第31話 アパート住まい2012年3月14日(水曜日)

同棲を決めたジョージ君と七尾美はアパート探しを始めた。
日本のアパートとは違い、アメリカでは敷金も礼金もない。
最初のひと月と最後のひと月の家賃さえ支払えば、入居することができた。
ジョージ君は仕事欄にYONEDAレストランのシェフ、七尾美はウェイトレスと記入しただけで、容易にアパートは見つかった。

郊外は家賃が高いので、空洞化したダウンタウンにある、治安は悪いが、安いアパートに入居することにした。
2階建てのアパートは、目の前に公園があり、広くて満足のいくものであった。

問題はアパートの賃料、月$280を稼ぎださないといけない。
ジョージ君の皿洗いの稼ぎは月$223、缶詰工場で働いた資金は$3800あった。
しかしこれは大学に行くための資金、手をつけるわけにはいかない。

七尾美は若くて、健康で、日本語が話せたので、YONEDAレストランで、すぐにウェイトレスとして採用された。
毎日、最低賃金の時給$2.30とチップで、1日平均$35ほどを稼ぎ始めた。
彼女がアメリカで初めて稼ぐ金だった。

それと同時に、通学と職場へ行くために、車も買った。
それは彼女の親からの送金で買った。

七尾美は見た目だけではなく、気持ちも明るく前向きだったので、レストランではたちまち人気者になった。
これでなんとか生活はできそうだったものの、七尾美の買ったフォルクス・ワーゲン・ビートルが頻繁に故障したので、家計は火の車だった。

一緒に住み始めて1週間経った頃、学校から帰ると、部屋にグランド・ピアノがあった。
ジョージ君は驚いて聞いた。
「これ、買ったのか?どこにそんな金があるんだ?」
興奮し、まくしたてるように言った。

「買ってはいないわよ。リースしてきたの。月にわずか$50よ、一日働けばチップで十分支払えるわ」
「そのチップは授業料にするはずだっただろう。そもそも君の車の修理代、$330は僕の授業料のための預金から支払った。俺たちにそんな余裕はないはずだ」
「私はあなたが喜んでくれると思って、リースしてきたのよ。いつも渡辺さんちのように、ピアノの音のする暮らしが夢だと言ってたでしょう」
「それは将来の話で、今は我慢しないとだめだろう?」

七尾美は納得しなかった。
「物心ついた頃からピアノがあったから、ピアノは私の生活の一部なの。あなただって金がないからといって、テレビの無い生活は考えられないでしょう?それと同じよ、私は頑張るから、文句を言わないで!」

ジョージ君は黙るしかなかった。
七尾美のピアノを毎日聞きたいと言ったのは、確かにジョージ君であった。
彼女はそれを素直に受けたとめただけだった。

それでもジョージ君には、七尾美の行為は分別のないものに思え、不満だった。
半年後には、ヘイワード州立大学に行くため、彼女と別れて住まないといけない。
リースは1年契約だった。
解約料を考えると、結局もう1年分、支払うハメになるはずだ。
ともかく、相談無く決めたことに、ジョージ君は腹を立てていた。

「もういいから何か弾いてくれ。そうだな、『アロハ・オエ』、『真珠貝の歌』、『乙女の祈り』、『いつでも夢を』もやってくれ。クラシックは知らないが、シューベルトが良いな」

彼女は楽譜がなくても、求められるものは何でも弾いた。
“天才だ”と、自分の彼女を誇らしく思った。
勝手にグランドピアノをリースをしてきたことへの文句を、あんなに激しく言うべきでなかったと後悔した。
生まれ育った環境の違いを考えないとうまくいかない。
彼女にも良いところはたくさんあった。

ある日、川島君がジョージ君たちのアパートにやってきた。
東京でサラリーマンを辞め、ワイフと半年間の新婚旅行の途中だった。
1週間ほど滞在したが、七尾美は嫌な顔をひとつせず、毎日バーべキューでもてなしたり、4人で観光して回った。
彼女は遊んでいる時はいつもご機嫌で、ジョージ君の友人たちにも、本当にフレンドリーで親切だった。

川島君が会社を辞め、半年かけて世界一周の新婚旅行をすると聞いた時、帰る故郷のある気楽な身分を羨ましく思った。
自分はまだ生きるべき場所さえ見つからない。
同時に、半年も新婚旅行に行くような度胸のある人材こそ、故郷に帰るべきだと思った。

川島君は「故郷で村長さんになる」と宣言して帰って行ったが、15年後、その夢を「町長」という形で実現させた。
ジョージ君も街頭の選挙演説のため、喜んで故郷に帰った。

七尾美との同棲生活は、価値観の違いなどいろいろな問題もあったが、一人暮らしよりは、はるかに充実した時間だった。
一人暮らしは自由でなんでもできると思っていたが、一緒に住むことで、もっと大きな自由が手に入ったような気がした。

10歳年下の彼女の友人たちと話す機会も増え、毎週末、当時はやりのダンスや、ディスコティックに行ったり、サンフランシスコまでコンサートに出かけたりした。
今までのジョージ君にはなかった行動範囲だった。

ある日、ストックトンから約3時間離れた、レイク・タホという有名なスキー・リゾート・ギャンブル場に、トヨコさん上田君と4人で行った。

ジョージ君と七尾美は、有り金$500すべてを持って出かけていた。
ところが初めて入ったギャンブル場で、七尾美はトランプの賭け事、ブラック・ジャックに「持ってきたお金を全額を賭けろ」と言うのである。
初めは冗談だと思っていたが、どうやら彼女は本気だ。

「負けたらどうするんだ?食事も食べられないぞ?」
「やってみないとわからないでしょう、私はこの一発に賭けたいの」
ジョージ君は驚き、感心した。

七尾美のいないところで、上田君とトヨコさんに言った。
「俺の彼女は非常に度胸がある。有り金をすべて、ブラック・ジャックに一発で賭けろというんだ。いい根性をしている」

トヨコさんがすぐ反論した。
「ジョージ君、しっかりしなさいよ。度胸があるとか、根性があるとか、そういう問題ではないわ。それはただのバカと言うのよ。惚れた弱みというか、デレデレしないで。ジョージ君までバカになったの?しっかりしてよ。彼女と同棲してからジョージ君らしくないわよ。なんでも彼女の言いなりになっている。これは私からの警告よ、だからデビーOHARAと付き合いなさいと言ったじゃない!」

上田君も大阪弁で言った。
「いくらなんでも、それはおかしいわ。金が無くなったらどうするんや?俺たちが食事とガソリン代を御馳走するとでも思うんか?そんなの、でけへんで。絶対にいやや、アホか!」

19歳のじゃじゃ馬娘と、28歳のフーテン男は、良いコンビだったのかもしれない。
少しずつだが、ジョージ君のタガは確実に緩んでいた。

とにかく、たちまち半年が過ぎた。
ヘイワード州立大学へ転校するため、ジョージ君は大学近くのアパートに移った。
台湾からの女子学生とアメリカ人の男性と3人で住むことになった。
部屋は2部屋しかなく、ジョージ君とアメリカ人のケント君は同室になった。

七尾美は一人暮らしになった。
アパート代や生活費は、親がやりくりして送金をしてくれていたらしい。
彼女は毎週末、遊びにきた。
日曜日の夜にストックトンに帰って行き、アパートに着くや否や、すぐに電話がかかってきた。
寂しいというので、1時間以上、電話で話すような状態であった。
ジョージ君はそれを可愛いと思い、受け入れた。

当時は固定電話の時代で、電話代も非常に高かった。
2か月後、七尾美から相談があった。
電話代が支払えない。
合計$400を超えていた。

しかし、ヘイワード州立大学に行ってから、ジョージ君はアルバイトをしていなかった。
勉強に忙しかったのである。
どう考えても、アパート代を支払いながら、無職ではやっていけないことははっきりしていた。
なんとかしないといけない。

そうこうしているうちに、七尾美から思いがけない話があった。
彼女の取っているクラスの教授の義理の姉が、日本人留学生をホームステイさせたいと言っているらしい。
住まいはシリコンバレーの丘陵地帯にあるウッドサイド市、名だたる大富豪が住んでいる超高級大邸宅地帯であった。

なにもしなくて良い、ガードマンのようにその家に住めば、月々$500の現金を支払ってくれるという、耳寄りな話だった。
しかも住んでいるのは、元モデルの42歳未亡人女社長と、16歳の一人娘だけ。
ジョージ君はすぐに決心した。
「ダメ元だ、彼女に会ってみよう」

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つづく
ジョージ君アメリカに行く
  1. 最近、日本では年の差結婚が流行っています。もちろん彼女が年下です。
    つい数年前までは年上女房が注目されていました。特にスポーツ選手は。
    私の妻は、ジョージ君と同じ年です。
    8歳年上ですが、精神年齢は私より若いです。
    続編楽しみです。

    Comment by leo-kaihatu
  2. 七尾美のことは実は触れないでおこうと思っていました。
    ところが、物語を進めると、やはり触れないわけには行かないですね?
    年下はもうこりごり、結局、最後は金の草鞋をはいて2つ年上を見つけました。

    Comment by ジョージ君