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	<title>商人舎 &#187; 結城義晴・燃える闘病日記</title>
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	<description>結城義晴ブログ</description>
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		<title>結城義晴・燃える闘病日記⑩最終回、私の両目に心より感謝！</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/05/1669/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/05/1669/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 05 Apr 2008 09:05:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium">自分の目に関する歴史を振り返る。<br />
変なテーマですが、<br />
私にとっては重要な出来事ばかりだったのです。</span></p>
<p><span style="font-size: x-large">「㈱商業界に入社して」</span></p>
<p>さて、10歳からコンタクトレンズ常用者となった結城義晴。<br />
右目コンタクト使用で、2.0。<br />
左目裸眼で、0.7。</p>
<p>これで、編集記者としての仕事に邁進しておりましたが、<br />
36の時に『食品商業』編集長となる。<br />
40歳くらいから、会社の制度で、<br />
毎年、人間ドックに入るようになる。</p>
<p>すると、40代中盤から、右目の緑内障を指摘される。</p>
<p>今から考えると、<br />
左目ばかり酷使しているようでいて、<br />
実際には見ていないように思われる方の目にも、<br />
負担がかかるようになっているらしい。</p>
<p>さらに、右目は水晶体を摘出しているので、<br />
眼球の大半の部分を占める硝子体（ガラス体）が、<br />
後ろから圧迫を加え、それが眼圧を上げるよう作用していた。</p>
<p>そんなことを知らない結城義晴、<br />
40歳から少年ソフトボールの監督を務める。<br />
土曜・日曜、休祭日、休みなしで、<br />
グランドに出る。<br />
ノックの嵐、激戦続き、<br />
チームはそこそこに知られるようになるものの、<br />
右目はいつも風やほこり、ごみに悩まされた。</p>
<p>さらに、40代後半から、仕事にパソコンが入ってくる。<br />
これも、目には負担のかかることばかり。</p>
<p>44歳のころ、取締役編集担当、<br />
49歳の時、専務取締役編集統括、<br />
そして50歳、代表取締役社長と、<br />
役目は重くなっていきます。</p>
<p>そして、53歳の春、突然、網膜剥離にかかってしまうのです。</p>
<p>4月28日、午前中、横浜・大口のユニー関東本部で講演。<br />
なぜか、この日は熱が入って、<br />
2時間を超え、3時間近くの講演となりました。</p>
<p>どうも目の具合が悪く、<br />
掛かり付けの山王病院眼科に行って検査してもらうと、<br />
若い茶髪の医者は言う。<br />
「そのまま動かずに、池尻の東邦大学病院に行ってください」</p>
<p>タクシーで、池尻へ。<br />
北喜幸先生に診てもらったら、<br />
「すぐに手術です。このまま入院してください」<br />
私、講演のために、ダブルの濃紺のスーツを着ていた。<br />
そのまま入院。<br />
4月30日、午後8時から2時間半の手術。</p>
<p>剥がれていた右目の網膜を縫い合わせる処置を受けたのでした。</p>
<p>10歳からコンタクトをつけて、酷使した両目。<br />
そのうちの弱い方の右目に、ストレスや疲労が集中する。<br />
私の弱点なのです。</p>
<p>ゴールデンウイークを、東邦大学病院のベッドで過ごした後、<br />
右目は、コンタクトをしても、0.7くらいしか見えませんでした。<br />
直線が、ぎざぎざに見えるからです。</p>
<p>網膜というのは、目をカメラに例えると、フィルムの機能を担う。<br />
そのフィルムが、剥がれてきたので、縫い合わせた。<br />
だから映像がどんなにくっきりと、目の中に入って来ても、<br />
写りこむフィルムが凸凹ならば、写りは悪い。<br />
視力は出ない。</p>
<p>それでも、ゴルフなどのおとなしいスポーツは続けておりました。<br />
少年ソフトボールは、監督を退き、チームの代表。</p>
<p>それから2年、㈱商業界を卒業し、<br />
㈱商人舎を設立したばかりの今年2月、<br />
右目の調子が悪く、<br />
とうとうスーパーマーケットトレードショー前日の深夜12時ころ、<br />
東邦大学病院にタクシーで乗り込むと、<br />
眼圧が40台後半。<br />
点滴を打って眼圧を下げてもらい、<br />
有明ワシントンホテルに戻る。<br />
翌日、北医師の診断で、緑内障の手術を決定。</p>
<p>単行本執筆や講演のスケジュールを調整して、<br />
さらに4月17日の「商人舎発足の会」の前に、<br />
手術日が設定されました。<br />
この間、点滴を2回受けつつ、トレードショーを乗り切る。</p>
<p>結局、3月24日（月曜日）、入院。<br />
そして25日（火曜日）、夕方、手術。</p>
<p><span style="font-size: x-large">「緑内障の二度の手術模様」</span></p>
<p>さて、25日は、朝食をとってから、<br />
手術を待つために、病室で安静に。<br />
点滴を打ち、点眼をしつつ、手術を待つ。<br />
<img height="343" width="457" alt="手術直前" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0519-2.jpg" /><br />
この日は、東邦大学病院で、<br />
大安の日のホテル並みに手術が目白押し。</p>
<p>私が、自室をストレッチャーで出たのは、<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0520-2.jpg"><img height="234" width="300" alt="時間" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0520-2.jpg.300px.jpg" /></a><br />
6時50分を回ったころでした。<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0518-2.jpg"><img height="275" width="300" alt="ストレッチャー" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0518-2.jpg.300px.jpg" /></a><br />
ストレッチャーに乗せられて、<br />
病院の、低い天井を見ながら、<br />
手術室へ。<br />
5階の自室から、エレベーターに乗り換えて、<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0521-2.jpg"><img height="259" width="300" alt="移動" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0521-2.jpg.300px.jpg" /></a>２階、手術室へ。</p>
<p>昔、子供のころ、ベン・ケーシーというテレビドラマがあった。<br />
そのイントロダクションが、こんな感じだった。<br />
ストレッチャーで運ばれていく患者の視点からの映像だった気がする。<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0522-2.jpg"><img height="117" width="300" alt="手術室へ" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0522-2.jpg.300px.jpg" /></a><br />
私は第６手術室。<br />
この病院には、７つの手術室があるという。<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0524-2.jpg"><img height="300" width="231" alt="手術室へ" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0524-2.jpg.300px.jpg" /></a><br />
手術室前までは、病棟担当の看護師が運ぶ。<br />
白い制服。<br />
<img height="343" width="457" alt="いざ" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0523-2.jpg" /><br />
手術室に入ると、手術担当の看護師。<br />
みな水色の制服。<br />
私は、頭に帽子をかぶせられる。</p>
<p>手術台に移し替えられると、<br />
耳に音楽が聞こえた。<br />
ゆずのメロディー。</p>
<p>すぐに左肩に注射。<br />
右手には、血圧計。<br />
５分ごとに自動的に膨らんで、血圧を圧迫し、<br />
計測する。<br />
手術中、この規則的に膨らんでは「プシュー」という音とともに計測する血圧計には、<br />
なぜか精神的に助けられた。<br />
励まされた。</p>
<p>胸には心電図のセット。<br />
手術中、ずっと、「ピッピッピッ」という音を出している。<br />
左手人差指の先には、サックがはめられ、<br />
酸素が末端まで通っているかどうかをチェックする。</p>
<p>まず、両目に目薬を点される。<br />
これがよく効く麻酔薬。<br />
目薬だけで、十分な麻酔が効いて、<br />
白眼に直接注射したり、メスを当てたりできる。</p>
<p>その後、右目の部分だけ穴のあいた布が顔にかぶせられ、<br />
テープで右目の周りが固定される。</p>
<p>私はもう右目だけが、この世と繋がっているような気分。</p>
<p>そんなとき、右手の血圧計の５分ごとの「プファー」の音と、<br />
心電図計の「ピッピッピッ」という音、<br />
そしてゆずのメロディーが、私を癒してくれる。</p>
<p>麻酔が効いてきたら、右目に注射。<br />
これが決定的に麻酔効果を高める。</p>
<p>その後、何でもないかのように、執刀、手術。<br />
ときどき眼を洗い流す水が掛けられる。<br />
右目で、物を見ているはずが、<br />
その右目を切り開いて手術は行われている。</p>
<p>濃い灰色の背景に、二つの光が見える。<br />
それだけ。<br />
切られている感覚はないし、<br />
メスが見えるわけでもない。</p>
<p>ただ濃い灰色の背景に、二つの光。</p>
<p>心電図と血圧計の音。<br />
いつしか音楽は、ストリングスに変わっている。<br />
左手の中指、薬指、小指がしびれてきた。</p>
<p>目に水をかけている。</p>
<p>富田教授の声。<br />
北医師の相槌。</p>
<p>手術は淡々と進み、<br />
十数回の血圧計のふくらみが終わると、<br />
「これでいいだろう」<br />
富田教授の声。</p>
<p>「やるべきことはやりました」</p>
<p>私の眼は、眼圧が高い。<br />
眼圧を調節するために、眼中の水分を抜き取るパイプがあるが、<br />
それが金属疲労をきたしている。</p>
<p>そこで、新たに、バイパスをつくる。</p>
<p>その手術。</p>
<p>人間の体は、傷が付けられると、<br />
自然治癒力を持つ。<br />
目にあけたバイパスは、自然に閉じられてしまう。<br />
するとまた眼圧は高まる。</p>
<p>だからここに抗癌剤を塗りつけるという。</p>
<p>それによって、バイパスが保たれる。</p>
<p>しかし、バイパスが太すぎると、<br />
今度は、眼圧が下がりすぎてしまう。</p>
<p>眼圧は低すぎても高すぎても、失明する。</p>
<p>だから、バイパスの太さを調整しなければならない。<br />
それが、この緑内障手術のあとに施される大事な処置。</p>
<p>部屋に戻ると、夜９時を過ぎていた。<br />
１時間ほど静養して、食事。<br />
考えてみると、朝、食べてから何も口にしていない。</p>
<p>いつもの病院食。<br />
お腹が「グー」と鳴った。<br />
もちろん完食。</p>
<p>その夜は、意外にも熟睡。</p>
<p>翌26日、朝から診察。<br />
眼を開いて、目薬を点し、<br />
「正面を向いて」<br />
「足元を見て」<br />
「右を見て、左を見て、上を見て」</p>
<p>「眼圧は25です。様子を見ましょう」</p>
<p>私、この日も、ブログを書いた。<br />
短いもの。<br />
[毎日更新宣言]だから。<br />
お約束だから。<br />
<img height="343" width="457" alt="手術後" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0532-2.jpg" /><br />
さて、26日の夕方、富田教授の見立て、<br />
「明日、硝子体をとりましょう。<br />
ゲル状の硝子体が、バイパスに入り込んできている」</p>
<p>こんな経緯で、27日、二度目の手術をすることになった。<br />
<img height="343" width="457" alt="第2回手術後" class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0546-2.jpg" /><br />
手術は、やはり同じような手順を踏む。<br />
準備も術式も。</p>
<p>これをマニュアル方式と呼ぶ。<br />
マニュアル否定を唱える人がいる。<br />
私は、それはおかしいと思う。<br />
例えば、手術の時、<br />
たくさんの人がそれにかかわる。<br />
実際、二度目の手術には、富田教授は都合で立ち会えず、<br />
北医師の執刀となった。</p>
<p>それでも、まったく同じ手順を踏んで、<br />
つつがなく手術は行われた。<br />
マニュアル方式を採用しない手術があるとしたら、<br />
私は怖くて、御免こうむりたい。</p>
<p>同じ手順で、血圧計、心電図計が付けられ、<br />
同じ手順で麻酔の目薬と注射が打たれた。<br />
しかし、術式は違っていた。<br />
今度は硝子体除去手術。</p>
<p>北医師の技術は高く、それでも、この二度目の手術にも、<br />
1時間半がかかった。</p>
<p>無事、硝子体は取り除かれ、<br />
バイパスへのゲル状の硝子体の侵入はなくなった。</p>
<p>この晩も、夜の食事、完食。</p>
<p>私は、元気だった。</p>
<p><span style="font-size: x-large">「私の両目に、ありがとう」</span></p>
<p>振り返ってみると、<br />
ずいぶん右目には迷惑をかけた。</p>
<p>10歳の夏。<br />
あんなにも蛙を撃たなければ、<br />
罰が当たることもなかったかもしれない。</p>
<p>学生時代、駆け出し時代。<br />
あんなにも酷使しなければ、<br />
網膜剥離や緑内障にならずに済んだかもしれない。</p>
<p>しかし、私は、振り返らない。<br />
この手術も、<br />
積極的な、攻めの手術だったし、<br />
ポジティブな入院だった。</p>
<p>秋山先生、富田教授、北医師。<br />
皆さんに感謝している。</p>
<p>皆さんのおかげで、仕事をすることができた。<br />
皆さんのおかげで、ここまで生きてきた。</p>
<p>ありがとうございます。</p>
<p>何よりも、私自身のこの右目。<br />
よく耐えてくれました。<br />
そして、この左目。<br />
よく支えてくれました。</p>
<p>両目が、互いにかばいながら、<br />
ものを見続けたから、<br />
今の私がある。</p>
<p>見たものを感じ、考える自分がいる。</p>
<p>私は、右目に対して、<br />
四度の手術をしてもらいました。</p>
<p>どれも大きな手術でした。</p>
<p>どれも、私の人生に、影響をもたらした。</p>
<p>これからも、お世話になります。<br />
この両目には。</p>
<p>ありがとう。</p>
<p>目を見開いて、合掌。</p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>結城義晴・燃える闘病日記⑨退院後、自分の目に関して振り返る</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/04/1668/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/04/1668/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 04 Apr 2008 07:45:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium"></span><span style="font-size: x-large">昨日、退院しました。</span><br />
お花、お便り、メール、電話など、<br />
本当にありがとうございます。</p>
<p>入院や手術、退院を、<br />
宣伝しながら挙行しているみたいですが、<br />
[毎日更新宣言]となると、<br />
そうなってしまいます。</p>
<p>でも、こういったときの励ましのお花や、<br />
思いやりに満ちたお言葉は、<br />
本当にありがたいものです。</p>
<p>ですから、私、まったくといってよいほど、<br />
後悔や不安がありませんでした。</p>
<p>ずっと、前向きに、それでいて冷静に、<br />
ものを考え、行動することができました。</p>
<p>ありがとうございます。</p>
<p>そこで、退院記念に（？）<br />
私の眼といくつかの手術を、思い出しながら、<br />
振り返ってみようと思います。</p>
<p>時間は、45年前にさかのぼります。<br />
<span style="font-size: x-large">結城義晴、10歳の夏。</span></p>
<p>私は、横浜に暮らしていました。<br />
小学校4年生。</p>
<p>夏休みに、両親とともに、福岡の田舎に帰りました。<br />
福岡県早良郡早良町大字小笠木字脇山村。<br />
私の生まれ故郷です。</p>
<p>ここに、結城一族が住んでいるのですが、<br />
私は叔父の家に、1カ月近くも、居座って、<br />
田舎暮らしを満喫していました。<br />
同じ年の従兄たちと、<br />
野山を駆け巡り、<br />
虫を捕ったり、花を摘んだり、<br />
それはもう大自然の中で、<br />
のびのびと生活していたのでした。</p>
<p>この夏は、とりわけ手作りのパチンコで遊びました。<br />
木の股を切り取ってきて、<br />
そこに太いゴムをかける。<br />
そしてパチンコをつくる。<br />
竹を削って、細い矢のようなものをつくる。</p>
<p>それで、蛙を撃つのです。<br />
残酷な遊びです。</p>
<p>夏中、私たちは、田んぼの畦で、<br />
何百匹もの蛙を撃ちました。<br />
矢が、蛙の背中から腹まで、突き通される。<br />
それを高々と持ち上げて、収獲とする。</p>
<p>竹の矢じりだけでなく、<br />
針金をU字型に曲げて、<br />
それを打つという遊びもしていました。</p>
<p>ある暑い日の午後、見事なアゲハ蝶が、<br />
叔父の家の縁側にひらりひらりと飛んできました。</p>
<p>たった一人で退屈していた私は、<br />
パチンコを取り出し、<br />
U字型の弾を引っ掛け、<br />
アゲハ蝶にねらいを定めました。</p>
<p>思い切りゴムを引っ張って、<br />
<span style="font-size: x-large">弾を解き放つ。</span></p>
<p>それ以来、私の右目は、<br />
視力を失いました。</p>
<p>針金の弾が、跳ね返って、<br />
右目に刺さってしまったのでした。</p>
<p>ダークダックスというコーラスグループがありました。<br />
リーダーは、確か、「マンガさん」。<br />
そんなあだ名のついた小柄な人でした。</p>
<p>私の右目は、あの「マンガさん」と同じ症状となりました。</p>
<p>それまでは、両目とも1.5でした。</p>
<p>このときから、右目には霞がかかって、見えません。</p>
<p>近所の眼科で応急処置をしてもらって、<br />
私は横浜に帰りました。</p>
<p>何軒もの眼科医を訪れました。<br />
母が、とりわけ心配してくれました。</p>
<p>ちょうどそのころ、横浜の関内に、<br />
秋山眼科がオープンしました。</p>
<p>若き病院長・秋山先生は、<br />
ドイツ仕込みの最先端の技術を持っていました。</p>
<p><span style="font-size: x-large">その秋、私は、<br />
水晶体摘出手術を受けました。</span><br />
子供でしたから、完全麻酔。<br />
注射を打たれて寝ているうちに、右眼のレンズは除去され、<br />
1カ月間、両目に包帯を巻かれて暮らしました。</p>
<p>包帯も眼帯も取れたとき、<br />
私の右目は、ものが鮮明に見えるわけではないのですが、<br />
以前より、くっきりと光をとらえるようになっていました。</p>
<p>昭和37年、目に備わっていたレンズを失った代わりに、<br />
<span style="font-size: x-large">私は、10歳にして、<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0633-2.jpg"><img width="75" height="200" class="pict" alt="ケース" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0633-2.jpg.200px.jpg" /></a><br />
コンタクトレンズ常用者となったのでした。</span></p>
<p>当時の秋山眼科は、欧米のクリニックそのものの、<br />
洗練されたオフィスでした。<br />
そこに美しいモデルのような看護婦さんがたくさんいて、<br />
みなコンタクトレンズの扱い方や保管の仕方などを、<br />
コンサルティングしてくれました。</p>
<p>私の右目は、分厚い凸レンズを、黒眼につけると、<br />
2.0の視力を出しました。</p>
<p>ものが両目で、くっきりと見える。</p>
<p>私の右目は、復活したのでした。</p>
<p>しかし、それは遠くを見るときの場合。<br />
近くを見ると、視点が固定されているために、<br />
ぼけている。</p>
<p>以来、私は、書かれたものをずっと左目で見るようになります。</p>
<p>スポーツも大好きでしたが、<br />
屋外の競技や接触プレーのある種目は、<br />
積極的には、できませんでした。<br />
クラブ活動は、従って中学高校と6年間、器械体操。<br />
屋内競技で、接触プレーのないもの。</p>
<p>もちろん野球やサッカー、バスケットボールなど、<br />
球技は大好きでしたので、<br />
授業や遊びでは、楽しみました。<br />
しかし、本格的にはできないものと、<br />
はじめから、あきらめていました。</p>
<p>大学受験の時、<br />
夜中に、突然、その左目も、真っ暗になって、<br />
見えなくなったことがあります。</p>
<p>それでも、明け方、恐る恐る目をあけると、<br />
光が光が入ってきて、<br />
心の底から安堵したことを覚えています。</p>
<p>大学時代は無頼派。<br />
夜ごと飲んだくれて、<br />
目に良いはずはない。</p>
<p>べろべろに酔っぱらって、バク天をする。<br />
それが当時の私の芸でした。</p>
<p>その後、学校を出て、<br />
私は、㈱商業界に入社しました。</p>
<p>雑誌の出版社に入ってしまったのです。</p>
<p>『販売革新』という編集部に配属されると、<br />
<span style="font-size: x-large">私は、毎月のように、<br />
何夜も徹夜で原稿書きを始めました。</span></p>
<p>右目にはコンタクトレンズ、視力2.0．<br />
左目は裸眼、視力0.7といったところでした。</p>
<p>20代中頃、いつしか左目にも、<br />
ハードコンタクトレンズが入っていました。</p>
<p>それでも、若さに任せて、目を酷使し続けてきました。<br />
自分では、それほどの不自由もハンデも感じませんでした。</p>
<p><span style="font-size: x-large">私の仕事は、お店を見ること、<br />
商品を見ること、<br />
人の話を聞くこと、<br />
それを文章にまとめること。</span></p>
<p>日本中のお店を見て歩きました。<br />
アメリカやヨーロッパのお店まで巡りました。<br />
すべて、私の眼を通して見たものばかりです。<br />
<a target="_blank" href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0634-2.jpg"><img width="300" height="225" class="pict" alt="メガネ" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0634-2.jpg.300px.jpg" /></a><br />
よく耐えてくれたと思います。<br />
今では、メガネにもお世話になっていますが。</p>
<p>今、こんな仕事ができるのも、<br />
みな、私の目のおかげです。<br />
秋山先生のおかげです。</p>
<p>だから、私は目の手術をしても、<br />
ありがたいとしか、思いません。</p>
<p>ダークダックスのマンガさんのように、<br />
なっていたかもしれないからです。</p>
<p>江戸時代ならば、伊達政宗か柳生十兵衛、丹下左膳。<br />
昭和でも、30年代前半に怪我をしたのならば、<br />
ほぼ同様だったでしょう。</p>
<p>昭和37年だったから、水晶体摘出手術が受けられた。<br />
現在の白内障です。</p>
<p>そして、私は、その右目に、<br />
次の試練を受けることになるのです。</p>
<p>＜明日につづく、結城義晴＞</p>
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		<item>
		<title>結城義晴・燃える闘病日記⑧東邦大学大橋病院を退院します、すべての人に感謝しながら。</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/03/1667/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/03/1667/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 03 Apr 2008 00:40:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">突然ですが、プロフェッサー富田から、<br />
退院の許可が、発せられました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-large;">今日、4月3日、晴れて、退院。</span><br />
ありがたいことです。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0598-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0594.jpg" alt="ベッド" width="457" height="343" /></a><span style="font-size: x-small;"><br />
ベッド、パソコン、お世話になりました。</span></p>
<p>昨日、バイク便で、単行本の再校が届けられました。<br />
それを、読みつつ、退院します。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0610-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0610-2.jpg.300px.jpg" alt="再校" width="300" height="225" /></a><br />
「『お客様のため』に、いちばん大切なこと」<br />
単行本をつくりながらの入院。<br />
「ポスト資本主義社会の中の知識商人」<br />
商業現代化を考えながらの退院。</p>
<p>繰り返しますが、<br />
<span style="font-size: x-large;">「知識商人」は、<br />
「専門知識」とともに、<br />
「専門技術」を持っていて、<br />
しかもそれを駆使しながら、<br />
「お客様のため」に、<br />
行動できる職業人のことです。</span></p>
<p>ここで重要なのは、<br />
<span style="font-size: x-large;">行動できること、<br />
実行できること、<br />
実践できること。<br />
結果として、<br />
お客様の満足を、<br />
実現できること。</span><br />
最後のところが「知識商人」として、<br />
大切なことです。</p>
<p>一般にいわれる「モノ」だけではなく、「コト」も大切。<br />
これが、「知識商人の専門知識」の一部でもあります。</p>
<p>モノの典型としての「コモディティ・グッズ」も、<br />
人が生活していく上では不可欠です。<br />
今、日本中がガソリンに注目しているように。</p>
<p>ガソリンなしでは、車は走らない。<br />
ガソリンは、レギュラーとハイオクしかない。<br />
だから、ガソリンに「コト」販売はしにくい。<br />
一方、ノンコモディティには、<br />
さまざまな「コト」が付随している。<br />
それをお客様から「待ってました」といわれるくらいに、<br />
お客様の目の前に御披露する。<br />
それが、「知識商人の専門知識」の「見える化」です。</p>
<p>さて、3月24日に入院した時には、<br />
右目の眼圧が47にも上がっていました。<br />
「このままでは失明する」<br />
そう言われました。</p>
<p>しかし今朝、その眼圧は14に下がりました。<br />
正常な左目とかわらない状態に。</p>
<p>ありがたいことです。</p>
<p>病室の廊下から見える景色にも、<br />
桜の絵柄が入りました。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0598-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0598-2.jpg.300px.jpg" alt="景色" width="300" height="225" /></a></p>
<p>私の病室の窓から見える空も、<br />
くっきりとしてきました。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0600-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0600-2.jpg.300px.jpg" alt="窓の外３" width="300" height="225" /></a></p>
<p>最後の朝食も、<br />
完食。<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0608-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0608-2.jpg.300px.jpg" alt="最後の朝食" width="300" height="245" /></a></p>
<p>二度の手術の後の、夜中の食事も、<br />
ご飯一粒、残さず食べてきました。</p>
<p>本当にありがたいことです。</p>
<p>でも、入院の予定は2週間でしたから、<br />
退院したといっても、<br />
今週いっぱいは自宅療養します。<br />
<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0609-2.jpg" alt="ありがとう" width="457" height="343" /></p>
<p>それからです、<br />
パワー全開で、4月17日、<br />
商人舎発足の会へ突入です。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">元気になった結城義晴に、<br />
会いに来てください。</span></p>
<p><span style="color: #ff0000; font-size: x-large;">「目一杯の元気を差し上げます!」</span></p>
<p>商人舎発足の会、<br />
<span style="font-size: x-large;">「流通業界のVIPをこんなに集めて、<br />
何かあったらどうするんだ」</span><br />
こう言われました。</p>
<p>そう考えると、恐ろしいくらいです。</p>
<p>21世紀の日本商業を担う人ばかり。</p>
<p>でも、お集まりいただく「発起人」の皆さん。<br />
規模が大きな会社の社長さん、会長さんばかりでは、<br />
ありません。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">「本物の商人」<br />
「本当の親友」<br />
「素晴らしい同志」</span><br />
私がこう考える人に、<br />
たくさん発起人になっていただきました。</p>
<p>岩手県の小松製菓・小松務さん、<br />
石川県の芝寿し・梶谷晋弘さん、<br />
埼玉県のダスキンくりはらの栗原一博さん。<br />
それに足利屋洋品店店主・「虹の架橋」編集長の松崎靖さん、<br />
福岡県のむすんでひらいて原田政照さん。</p>
<p>さらに、ニチイ創業者夫人の西端春枝さん。<br />
私の尊敬する人です。</p>
<p>もっともっと多くの人にも、<br />
お集まりいただきます。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">会社や売上高の規模だけではないのです。</span></p>
<p>昭和30年代のことです。<br />
箱根の商業界ゼミナールの一室。<br />
深夜。</p>
<p>倉本長治先生をはじめとするそうそうたる先生方が、<br />
談笑したり、議論したりしていました。</p>
<p>その後お菓子のタカラブネを創業することになる野口五郎さん。</p>
<p>遠くで、その光景を見ていました。</p>
<p>すると長治先生が言いました。<br />
<span style="font-size: x-large;">「野口君、こっちに来て、仲間に入りなさい。<br />
君も、僕たちの仲間なんだから」</span></p>
<p>そう声をかけられた野口さん、<br />
涙が出るほどうれしかったそうです。</p>
<p>そして、そこから勉強を重ねて、<br />
タカラブネのチェーンをつくりました。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">大切なのは、<br />
自分に誇りを持つことです。<br />
誇りを持てるように努力することです。<br />
努力すると決意することです。</span></p>
<p><span style="font-size: x-large;">それだけでももう、<br />
仲間であり、<br />
同志なのです。</span></p>
<p>私は、4月17日を、そんな日にしたいのです。<br />
イオン岡田元也さんやユニクロ柳井正さんと、<br />
仲間になっていただきたいのです。<br />
同志として、同じ空気を吸っていただきたいのです。</p>
<p>私の友達は、みんな仲間。<br />
みんな同志です。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">「お客様のために」と<br />
仕事し続ける「知識商人」なのです。</span></p>
<p>退院します。<br />
感謝の気持ちを、胸一杯にして。<br />
ありがとうございました。</p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>結城義晴・燃える闘病日記⑦｢知識社会｣の中で誇れる｢知識商人｣でありたい!</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/02/1666/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/02/1666/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Apr 2008 02:15:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">入院、10日目となりました。<br />
第1回手術から、1週間。<br />
散歩する目黒川の桜も散り始めた。<br />
<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0582-2.jpg" alt="サクラ１" width="457" height="343" /></span></p>
<p>この東邦大学大橋病院にお世話になって、<br />
心より感謝しています。</p>
<p>満開の桜も楽しみました。<br />
<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0586-2.jpg" alt="一本" width="451" height="339" /><br />
昨日書いたこと。<span style="font-size: x-large;"><br />
「知識社会と知識経営者、知識専門家」。</span><br />
ちょっと難しく聞こえるかと、<br />
心配になってきました。</p>
<p>先ごろ、あるところで講演をしました。<br />
分かってくださる方も勿論、いらっしゃったのですが、<br />
「あんな難しいこと知ってたら、商売なんかしていない」<br />
という率直な声もありました。</p>
<p>私が、「クリティカル・マス」や「コモディティ」に関して、<br />
時間が短かったにもかかわらず、<br />
説明しようとしたことが原因でした。<br />
私、大いに反省しました。</p>
<p>「知識経営者」「知識労働者」「知識専門家」<br />
これも難しいのかもしれません。</p>
<p>どう説明しようか、よく考えてみます。<br />
4月17日の「商人舎発足記念講演会」は4時間ありますので、<br />
十分に解説できると、楽しみにしています。</p>
<p>ピーター・ドラッカー先生は、「知識社会」の知識に関して、<br />
『ポスト資本主義社会』のなかに、このように書いています。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">「夕食に招く客には教養のある人がよい。<br />
だが、砂漠では教養のある人はいらない。<br />
何かのやり方を知っている人がよい」</span></p>
<p>「マーク・トウェインが1889年に書いた小説の主人公、<br />
コネティカット出身のヤンキーは教養ある人間ではなかった。<br />
ラテン語もギリシャ語も知らず、<br />
シェイクスピアを読んだこともなく、<br />
『聖書』もほとんど読まなかった。<br />
しかし彼は、機械のことなら、<br />
電気を起こすことから電話機をつくることまで<br />
すべて知っていた」</p>
<p><span style="font-size: x-large;">商売のこと、<br />
商品のこと、<br />
お客様のこと、<br />
これらをよく知っている専門家。</span></p>
<p>それが、<br />
<span style="font-size: x-large;">知識社会の｢知識商人｣</span><br />
です。</p>
<p>そして、<br />
その専門知識に応じて、<br />
体を動かして、<br />
お客様のために動くことができる。<br />
実行することができる。<br />
それが「知識商人」です。</p>
<p>いかがでしょうか。</p>
<p>私の主治医は、<br />
東邦大学医学部教授の富田剛司先生です。<br />
プロフェッサーと言います。<br />
執刀してくれたのが、北善幸先生。<br />
こちらはドクターと呼ばれます。</p>
<p>日本を代表する眼科の専門家。<br />
緑内障や白内障、網膜剥離のスペシャリスト。<br />
知識だけでなく、手術の腕も、確かなもの。</p>
<p>こういった先生方は、<br />
もちろん医学全般の知識はある。<br />
しかし、その面だけでは、<br />
普通の医学人。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">先生方が、社会貢献しているのは、<br />
専門知識と専門技術によって、なのです。</span></p>
<p>これが今、偏見なく、どんな分野でも、<br />
それぞれに高く評価されようとしている。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">「商売の世界」<br />
「お客様のために奉仕する世界」でも。</span></p>
<p>そのために、私たち自身が、<br />
自分の専門性を高め続けなければならない。<br />
自分の専門性に誇りを持たねばならない。</p>
<p>これを「志」と呼びます。<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0591-2.jpg" alt="銀杏" width="281" height="519" /></p>
<p><span style="font-size: x-large;">「志定まれば、気盛んなり」</span></p>
<p>今年の私の標語ですが、それが、<br />
「知識社会」のなかの「知識商人」に、<br />
つながっています。</p>
<p>私は、強くそう考えています。</p>
<p>もうすぐ、退院の日がやってきそうです。</p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>結城義晴･燃える闘病日記⑥病院の中から｢ポスト資本主義社会⇒知識社会｣を覗く。</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/01/1665/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/04/01/1665/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 Apr 2008 01:07:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">今日から4月。<br />
4月1日です。</span></p>
<p><span style="font-size: x-large;">4月は、風が入れ替わる月。</span></p>
<p>たとえば東京・横浜の関東地方。<br />
3月までは北風が多い。<br />
4月からは南風が多くなる。<br />
4月は北風・南風、同じ割合。</p>
<p>そして、新年度に入る会社も多い。<br />
人事異動、転職、新年度方針、新政策。</p>
<p>日本国中、ガソリンの値下げと消費財の値上げで、<br />
話題は持ちきり。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">普段は、価格に無頓着な層も、<br />
今は、価格にすごく敏感になっている。</span></p>
<p>だから、わが社らしい価格政策を持ち、<br />
それを鮮明にするとき。</p>
<p>わが社の政策の明確化が、<br />
まず、なされていなければならない。<br />
その上で、いかにその政策が、<br />
全員に浸透しているか、<br />
そして取引先や顧客に伝わっているか。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">注目されているときに、<br />
凛として立つ。</span></p>
<p>その心意気です。</p>
<p>さて、今日、<br />
<span style="font-size: x-large;">三越伊勢丹ホールディングスのスタート。</span></p>
<p>1兆5000億円を超える年商の百貨グループ誕生。<br />
しかし私は、何度も言っている。<br />
経営管理コストやマネジメント効果、<br />
そして人材の厚みは出るが、<br />
営業上、マーチャンダイジング上は、<br />
効果は薄い。</p>
<p>百貨店は、ノン・コモディティを扱う商売だから。<br />
百貨店で販売され、サービスされるものは、<br />
たとえばガソリンというコモディティ・グッズの<br />
真反対の商材ばかり。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">規模が大きくなりすぎることは、<br />
こと商品上、マーチャンダイジング上では、<br />
むしろマイナスにすらなりかねない。</span></p>
<p>このあたり、間違わないように。<br />
もちろん、新ホールディングスのトップ連には、<br />
先刻ご承知のことと思う。</p>
<p>悪しからず。</p>
<p>ところで、昨日、<br />
単行本の初校を読んでいて、<br />
つくづく考えたこと。<br />
そして、ありがたくも、わざわざ、<br />
お見舞いに訪れてくださったイオン常務取締役の堤唯見さんと、<br />
話し合ったこと。</p>
<p>単行本のタイトルは、<br />
<span style="font-size: x-large;">「お客様のために<br />
いちばん大切なこと」</span></p>
<p>私が、昨年から使い続けているデータ。<br />
米国の雑誌「FORTUNE」の「最も働きたい企業100社」。</p>
<p>これは、21世紀の今の時代を鮮明に映し出している。<br />
これからの時代を先取りしているとも考えられる。</p>
<p>資本主義社会の次に来る時代。</p>
<p>どんな時代か。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">それは、「知識社会」</span></p>
<p>ピーター・ドラッカーが、1993年、<br />
『ポスト資本主義社会』（ダイヤモンド社）の中で、<br />
見抜いていた。<br />
<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0576-2.jpg" alt="ドラッカー" width="322" height="447" /></p>
<p>私は、無頼派の大学時代、<br />
それでも産業社会学研究ゼミに属した。<br />
壽里茂先生のもと、<br />
J･S･ミルを読んだりしていた。</p>
<p>勤勉な学生とはとても言い難かったけれど。</p>
<p>昨年、恩師壽里先生は、紫綬褒章を受賞された。<br />
早稲田大学名誉教授として悠々自適。<br />
私たち?商人舎発足の会では、<br />
「結城義晴君を励まし商人舎発足を祝う会」<br />
発起人にも名を連ねて、応援していただいている。</p>
<p>私は、学生時代の不勉強にもかかわらず、<br />
壽里茂ゼミ稲門会の代表幹事を仰せつかっている。</p>
<p>その壽里先生のもと読んだミルは、<br />
資本主義社会が出来上がったイギリスで、<br />
『自由論』を書いた。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0578-2.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0578-2.jpg.300px.jpg" alt="ミル" width="220" height="300" /></a></p>
<p>そしてその延長上に、<br />
脱工業化社会と知識社会の予見があった。</p>
<p>ドラッカーも言う。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">｢ポスト資本主義社会において、<br />
基本的な経済資源、<br />
すなわち生産手段は、<br />
もはや資本でも、<br />
天然資源でも、<br />
労働でもない。<br />
それは、知識である」</span></p>
<p><span style="font-size: x-large;">「知識の、<br />
生産的使用への配賦の方法を、<br />
知っているのは、<br />
知識経営者であり、<br />
知識専門家であり、<br />
知識従業員である」</span></p>
<p>私は、「最も働きたい企業100社」には、<br />
知識経営者がいると思う。<br />
知識専門家がいて、<br />
知識従業員がいると考える。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">そう、私自身が入院している<br />
東邦大学病院のように。</span></p>
<p>アメリカでウェグマンズやホールフーズに、<br />
働きたい人が多いのは、<br />
ウェグマンズやホールフーズが、<br />
知識社会の中の典型的な企業だからである。<br />
ウェグマンズやホールフーズに、<br />
知識経営者がいて、<br />
知識専門家がいて、<br />
知識従業員がいるからである。</p>
<p>東邦大学病院に1週間以上もいるとよくわかる。</p>
<p>ここには知識専門家の医者や、<br />
知識従業員の看護師や職員が、<br />
確かに生き生きと仕事をしている。</p>
<p>ウェグマンズやホールフーズ、<br />
コンテナストアやスターバックス、<br />
そしてステーションカジノもクイック・トリップも、<br />
脱工業化社会、ポスト資本主義社会の<br />
知識社会の中の会社なのである。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">私は、緑内障の手術を受け、<br />
この病院に入院して、<br />
本当によかったと思う。</span></p>
<p>ウェグマンズやホールフーズと、<br />
東邦大学病院がつながってきたことに、<br />
不思議なものを感じている。</p>
<p>これが、「商業の現代化」を説明し、<br />
そこに日本の商業を導く軌道になる。<br />
皆で、進むための格好の目標になる。<br />
そう考えている。</p>
<p>心より、感謝。</p>
<p>この考え方は、<br />
4月17日の講演会までに、もっと煮詰めて、<br />
もっとわかりやすくして、発表します。<br />
<span style="font-size: x-large;">「小売流通サービス業が、<br />
21世紀の日本を救う」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">日本は、ポスト資本主義社会として、<br />
知識社会になっています。<br />
商業・サービス業が、<br />
その意識を強く有することで、<br />
私たちは総体として、高齢化していく日本の、<br />
経済を回し、消費生活に活力をもたらすことによって、<br />
この国を救うことができるのです。</span></p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>結城義晴・燃える闘病日記⑤二度の術後経過良好、単行本ゲラ届く</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/29/1395/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/29/1395/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 29 Mar 2008 03:27:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:

-----]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>全国的に、花見日和。<br />
㈱商人舎の裏の公園や、<br />
近くの川沿いの桜は満開か。<br />
<img width="428" height="367" class="pict" alt="事務所の桜" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCF6026-2.jpg" /><br />
昨夜は、小雨まじりの天候。<br />
東京は今日、明日が絶好の花見ごろ。<br />
<span style="font-size: x-large">「花冷え」</span>は、<br />
<span style="font-size: x-large">「光の春」</span>の次にやってくる、<br />
美しい響きを持つ言葉。</p>
<p>入院6日目、<br />
その間、二度の手術。<br />
皆さんの仕事に役立つ情報やメッセージを、<br />
発信できないことがもどかしい。</p>
<p>パソコンは、疲れます。</p>
<p>本格復帰は、来週です。<br />
すみません。</p>
<p>そんなところに、単行本のゲラ刷りが届きました。</p>
<p>待ちに待った、という感じ。<br />
<img width="450" height="326" class="pict" alt="ゲラ" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0551-2.jpg" /><br />
紙に書いてある文字は、<br />
パソコンの画面よりも、<br />
優しい。<br />
癒されます。</p>
<p>私は、活字世代。</p>
<p>昨日は、我慢して、<br />
読むのを控えました。<br />
今日から、読み始めます。<br />
文章の推敲、事実の確認・訂正、など。</p>
<p>これ、私の本業。<br />
私、プロなのです。</p>
<p>だから何をおいても、やります。</p>
<p>本のタイトル、決まりました。</p>
<p><span style="font-size: x-large">「お客様のため」に<br />
いちばん大切なこと</span></p>
<p>いかがでしょう。</p>
<p>㈱中経出版の腕利き編集者・飯沼一洋さんが熟慮の末、<br />
出してくれたタイトル。<br />
私もたくさん案を考え、提示しましたが、<br />
私は、書き手、語り部。<br />
それに雑誌の編集長。<br />
単行本に関しては、はじめから、<br />
餅は餅屋に任せる気持ち。<br />
それがチームワーク。<br />
それがいい仕事になる。</p>
<p>ちなみに飯沼さん、若いのにその仕事ぶりは、凄い。<br />
『仕事の「５力」』（白潟敏朗著）発売即４万部突破！の最新刊！<br />
『100％幸せな １％の人々』（小林正観著）発売２カ月で12万部突破！<br />
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『トヨタのできる人の仕事ぶり』（石井住枝著）６万部突破<br />
などなど、多数。</p>
<p><span style="font-size: x-large">「お客様のため」に<br />
いちばん大切なこと</span><br />
（結城義晴著）</p>
<p>ご期待ください。</p>
<p>＜結城義晴＞</p>
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		<title>結城義晴・燃える闘病日記④27日午後7時30分、再び手術受ける</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/28/1394/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/28/1394/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 27 Mar 2008 23:09:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">緑内障手術後3日目、<br />
今日、単行本1冊分のゲラが届く。</span></p>
<p>校正態勢に入る予定でしたので、<br />
ブログも通常通りに、<br />
元気良く再開するつもりでした。</p>
<p>が、昨日朝の診断の結果、<br />
昨夜、第2回手術を受けました。<br />
<img class="pict" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0546-2.jpg" alt="第2回手術後" width="457" height="343" /><br />
右顕微鏡下硝子体茎離断術という手術。<br />
第6手術室に入って、<br />
もうおなじみの手順を踏んで、<br />
約1時間半ほど。<br />
網膜剥離や25日の緑内障手術ほど、<br />
長くも難しくもないものですが、<br />
私だけの特殊な事情から、<br />
右目の硝子体の一部を取り除くことになりました。<br />
でもこちらのほうが、きつかった。<br />
硝子体をかなりの割合で除去したからです。<br />
信頼する北善幸先生がやってくれました。<br />
3度目の執刀です。</p>
<p>これで、右目の水晶体と硝子体のほとんどがなくなり、<br />
網膜は縫い目だらけという状態になりました。</p>
<p>江戸時代でいえば、<br />
伊達政宗、柳生十兵衛、丹下左膳と同じでしょうか。<br />
それでも幸いなことに、<br />
右目に光を感じることができます。<br />
ありがたい。</p>
<p>だから、今日も安静に。</p>
<p>ブログもこれくらいに。</p>
<p>私は大丈夫です。<br />
自分がマゾかと思うくらいに、<br />
試練には強いのです。</p>
<p>アメリカの西部劇でも日本の時代劇でも、<br />
最近のハードボイルドものでも、<br />
よくあるでしょう。<br />
痛めつけられて痛めつけられて、<br />
耐えて耐えて、最後に勝つというパターン。<br />
あれ、結構好きなのです。<br />
涙流しながら、見たりするのです。<br />
そんな感じでしょうか。</p>
<p>私、辛抱強いのです。</p>
<p><span style="font-size: x-large;">心は燃やせ、頭は冷やせ。</span></p>
<p>＜結城義晴＞</p>
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		<title>結城義晴・燃える闘病日記③元気です、でも視神経休ませてやる</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/27/1393/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/27/1393/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Mar 2008 22:57:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium">福田内閣、<br />
いよいよ煮詰まってきました。</span></p>
<p>日銀総裁の空席とともに、<br />
ガソリンにかかる暫定税率の存廃問題も、<br />
3月で期限切れになりそう。</p>
<p><span style="font-size: x-large">「先送り内閣」</span><br />
とでも命名されそう。</p>
<p>さて、私の手術。<br />
なんとか「やるべきことはやりました」<br />
と執刀の富田教授。<br />
今は術後の経過を見つつ、<br />
視神経を休ませるとき。</p>
<p>ブログも短く。</p>
<p>写真2枚でご報告。<br />
術前・術後の表情。</p>
<p>3月25日手術直前、ストレッチャーの上で。<br />
<img width="457" height="343" class="pict" alt="手術直前" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0519-2.jpg" /></p>
<p>そして手術後の今朝。<br />
<img width="343" height="457" class="pict" alt="術後" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0541-2.jpg" /></p>
<p><span style="font-size: x-large">気力充実、<br />
元気です。</span></p>
<p>でも今は、休みます。<br />
それが一番。</p>
<p><span style="font-size: x-large">志定まれば、気盛んなり。</span></p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		<title>結城義晴・燃える闘病日記②25日午後7時、緑内障手術受ける</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/26/1392/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/26/1392/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 25 Mar 2008 22:03:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium">世の中、4月中旬並みのよい天気。</span></p>
<p>富田教授、北先生のもと、<br />
右隅角形成術、<br />
および右線維柱帯切除術の<br />
手術をしてもらいました。</p>
<p>なかなか大変な手術で、<br />
2時間ほどかかりました。</p>
<p>詳細は、もう少し元気になってからご報告。<br />
局部麻酔なので、意識は覚醒していましたから。</p>
<p>待っていてください。</p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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		<title>結城義晴・燃える闘病日記①東邦大学付属病院に入院しました</title>
		<link>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/25/1391/</link>
		<comments>http://www.shoninsha.co.jp/blog/2008/03/25/1391/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 25 Mar 2008 01:17:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[結城義晴]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[結城義晴のBlog [毎日更新宣言]]]></category>
		<category><![CDATA[結城義晴・燃える闘病日記]]></category>

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		<description><![CDATA[-----
KEYWORD:]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>昨3月24日月曜日。入院しました。<br />
東邦大学医学部付属病院。<br />
雨模様。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0507-2.jpg" target="_blank"><img width="456" height="298" class="pict" alt="病院１" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0506-2.jpg" /></a><br />
ちょうど2年前のゴールデンウィークに入院し、<br />
網膜剥離の手術を受けた病院。</p>
<p>あの時は、4月28日の午前中、<br />
ユニー関東本部で3時間近くの講演をし、<br />
そのまま山王病院で診察をしてもらったら、<br />
東邦大学病院直行を命じられたのでした。<br />
そしてすぐに手術。<br />
ゴールデンウイークの間、ずっと病院のベッドで、<br />
おかげで仕事にはそれほどに支障を来すこともなかった。</p>
<p>今回は、１カ月前から予定を組んで、<br />
仕事もある程度片付け、<br />
この週しかないというところでの入院と手術。<br />
余裕あります。<br />
しかし今回は、緑内障の手術。<br />
大変であることは、前回以上か。</p>
<p>病室は５階。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0507-2.jpg" target="_blank"><img width="300" height="225" class="pict" alt="病院2" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0507-2.jpg" /></a></p>
<p>応接セットが入っていて、快適。<br />
単行本の校正やテキストづくりといった仕事もするし、<br />
何より[毎日更新宣言]のブログは続けます。<br />
だから、仕事環境だけは整っていなければならない。<br />
<img width="457" height="343" class="pict" alt="病室１" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0508-2.jpg" /></p>
<p>ベッドの両サイドにパソコンとファックス。<br />
この部屋では、携帯電話も使えます。<br />
<img width="457" height="343" class="pict" alt="病室２" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0509-2.jpg" /><br />
それでもベッドがあると、すぐにごろりと、<br />
ジジのように寝ることができる。<br />
これは何よりの休養になる。<br />
ありがたい。<br />
ベッドにはお世話になります。</p>
<p>入院したら名札が付けられていた。<br />
今回の担当医は北先生と平野先生。<br />
北先生は２年前の網膜剥離の執刀医で、<br />
私、全幅の信頼を寄せている。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0514-2.jpg" target="_blank"><img width="300" height="212" class="pict" alt="名札" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0514-2.jpg" /></a></p>
<p>入院して、右目の写真を何枚も撮ったり、<br />
眼圧の検査をしたり、<br />
手術の説明を受けたりと、<br />
何かと忙しい。<br />
今回の執刀医の富田教授も、<br />
懇切丁寧に手術の様式、ポイントを説明してくれました。<br />
だから初日は、休養したり、仕事したりする余裕もない。</p>
<p>眼圧の検査の結果、右目は47とひどく高い。<br />
ちなみにノーマルな左目は17。<br />
そこで、夕食と入浴の後、<br />
点滴。<br />
1時間ほど。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0512-2.jpg" target="_blank"><img width="223" height="490" class="pict" alt="点滴１" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0513-2.jpg" /></a><br />
左手に刺した針は、手術まで刺しっぱなし。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0512-2.jpg" target="_blank"><img width="300" height="254" class="pict" alt="点滴２" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0512-2.jpg" /></a><br />
点滴で、目も落ち着いてきた。</p>
<p>でも、入院、点滴。<br />
少しずつ気持が高ぶってきました。<br />
<span style="font-size: x-large">何しろポジティブな入院・手術なのですから、<br />
盛り上がらないとつまらない。</span></p>
<p>病室の窓の外は、ビルの間に国道246号線の上を走る首都高速。<br />
<img width="457" height="343" class="pict" alt="窓の外１" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0510-2.jpg" /></p>
<p>病室の廊下からは、公園が見える。<br />
桜はまだ咲いていません。<br />
<a href="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0511-2.jpg" target="_blank"><img width="300" height="225" class="pict" alt="窓の外２" src="/modules/blog/wp-content/uploads/DSCN0511-2.jpg" /></a><br />
しかし、横浜の㈱商人舎裏の公園の桜は、<br />
花を開かせたようです。<img width="161" height="215" class="pict" alt="sakura" src="/modules/blog/wp-content/uploads/20080324sakura.jpg" /></p>
<p>今年は、その桜を見ることができない。</p>
<p>それはまことに残念なことではあるのですが、<br />
<span style="font-size: x-large">私は元気を出して、<br />
病気と闘います。</span></p>
<p>＜結城義晴＞</p>
]]></content:encoded>
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