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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

ドル亡き後の世界

2009年11月20日(金曜日)
カテゴリー:
  • アメリカからのメッセージ
  
1:05 PM

最近本が読めない、集中出来ないのである。
途中で辞めてしまう。
読み始めて何度もストップをして、時々思い出して読む。
そんな繰り返しが多い。

しかし、面白い本はまだ一気に読める事を証明した本が数冊あった。
副島隆彦著の『ドル亡き後の世界』だ。

多くに共感する。
体験からも金融市場の詐欺的体質は日々感じている。
金融市場は国家が経営する、博打場。
メルリンチ、ゴードマン・サックス、大手銀行・保険、野村証券などは
堵場にたかっているヤクザの親分衆となる。
(副島氏は鬼と表現している)
胴元は基軸通貨を持つ国が仕切る。
今はアメリカだが、次は中国の可能性がある。
そのようにこの本を読んだ。

ドルはやがて1ドル10円になるという?
たいへんだ。
日本が遠くに霞んでゆく…他人ごとではない。

30年近い昔、ブラジルに行った。
リオディジャネイロのコパカバーナ・ビーチで、
小柄だが引き締まった肉体を持つブラジル女に見飽きて、サンパウロに行った。

日本人町のアントニオ猪木の通った空手道場を訪ねた。
猪木の兄貴は空手の教官だったような気がする。

その後、古い日本人移民が泊まったと思える万里ホテル(?)の前で
60歳ぐらいの疲れ果てた日本人男性に会った。

35年農業で頑張ったが、厳しい気候、土壌が痩せていて農業は無理であった。
ついに矢折れ、刀尽き、金も気力もなくなった。
日本に帰りたくても帰れない。
クルゼール通貨が安すぎる。
この日本男性は、当時の日本の若者より、体力、精神、多くの点で優れていたと思う。
拓殖大学を出てきたと言っていた。
品も良く、かなりインテリな人であった。
個人の能力を越えた国家の力の無さに、人生を翻弄された姿であった。
私は大国アメリカに来た幸運に感謝した。

日本食レストランに行った。
カウンターで寿司をつまみ、酒を一人で飲んでいたら、
酔っぱらった日本人のおっさんが隣に座った。
「お前はどこから来たか?」
「島根県」と答えた。
「俺の村にたくさんの島根県出身がいる。連れていくから、
俺が女郎屋から帰るまでこの食堂で待て。真夜中の2時に帰ってくる」と言う。
当時のブラジルはその種の女性は55000名以上、世界一(?)天国であった。
どうせ暇な一人旅、怖いものはない、どこでも連れていけ、と思い、待つことした。

夜の街に出る。蒸し暑い風の無い夜だった、
スナックに入った。
子供のころに両親にブラジルに連れて来られた日本女性(ブラジル育ち?)がカウンターにいた。
「どこから来たか?」
「日本」
「日本のどこ?」
「島根県から」
「島根県に連れていって」 
島根に連れていけという女性はハジメテダ、感激。
やがてアメリカから来た事が知れた。
「とにかく、日本でもアメリカでも良いから私をブラジルから連れ出して、
その後はどこにでも捨てて行けばいいのよ?」と懇願され困った。
飲代金は一時間ほどでわずか数ドルの支払いだった。
ドルは強い。
これは私の実力ではない。米国の力である。

食堂に戻って、先程の酔っぱらったおっさんに会ったが、
とても運転など出来る状況ではなかった。
俺に運転をしろというが、アメリカの免許は世界で通用するのか?と勝手に解釈する。
「信号や十字路で俺を起こせ。お前に右か?左か?直線か?を指示する。」

さあ、ディール(取引)は成立。
オンボロ・トラックで出来たての高速道路を走りだした。
彼を起こすこと何十回。
いくら走っても終わりがない。

やがて夜が白み始めた。
ブラジル高原に日が昇って来た。赤茶けた大地に遠く地平線がみえる。

朝の7時、ついに彼の村に着いた。
5時間も走った。ガタパラ村だ。
酔った男の言葉を信じて400キロも走った。
外国で日本人に会うと簡単に信用してしまう。お互い信頼できる。
日本人は素晴らしい民族だ。
外人ではそうはいかない。命を取られる。

眼を覚ました男が言った。
「お前は誰だ?」
「おい、おっさん、それはないでしょう?
俺の村には島根県の入植者がたくさんいると言っていたでしょう?」
彼はやっと思い出した。
やがて、島根県人会長に家に連れていかれた。
「よろしく頼む」と言い、彼はさっさと去って行った。
冷たいものである。

県人会長の家は、彼が造った家で、土間もセメントは敷いていない。
土を塗り固めただけ。
昭和33年ごろ、家屋敷、田畑、すべて売って280万円で作った。
これを持って東京にいくか、ブラジルにいくか?
迷ったが、日本政府の甘い言葉に誘われて、人生をブラジルに掛けた。

当時の280万円は大金である。
松江市内でも立派な家が建つし、東京に来ても挑戦出来る資金であった。
「ブラジルに到着するやいなや、良いことは何一つなかった。
政治に翻弄され、気候や土壌は農地に適さず、30年間、何をしたのか解らない」

私は涙が出た。
アメリカに来た日本人移民は、差別を受けたり、
戦争中、強制収容所に入れられたりしたが、
私が来た当時のカリフォルニア日系移民は、私が羨むような生活をすでにしていた。

自由な選択ひとつで、ここまで人の運命に差がでるのか?
人生の恐ろしさを感じた。
この身の運命に感謝が湧いてきた。

会長の救いは養鶏に手を出してから生活が安定したことであった。

息子の養鶏場に連れて行かれた。
かなり大きな養鶏場で、成功していてうれしかった。

車で周辺を案内され、東京農大卒の養鶏農家、近藤ユウゾウ氏宅に行き、
彼に案内された後、鉄道駅まで行き、鉄道でサンパウロに帰った。

ブラジル高原の夕日が、移民者の苦労を思い出させて、涙で眼にしみた。
俺も頑張ろう。
海外に渡った勇気ある挑戦者として、挫折は許されない。
日本の友人に負けるわけにはいかない。
「ザ オトコ・マン ゴー」さあ、男の子は行くだけだ。

その後、ブラジル最大の農業協同組合、コチヤ農業協同組合長、
ゴルバジョー・井上理事長に会った。

彼は日本の全農の会長のような人で、
ブラジル大統領にもいつでも会えるような超大物であった。
アメリカの日系移民者と、ブラジルの日系移民者の交流を拡大したいと言われた。

再び、ドル亡き後の世界の本に戻る。

アメリカの財政赤字は天文学的。
今後も続く不動産の暴落、それに伴う金融機関の不良債権増加、
ドルの印刷機のフル回転、やがて誰も買わなくなるアメリカの国債、
中国がアメリカの国債を売り始めると、ドルは暴落、ドルの買い手はいない。
世界大恐慌の始まりだ。

副島隆彦氏の本は何冊か読んでいる。
それは、けっこう当たっている。

15年前に、アリゾナ大学のラビバトラ教授は2000年には
米国主導の資本主義が崩壊すると書いていた。
それですべての株は手放したが、その後、株は高騰、
また参入し、痛い目にあっている。
しかし、今回は株の暴落というより、ドルの崩壊。
それは深いところでラビ・バトラ教授の説とつながっている。
今、日本に帰らないと、私の生活は、30年前のブラジルのようになる。

アメリカには奥の手がある。
アメリカ人は副島氏が考えているほどヤワな人たちではない。
経済・金融で立ちいかなければ、
世界最強の核・軍事や世界一の農業生産・食料を戦略物資と合わせて利用すれば、
石油・エネルギーどころの力ではない。

でもいつもの事だが、奥の手は使われないだろう。

全米各地の優秀な大学、世界の頭脳を集めた人材、
なによりもそのような人が集まりたい、住みたいと思うインフラ、環境、自由など
ソフトな力は世界に比類はない。
豊かな住環境の中で、アメリカの繁栄には未練がありすぎる。

2年後のドル崩壊の予言をどのように受け止めてよいか?
正直戸惑っている。
預言者の彼を信じるべきか?

一番確かなことは、日々健康で、友人に恵まれ、楽しく暮らすこと。
これしかやはりなさそうである。

ぜひ、彼の本は読んで戴きたい。
アメリカの陰謀や、語られない日本の真実がある。
中川昭一、金融大臣が正論を吐きすぎたのでアメリカの陰謀で消された。
ローマG7の会議で付添いの財務官僚が睡眠薬をアルコールに入れた。
その後、ロレツ回らずテレビに放映され、失脚した。
世界銀行の総裁ロバート・ゼーリックの命令を受けた日本の高級官僚の仕業の話など小説なみだ。

一気に読める面白い本だ。

それでもアメリカの陰謀より、共産主義中国の陰謀が日本には怖い。
それは金がなくなる話ではなく、国がなくなる話だ。
日本人にはその自覚がない。
大国は小国を翻弄する。
国家は個人を木の葉のように翻弄する。
確かなことは日々の幸福だ。それはあまりにも刹那的か?
未来は若者に任せるしかない。日本の若者よ、ガンバってほしい。

浅野秀二
11月19日

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松井の活躍が載っていない?ニューヨーク・タイムズの全国版

2009年11月09日(月曜日)
カテゴリー:
  • アメリカからのメッセージ
  
11:05 AM

昨夜は溜飲が下がった。松井の活躍は神がかり的であった。

特別にワールド・シリーズに興味はないが、
日本人松井の活躍を見たい一心で、
ラスベガスのホテルでテレビにかじりついた。

このシリーズ、代打で2本のホームランを打っている。
何か活躍が期待できそうな感じがしていた。

最終戦ホームラン、2塁打を含む打点6、これは歴代1位タイである。
当然、誰にも文句を言わせない活躍である。
彼の活躍でニューヨーク・ヤンキースは、全米チャンピオンになったのだ。

今朝(木曜日)11月05日のニューヨーク・タイムズをラスべガスで読んだ。
ニューヨーク・タイムズには彼の写真はおろか、
MVPの件はもちろん、彼の活躍も、MATSUIの名前すらない。

私はショックで事実を解明すべき、ニューヨークの知人に電話をした。
どうも時差の関係で早刷りでは松井の活躍が間に合わなかったのではないか、
と彼が言った。

少なくとも、この時点では彼の活躍は、まったく期待されていなかったことになる。

ニューヨークの知人の話では、地元では、
松井の活躍が写真入りでニューヨーク・タイムズに載っているらしい。
明日再度ニューヨーク・タイムズを買って読もう。

イチローの200本安打9年連続も、アメリカではほとんど無視されたが、
これはアメリカ人にはあまり関心の無い、
イチローのために引っ張り出したような記録だから仕方がないと思っていた。

しかし、ワールド・シリーズの松井の活躍は別だ。
明日の新聞を楽しみにしよう。

翌朝、その期待は再び裏切られる。

金曜日、ラスベガスで買ったニューヨーク・タイムズには
彼の写真もMATSUIの活字もない。
小さい文字で記事の中Matsuiの名は確かにあったが。

ワールド・シリーズの勝利の立役者、
松井の活躍は全国レベルのニュースにはならないのか?
ヤンキースは人気チーム、他に人気がある選手がいるのは知っている。
それでもこの地元紙の取り扱いは日本人の私には、寂しい気がする。

日本のマスコミやインターネットでは全米でMATSUIが話題になっていると書いている。
ニューヨーク・タイムズの全国版での扱いは、少なくともそうではない。

タイムズ社や記者の意図はともかく、テレビを見たアメリカの大観衆は
松井の名前と活躍を脳裏に焼き付けた。
それで十分と考えるべきかもしれない。

松井君ありがとう。
願わくば、優等生をやめれば、もっと人気が出ると思うよ?
全国紙、USA TODAYは、翌朝の記事で彼の活躍を写真入りで讃えていた。

11月06日
浅野秀二

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ラテン系?

2009年10月30日(金曜日)
カテゴリー:
  • アメリカからのメッセージ
  
12:30 PM

19歳になったばかりの夏休み前の出来事である。
頭は丸刈り、学ラン(学生服)をつけ、
とがった皮靴に金をつけ、歩くとカチーン、カチーンと周りに音が響き渡る。

ここは京都4条河原町、鴨川を越えるとやがて八坂神社が見える。
4、5人のニヤケた、か弱そうな若い男女が私に何かパンフレットを渡した。
同志社大学のダンス・パーティーの案内であった。
場所は八坂ホール、すぐそこにある。

体育会系の学生からみると、軟弱な大学生、
西洋かぶれをしたダンスなど、国辱ぐらいにしか考えてはいない。
しかし、知らないで判断をするのは危険だ。
若い時は何でも食ってみないといけない。これが先輩の教えであった。

中に入るとうるさい音楽がけたたましく聞こえてくる。
そこで見た光景は私の脳天をぶち抜いた。
何と口も聞いた事がない女子大生と、男子学生が仲良く会話どころか、
腰に手をあて、抱き合って、ダンスのステップを踏んでいるのだ。
10分前まで知らない同志が仲良く見つめあって、踊っているのである。
足はガタガタ震え、口の中は乾ききってネバネバしていた。

高校は男女席を同じにしない校長の方針でクラスは別であった。
大学は経済学部、660名にうち女子学生は6名、
この当時、経済を勉強する女子大生は女でなかった。

クラブはもちろん男しかいない。
知っている女性は、あの白梅町のパチンコ屋のネーチャンだけ。
(そう言えば彼女は若い時の都はるみだったかもしれない?)

これはたいへんだ。私の青春は何なのだ。
どつき、どつかれ、蹴り、蹴られ、手足の指は突き指だらけ、
ガニ股で時にはびっこで歩く日もある。これが青春の勲章と思っていた。

夏休みが終わり、故郷から帰って来たらダンスを習おうと固く心に決めた。
しかし、いつの間にか10月の終わりになっていた。
忘れかけていたが、ダンス講習2750円で
6つのステップを教えますというチラシを見た。

京都は岡崎会館、あの平安神宮の横である。
イチョウ並木、モミジや、プラタナスの紅葉の美しい街である。

曲が流れた、ブルースというステップを習う。
最初に手を握った女性はたぶん25歳ぐらい年上だ。
手が冷たく妙になめらかで、これが女性の手かと、なまめかしく感じられた。

音楽は盲目の黒人歌手、レイ・チャールズの
「愛さずにはいられない・I Can’t Stop Loving You」だった。

これが縁で四条大宮神埼ダンス・スタジオに4年通った。
ダンス音楽の多くはラテン系である。
タンゴ、チャチャチャ、マンボ、ルンバ、キューバン・ルンバなど。
これにワルツとジルバ、ブルースだった。

前置きが長くなった。このまま上記の話を継続したい気になる。

アメリカに来たらメキシコ系がたくさんいた。
ラテン音楽大好き人間の私は、メキシコ人とお友達なりたい。
寮生活3日目、私のルーム・メイトはメキシコ人になった。私は喜んだ。

次の日、このメキシコ野郎は、女を連れ込むから
この部屋をしばらく出てくれと言った。
2日目、この部屋でパーティーをするから、また出ていけという。
まあ、協力しましょう。

部屋に帰ると私の持ち物はすべて無くなっていた。
カメラ、カセット付きラジオ、ボールペンに至るまで、何から何まで無い。

完全に頭に来た。
彼らの文化を私は知らない。
首を絞め、「すべての仲間を呼び戻せ、盗んだものを返せ」 
来たばかりの無知のせいで、戦闘意欲は満々である。

だが結果は半分ほど返ってきただけだった。

やがて、その後2年にわたって2つのアングロ・サクソン系の
アメリカン・ファミリーに住むが、鼻持ちならない。
プライドの高い人々であったが、尊敬できる部分はたくさんあった。

つくづく日本人はこの100年で西洋化したからか?
我々も価値観が元々彼らと近いからか?
わかりあえる事が多いというのが私の生活体験から来る印象である。

昔住んでいた家をメキシコ系の2名の若者に貸した。

3ヶ月後には家賃の滞納、いくら話してもラチはあかない。
弁護士を使って法的に退居させた。
室内はボロボロ、出て行く時に捨て台詞を吐いていった。
「ここは良かった。庭が広いのでマリワナの栽培に適していた。」
もちろん、一年以上家賃は取れなかった。

その20年後、一見人の良さそうな人なエルサルバドル人を入れた。
やはり一年後には家賃は滞納。
しかしバケーションには行く金はあるようだ。

やがてヒスパニック(スペイン語を話す人々)を助けるNPOから手紙が来た。
『貴方の借家の風呂場にはカビが生えている。
これは法律違反だ。家賃の滞納など関係ない、賠償しろ』と。

弁護士に相談し、訴訟するよう行動をとった。
NPOから呼び出しがあった。
「彼らに手切れ金を1万ドルほど出して、出て行ってもらった方が得だよ。」

そんな馬鹿な?正義感が許さない。弁護士はどこまでもやれと言う。
ところが、彼らは市にカビが生えている事を訴え出たのである。
100年以上の物件、新しい建築基準法に違反している所もあった。
修理、改造が必要と言うのである。
市の役人はカビが生えている限り、家主は訴訟には勝てないという。
弁護士は家賃の訴訟に勝っても、他の件で負ける可能性ありと、
結局彼らの悪知恵に負けた。
弁護士代金と家の修復、彼らの引っ越し代金や、
移動先家賃の肩代わり、3年間の家賃はぶっ飛んだ。

テナントの息子たちと話す機会があった。
「お父さんはいつもこのような事をして家賃を払わないでいる。
これが初めてではない。僕たちはこのような大人にはなりたくない。」
この言葉には救われた。

シャワーを使った後、何カ月も窓を開けないで
人工的にカビを増殖させ、掃除もしない。これでも我々は負けるのだ。

今、また問題を抱えている。
家の改装をしているが、労働賃金の前払いもした。
しかしキャビネットのドアを持って行ったまま、もう4ヶ月も来ない。

何十回も電話した。明日は必ず来るという。でも必ず来ない。
どうするか。 怒鳴る?訴訟する? どれも有効な手段とは思えない。

宮沢賢治を読むと、訴えるなど愚かな事はするなと彼は言っている。
もう訴訟はやめよう。
勝っても、家の前に泊めている車が壊されるか、
家の窓ガラスが割られるか、タイヤが引き裂かれるだろう。
彼らをクビにして殺された日本人農場主もいる。

お人好しの我々はなめられるとつくづく感じている。
正直どのように彼らと付き合って行くか?分からない。
アメリカ人なら法と金と暴力で解決するだろう。
価値観の違う外人とうまく付き合うノウハウは何だ。

アメリカには5500万人のヒスパニック系がいる。
特にカリフォルニアは、農業でも、寿司屋でも、
ホテルでも、小売業でも、労働力は、ほとんど彼らである。

アメリカ進出を目指す企業は、アメリカ人というより、
このヒスパニック系とどうして付き合うか、考えないといけない。

貧困の解決が一番だが、教育、宗教も絡んで難しい。
もう昔のアメリカではなくなった。
後20年で白人・ヨーロッパ系が50%を切る。
(一応、メキシコ系は白人種と見なされているが、この場合は非白人)
間違いなくそのころのアメリカは今の力を持ちえない。

その前に我々が国際化する社会で、
台頭する新しい人口とどのように付き合うか?
日本人には体験から来るノウハウが必要だ。
人は皆同じと観念的に考えたら間違いだ。
体験が必要だ。本を読んだ知識ではない。

中南米、中近東、中国と、偶然に中がつく国の人とは、
日本人と大きく価値観を異にすると思った。
どうもそれも序の口だった。
インドもアフリカもロシアも手ごわい。

暴力装置を持たない我々は、
万国共通の、友愛・アミーゴ精神しかない。
鳩山首相の言わんとする事も、わからないわけではない。

浅野秀二
10月28日

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