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Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

〈第13話〉 私は死なず、生きぬく

2010年04月15日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第5章 - The Story about Johanna
  
9:45 AM

第5章 ―――― The Story about Johanna ヨハンナさんのお話

 
私は死なず、生きぬく

 神様は私に2名の素晴らしいドクターを与えられた。そして彼らは私の癌をホルモンベースのもの(エストロゲンの刺激によって増殖した癌)であるという診断を下した。当時、私のコンディションでは放射線治療は問題外であり、非常に体力が弱っている状態であった為に、一般的な抗がん剤療法も危険だった。第一、乳癌に対する抗がん剤療法の成功率は芳しくないと思われた。
 2名の内の一人であるオコナー医師は、1日20ミリグラムのタモキシフェン(抗エストロゲン剤)を処方した。この薬はホルモン分泌抑制剤で、抗がん剤の一種ではあるが、副作用も僅かだ。

 私の健康状態において医師達はあまり楽観的ではなかった。しかし、神様は別の計画を用意されていた。

 タモキシフェンの投与で5日間入院した後、病後の回復のため自宅へ戻った。それからの3ヶ月間、私の娘達が忙しい生活の合間を縫って交代で付き添ってくれた。カナダに住む私の兄弟や姉妹達も駆けつけて来てくれた。私のファミリー全員が大きな支えとなり、手をかしてくれた。私は出来る限り日常の生活を続けるように言われ、数週間後にはパートタイムで仕事を再開した。
 タモキシフェンは通常7~8週間経たないと効果が期待できないと言われていたが、投与の4週間後から少しずつ具合が良いと感じるようになり、エネルギーも多少沸いて来た。

 退院して自宅に戻ってまもなく、私は食生活を大幅に変えた。私達は沢山の代替療法を試した。1日に何回か新鮮なジュースを作って飲み、赤肉、カフェイン、乳製品、それから最も悪影響を与えるとされる白砂糖と漂白した小麦を使用する食品の摂取を止めた。その代わりに、サラダ、魚、火を通さない野菜や果物と、沢山のスープを作って食べた。インターネットで検索して、代替メソッドで癌患者を専門にケアするクリニックや保養所等を見つけた。そのうちの何箇所かはメキシコにあった。それから、癌と戦うには出来る限り休息することが何よりも一番重要であることも知った。

時折、意気阻喪という悪魔がその醜い頭をもたげることもあった。そして聖なる魂は神様との約束を私に思い起こさせ、私は自らの座右銘となった聖書の言葉を繰り返す。

『私は死なず、生き抜いて、神様のなされる行為を布告する。』

  私は驚くべきほどの祈りのサポートを受けた。会社の集会では、仕事仲間全員が私の方へ手を差し伸べ、私が主によって癒されますようにと祈ってくれた。700の団体と、その他のミニストリー、そして祈りの輪は、私に変わって行動を起した。
 私は祈りを捧げる人々によって抱え上げられた。

 そして主は、更にもう一つのレッスンを私に与えようとしていた。
 友人であるテレーズ、クララ、エルキは、仲間全員に私に何が起こっているのかを知らせようとした。彼女らはとても素晴らしい手紙を書き、彼女らが知るほぼ全員の信者達に私のために祈りのサポートと献金を求めた。そして、多くの人々がそれに応えてくれた。沢山のメモや手紙、私の回復を願う激励と祈りでいっぱいのEメールを受け取った。7000ドル以上の寄付が集められた。私がその寄付を受け取る側になるという事は、今まで味わったことの無い経験だった。元来、何事も地道に歩む人生を送りたい性質なので、 人からお金を貰うという事は例えどんな事情があるにせよ、そう簡単に受け取れるものではなかった。それは“卑下することを学ぶのだ”という、私に必要なレッスンの一つだった。

これらの寛大な贈り物のお陰で、私は3ヶ月の療養休暇を取ることが可能になった。

 私が十分な休息を得るために、ホルトウッドで生活していた家を手放さなければならない事が明らかになった。私はその家での生活を愛していた。家は知り合いであるジョンとミッシェル・ホワイト夫妻が所有する事になり、彼らの物置に私の持ち物を置かせてくれることを快く申し出てくれた。教会のメンバーは、私のピアノを教会に置いてくれた。

 友人のキャシーがニューヨークから来て、引越しを手伝う為に何週間か私と一緒に過ごしてくれた。彼女はたくさんの箱詰めを手伝った後、私の面倒も看てくれた。
 引越しの日、教会のメンバーと仕事場の何名かの人と私の息子達も来て手伝ってくれた。
 主は再び、私たちが必要とするものを寛大にも与えてくださった。


 2000年の5月10日、ロバートと私は西海岸へ向け出発した。
 私が通う教会の家族(メンバー)らは、毎日私達のために祈りを捧げると約束してくれた。
 私達は娘のマーガレットと彼女の家族を訪ね、そこで別の娘であるメアリーと彼女の娘のジョイスと共に過ごした。私は出来るだけ多く休息を取り、祈り、読書をし、そして眠った。

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 その間に、サンディエゴにあるOptimum Health Instituteが、私の行くべき場所であることが判明した。友人のテレーズは、以前そこに行ったことがあったので、院内で行われるトリートメントプログラムについての情報を詳しく私に説明してくれた。そのトリートメントプログラムの様々な症状回復の成功率はとても高いものであった。

 オコナー医師は、私がそこへ入ることに何の反論も無いと言った。彼の意見はこうだった。
「それは私が実践する医療の類では無いけれど、君の状態を考慮すれば、さして損をすることも無いだろう。」

 2000年の7月2日、私はO.H.I.へ3週間入所することにした。自然食を食べることによって体を癒すことを学ぶには最高の場所だった。
 そこで食べるものは、一切調理されたものはなかった。私達は全ての食物を“創造されたままの姿”、すなわち、生で食した。それから、ウイートグラス(小麦草)ジュースのセラピーを用いた。1日に2回、作りたてのウイートグラスジュースを2オンスずつ摂取する事は強力なデトックスの作用物となったし、栄養素もたっぷり摂れる。日々に行うエネマ(浣腸)とウイートグラスを腸に挿入するインプラント(挿入)もこのトリートメントの一部として含まれ、ここでのセラピーは、病のために食事が取れない病人にとって特に効果的であった。それから、リンパシステムに効果的なマッサージセラピーも受けることが出来た。毎日、“自らの健康は、どのようにして得ることが出来るのか?”のクラス等が行われる。それからメンタルデトックス(精神のデトックス)もあった。このクラスでは、恨みや苦しみを懐いたり、その他のいかなる否定的感情を抱くのは良くない事だと教えられた。全てを許し、人生を歩み始める事が大前提であるのだと繰り返された。O.H.I.のスタッフは素晴らしく、常時プログラムを可能な限り改善し私達のケアを怠らなかった。

 神様は、時には方向転換する事も必要と言及される。
 病気にかかっていることを ”a health opportunity-健康になる機会を得る為に” と、ここでは言う。入所するのが2回目や3回目の人にたくさん出逢った。その人達は、癌やその他の病から回復した素晴らしい体験談を私に語ってくれた。

  献金は十分にあったので、私は一人ぼっちでO.H.I.に入所する必要は無かった。最初の週はマーガレットが一緒に来てくれた。2週目はテレーズ、そして最後の週はジョイスがいてくれた。3人とも全てのプログラムを体験し、ここに滞在したことによって健康面での利益を得た。
 8月に我が家へ戻ってきた時の体力は出発した時よりもかなり強く、健康になっていた。オコナー医師によって行なわれたレントゲン撮影では、非常に素晴らしい成果が出ていることが示された。

   そして9月の中旬、私は「サイト・アンド・サウンド」のフルタイム衣装デザイナーとして現場に復帰した。
 11月、主治医は、私の体に腫瘍の塊を見つけることが出来なくなった。彼は驚き、私に沢山の祝福を与えてくれた。
 私はウイートグラスを毎日飲み、その後の人生も飲み続けて行こうと思う。それからは、20グラムのタモキシフェンも毎日服用した。健康なダイエットを試み、エクササイズも頻繁に行った。


 2001年2月3日、私は再度のレントゲン撮影を行った。次の週、結果を見るために主治医から呼ばれた。
 最初、2000年の8月に撮影したレントゲン写真を一緒に見た。肺にはまだいくつもの点(影)が見られた。それから彼は、先ほどの写真の真横に最近撮影したレントゲン写真を置いた。そこには全く点
(影)が見えなかった。
 私達はノーマル状態の胸部レントゲン写真を見ていたのである。

 『主に、栄光あれ!』


**************************************


  ヨハンナさんのストーリーはここで終わりである。
  ヨハンナさんの原稿を訳す前、私はそこに綴られた言葉を、彼女の魂が私の心に宿るまで何度も読み返した。この作業を通して、翻訳とは、ただ言葉を別の言語に置き換えるのではなく、筆者の思いを出来る限り鮮明に伝えることが大事なのだと言う事を学んだ。私に素晴らしい機会を与えてくれたヨハンナさんと、彼女との出会いを私に与えてくださった神様に感謝を込めて、『主に、栄光あれ!』という締めくくりの一節を訳させて頂いた。

 以前の章の中に記述した成人病の完全克服に成功された人々に共通する生活習慣の多くを、彼女は自然に実践していた。そしてO.H.Iでのプログラムが、ヨハンナさんの症状を著しく改善させた事を改めて認識した。但し、全ての患者が同じ方法を行えば必ず病を治せるのか?と言えば、もちろんそこには疑問が残るかもしれない。けれどもヨハンナさんのストーリーで一番気づかされたのは、闘病患者にとっての”Quality Of Life(生きる質)“が、病と戦う上でどれほど大切かという事である。初老で、末期のがん患者であったヨハンナさんが回復していく過程に、先ず心の開放と癒しがあり、それが最終的に彼女の肉体をも健康な状態へ導いていったのである。もちろん敬虔なクリスチャンである彼女は、神を信じ、全てを委ねる事が誰よりも容易であったかもしれない。しかし健常者と同じようにクリスマスを祝い、多くの友人や家族達と不安や苦しみをシェアーし、パートで仕事も続け、様々な情報を集めてライフスタイルを一新させ、数千キロもあるアメリカ大陸を渡ってO.H.Iまでやってきた事実だ。そこには、内に引き篭る事無く、ドンドンと可能性にチャレンジしていく前向きな姿勢が見える。

 ヨハンナさんの行動と勇気が最善の治療法と援助をもたらし、最終的には病の克服という結果に至ったのだと思う。最後に、ヨハンナさんが私に託した原稿用紙を通して、彼女が本当に伝えたかった真意を私なりに解釈してみた。

 あなたはけして一人ではない。
 全てに降伏し、差し出された手にすがるのも時としては必要である。
 そして、いかなる時も万時を尽くし、立ち止まらずに進む事。
 『死なず、生き抜いて!』
 

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第12話〉 神から与えられた最初のレッスン

2010年04月08日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第5章 - The Story about Johanna
  
10:13 AM

第5章 ――――  The Story about Johanna ヨハンナさんのお話

自宅に戻り、オプチマムヘルスでヨハンナさんから渡された彼女の闘病記を、幾度か繰り返し読んだ。日本に住む癌患者にヨハンナさんの体験を役立てて欲しいという彼女の願いは理解できたが、あの頃の私は自らの病を克服するためのスタートを切ったばかりで、先がはっきりと見えていない状態だった。そのため、すぐ彼女の原稿を訳すという気持ちには到底なれなかったし、翻訳をするにしても、その頃の私には技術も経験も無かった。

 しかし今、やっとその時が訪れたと思う。書斎の奥に仕舞った彼女の原稿を取り出して、7年振りに読み始めたら、再びヨハンナさんの透き通った歌声が聞こえてきた。

*************************************

神から与えられた最初のレッスン (ヨハンナさんの闘病記)

 1999年9月。定期的に行っている健康診断のためのレントゲン写真を撮るまで、私は自分の肺の80%が癌で侵されていたことに気付いていなかった。
 しばらくして、以前切開手術を受けた右胸の下に大きなしこりが見つかり、右腕リンパ節の数箇所にもその影響は広がっていた。
 その事実を知る直前の私は常時疲れを感じ、呼吸をするのさえ困難だった。すこし前にもそんな症状が起っていた。けれども花粉の発生が多いアーミッシュの農業地帯に位置するランキャスター郡に引っ越した頃から咳き込む事は度々あったので、ずっとアレルギーのせいだと思っていた。

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  予期せずに、突然
、死の宣告を受けることは言葉にし難いものがあった。
まず、全身が麻痺するような感覚が起こり、続いて疑いの感情が生まれた。
“もしかしたら、目の前にあるレントゲン写真は私のもので無く、誰か他人の肺を写したものではないのか?それとも機器が故障して変な影が現れたのかもしれない。”と考えた。
 しかし、その直後に事実が私とその家族に伝えられた時、有りのままの真実が私の中に浸透し、恐怖は絵に書いたようになった。

 あの頃の私にとって、“癌”という言葉は恐怖や死を意味していた。
 「大変だ!」と心の中で叫んでいる私は、まるで台風の目の中にいるようだった。
 周りにいる全ての人たちが私を気に掛け心配し、沢山のアドバイスを与えてくれ、そして恐れた。

 出来る限り早く、適切な処置を受ける必要があった。しかし様々な検査を受けている間に、感謝際やクリスマスの時期と重なってしまって、専門の医師を探すのが困難になった。けれども主イエスが私をすぐ傍に引き寄せてくださったお陰で、平穏が心の中に沁み込み、この病が私と家族を脅かし引き裂いてしまう恐怖と憤りの感情から、私を守ってくれていた。

 私は1997年に患った初期乳癌の闘病後、健康管理を怠った為に再発という事態に陥ったのだと考えた。6ヶ月から8ヶ月、もしかしたら1年しか生きられないかもしれないと自ら予想し、打ちひしがれた。神様は、そんな私に最初のレッスンを与えられた。
 「けして恐怖から、結論を出してはいけない。」
 
  そんな状況にも関わらず、私は自らが働いていた「サイト・アンド・サウンド司教連盟」の婦人たちと、以前から計画していたクリスマスパーティの準備をすることに決めた。 “仮に地獄の果てからやってくる恐怖の怪物が、私の命を奪うことが出来たとしても、私に残された時間まで奪い去ることは出来ないのだ。”と思った。
 友人のクララと、義理の娘であるサンディが私の元へ来て色々と手助けをしてくれた。私はクリスマスツリーを買った。彼女達は私の自宅を掃除し、飾り付けをしてくれた。

 パーティは本当に素晴らしかった。私は、そこに集まった婦人達に自分が置かれている窮地について打ち明ける勇気を持たなかったのだが、仲間の一人であるリネルが、彼女達に打ち明けるように私を促した。
「そうすれば貴方の為に祈ることが出来るからよ」
 と言ってくれた。

 晩餐の後、私の主人であるロバートと私の回りに彼女達が集まって、多くの祈りの中で一番最初の祈りを、病の為に大きな声を出すことが出来なかった私に代わり、天まで轟くような声で捧げてくれた。これらの親愛なる女性達は、信仰をもって私が主に癒されることを祈ってくれたのだ。
 
  その後、部屋を見渡すと、私の友人や家族の優しい顔と、背後には実際には居る筈も無い何百という祈りの行列が浮かんだ。
「これらは私が地上に創造した最も美しい者達で、私からそなたへの贈り物なのだ。」
 まるでジーザスがすぐ隣に立ち、私にそう囁いてくださっている様だった。
 後に、それがどれほど喜びに満ちて貴いものであったかを私は理解した。“仮に私が、神様に愛されている事実を少しでも疑う事があるとすれば、再びそのような思いを抱かないようにしなければいけない”と思った。


 しかし暫くして、肉体的には“悪い”から“最悪”という状態になった。
 2000年1月、酷い状態の流行性感冒と内臓感染のため、私はランキャスター病院へ救急車で運ばれた。1月11日の夜、私は神様に召されていくのだと確信していた。

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  死への恐怖は無かったが、一方では沢山の心配事を抱えていた。何よりもまず、連れ合いのロバートに関して苦脳した。彼は最近になり、物忘れが頻繁になってきていた。私が死んだら、誰が彼の面倒を看るのかと途方に暮れた。子供達のことも心配だった。自らの健康管理を怠った過ちを彼らに許してもらいたかったし、この悲しみの全てを共に分かち合いたかった。 
 
 主に私への許しと、再びチャンスを与えて欲しいと請うた。私はしっかりと目覚めていた。そして、主への感謝と賞賛の気持ちで一杯だった。私に寄り添っておられる主のために歌いかった。私の歌声は殆ど声にならなかったが、心は高く舞い上がり私は深い眠りに落ちた。
 
  目覚めた時はまだ明け方だった。私の病室は7階の東側に面し、ベッドのすぐ傍に窓があった。外は凄く素晴らしい夜明けだった。

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「なんと輝きに満ちた色なのかしら」
 と思わず口に出して言った。本当に信じられないほどの美しさだった。その光景は私に沢山の希望を与えた。主が、私のために新しい始まりを用意されていることを心から知った。

 やがて、私の病室に担当の看護婦が血液を採取するために入ってきた。彼女は聡明で信仰心のある女性だった。私達は、“如何に人間は全てを降伏することが出来るのか?“について語りあった。
「私達は降伏を口に出し、真摯な気持ちで我々の重荷を取り除いてくださいと主にお願いしますよね。しかし私の経験では、人は自らの背を壁にもたれ掛かるようになるまでは、全てを完全には降伏しないのです。」
 と彼女は言った。その言葉は私の胸の奥を突いた。

 私は、今自分が置かれている状況を新たなる光に照らして見つめてみた。
 ここで、私は自らの背を平らにして横たわり、癌によって死んでいこうとしている。自分以外の人どころか、自分自身のことすら世話することも出来ず、ロバートや子供達や金銭問題、その他もろもろのことについて不安を抱えている。自らの背を壁にもたれ掛ける瞬間が主に降伏する時だとするのなら、この状態こそがそれなのだ。
 “汝は、如何に降伏し、確りと意思を持つことが出来るのか?”
 ジーザスが両手を広げ、私の重荷を取り除こうとしている姿を頭に描いた。既に失うものも得るものも無かった。ロバートや子供達のこと、その他の心にかかった暗雲についてもだ。
「主の御手にお任せします。」
 と声を大にして言った。主の寛大さは私を喜びで満たした。多くを諦めれば諦めるほど、喜びはより大きくなった。

 その日の午後、私は病院の忙しい廊下で次の検査を受けるために待たされていた。車椅子に座り、左手には点滴が打たれ、顔全体はマスクでしっかりと覆われていた。しかし、私は疑う余地も無く、主ジーザスは自分と共にその場におられたことを知っていた。人々は足早に私の車椅子の横を通り過ぎて行き、誰も私の事など気に掛けてはいない。
 私はクックッと笑い出した。なぜなら、その瞬間にはっきりと私の癒しが始まったと知ったからだ。主の歓喜は私の力となった。

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第11話〉 ヨハンナさんとの出会い

2010年04月01日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第4章 - Optimum Health Institute
  
10:23 AM

第4章 ―――― OPTIMUM HEALTH INSTITUTE(オプチマムヘルス協会)

ヨハンナさんとの出会い

 オプチマムヘルス協会(O.H.I.)で過ごした中で一番楽しかったことは、毎週金曜の夜に行われる恒例のエンターテインメント・ナイトである。これは入所者による隠し芸大会で、金曜の朝になると食堂の隣にあるラウンジに希望参加者名と発表する演目内容を記入する用紙が置かれる。昼を過ぎる頃にはその用紙が参加者の名前で一杯になる。

 最初の週はこんな催しがあることに気が付かず、2週目に初めて観に行ってみた。
体操やヨガを行う大きな体育館に椅子が沢山並び、前方には舞台になる場所が設けられていた。そこではピアノやバイオリン、そして、ギターなどの演奏、寸劇やオペラ、歌やダンスが入所者によって順番に披露されていた。ピアノは元々そこにあるが、その他の楽器を持ち込む人もいた。彼らはここへ入所する前からこのような催し物があることを事前に知っていたのだろう。

 あまり上手いとは言えない人から、プロなのでは?と疑うほど上手な人もいた。後で聞くと、私は名前を知らないが実際にプロとしてニューヨークのオフブロードウエイで活躍する役者さんもいた。私が滞在中には著名な絵本作家も参加されていて、自らの作品の読み聞かせをしてくれた。

 私も3週目の金曜日に唄を披露することにした。英語の曲では敵わないと思ったので、私の好きな歌である“竹田の子守唄”を日本語で唄った。唄う前に、どういう状況で歌われた子守唄なのかと簡単に紹介し、私なりの解釈を付けた。
私があやす赤ん坊は自分が抱える病気で、私は家族と離れて慣れない場所(O.H.I.)へ来てその病気の面倒を見、いつかは役割を終え、在所を越えて家族が待つ町に帰るという状況に置き換えて
唄うつもりだと説明した。
唄い終えると、皆から暖かい拍手を貰った。日本語はよく解らないけれど、私の説明で唄の真意が掴めたし、ノスタルジックなメロディーに涙が出そうになった、感動したよとまで言われ、少し恥ずかしかったが、嬉しかった。唄って良かった。

 このショーのとりは、元エンターテイナーで、今はO.H.I.のスタッフリーダーとして働くミス・ルイスのものまねヒット曲メドレーだ。O.H.I.の名物と噂される多芸な彼女は、マイケル・ジャクソンから、シュール、ダイアナ・ロスなど、有名歌手の歌真似を毎週披露してくれる。
ショートヘアーでボーイッシュな彼女は、普段は化粧一つせずに働いている。けれども、カセットレコーダーからカラオケ音楽が流れ、メークアップをして派手なジャケット一枚を羽織ったミス・ルイスが登場すると、殺風景な体育館がラスベガスのショーステージと化す。見学の人々は「待ってました!」とばかりに席を立って口笛を鳴らし、拍手喝采でミス・ルイスを迎える。特に、彼女の十八番であるジャズ歌手ペギー・リーのものまねで歌う“Fever”は、抜群にセクシーな演技で歌い上げるので、毎回リクエストが入る。ものまねのコロッケさんではないが、少しデフォルメされたミス・ルイスのものまねに皆が大笑いし、本当に素晴らしいの一言である。

 それを観ながら、O.H.I.特製の酵素発酵飲料リジュビネーションを飲めば、お酒が無くても酔っぱらったような良い気分になる。

Flowers in the forest.

 そして、このエンタテーメント・ナイトで、私はある女性との出会いを体験する。
東海岸ペンシルバニア州からアメリカ大陸を渡り、西海岸にあるO.H.I.へ入所するためにやって来た彼女の名前はヨハンナさんといった。歳の頃は見たところ60代前半くらいで、華奢な体をした彼女は、肩まで伸びた白髪を品よく纏めて結っていた。

 ヨハンナさんがゆっくりとした足取りで舞台に現れ、終始微笑みながら歌を披露した。何という題名かは忘れたが、それは美しい賛美歌だった。
歌い終えると彼女はこう言った。
「2年前の夏に、初めてO.H.I.へ来くる前の私はとても弱っていて、小さな声で途切れ途切れに話すことしか出来ない状態でした。あの時は、こうして皆様の前で歌うことなど考えられませんでした。けれども、O.H.I.のプログラムで健康を取り戻し、今この場所に立ち、こうして皆様の前で歌うチャンスを与えて下さった神様に心から感謝します。」

 私はヨハンナさんのことが印象に残り、次の日の昼食後に庭で彼女を探しあてた。
先ず自己紹介をして、前夜の歌に感動したことを伝えると、ヨハンナさんはありがとうと何度も繰り返して私を抱きしめた。
彼女は、このO.H.I.へ入所するのは今回が3度目で、毎年来るつもりだと話した。ヨハンナさんは日本食が大好きだそうで、一度も訪れたことのない日本に興味を持ち、何でもいいから日本のことを話して欲しいと私にせがんだ。

 それからは彼女に会うたびに日本について様々な話をした。敬虔なクリスチャンであるヨハンナさんは、私をいつも優しくハグして、
「私の大事な娘よ、貴方に神様のご加護がありますように。」
と、私の為に祈ってくれた。
慣れない環境で時折孤独を感じていた私は、ヨハンナさんに自らの母の面影を重ね甘えた。

私より先にO.H.I.を出ていくヨハンナさんが、別れ際に、
「貴方ならこれを日本語に訳すことも出来るでしょう。日本にいる沢山の人達にも、いつか私のストーリーをシェアー(分かち合う)してください。」
と言うと、自らの記録を綴った4枚の原稿用紙を私に手渡した。
そこには、ヨハンナさんが2度目の癌を発病して瀕死の状態に陥り、そして再び蘇った記録が綴られていた。彼女が健康を取り戻していく過程でのターニングポイントとなったO.H.I.での生活習慣を今も続けて、仕事をしながら健康に生きるヨハンナさんの事を知った。
そして、この事実が私に大きな希望を与えてくれた。

 ヨハンナさんと別れて1週間後、私が出所する日が訪れた。
主人に連れられたユウキが私を見つけて息を切らしながら走ってくる。私は両手を一杯に広げて再び我が子を抱きしめた。彼の小さく細い両腕が私の腰に巻きつき、ギュと力が込められた。寂しい思いをさせていたのだと感じて切なかった。
懐かしい息子の甘い匂いを深く吸い込んだ。

 「もうぼくをおいて、どっかへいかないでしょ?」
「うん。いかないよ。」
「ずっといっしょにおる?」
「うん。ずっと、ずうーと、一緒におるよ。」

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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五十嵐ゆう子プロフィール

食品小売業・ ウェルネス(健康食品)・ビューティ の通訳、コーディネーター、 翻訳・コピーライター。

CMP JAPAN社の美容専門誌"ダイエット&ビューティ”に米国の美容情報記事を2005年より毎月連載中。
2008年、2009年と2年連続で東京ビッグサイトで開催の "ダイエット&ビューティ”展示会にて講演。

カリフォルニア州&ネバダ州公認エステティシャン・ライセンスを所持。
美容展示会などで講演やデモンストレーションを行う。

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