメントについて学習する機会が度々あった。

“得意分野の仕事が来た!”と思い、二度返事で仕事を請けた。
研修視察のオーガナイザーである江渕敦氏は、ヘルス&ウエルネスの業界誌の発行や展示会を主催するCMPジャパン社で、健康産業新聞とスパやサロン情報誌“ダイエット&ビューティ”の記者であり、編集長であった。

ラスベガスのカジノリゾートホテル街の中心に位置するパリスホテル内には、フランス料理を取り入れたバイキングレストランがある。研修視察行程のサプリメント工場や展示会の視察を無事に終えて皆が帰国する最終日、江渕氏とCMP社のスタッフの女性と供にそのレストランでの夕食に私もご一緒させて頂いた。
その際、江渕氏から、今まで氏が出会われた通訳の中で、私のサプリメント関連に対する訳し方が、非常に専門的であった事に驚いたというお言葉を頂いた。

「五十嵐さん。どうしてあんなに細かい専門用語までご存知なのですか?何か特別な勉強をされたのですか?もしくは製薬会社で以前働かれていたとか?」
「いいえ、実は・・・」
と闘病生活での体験や美容関連の職業に就いた事でヘルス&ウエルネスには人一倍興味があることを話した。

氏は真剣に私の話を聞かれ、
「非常に興味深いですねえ。そうですか。今見る限り五十嵐さんはとても健康そうで、そんな大病をされたとは信じられませんね。それに美容のお仕事もされているのですか・・・。いやあ、貴方のお話はとても面白い。そうだ!五十嵐さん。我社のビューティ&ダイエット誌に月間でコラムを書く気はありませんか?米国の美容や健康事情等を紹介して下さい。日本の読者はそういう情報にとても興味があるんですよ。やってみませんか?」

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「エッ、私が記事を書き、それが御社の新聞に掲載される、という意味ですか?」
「ハイ、そうです!原稿料もたくさんとは言えませんが、きちんとお支払いしますよ。」
「はあ。しかし、文章なんて、今まであまり書いたこともないし。ましてや公に発表する記事を書くなんて私に出来るでしょうか?却ってご迷惑を掛けてしまわないかしら。」
「五十嵐さんがその気になられたら一度、私の所まで試験的な文章をE-mailで送ってください。待っていますね。」
と言って、氏は自分の名刺を取り出しメールアドレスをペンで囲み私に手渡した。

自宅に戻り、パソコンが置かれてあるデスクの椅子に腰掛け、今しがた言われたことを真剣に考えてみた。
“私が記事を書く?米国の美容・健康事情について。手紙さえ余り書いたことの無い、筆不精の私に連載記事なんて書けるのかなあ。やっぱり、お断りするべきだろうか?無謀なことを引き受けてご迷惑をお掛けする前に… でも、せっかく江渕さんが私に与えようとしているチャンスをこのまま断るのは勿体無い。あー、どうしよう?”

無意識にデスクの電話に手を伸ばし、浅野氏へ電話を掛けていた。そして先ほどの江渕氏の提案について、私が非常に迷っていることを伝えた。
「ゆうこさん、凄いチャンスじゃない!断るなんて勿体無い、絶対やりなさいよ。アメリカの美容や健康事情について、そして貴方が毎日体験する事柄について、なんでもいいから感じたことをそのまま文章にすればいいんですよ。そして、頑張って書いて、なるべく連載を長く続けることが出来るように努力してみなさい。何でも書き溜めていけばいつか本に出来るよ。そうすれば、多くの人が貴方のことを知ることになる。それが大きな夢に繋がるきっかけの一つになることもあるんだよ!」
彼の、その情熱の籠った言葉に、思わずこう返事した。
「わ、わかりました。書いてみます。」
私はコンピューターに向かい、マイクロソフトオフィスのワードをクリックし、白紙の画面を広げた。
“これが一番最初の私の日記だ。何から書こうか?”

まず最初に「米国エステティシャン日記」というタイトルを付けてみたが、その後に出てくる言葉が思い浮かばなかった。
そんな事を1週間も続けたある日の事。ふいに自分の手を見つめて突然思った。“そうだ。私はこの手を使って、人の肌に直に触れる仕事をしている。そして時に、新しく出会った人と握手を交わすのもこの手なのだ。私は先ず自分のこの手について話すことから始めてみよう。”

私は、自宅に戻るなり急いでコンピューターの画面を開き、最初の日記を書き始めた。

 

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター 

〈第20話〉 見えてくる何かがあるかもしれない

2010年6月3日(木曜日)

カテゴリー: 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.  10時34分21秒

第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

見えてくる何かがあるかもしれない

ラスベガスの小さな美容サロンで再び一からエステティシャンの仕事を始め、なんとかレンタル料も滞ることなく支払えるようになり、少しではあるが儲けも出てきた。

しかし、その頃の私は、心の中にフツフツと湧き上がる、言葉に出来ない思いを抱えていた。
いつか自分の闘病経験を活かし、ヘルス& ウエルネス〔健康〕について、もっと深く人々に伝える事が出来る仕事に関わりたいという思いを、 相変わらず抱き続けていたのだが、何から手をつければその夢に到達出来るのかまるで見当も付かず、漠然としていた。“何かもっと他に、私に出来る事はないのか?もう少しでも夢を現実的に考えられるようなきっかけが欲しい。それに、今現在、私のやっているエステティシャンの仕事や過去の闘病体験で得た知識だけで、何がどこまで出来るのだろうか?私は無謀な夢だけを抱く、夢見る夢子さんのまま終わってしまうのかしら。私の周りでこんな事を考えている人間は果たしてどれだけ存在するのだろうか。仮にいたとしても、何処へ行けばその人たちに出会えるのか?今、私は何を知り学んでいけば良いのか?”と模索する日々が続いていた。

丁度その頃、一本の電話が私に掛かってきた。電話の相手は、私が長年ロサンゼルスで従事し同時多発テロで閉鎖した視察専門旅行会社のサンフランシスコ本社を建て直し、現在代表を務めている浅野秀二氏からであった。

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浅野氏には、息子を出産した直後に助けられた事がある。
生まれたばかりの乳飲み子を抱え、仕事を続けていくことは不可能だと思った私は退職を考えていた。自宅を購入したばかりで経済的には厳しかったが、幼い我が子を他人に預けるわけにもいかず、仕事を辞めるのは仕方ないと思っていた。
すると浅野氏は、当時まだ新しいビジネス方法であったホームオフィス制度を導入し、自宅に居ながらにしてインターネットを利用し、私が今まで通りの仕事を続けることが出来るよう、社のトップへ働きかけてくれたのである。そして私は試験的に、社のホームオフィス勤務第一号者として働ける事になった。その試みが、現実的にちゃんと適用する事が判った今、浅野氏はあえて事務所を構えず、全ての社員にホームオフィスで働く事を提案している。毎朝、会社へ通うために費やす通勤時間や交通渋滞が無いので、その時間をも仕事に費やせる。我々のような既婚女性は、家事と子供の面倒を見ながら仕事を続ける事が出来る。特にガソリンが急騰している今日ではかなりの出費をセーブする事が出来るのも事実だ。浅野氏は、そういう合理的な職場を築き上げた人なのである。

ある日、私が闘病生活を送っていた事を他者から聞いた浅野氏は、私の様子を確かめるために電話をして来てくれたのである。私は今までの闘病の経過と、美容と健康に興味を持ちエステティシャンの資格を得たことも全て彼に話した。私の話を聞き終えた浅野氏は、突然こう言った。
「ゆうこさん、今の仕事の空いた時間でいいから、あなたが体験し勉強してきたことを活かして、通訳、そしてコーディネーターとして外に出てみなさい。あなたもオペレーションという事務職に就いてこの業界に十年間携わって来たのだから、多少は内容も把握しているでしょう。それに人と会って話すことが好きだし、あなたは外に出ることが合ってると思う。」

「え?それは浅野さんの会社で、米国視察の為に日本から来られるお客様に同行させて頂くという意味ですよね? どこかで落ち会い、その場で通訳するだけならなんとかなるかもしれませんが、コーディネーターともなれば、道中バスの車内で視察を行なう色々なお話をしないといけないのでは?いくらロサンゼルスの事務所で10年以上もの間に視察関連の手配を行ってきたとは言え、人前で話せるだけの専門知識を私は殆ど持っていません。ましてや長時間の間を、バスの車内で何を話したら良いのか見当が付きませんし、自信ないですよ。」
私は戸惑っていた。

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「大丈夫!視察関連の情報については暇を見付けて自分で店を見て回ったり、本や雑誌、新聞などに載っている情報を読んで勉強して行けば良い。今は知りたい事をインターネットで検索すれば殆どが手に入る時代です。車内で話すのは、貴方がそうやって病気を克服してきた経験や、美容や健康について関ってきたことで学んだ事や、子育てをしながら働く主婦として米国で生活し、日々の買い物をしたりしながら、あなたが普段感じている事などを話してあげればいいんだよ。日本の人たちはそういう生の声を聞きたいと思ってここへやって来るんだ。やってみなさい!そうして色んな人の前で話をしていけば、見えてくる何かがあるかもしれないよ。」

この最後の一言に強く引かれた。
“見えてくる何かがあるかもしれない。”

見えてくる“何か”って何だろう?それが見えることによって、私の心の中に湧き上がる得体の知れない感情の答えを見付けることが出来るのかな?それなら好都合だ。ちょっと大変そうだけど、色んなところへ行って人と話すのは嫌いじゃない。新しい出会いだってあるかもしれない。そうだ、グダグダ頭の中で考えてばっかりいたってしょうがない。うん、やってみよう!

心の中の不安よりも、新しい扉を開く事へのワクワクとした感情の方が遙かに勝っていた。そうして浅野氏に”OK”の返事を出すまで、さほどの時間はかからなかった。

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター