第34話 信頼を得る2012年4月4日(水曜日)

ある晩、ドアを激しくノックする音が聞こえた。
同時に大声で「ジョージ、ジョージ!」と叫ぶ声が聞こえた。
キャサリンだ。
出張から勇んで帰ってきたようだ。

2階から走って降り、ジョージ君はドアを開けた。
息を切らしたキャサリンが倒れ込むように屋敷内に入ってきた。
ジョージ君は思わず彼女の手を取った。

「ジョージ、腹が減った。何か食べたい。何がある?」
ジョージ君は冷蔵庫の中を確認したが、ステーキ用の肉とベーコン、アイスバーグ・レタスしかなかった。
キャサリンは「出張の前にジョージと、スーパーに行くべきだった」と地団太を踏んだ。

「もう外食はしたくない。ジョージ、なにか夕食を作れないか?」
ほれきたチョーさん、いや、ほれきたキャサリンちゃんだ。
そんなことは承知でっせ。
決めた条件でないことを、もうすでに彼女は要求してきている。
食事はキャサリンが作るはずであった。
しかしそんなことを気にしていたら、アメリカン・ファミリーと一緒には住めない。

アメリカでは、どこの主婦も、食事を作るのが最大のストレスであることを、前のホスト・マザー、ベティーや、彼女の友人たちの暮らしぶりから学んでいた。
それが彼女たちの最大の弱点であり、そこを突けば、彼女たちが大喜びをすることにも確信を持っていた。

ジョージ君は笑顔で、「ベーコン・レタス炒めならできるよ」と答えた。
ベーコンとレタスを刻み、フライパンにバターをひいて、投げ込んだ。
たちまち、ベーコン・レタス炒めができあがった。
それを皿に盛った後、バター、レタス、ベーコンの旨味が出たフライパンにステーキを入れて焼いた。

キャサリンがシャワーを浴び、ガウンに着替えてダイニング・ルームに来た時には、すでに夕食はできあがっていた。
「もう、作ったのか?早いね、美味しそう、最高な気分だ!」

パンとステーキ、ベーコン入りのレタス炒めとは豪華な組み合わせだ。
彼女は食べ始めるなり、「美味しい、美味しい!レタス・ベーコン炒めなど、初めて食べた。レタスは生でしか食べたことがなかった。とても健康的な食事ね」と言い、息を付く暇もなく食べた。

「ああ、幸せ。これが世間でいう家庭の味なの?夕食を作って待ってくれる人がいる暮らしは、こんなに幸せなものなの?私もワイフが欲しいわ」

その後、キャサリンは、ジョージ君が作る夕食と同じでいいから、これからも作ってくれないか、と言ってきた。
当初の取り決めでは、キャサリンが食事を作ることになってはいたが、彼女は出張が多く、帰ってこない日も多かった。
帰ってきても非常に遅い時間だった。
結局、ジョージ君はほとんど自炊していたし、彼女がいる時でも、彼女が作るまで夕食は待てないという、ジョージ側の問題もあった。

さらにキャサリンは、「ジョージ君が作ってくれるなら、スーパーで買う食材のための経費を毎週$100渡す」と提案してきた。
「領収書とおつりをテーブルに上に返しておけば、何を買っても良い」とまで言ってくれた。

ベティーの時と大違いだ。
ベティーは親の遺産で暮らしていたが、キャサリンは月収2万5000ドルもある現役の社長、気前は良かった。

ジョージ君は自分が好きなものしか作らないという条件を出した。
金をすべて出してもらいながら、ずいぶん強気な発言に、ジョージ君自身が驚いた。
これもベティーの時の教訓が生きていた。
自己主張のタイミングもわかっていた。

ジョージ君は自分が食べたいからという理由で、カレーやラーメン、焼き飯を作った。
時には特上のステーキも作った。

食事を作ること、これが予想どおりの大きな効果をもたらした。
キャサリンの胃袋を捕まえたのだ。
それが彼女の信頼を得る、最高の手段となった。
「家に帰る最大の楽しみは、ジョージのつくる食事だ。お前との知的な会話ができ、一緒にワインや酒が飲めれば100点なんだけどな」と残念がった。

ここで得た“食事の重要性”という認識は、ジョージ君のその後の人生に大きな影響を与えることになった。

日本のサラリーマン時代のことを思い出した。
上司と若い同僚の女性、5~6人で飲みに行った時のことだ。
彼女たちの最大の関心事は、どうしたら結婚相手を見つけられるか?
どうしたら男の人に喜んでもらえるか?
カンカンガクガクと楽しそうに議論をしていた。

そこに酔っ払った課長が一言。
「君たち、男をつかんで離さない一番の条件は、食事だよ。夕食が美味しかったら、旦那は必ず家に帰ってくる。俺にように浮気をしても、最後は家に帰りたい。奥さんの食事に惚れているからだ。セックスはたまにしかしないものだが、食事は毎日だぞ。しかも結婚生活は30~40年も続くんだ。食事がまずいと家庭は地獄だ。君たちも今から料理学校に行きなさい」

キャサリンと食事をしながら、この時の記憶が甦ってきた。
若いツバメにならなくても、そんなに忠誠心を示さなくてもいい。
食事の重要性を骨身にしみて感じたのだった。

その晩、キャサリンは出張先のニューヨークでの5日間のことを、饒舌にペラペラと話し始めた。
美容関連のショー、見本市があったらしい。
彼女は営業の第一線でトップ・セールスをしていたのだ。
最初は仕事の話だった。
「大きな商談がまとまりかかっている」と喜んでいた。

当時、彼女の会社は高級贈答品の石鹸化粧品を作っていた。
「今までは百貨店や専門店が主な客だったが、新興勢力のウォルマートやKマートとの取引の話が出ている。この安売りの連中と付き合って良いものか、今、迷っているのよ」

ジョージ君はキャサリンに、日本企業が海外進出した時の話をした。
「最初、日本企業は既存のディストリビューター(卸売業者)や店舗には相手にされなかった。ホンダはオートバイのディーラーに相手にされず、仕方なく自転車屋にオートバイを売り込んだ。セイコー時計も、時計屋に相手にしてもらえないので、宝石屋で時計を売った。
でもこれらの新興日本企業と取引をした会社は、今はすべて、大企業に成長している。絶対に新興勢力と付き合うべきだ」

「ジョージはすごく良いことを言ったね。社内の意見とはまったく違う。実は私もそう思っていたの。うれしい、百万人の味方を得たよう気がする。これからは家に帰って、ジョージと話をするのが楽しみになった」

やがて、ワインの勢いで、いつのまにか、男と女の話になっていた。
要するに、彼女の恋愛相談相手になっていたのだ。
彼女の悩みは、自分にふさわしい男がいないということだった。
見本市でもいろいろ口説かれたが、どの男も自分にはふさわしくないと言うのだ。
なにを、どこまで妥協して良いのか、見わけが付かないとも言った。

ジョージ君は彼女の理想条件を尋ねた。
「昔のハズバンド並みの6フット以上(約180センチ)、年収は私と同じか、それ以上。社会的な立場も、中堅企業の社長クラス、大企業なら役員以上、医者、弁護士、大学教授なら妥協の余地もある。学歴は大学院卒以上」

ジョージ君は聞いていて、可哀想に思えてきた。
元モデルだか、会社社長だか、大富豪だか、何だか知らないが、とても寂しい女に思えた。

ジョージ君はストレートに言った。
「It is very simple. 非常にシンプルなことだよ。もし口どかれたら、本能的に受け入れられない男はともかく、先に寝てみたら?それから条件は考えるべきだ。体と心が合うか、それを確認することが先決だ。そこから妥協点が始まる。42歳にもなって、子供みたいなことを言ってないで、寄ってくる男にすぐに抱かれる、淫らな女になった方が良い。
あなたは本当に美しいが、セクシーではない。心が枯れているからだ。肉体に潤いがない。その魅力的な体が泣いている。本当にもったいないことだ。男と寝た後でもまだ、その条件が気になるなら、その人は結婚相手にはならないかもしれない。それでも好きなら愛人として付き合えば良い。結婚できないからと言って、別れなくてもよい。
あなたには経済力がある。結婚に縛られる理由はないでしょう。あなたに今、必要な人は結婚相手ではなく、愛する男だ」

「ジョージ、お前はいくつになる?」
「29歳になった」
「ずいぶん、過激で、大胆で、生意気なことを言うじゃない?私が古い女だとでも言うの?そんなこと、私に向かって言った使用人は、いままで一人もいなかった。友達でも言わないわ。でも実に的を射た言葉ね。ずっしりと心に響いた。お前は頼りになるね」

そして、会社の話に戻った。
「会計士のMR.AKIはどうしよう?」
「それは何のこと?」
「彼は入社5年目の日系の二世で、会社の財務をすべて握っている会計士だ。全面的に信頼が置けるので、今では会社で、ナンバー2のような存在になっている。だから古参の白人たちが嫉妬をしていてね。このままでは会社の人間関係にひびが入る。」

ジョージ君は正直に答えた。
「私は人間の心は、日本人もアメリカ人も同じだと思う。永い間、会社のために働いてきた社員を高く評価すべきだと思う。年功序列や忠誠心は会社の基本、新参者のMR.AKIのような人間は、タレントとして高い年収で報い、古参社員は精神的に大事にして欲しい。だから古参社員にはタイトル(役職)が必要だ」

さらに娘の話になった。
「では、娘のマービンはどうしたらいいの?これが私の心臓に突き刺さっている、大きな問題なのよ」
「マービンは明らかに愛情不足だ。あなたの愛と注意を、欲しがっていることは、一目でわかる」
「ジョージ、私が彼女に今までどれだけの金を使ってきたか、わかる?欲しいものは何でも買い与え、子供の頃から水泳、バレエ、乗馬をさせてきた。この前も彼女の大好きな車、ダットサン280Zを買ってあげたわ」

ジョージ君は呆れて言った。
「今、あなたは金の話ばかりしている。マービンに手作りのセーターでも手袋でも編んであげたらどうだ?日本では、それが本当の母親の愛情だと考える。でも今の社長業をしているあなたにはそれは不可能だ。正直、彼女の問題は時間が解決するしかないかもしれないね?妙案はない。大人になるまで待つしかないだろう」

キャサリンは嬉しそうに言った。
「ジョージ、本当にありがとう。こんなストレートで楽しい会話は久しぶりだわ。
私はもう疲れたから眠るわ、明日またこの話の続きをしましょう」

トークでも、キャサリンの心をつかんだ、ジョージ君であった。

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つづく

ジョージ君アメリカに行く

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