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Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

〈第16話〉 最善(オプチマム)の方法 (前編)

2010年05月06日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第6章 - The Story of How I Fought My Illness
  
11:10 AM

第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録)

最善(オプチマム)の方法    (前編)

 聖ジョセフ病院に入院して、尿検査に始まり、血液検査、CTスキャン、背中の後ろから細いドリルのような棒を差し込み腫瘍の一部を採取する等の様々な検査を受けた後、ドクター・ケヴィンからこう告げられた。
「腹水が肺にまで拡がっており、かなりの量の水が肺の中にも溜まっています。よくこんな状態で我慢していましたね。呼吸するのも辛かったでしょう? 至急、専門医に再度の検査をしてもらい、肺と腹部の水を抜かないと危険です。」 

  言われてみると、入院する3~4日前から息をするのが少し苦しいような気がしていた。そして、腹部と心臓の間がタプタプと音がするような感じがあった。けれどもその時は、入院出来るか否かという不安の方が先立っていたので、それほど深刻な状態だったとは思ってもみなかった。それから数時間、専門医による検査の直後に、肺とお腹に穴を開けてストローのような管を通して水を吸い出すことになった。この処置は私が今まで味わったことの無い、想像を絶する苦しみだった。それまでは、子供を生んだ時の経験が人生の中で最も大変な苦しみだと思っていたが、肺から水を抜く事はその倍以上の辛さだった。

 最初、肺の近くに穴を開けたのだが、局部麻酔が効いているので何も感じなかった。最悪な状態は管を差し込んだ直後にやってきた。それは水を吸い出す時だ。一瞬、肺を思いっ切り誰かの足でぺちゃんこになるまで踏みつけられたような感覚を覚え、痛いというより強烈な圧迫感で息が詰まりそうで苦しかった。水を抜いていたのは僅かな間だったと思うが、こんなことが1分も続いたらきっと死ぬなと思った。

 吸い出した直後、思いっきり咳込んだ。その後はお腹の水を吸い出したが、これは肺に比べると全く楽であった。
「ハイ、終わりました。」と専門医の声がして前を見ると、カルピスをもう少し黄色くしたような液体が1リットル瓶の上まで入ったものと、その半分ほどが入った別の瓶、合計2本の瓶が台の上に並んでいた。“うわあ、凄い!こんなに水が入っていたのか”と驚いた。それでもお腹の水は腫瘍の腫れが邪魔をしており全て吸い出すことは出来ないのだと言われ、放っておけばまた肺に水が溜まることもあるのだよと脅かれた。あれをもう一度繰り返すのかと思うだけで、心底恐ろしくて震えを感じた。

そして、また尿検査、血液検査と、検査、検査の連続であった。
入院してから3日目の夕方、遂に、翌朝から抗がん剤投与を開始すると告げられた。緊張と不安が体中に駆け巡り、興奮して眠れない私に睡眠剤が与えられた。

 そんな私の元へドクター・ケヴィンが訪れ、ベッドの傍らに腰掛けてこう話し始めた。
「デアンジェロ先生と僕は、君のことについて真剣に話し合いをした。何故、今まで君が抗がん剤治療を拒んできたのかという事も含めてね。その副作用や毒性について考慮すれば、抗癌剤投与が100%正しい道なのか、どうなのか?と、迷う患者さんは沢山いるんだ。だから君は不安で、誰かにその気持を理解してもらいたかったのではないのかな?僕も多少ではあるが統合医療について理解を示しているんだ。だってデアンジェロは僕の親友で、僕は西洋医学を実践するドクターとしても彼の良き理解者なのだから。但し、今の君を救うには、今僕が行おうとしているこの治療が最善(オプチマム)の方法だと思う。でも安心して欲しい。僕はこの道の専門家であり、必要以上の抗がん剤投与は決して行わない。きちんと君の状態をコントロールしながら治療を続けるから。さあ安心して眠りなさい。」

 そして先生は私にウインクし、「TRUST ME (僕を信頼して)」と言った。それはずっと私が待っていた言葉なのだと、理解した。私は「YES」と声に出して返事をすることが出来たのか、もしくは頷いただけだったのか、今でもはっきりと思い出せないのだが、その後、一瞬にして安らかな眠りの海に落ちていった。

翌日から始まった抗癌剤とリンパ腫の治療薬であるライトキシン(リンパの腫瘍核のみに的を絞って攻撃する新薬)の投与は、驚くほど良く効いた。まず、1日目に抗癌剤を、そして2日目にライトキシンの点滴を受けた。
このライトキシンを投与した翌朝から、腹部で15cm近くに拡大し、石のように堅かった腫瘍の塊に触ると、それがボコボコと割れて分裂し、ゼラチン質のように柔らかく変化していた。まわりの医師や看護婦でさえもその効果の速さに驚いた。

 但し、抗癌剤の副作用のせいか、私の状態は酷かった。発熱と滝のような発汗があり、髪から全身に至るまでぐっしょりと濡れ、1時間毎に、衣類、枕カバー、シーツを交換してもらった。さすがに夜中は申し訳ないと思ったが、一刻も早く替えてもらわないと悪寒を感じて唇がガタガタと震えだし、肺炎を引き起こしそうな予感がしたので、遠慮せずベッド横の呼び出しベルを鳴らした。真夜中でも看護婦さん達は嫌な顔一つせず全てを交換し体を拭いてくれた。時折、激しい辛さが波の様になって全身に押し寄せた。よくドラマで俳優が瀕死の病人を演じている時に“ウンウン”と呻きながら頭を左右に振っているが、あれと同じ状態になった。身体中が鉛のように重く、呼吸をする事さえ大変で、思わず頭を振ってしまうのである。そんな状態の時は、頑張るとか、生きたいとか考える余裕も無かった。ただ早くこの状態が終わる事を祈っていた。夜はほんの短い時間しか眠れず、やっと朝方眠りに落ちると、今度は数々の検査や薬の投与などで無理に起こされるのが辛かった。私の少し腫れぼったい奥二重の瞼はボコッと落ち窪んで完全な二重になった。おしゃべりな口は顎に力が入らず1cmも開かなくなり話すことが出来ないので、必要な用件は紙に書いた。主人や友人曰く、これが一番辛そうに見えたという。

 しかし、一旦その状態が通り過ぎて落ち着いた状態が訪れると、私の身体を征服しようとしていた病が、少しずつではあるが後退しているような感覚を覚えた。


五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第15話〉 統合医療

2010年04月29日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第6章 - The Story of How I Fought My Illness
  
2:18 PM

第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録) 

 
統合医療(Integrative Medicine)

腹水がたまり、歩く事すらままならなくなった私の姿を見るに絶えず、とうとう友人の一人が私をある場所へ連れて行った。そこは、AKASHA CENTER FOR INTEGRATIVE MEDICINE  (www.akashacenter.com)という統合医療治療専門クリニックで、医師が西洋医学を中心に、東洋医学を初めとする伝統医学や代替療法を取り入れて、患者の治療にあたっていた。患者の健康状態を配慮して、一般治療に様々な療法を継ぎ足していく事から、別名で足し算治療とも呼ばれている。

クリニックで取り入れられている療法を次に記載する。
*  漢方や針灸などの東洋医学
     *  「毒をもって毒を制する」と言われるホメオパシー(19世紀にドイツ人医師によって実践された同毒療法。
水で希釈した毒素を体内に入れて、治癒力の増進をはかる。)
     *  リンパドレネージュ(1932年にデンマークの医師が治療のために発案したマッサージ法。
運動不足や健康状態の悪化で滞るリンパ液の流れを良くし、老廃物を対外に押し出す働きを助ける。)
     *  自然治癒力を促進させるホリスティク療法
     *  マクロビオテック(玄米・穀物菜食)やVEGAN(動物性蛋白質・乳製品や卵を排除した食事)と言われる
純菜食主体の食事療法
     *  心理療法医のカウンセリングを取り入れ、各患者の肉体的、心理的状態の相互から判断し、
症状に合わせた、身体に負担を出来る限り掛けない医療を提供
     *  大学病院等の医療機関と提携しているので、緊急時の対応も迅速に行なえる
     *  自由診療である代替医療とは異なり、健康保険の適用も可能

 なんと、初診に3時間近くもかけて、主治医から取り寄せた全てのカルテと私が実行してきた食事を含めた代替療法と、それによる体調の変化や精神状態に至るまで、とても細かなカウンセリングが行われた。
私の担当医はドクター・デアンジェロという名の、大学病院でメディカルドクターとして活躍する若い先生だった。彼の診断によれば、私はすぐに癌専門の医師がいる病院に入院し一刻も早く適切な治療を受けないと、非常に危険な状態にあるという事だった。ただ、体力が落ちているので(その頃、私の体重は身長157センチに対して35キロしかなかった)通常の抗がん剤治療などを行えば、もっと深刻な状態になることも予測された。特に、私自身が抗がん剤に対して非常に恐怖を抱いていることを考慮することが必要だと言い、「どんな良い療法であっても、患者が安心して治療を受けなければ、ただ体を傷つける刃になるだけだ。」と彼は語った。

 そんなことを言ってくれる医師に、私は今まで一度も出会ったことが無かった。ドクター・デアンジェロの真っ直ぐで澄んだ瞳は、眩い光となって私に覆いかぶさっていた闇を照らし始めた。“この先生を信じてみよう。” 心からそう思った。

 ドクター・デアンジェロは、彼の同僚で臨床腫瘍医のドクター・ケヴィンの診断が受けれるように取り計らってくれた。ドクター・ケヴィンは、統合医療に対する理解も深く、抗がん剤治療に対しても繊細な処方をすることで著名な医師であるため、通常の手段(電話予約)では1ヵ月半以上先まで予約がいっぱいだと言われた。ドクター・デアンジェロは、確実に連絡が取れる夜の10時過ぎにドクター・ケヴィンの自宅にまで電話を何度も入れて、直接に彼と交渉してくれた。1日も早く私を入院させ、治療を始めるように頼んでくれたのである。そして私は、ドクター・デアンジェロと出会った3日後にドクター・ケヴィンを担当医として、彼が所属する聖ジョセフ病院に入院出来るようになったのである。

 入院のための準備を行っていた私に、息子のユウキが背後から声を掛けた。
「マミー、何処行くの?」
自らの病の事を息子に打ち明ける事にためらいがあった以前と違い、この時、私の心に迷いは無かった。“ユウキは八歳だ。もうごまかしは効かない。彼と真っ直ぐに向き合う事が、私にとっても、そして息子にとっても必要なのだ。”と強く確信した。
「病院へ入院するのよ。直ぐ戻ってくるから、待っててな。」
「マミーのSICK(病気)はとてもBADなの?」
「マミーはキャンサーなの。それって何の事かわかるかな?」
「うん。ちょっと知ってる。でもキャンサーって・・・」

 そこでユウキの言葉が途絶えた。彼の瞳が少し大きく見開かれ、多分その次に出てくる言葉を私は察していた。“死んじゃうの?”と聞かれるのだと思った。けれどその代わりにユウキはこう言った。
「マミーはSTRONGだから、大丈夫。」

 その言葉をユウキは本当に心の底から思ったのか、また信じたい彼の願いが言葉として口に出たのかは分からなかった。けれども、私は息子の声を通じて何か大きな存在が私にそう告げてくれているような気がしていた。
“私は強いのだろうか?ああ、でも今は本当に強くなりたい。そうだ、強くならなきゃ!”
息子の“STRONGだから、大丈夫”という一言が、私の中に“カチッ”という、エネルギーのスイッチを入れてくれた。

 そして、急に入院が決まった私を、元会社の同僚で長年の友人である睦美ちゃんが会社を早退して病院まで送ってくれた。彼女は私の入院中、息子の学校のお迎えから家の夕食の準備まで手伝ってくれた。私よりずっと年下なのに聡明でしっかり者の睦美ちゃんには本当に昔から助けてもらってばかりである。方向音痴の私は、いつも道に迷うと彼女に電話して遠隔操作でナビゲートしてもらったり、同時多発テロの後に職を失った時も、彼女は私と同じ境遇であったにも拘らず自分のことはさて置いて私を励ましてくれた。癌告知を受けた時も、主人に伝言を残したあとで無意識に彼女の携帯番号を押していた。抗がん剤ではなく代替治療を試してみたいと言う私を理解し励ましてくれ、一緒に色々な情報を集めてくれた。厳しい食事療法の最中、夕食のおかずとして作った豚肉の生姜焼きを息子が食べ残したことが悲しい(これは私が欲しくても食べられないのに、という意味だ。)と子供みたいな馬鹿馬鹿しい泣き言をいう私に、「辛いよね、わかるよ。」と慰めてくれた。そして、次々と私に降りかかる困難に負けそうになる度に、「ゆうこさんなら、絶対乗り越えられる。」と励ましてくれた。睦美ちゃんが傍にいてくれてどれだけ心強かったか、言葉にしても足りない。

 この日も、病院に着き別れ際に不安を感じていた私の気持ちを察してか、彼女が言った。
「ゆう子さんが信じて決めたのなら、きっと大丈夫!上手くいくよ。」
睦美ちゃんのその一言も、更にまた私の肩を押してくれた。

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もう私の中には
迷いも
不安も
零れ落ちそうな涙も
なかった
自らの前に準備された方向を信じて
進んで行けば良いという確信があった
それはまるで
真っ暗な夜の海で一筋の灯りを見つけた時のようだった

五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第14話〉 代替療法の梯子

2010年04月22日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第6章 - The Story of How I Fought My Illness
  
10:30 AM

第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録)  

代替療法の梯子

 オプチマムヘルス協会(O.H.I.)を出てから、私の1年半に及ぶ本格的な闘病生活が始まった。食事は乳製品を含む動物性蛋白質を絶ち、野菜を中心に食した。蛋白質は白身の魚と豆で摂るようにした。そして台所にあった白砂糖と漂白された小麦粉を全て捨て、オーガニックのものに切り替えた。白米はなるべく食さず、圧力鍋を買って玄米を炊いた。但し、主人と育ち盛りの息子には通常の食事を調理し、私の分は生野菜中心で別に作った。

 毎朝、自宅近くの森を走り、たくさん深呼吸しながら体操をした。そしてO.H.I.で購入した絞り器を使い、裏庭で育てたウイートグラス(小麦草)をジュースにして、1日必ず2オンスずつ2回摂取した。O.H.I.で学んだメソッド、宿便取りも欠かさずに行った。体調は順調で、微熱も腹部の痛みも無くなった。“もしかしたら腫瘍がとても小さくなっているかも?”と期待した。しかし、その後の定期健診で腫瘍の大きさは変わらないと告げられ、少しがっかりした。けれども、“同じサイズだと言う事は、進行はしていないことなのだ”と考え直し、同じ生活を続けた。様々な民間療法を含む代替療法を試しつつ、定期健診だけ続けながら、抗がん剤は拒否し続けた。

 私が試みたその他の療法を次にあげてみたい。
* 氣孔師のところへ通い、腫瘍の箇所に“氣”を充ててもらった。
* 多くの病人を治したという噂の足揉み師のところへ通い、漢方薬を服用した。
* インターネットで検索して見つけた代替療法のクリニックへ通い、生薬とビタミン剤を服用した。
* 訪ねて来た知り合いが、ネットワーク販売している免疫力改善のサプリメントをたくさん摂取すれば
どんな病気でも良くなるからと言われ、通常1ヶ月かけて摂取するものを1週間で飲み干した。
(これは後から考えると、かえって消化機能に負担を掛けていたのではないかと思う。
実はそのネット販売のリーダーで、私に使用を強く勧めていた人は、私が摂取を始めた年の末に
胃がんで亡くなった。そのことで、どんなに良い物と言われるものでも、
摂り過ぎは健康を害することに気が付いた。)
* 琵琶の葉の温灸(近所の庭にある琵琶の木から葉をわけてもらい、日本から温灸セットを取り寄せ、
葉を腫瘍のある場所にあてて、その上からもぐさの灸をすえた。)
* 抗がん剤の悪影響について唱え、抗酸化サプリメントを開発した博士の診断を受けるために日本を往復し、
私の症状に応じて調合された抗酸化生薬を服用した。
* ロスアンゼルスにある、マッサージとカイロプラクティックの自由診療院で、お腹をマッサージし、
下剤を飲んで毒素を取るという療法を週2~3度行なった。
* 飲尿療法(自分の朝一番の尿を飲んで癌を克服したという書物を読み、1週間位はコップを持ったまま
躊躇したが、癌と戦うためならと半年ほど続けた。頭の中でなるべく何も考えないようにして、
鼻をつまみ一気に飲み込んでいたのでどんな味がしたかは正直いってあまり覚えていない。
この事は、主人や周りの人から頭がおかしくなったのかと疑われるかもしれないと思い、秘密に行っていた。
しかし、本に書かれていた様な変化を感じないまま、何も症状が変わらなかったので、
途中でギブアップしてしまった。)
* 癌に非常に効果があるといわれ、臨床データでも証明されている天仙液という漢方剤を飲んだ。
(これを一番長く続けた。)

 民間の自由診療やサプリメントを販売する人々は、容易に“大丈夫ですよ。あなたの癌は治ります”と言う言葉を口にする人もいた。しかし、これらを続けるには、多額なお金を必要とすることが常であった。今思えば、中には営利目的の為だけに近づいて来た人も居たかも知れなかった。しかし、 “治る!”という魔法の言葉に期待し、それを信じてすがりたいという感情は、頭によぎる疑いを打ち消した。これは癌患者やその家族が陥る典型的な代替療法の梯子だという事を、後から色んな書物を読んだり、人の話を聞いて知ることになるのだが、その時の私を止めることは、私自身にさえ出来なかった。

 続けていた療法で、私が最も効果を実感できたのは、厳格な食事療法とデトックス(宿便とり)、ウイートグラスと天仙液の摂取であった。それらをきちんと守っている時の体調はまずまず良好であり、少しでも食事のバランスが崩れると体調が悪くなった。


しかし、様々な代替療法だけを行なってきた1年が過ぎても癌は消えず、少しづつリンパの流れが悪くなっていった。ある日、とうとう足が象のようにパンパンに腫れ、歩くことが困難になった。その頃から急に腹水が溜まりだして、臨月の妊婦のようにお腹が膨らみ、日常の生活に支障を来たすようになった。少しの歩行でも両足の中指が攣り、こぶらがえりを起こした。バケツに湯を入れ、足を浸けながら指先をマッサージしてほぐさないと痛くてどうしようもない状態になった。そして、定期的に行っていた検査では腫瘍マーカーが著しく上昇し、白血球の量も血小板の状態も芳しくないと告げられた。

 日本へ通ってまでも続けていた代替治療クリニックへ、検査結果をファックスで送り、“先生の指示通りに処方された生薬を飲み続けているが、思うような結果が出るどころか腹水も溜まっている。どうすればよいのでしょうか?”と問い合わせたが、納得のいく返事はもらえず、日本まで来なさいと言われた。しかし、私の身体は長時間の飛行に耐えられる状態ではなかった。
専門の知識を持ち、私が代替治療を選んだ事を解ってもらえる人と話したかったが、それも叶わず、毎日が不安だった。

その頃、私がロスアンゼルスで通っていた代替的療法を営むある治療師に、腹水が溜まってきている事について相談したいと何度も電話を掛けたが、なかなか応対してくれなかった。すると後日になって、私の紹介でそのクリニックでアルバイトをしていた友人が、私には黙っている事が出来なかったからと、その治療師が彼女に語った“ある一言”を教えてくれた。
「ゆうこはもうだめだろう、私が今まで診てきた患者さんの中で、お腹にあそこまで水が溜まった人間で助かったものはいないから。」

 信頼していた治療師に見捨てられ、家族や周りの人々が心配する中にあっても、私は入院して抗癌剤治療を行うことをかたくなに拒んだ。
身体を蝕んでいく悪魔を徹底的に叩くことが出来ないジレンマと、“もしかしたら、私はこのまま助からないのでは?”という一抹の恐怖を抱え始めた。それでも昼間の明るいうちは、つい弱気になる自分の気持を奮い立たせ、周りの心配をよそに気丈に振舞っていた。けれども、夜中に目を覚ますと、とてつもない不安の波が押し寄せて来て、それに飲み込まれていくような気がした。

 眠れない夜が続いた。


五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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五十嵐ゆう子プロフィール

食品小売業・ ウェルネス(健康食品)・ビューティ の通訳、コーディネーター、 翻訳・コピーライター。

CMP JAPAN社の美容専門誌"ダイエット&ビューティ”に米国の美容情報記事を2005年より毎月連載中。
2008年、2009年と2年連続で東京ビッグサイトで開催の "ダイエット&ビューティ”展示会にて講演。

カリフォルニア州&ネバダ州公認エステティシャン・ライセンスを所持。
美容展示会などで講演やデモンストレーションを行う。

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