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Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

〈第10話〉  Health Opportunity(健康を得る機会)

2010年03月25日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第4章 - Optimum Health Institute
  
10:23 AM

第4章 ―――― OPTIMUM HEALTH INSTITUTE(オプチマムヘルス協会)
 
Health Opportunity(健康を得る機会)

 オプチマムヘルスとは、「最善の条件に満たされた健康な状態」という意味で、ここにいる人達は“真の健康を手に入れる”ということだけに集中する。

 入所は必ず日曜の午後からと決まっており、これは前の章でも触れたように、一般の見学ツアー日と同時に入所者たちが帰宅する日でもある。従って、1週間に施設の門が開かれるのはこの日のみであった。

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 ツアーが終了する頃、見学客と混じり、O.H.I.滞在中に出される食事を主人と共に食べた。この日のメニューは、豆の種子を発酵させて擦り潰し、チーズ状に固めたシードチーズと名づけられた物と、アルファルファなどのもやし類、カットされた季節の野菜が盛り合されたプレートであった。それらは全て、一切の加熱処理を行なわない“RAW VEGAN FOOD(生菜食)”と呼ばれる究極のベジタリアンフードであると説明を受けた。

 RAW VEGAN FOODなるものを初めて口にした主人は、“味が殆ど無く、モサモサしていて、まるでウサギの餌を食べているようだ。”と評した。これから毎日この食事を食べるのだなと思いながら、私はフォークで無理やり口の中に食べものを押し込んでいた。そして、主人に見えないように小さな溜息をついた。

 食事の後、送りに来てくれた家族と別れ、門には次の日曜日まで錠がかけられる。ただそれだけ聞くと、何だか刑務所に入れられるように思うかもしれないが、こうすることで外の社会から離れ、ただ健康になることのみに集中することが出来るというO.H.I.の理念なのだ。その考えのもと、テレビやラジオ、新聞も一切置かれず、携帯電話の使用も厳しく制限される。

 ここでの1日は、早朝5時からの体操とウォーキングに始まり、日が暮れるまでヨガ、ストレッチ体操、バウンシングと呼ばれる小さなトランポリンを使用して小刻みにジャンプするエクササイズ、恨みや怒り、罪悪感や恐怖心などを心理的療法で取り払う精神のデトックスや、瞑想、自家菜園法、食事療法を続けて行くためのクッキングクラスの授業がある。これらのコースは自分で選んで受けるか、または、スタッフのアドバイスによって受講する。

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 食事はおもに、O.H.I.内の畑で栽培・収穫された有機野菜と果物。それを毎日3度きちんと食べる。そして1日に2回、2オンスづつ、見学の際に見たこの施設内で栽培して保管されているウィートグラスジュースという小麦草の濃縮ジュースを、施設内に置かれている専用ジューサーで自ら絞って飲む。このジュースは高濃度の葉緑素、酵素、マグネシウム、ミネラルを大量に含む強力なデトックス効果のある小麦草のエキスだ。

 それから、“リジュビーネーションドリンク”と彼らが呼ぶ、麦などを発酵させた酵素飲料(漬物の水が腐ったような匂いで、味は非常に酸味がある)と、施設で特別に蒸留している水(室温)をコップで8杯飲用しなくてはならない。

 極めつけは、このO.H.I.のプログラム中で最も重要である“エネマ”―すなわちデトックスの為の浣腸と、”インプラント” と称される絞りたてのウィートグラスを管で直腸へ挿入させる療法だ。これを1日に2度行わなくてはならない。

 この療法を行ってから用を足すと、緑色をしたウィートグラスの葉の塊に、浣腸では出し切れなかった便が絡みついて出てくる。中央に黒い種がある皮をむいたマスカット葡萄を想像して頂きたい。それがポロポロ出てくる感じである。種の部分は便だ。

 入所中、このプログラムを繰り返し行うことにより、最も効果的な宿便取りが出来る。ちょっと異様な光景だが、インプラントを行いトイレで用を足した後は便器を覗き込み、出した便の状態を必ず観察する。しかし、不思議な事にそれらの便は殆ど匂いが無く、あまり汚いという感じがしない。人が一般に想像する便のイメージとかけ離れている。

 O.H.I.へ入所すると、一番最初にこの為の浣腸に使用する挿入セット(ぬるま湯を肛門に挿入するため、先端が医療用ゴムになった点滴用の管が底に通された小さなプラスチックの手桶とその管を引っ掛けるもの。ウイートグラスを少しずつ体内に押し流すために使用する、手の平サイズのスポイドとチューブ入りの潤滑クリーム。それに子犬のトイレトレーニングに使用する真四角で水がもれない紙シーツ数枚)が全員に配られ、その手順説明が行われる。

 説明後、部屋に入って早速試すようにと言われる。最初は抵抗があって管がきちんと入らず、お湯を溢してしまったり、ウィートグラスの挿入に失敗して衣服や床を汚してしまったりといささか大変だったが、それも回数を重ねる毎に慣れていく。

この方法を行うことで、本当に腸の中がすっきりして軽くなりガスも徐々に出てこなくなる。毎日しっかりと便を出し宿便を溜めないというのは、様々な病から身を守るためにとても重要なことだと学んだ。

 費用は、それら全てのプログラムに部屋代と食事を含み、別にトリートメントルームで受ける施術を除けば、日本円にすると1週間8万円ほどである。

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 そして入所者の食事の世話や掃除、主な食料となる有機野菜を栽培する畑を耕すのは、ミッションと呼ばれる無償でボランティア奉仕をする人々である。彼らの殆どは元入所者で、最低3ヶ月間は院に滞在しなければいけない。しかし時間の空いた時は無料でプログラムに参加出来、寝るところも食事も入所者と同じものが提供される。ミッション体験の希望者は多く、時期によっては順番待ち状態だそうである。特に仕事をリタイヤした人々の年齢層が圧倒的に高く、定期的にミッションとしてO.H.I.へ戻ってくることが、余生の楽しみだと語る人もいた。

 O.H.I.に滞在している間は、自らの病名を語ったり病気を治す為に来たとは余り口に出さない。代わりに、私のような事情で訪れた人は皆『Health Opportunity(健康を得る機会)』のためにここへ入所しに来たのだと表現する。

第1週目は、塩や醤油の塩分調味料を全く使用しない野菜と果物だけの食事を効率よく消化吸収させる為に、よく咀嚼し、唾液のみで飲み込まなければならない。よって、食事の前後と食間に水は一切出されない。

 そのため、うまく食事を食べることが出来ずに食欲を無くした。身長157センチで、41キロあった私の体重は34キロまで落ちて、体力を消耗した。気分が悪くなっては吐き、顔や体中にアトピーのような吹き出物が出来た。なれない生活環境にホームシックも重なって、ましてや一日中英語だけを用いて誰かと話をするという気力も失せ、暇を見つけては横になって寝てばかりいた。体調は最悪で、こんな事を続けていたら死んでしまうのではないかと不安になる時もあった。

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 O.H.I.内部にあるカウンセリングセンターで相談すると、私に起こっている症状は解毒による好転反応であり、多くの人が体験する症状だと言われたが、精神的にも肉体的にかなり追い詰められていたのでそんな事は信用できないと思い、脱走して家へ帰ろうかと真剣に考えた。実際、そのころ私と同じ時期に入所し、脱走して二度と戻ってこなかった男性が1名いた。でも、あそこまでの思いをして子供と別れ、入所に反対していた義母を説得してまで来たのだから、今更帰るわけにはいかないという思いもあり、とにかくその週を耐えた。


2週目に入ると、少しずつ食欲も沸いてきて、唾液だけで食事を噛み下すことが出来るようになり、最初は味気なかった食事が美味しいと思うようになってきた。
やがて、吹き出物が出来ていた肌は赤ちゃんのようにツルツルになり、長年あったシミさえも薄くなった。

 さらに驚くべき事なのだが、野菜と果物しか食べていないのに、3週目に入ると体重がぐんぐん増えて活力が体中に漲ってきた。早朝のウオーキングでは、ちょっとした小走りを続けても息が切れなくなった。

 広大な敷地を囲む、朝露でキラキラ光る広葉樹の下を走り抜けながら息を吸い込み、空気ってこんなに美味しかったのかと感動した。体は軽く、空まで飛んで行けそうな気がして、自分が病気だという事すら考えなくなった。

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 食事の後は、思い思いの場所で入所している人々と気軽に語り合ったり、一人で瞑想したり、図書館で(ここには健康関連とスピリチャル関連しか置かれていないのだが)本を読んでみたり、畑に行ってはぶらぶらと散策して食用の葉っぱ類を味見してみたり、ゆっくりと時間が流れる中で好きに過ごした。

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第9話〉  奇跡はこの場所で毎日のように起こっている

2010年03月18日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第3章 - Open the Door of Health Opportunity
  
2:54 PM

第3章 ―――― Open the Door of Health Opportunity (健康を得るために開く扉)
 
  
奇跡はこの場所で毎日のように起こっている 

 癌宣告を受けて以来、自らの状態にタイムリミットがある事を心のどこかで感じつつも、私はかたくなに西洋医学以外の治療法を模索し続けた。
 そして数週間が過ぎたある日、私のその後の人生に大きな影響を与えたOptimum Health Institute―オプチマムヘルス協会 (www.optimumhealth.org)、通称O.H.I.の存在を知る事になった。そこは、カリフォルニア州サンディエゴ市のレモングローブという小さな町に、1976年に創立された米国で初の本格的ホリスティックセンターである。

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 私が告知を受けた時から色々と親身になって相談に乗ってくれていたヨガのインストラクターの女性から、もし興味があればとO.H.I.のウェブサイトが書かれたメモを手渡された。そこでは最低1週間滞在して行なう徹底的なデトックス(デトキシケーションの略。体内に残留する様々な病気の根源となる毒素や老廃物を取り除く事)と、食事療法のプログラムが行なわれている。彼女自身が重い子宮筋腫にかかった時に、ボーイフレンドからそのプログラムを是非受けるようにと勧められたそうだ。そして彼女はこの施設に入所した結果、手術の必要もなくなり、筋腫も消えてしまったそうである。このオプチマムヘルス協会には全米から深刻な病を抱えた人が集まり、癒され、中には医師に見放された患者までも奇跡的に助かった症例が沢山あるのだという。
 毎週日曜の午後、この施設に興味を持つ人々の為に、施設とプログラムに関する一般見学ツアーが無料で行なわれている。それに参加する事を彼女は提案してくれた。

 早速、その週末に行われる見学ツアーに主人と一緒に行く事にした。
 施設のあるレモングローブ通りへと続くマサチューセッツ街で高速を下り、賑やかな商店街を抜けると静かな住宅地に入った。少し前方に進むとスペイン様式の建物の屋根が見えた。錠が外されている大きな鉄の門をくぐると、丁寧に芝を刈り揃えてある広大な庭に沢山の草花が咲き誇っていた。その庭の中央には何名かの見学者が既に集っており、夕方の4時になったところで、内部の建物からスタッフが数名現れ、ツアー開始の声を掛けた。

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 最初に施設内の簡単な説明を行い、屋外にジャグジーがある中庭から食堂、内部に瞑想ルームがある図書室、施設で出される有機野菜や果物を栽培する畑や”ウイートグラス”と呼ばれる小麦草を栽培する温室と保管室、その草を搾って飲むための専用ジューサーが設置されている部屋等を見せてもらった。それらを通り過ぎると、別の中庭にトリートメントセンターと呼ばれる白いプレハブの建物が並ぶ場所に案内された。
 各建物には、外部から招いたプロのセラピストによるマッサージやレイキ療法、そしてコロンハイドセラピーという特殊な器機の使用と腹部へのハンドマッサージで腸の宿便を吸い出す療法等、様々なトリートメントルームが設けられていた。これらのセラピーは通常の価格より低料金で入所者に提供していると説明された。

 ツアーの最後に大きなスクリーンが設置された講堂に通された。そこで20分ほどO.H.I.に過去入所して、健康を取り戻すことが出来た人々が出演するフィルムを観た。終了後、既に没された創立者であるミスター・ニースの未亡人であり、州立サンディエゴ病院の元婦長である、現在のO.H.I.代表、ミセス・ パム・ニースが登場し、簡単に挨拶の言葉を述べた。
「奇跡はこの場所で毎日のように起こっています。そして起すのはあなた自身です。
私たちの使命は、ここに入所しておられる人々の心と肉体がピュアーな状態になり、
結果的に最善の健康を勝ち得るための手助けをすることなのです。」

 その言葉を聞いた時、内なる声は再び私に語りかけた。
「ここに入所し、体内を解毒する事が先決だ。化学治療はそれから考えても遅くない!」

 その後、主人と相談を重ねO.H.I.に1ヶ月間入所することを決めた私は、家族の世話を手伝ってもらうために、彼の母を日本から呼び寄せる事にした。実は義母も1985年に直腸がんを患い、大手術の末に一命を取りとめ、現在人工肛門をつけてはいるが、術後20年以上経った今も元気に暮らしている、癌の生還者である。100%西洋医学によって命を助けられた義母に、アメリカに来て頂く事となった私の事情を話したら、
「そんな大病をしているのに何故すぐに医者の言うことを聞いてきちんとした治療を受けないのか? 幼い子供を置いて、そんなところへ1ヶ月も入って本当に良くなるのか?大体そこは信用できる施設なのか?」と問われた。
 未だ、代替医療やホリスティク療法に対する認識が一般的に浸透していない日本で暮らす義母にしてみれば、当然の意見であった。けれども、私と共にツアーへ同行し、施設の内容をある程度把握した主人が、「とにかく私の思うようにやらせてやってくれ」と彼女を説得してくれた。

 それから義母が来ることになり、その準備や空港への出迎え、アメリカの家事に慣れない義母への説明や食料等の買い物やらで、施設に入るまでの数週間はあっと言う間に過ぎた。
 O.H.I.への入所を待つ間の約2ヶ月間、インターネットで探したロサンゼルス市内の代替治療クリニックに通った。そこで処方された漢方やサプリメントのおかげか、体の不調は多少改善した様子だった。
 出発する前日の土曜日は、子供が週末に通う日本語幼稚園で毎年開催される春の大運動会だった。早起きをして、子供の好物が沢山入ったお弁当を重箱に詰めた。私の体調もそこそこ良好で、運動会では親子参加の障害物競走を息子と手を繋いで走り、競技に参加する息子を声が嗄れるまで応援した。

 翌日、自宅を出る間際に息子を呼んで、私は思わず彼の体を強く抱きしめた。
 「いたいなあ。もうやめてえ、ストップ!」息子はキャッキャと笑いながら、大袈裟に体を捩じらせて叫んだ。当時6歳の我が子はユウキと言い、関西弁と英語のちゃんぽんで喋る様があどけなく、まだミルクと甘いキャンディーの匂いがして、ずっとそのまま抱きしめていたい衝動に駆られた。“柔らかで愛おしい、命より大事な私の宝物。”と、心の中で呟いた。
 ユウキは、私が1ヶ月間家を離れる事の意味を全て理解するには幼な過ぎた。私が戻る時に現地で会い、彼を大好きな遊園地へ連れて行くという約束をとても楽しみにし、絶対にそれを忘れないようにと出掛ける私に指切りをねだった。
 扉を開けたままの玄関でユウキの目線と向き合うようにしゃがみこみ、その小さな指に絡ませた私の指をそっと緩めて言った。
「おばあちゃんの言うこと良く聞いて、賢うしとかなあかんで」
「うん。ぼく、かしこうするよ…なあマミー?」
「何?」
「マミーはキャンサーなの?キャンサーってなに?」
 一瞬心臓がドキンと鳴った。しかし冷静を装い、静かに問いかける。
「誰が言うてたん?」
「おともだちのサミー。サミーのダディとマミーがそういうてたんやて。」
 サミーの父親は医者であり、以前私の病気について相談したことを思い出した。
 その短い合間に、様々な思いが頭に浮かんだ。
 “私はこの子に自分の病気の事を伝えるべきなのか?それとも・・・、このまま黙ってやり過ごしてしまうの?それは息子を騙すことにはならないのだろうか・・・。しかし幼い彼にとって、この現実は余りにも残酷過ぎないのか? それでも息子がそれを知りたいのなら、それを知る権利はあるのかもしれない。でも・・・” 
 私は迷っていた。しかし、もうそれ以上考えている余裕も無かった。息子の目を真っ直ぐに見つめて、動揺を隠しながらこう問いかけた。
「ふーん、そうか…ユウキ、キャンサー(癌)って何の事か知ってる?」
「しらん!」
 と無邪気に言って、おもちゃで遊ぶために2階へ駆け登って行った息子の後ろ姿を見送ったら、不意に肩透かしを受けたように体から力が抜けた。と、同時に母親の置かれている現状について、何も理解出来ていない息子を思うと胸が痛み、喉の奥が喩えようもなく熱くなって泣きそうになった。
 “あかん、ここで泣いたらもう行かれへんようになる。”そう思った。湧き上ってきた感情を一気に飲み込んで、義母に家の事を宜しくお願いしますと頼んだ。それから後ろ手で扉を閉め、急ぎ足で主人の待つ車へ乗り込み、努めて明るい声で言った。
 「じゃあ、行こうか!」
 私の気持を察してか、主人の片手が私の手の上に重なり、ぎゅっと力が込められた。

 6月初旬のロサンゼルスはカラッと晴れた清清しい天気が続く花盛りの季節で、フリーウェイの路肩にまでタンポポやポピーなど、様々な色をした花が咲き乱れる。その頃は丁度、ジャカランタという桐の花に似た藤色の花が木々に満開で咲き誇る時期であった。
 おそらく、車内から見た外の景色は素晴らしく美しかったと思うが、車の助手席側の窓にもたれた私の視界に景色は一つも入ってこなかった。
 息子を産んでから、こんなに長く家を離れることは初めてだった。残してきた我が子の笑顔を思い出すとまた涙が溢れそうになった。私は深呼吸をして気持を静め、一粒の涙も流すまいと自らを奮い立たせた。
 “今は泣いている場合ではない。愛する息子の為に、そして私の為にも、もう引き返すことは出来ないんだ。”と思った。

 自宅から目的地であるO.H.I.までは車で2時間程かかる。車内では主人が常にカーラジオの周波を合わせているクラッシックロックが流れていた。それを私が普段好んで聞くバラードやスロージャズがメインのFMラジオ局「94.7 WAVE」に切り変えると、その頃流行っていた映画“タイタニック”のテーマ曲、セリーヌ・ディオンの“My Heart Will Go On” の前奏が流れてきた。哀愁を帯びた旋律の中、彼女の歌声がさんざめく小波のようなメゾピアノから、力強く波打つ大海原の爆音のようなフォルテシモへと変調していった。

私は、自分が見知らぬ海に漕ぎ出る一艘の小船に思えた。

 けれど、どんな嵐が来ても、例え氷壁にぶつかっても、この船を沈ませる訳にはいかない。自分に押し寄せる大きな波を必ず乗り切って見せる!
 私はそんな思いを抱いて、流れる曲に耳を傾けていた。

Near, Far, wherever you are

近くても、遠くても、どこにあなたがいても

          I believe that the heart does go on 
             この気持ちは続いていくと信じている
          Once more you open the door   
             再び、その扉を開いて
          And you’re here in my heart 
             そして、あなたは私の心の中にいる
          And my heart will go on and on
             そして、私の心はどんどん前に突き進む

(Celine Dion “My Heart Will Go On” より歌詞を一部抜粋)


 そして、不安に心を震わせながら、健康を手に入れるために開かなければいけなかった最初の扉を私はノックした。“トントン”真っ白な扉が開くと、そこにはオープンハウスで出会ったスタッフ達が温かな笑顔で私を迎えてくれた。
「ウエルカム トウ  O.H. I. ! 」
 この瞬間、私の新たなる人生の扉も開いた。

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五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター


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〈第8話〉  抗癌剤投与に対するトラウマ

2010年03月10日(水曜日)
カテゴリー:
  • 第3章 - Open the Door of Health Opportunity
  
11:28 AM

第3章 ―――― Open the Door of Health Opportunity (健康を得るために開く扉)


抗癌剤投与に対するトラウマ

時は一刻の猶予もないように思えた。それでも、「本当にこのまますぐに抗癌剤治療に取り掛かって良いのか?何か他に出来る事は無いのか? 」 これらの疑問は私の頭から離れなかった。微熱や吐き気などの体の不調を抱えながら、ぐずぐずしている私を見かねた回りの人々は心配し、医者の言う事を聞いて早く治療を開始してはどうかと勧めた。

 しかし、私には抗癌剤治療に対して大きな恐怖を抱く理由があった。
小学校6年生の頃、私がいつも“片山のおばちゃん”と呼んでいた、祖母の大親友が肺癌で亡くなった。片山のおばちゃんは昔の女性にしては珍しいほど背が高く、目鼻立ちのはっきりとした顔で、まるで宝塚歌劇団の男役の様だった。そして、いつも豪快に大きな声で笑う人であった。祖母曰く、他の友人たちが一目置くほど頭が切れ、プライドの高い人だったそうだ。
孫がいなかった彼女は、私の事をまるで自分の孫のように可愛いがってくれた。私はそんなおばちゃんが大好きだった。片山のおばちゃんが病気だと聞かされた時は、とても心配になり、見舞いに行きたいと祖母にせがんだ。そして祖母に連れられて、大学病院に入院している彼女に会いに行った。

 その頃、誰かの見舞いに行くなどという経験はめったに無く、よそいきの服に着替えさせられた私は、祖母が買い求めた見舞い用の花束を抱えて、お出かけ気分の軽い気持で病院へと赴いた。

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 個室病棟の扉を開けた時、ベッドに横たわっている片山のおばちゃんを見て、私の全身は冷や水を浴びせられたように凍てついた。身体にたくさんの管を繋いで、弱々しく青白い顔でベッドに横たわり眠っていた。彼女の目は窪み、頬はこけ、首筋の血管が太く浮き上るほどに痩せてしまい、頭の毛は全て抜けてしまっていた。あんなに大好きだった片山のおばちゃんが、骨と皮だけを全身にまとった骸骨の幽霊のように見えて、私はとても怖くなった。室内は、高い熱が出たときに嗅いだ事のある、むせるような重い空気の匂いがした。

 隣に付き添っていたご主人である、片山のおっちゃんが、疲れた様子で話しかけてきた。
「せっかく面会に来てきてれくはったんやけど、おばちゃんな、抗癌剤という物凄い強いお薬打っててな、ちょっと具合悪うて殆ど寝たり起きたりなんや。ゆうちゃんもごめんなぁ、遠い所から会いに着てくれたのになぁ。おばちゃんが目え覚ますまで、暫くプリンでも食べて待つか?」と優しく訪ねて、私の為にプリンの蓋を開けようとした。けれども、片山のおばちゃんの変わり果てた姿にすっかり怯えてしまった私は、祖母に「外で待つから」と伝えて病室を出た。そして、病院の出口へ向かって逃げるように早足で歩いた。けれども建物の中はまるで迷路の様で、私はなかなか外へ出られず、同じところを何度もぐるぐると回っているような感じがした。
“怖いよ、ものすごう怖いよ。早うここから出たい。神様、仏様助けて!”と、心の中で助けを求めた。片山のおばちゃんには悪い事をしたなと思ったが、またあの部屋に戻り、彼女の姿を見続ける勇気は無かった。そして、それが片山のおばちゃんに会った最後だった。
「片山さんはなあ、あの抗癌剤というお薬でご飯が食べられへん様になってしもうたんやて。あんなに痩せてしもうて、毛えも全部のうなって、声も出えへんようになって、身体にぎょうさん管通して、生き地獄やなあ。」帰りのバスの中で、そう話る祖母は涙ぐんでいた。
私は彼女の言葉を聞きながら、数10分前に見た片山のおばちゃんの姿を思い出した。そして、再び蘇った恐怖感で小刻みに震えだした両手の指を、祖母に見られないように膝の間に強く押し付けた。

 それから数ヶ月も経たない間におばちゃんはこの世を去った。
片山のおばちゃんの葬式に行き、焼場から戻った祖母の言葉を今も忘れない。
「かわいそうになぁ、強い薬の治療でお骨が粉々になってしもうて、形も残らんかったんやで。あんなになるまで薬を続けなあかんかったんやろうか? 苦しんで、苦しんで、結局は助からへんで。辛かったやろうな、あんたのお母ちゃんと同じやなぁ。」

 暫くの間、私は何度か同じような悪夢にうなされた。病院でみたような白い壁と、どこまでも廊下が続く建物の中、逃げる私を捕まえるかのように、赤黒い液体が詰まった蛸の触手のような管が何本も伸びてきて追いかけられる夢だった。思うように走ることの出来ない重い足を必死で動かしながら、あの管に捕まったら最後、全身の血が吸い取られて、私は骸骨になり死んでしまうのだと思った。

 この経験以後、私の記憶には抗癌剤=毒薬のイメージが、まるで焼き印のように深く刻まれたのだ。

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウエルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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五十嵐ゆう子プロフィール

食品小売業・ ウェルネス(健康食品)・ビューティ の通訳、コーディネーター、 翻訳・コピーライター。

CMP JAPAN社の美容専門誌"ダイエット&ビューティ”に米国の美容情報記事を2005年より毎月連載中。
2008年、2009年と2年連続で東京ビッグサイトで開催の "ダイエット&ビューティ”展示会にて講演。

カリフォルニア州&ネバダ州公認エステティシャン・ライセンスを所持。
美容展示会などで講演やデモンストレーションを行う。

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