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Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

Web小説 五十嵐ゆう子「Thank You  ~命をありがとう~」

〈第25話〉 鈴木美恵さん

2010年07月08日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第9章 - My Dear Friend
  
10:27 AM

第9章 ―――― My Dear Friend (親愛なる友へ)

鈴木美恵さん

  2006年7月8日、月刊“ダイエット&ビューティ”主催座談会の翌日、私は東京から静岡県の三島駅に向かい、沼津行きのローカル線に乗り換えた。この日、私にはどうしても沼津へ行きたい理由があった。

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 闘病時代の2002年、日本で抗酸化サプリメントと生薬を処方し、西洋医学に対して不安や疑問を抱える癌患者に代替治療を行なう医師を、知り合いから紹介された。私はその医師の診断を受けるために訪れた診療所で順番を待つ間に、隣に居合わせた女性と仲良くなった。彼女の名前は鈴木美恵さんといい、出会った日から約2年後の2004年6月13日に36歳の若さで彼女が天に召されるまで、Eメールを交わし続けた友人であった。私は沼津市内にある美恵さんのお墓にお参りがしたかった。

 歌手の今井美樹さんに少し似た彼女は、私の息子とほぼ同じ年頃のお嬢さんがいた。子供の為に絶対生きようね、元気になろうねと、お互い励まし合いながら色々な代替療法や食事療法についての情報を交換し合ってきた。

 美恵さんは卵巣癌の再発で、先に受けた放射線や抗癌剤治療によって自らの身体を傷つけられたと語り、もう二度と抗癌剤は受けたくないとの強い意思を持っていた。そして玄米菜食を取り入れた食事療法や、ヨガや気功体操に通って自己免疫力を高める事を続けていた。常に前向きで、病と戦いながらも、主婦と子育てに奮闘する美恵さんの毎日が生き生きと綴られていたメッセージのほとんどは、「元気ですか?私は元気です!」で始まっていた。そして亡くなる3ヶ月前の2004年3月7日に送られてきた次のメッセージが、美恵さんからのラストメールとなった事を、その後に知る事となる。

「ありがとう!私も自分は治ると毎日頭にたたきこんでいます。そうすることで脳はそれを証明しようとするそうです。 ゆうこさんにも、たくさんの情報や励ましの言葉をいただき、どんなに私にとって力になっているか―。ありがとうございます。お互い頑張りましょう!私も絶対まけません。」

 励まされていたのは私も同じだった。美恵さんと交わしたEメールの全ては、受信箱のローカルフォルダ内に今も“MIE”の名で保存してある。

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悲報、そして沼津駅にて
2005年の11月に日本へ帰国した際、久しぶりに美恵さんの声を聞きたいと思い、彼女の携帯番号に電話を掛けた。すると、電話に出たのは美恵さんではなく、女の子の声だった。“きっとお嬢さんだ”と思い、
「友人の五十嵐と言います、お母さんに代わってもらえますか?」
と尋ねた。すると、小さく息を吸い込むような音が聞え、少し沈黙が流れた。悪い予感が私の頭を過ぎり、心臓がドキドキと鳴り始めた。
「あのう、ちょっと、お待ちください…」
途切れがちな少女の声が、私の鼓動を加速させた。

 暫くしてから、男の人が電話口に出てきた。美恵さんのご主人だとすぐに分かった。
「ああ、五十嵐さん、五十嵐ゆう子さんですね?美恵から貴方の名前は時折聞かされておりました。実は…残念ながら、妻は…昨年の6月に亡くなりました。妻の携帯電話は今、娘のハルカが使用しているのです。」

 その一言で、完全に気が動転した私は、何と言葉を続けていいのか分からなくなった。激しい鼓動の音にめまいすら覚えた。緊張で乾いた喉の奥からやっと発した言葉は理性を失っていた。
「あ、あ、あのすみません、電車が来てしまって、今乗らないといけないので、また電話します。」
私は咄嗟に嘘を付いて電話を切ってしまった。そのまま年が明けるまで、電話を掛ける事が出来なかった。

 そして翌年の4月になり、日本へ数ヶ月後に帰国する事が決まってから、再び鈴木さんへ電話を掛けた。先の失礼を詫びて、お墓へぜひお参りしたい旨を伝えた。鈴木さんは快く受けてくれた。
鈴木タツヤさんとお会いするのはその時が初めてだった。小雨がぱらつく中、三島駅でローカル線に乗り換え、沼津へ到着した頃はちょうど梅雨の晴れ間で駅の外に出ると木漏れ陽が射していた。

 鈴木さんは駅まで車で迎えに来て下さった。彼の温かな笑顔は、緊張していた私を和ませてくれた。美恵さんが眠る霊園へは、車で10分ほどの距離だった。
中へ入ると、線香や蝋燭が並んでいる無人の売店があり、そこでお線香を買い求めた鈴木さんに続いて、私も線香を買った。彼は水の入った手桶と柄杓を持ち、先頭に立って美恵さんのお墓まで私を案内してくれた。

 美恵さんが眠る御影石に、鈴木さんは小さな声で「美恵ちゃん」と話し掛けながら、私が来たことを告げ、まるで生きている女性を扱うかのように、優しくゆっくりと石に水を掛けて綺麗に磨き、線香に火を点け、持参された花を墓前に供えて手を合わされた。

 私も線香に火を点けて手を合わせながら呟いた。
「美恵さん、ごめんね遅くなって、やっと貴方に逢いに来たよ。」

 実は彼女が亡くなる前の年(2003年)の7月に、三島で待ち合わせて一緒に昼食を取る約束をしていたが、私が新幹線を乗り過ごしてしまい、時間が遅くなって、彼女のお嬢さんのお迎え時間と重なってしまった。「じゃあまた、来年に会おうね!」と本当にまたすぐ逢うつもりの感じで、お互い電話で話して別れた。

 その翌年(2004年)、私は入院し、抗がん剤治療に入り、彼女もまた2003年のクリスマス前から入院したので逢う事が出来なかった。

 美恵さんとのEメールのやり取りは、定期的にあったわけではない。毎日のように沢山やり取りする時もあれば、何ヶ月も音沙汰が無い時もあった。
“ああ、あの時、私が遅れなければ逢う事が出来たのに。もしくは、またすぐに、2~3日後にでも沼津へ来る事も出来たのに”と悔やんだ。

 霊園を出た後、鈴木さんから、
「五十嵐さんのお時間がまだ大丈夫なら、妻が生前通っていた、
お気に入りの喫茶店が近くにあるので、コーヒーでも飲んで行きますか?」と誘って頂いた。

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五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第24話〉 夢へ、少しずつ動き出す

2010年07月01日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.
  
11:23 AM

第8章 ――――  Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

夢へ、少しずつ動き出す

  米国エステティシャン日記の連載を始めて1年後の2006年7月7日、東京の神田にあるCMPジャパン社にて、“ダイエット&ビューティ新聞”の読者の方々を集めた座談会が催された。私もその座談会に招かれ、皆の前で話をさせて頂く事になった。そんな経験は初めてのことでとても緊張した。しかし、同時に楽しくもあった。


座談会に来られた人々は、掲載開始から欠かさず私の日記を読み続けて下さった方ばかりで、また、美容産業で活躍さている方々も沢山おられた。そんな人々から、私のつたない日記を楽しみにしていると言われ、私は非常に恐縮した。


先ず、私が1時間ほど話した後に皆様から様々な質問を受けた。そして、日本の現場の悩みやストーリー等を聞かせて頂き、逆に沢山の事を教えて頂いた。
私がこうして記事を投稿する事によって、人との繋がりが増えて、今回のような、今までに体験出来なかった事にもチャレンジする事が出来たのだ。そして米国のコラムニストの一員としてCMP ジャパンとも更に繋がり、美容と健康関連における通訳の仕事を毎年頂けるようになった。

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それから暫くして、この健康関連の通訳業務を通し、統合医療のパイオニアとも言われるジョセフ・シバラシ医師という方のインタビューに、立ち会うことになった。
カリフォルニア州サンタモニカ市で、1992年からウエルネス・クリニックを営われているジョセフ医師は、ニューヨーク私立病院の緊急救命医師として長年の激務に就かれ、多くの命を救ってきた最先端西洋医学の医師である。
彼の元に、死と背中合わせで運ばれてくる重症を負った人々。その中で、助かる人とそうではない人を日々見続けてきたジョセフ医師は、西洋医学の見地だけでは説明しきれない何か別の“癒しの力”について感じることがあったそうだ。そしてシバラシ医師にとって大きな転機となったのは、自ら経験した肉体の不調を通してだった。

  救命医師の殆どがそうであるように、朝と夜とが逆転した生活を送る激務の毎日が彼を疲労のどん底に押しやり、ある日、仕事へ行こうと起きた時に身体が動かせなくなったそうだ。その時ジョセフ医師は、肉体が求める限り、ひたすら睡眠を取った。そしてファーストフードなどの加工食品を食べるのを止めて、胃に優しい野菜を多く取り入れた食事を多く食べることを心がけた。長い時間眠ることと、栄養のバランスが取れた食生活はジョセフ医師の心身を急速に回復させたのだという。変化していく身体の状態をまさしく体感した彼は、人体の自己治癒力について深く考えるようになった。そしてそのアイデアは、西洋医学の見解とは異なる新たなる治療法  『代替療法』 について詳しく研究したいという思いに、とジョセフ医師を導いていった。彼がそれまで行ってきたトラディショナルな西洋医学に、東洋医学やホリスティカル的療法を合体させれば、もっと違うアプローチで患者を救えるのではないかという考えは、自らの新しいフィールドを切り開くきっかけとなり、これがジョセフ医師が実践する統合医療ウエルネスセンターの原点になったそうである。


その後、ジョセフ医師と昼食を共にする機会があり、私は自分の闘病経験について打ち明けた。ジョセフ医師は、非常に興味深い話であると言い、こう続けた。
「その貴重な体験談を何かの形にして、多くの人と分かち合ってみるのはどうだろうか?そうすることで、様々な病気を抱える人達やその家族に新しい情報を与えるだけでなく、君に共感し、君が抱く計画に興味を持ち、将来的に力を貸してくれる人だって現れるかもしれないよ。」
いつか浅野氏から言われた言葉、“新しい何かが見えてくる”が心に浮かだ。“あの言葉が意味していたのはこういう事?私は自分の仕事を通して、貴重な出会いを体験し、夢への糸口を掴もうとしているのだ。” 

   ジョセフ医師との出会い、そして彼が語ってくれた言葉は、私の心を大きく揺さぶった。
“私の体験を、何らかの形で人々とシェアーすることがもし出来たら、もしかしたら、少しずつでも何かが動き出すかもしれない。”と。

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五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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〈第23話〉 一期一会

2010年06月24日(木曜日)
カテゴリー:
  • 第8章 - Esthetician Diary from U.S.A.
  
11:28 AM

第8章―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)

一期一会

  米国エステティシャン日記を書き始めて、私は徐々に色々な変化を自分自身に感じ始めていた。それは、今までとは別の視点で物事を観察するようになった事である。時には、物事を自分の考えだけでなく、他の観点から見た場合についても考えてみたりする。そして、一番身についた事と言えば、以前に比べて文章を書くことが苦にはならなくなった。


  それからまもなくして、私は一生忘れることの出来ないある体験をする。それは、私が仕事を通じて出会ったお客様の死であった。その方が発病し、他界されるまでの余りにも短い時間を見とどけたという経験によって、“人が生きる為の力=QUALITY OF LIFE ”についての意味を今まで以上に深く考えるきっかけとなった。そして、私はこれから自分が仕事を通して出会う人々と共に過ごす時間が、たとえ僅かな時間であっても、一瞬でも、大切にしなくてはいけないのだと言う“一期一会”の精神を強く心に刻みつけることになった。

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この手の向こうに - 米国エステティシャン日記 2006年6月号

  Hospitality―心のこもった接客、客を手厚くもてなす事。
欧米では、ホスピタリティーについて深く学ぶ事は、カスタマーサービス業界で働く我々にとって、各自の技術に匹敵するほど重要視されています。私は、お客様と向き合う際に、サービスという仕事を行うだけでなく、そのワンランク上の接客である、ホスピタリティーを提供するということを、今までも、そしてこれからも心掛けていきたいと思っています。

  今回、この日記を書くにあたって、皆様にお伝えしたい事があります。
突然ですが、去年から毎月サロンにお越し頂いていたお客様が、先週末に他界されました。
お客様の名前はアイリーンさんといいます。2005年9月から来ていただいたお客様ですので、丁度、このエステ日記が紙面に出た頃からのお付き合いでした。

  最初は病院の検査の後、その後は定期的治療に通われる1~2日前に来て頂いておりました。一番初めの施術が終わった後、いびきをかかれ熟睡された事を覚えています。その際、付き添いで来られた彼女のお嬢様から、病気による症状や不安で夜に何度も眼が覚めて、睡眠不足なのだと伺いました。何か少しでも良いので私に出来ることがあればとの思いから、次の予約からは30分程余分に時間をお取りし、ベッドを暖め、照明を落として、少しの間でもゆっくりお休み頂けるようにとの心配りをしてきました。

  お亡くなりになる3日前、お嬢様だけがいらっしゃり、あまり調子が良くないと言う事をお聞きして、お見舞いのお花とカードを差し上げたばかりでした。最後にお会いしたのは丁度1ヶ月前で、ハワイへ家族旅行に行かれて戻られたばかりでした。その時にかなりお疲れのご様子で、少しお痩せになられたなと思いましたが、こんなに早く永久にお別れすることになるとは想像が出来ませんでした。正直言って、この日記を書いている今も、アイリーンさんが亡くなられた事が信じられず、人の命の儚さを感じます。

  アイリーンさんは、薬の投与で美しい髪を全て失くされた後も、いつもお洒落なスカーフを頭に巻き、明るい色のお洋服を召され、マニキュアとペディキュアをフェイシャルの前に済まされて、とても重いご病気と闘っているとは思えないほど凛とされていました。本当にステキな御婦人でした。


  今思えば、アイリーンさんにとって、どんな時においても美しくいる事は、病に負けそうなる自分の気持ちを奮い立たせ、精一杯生きていく為の支えだったのではないかと思います。そしてサロンに御越し頂いてる間は、病気のことを束の間でも忘れ、本当にリラックスされたかったのでしょう。

  彼女が去った今、以前にこの日記に書かせて頂いた“一期一会”という言葉が、心に浮かびます。その昔、戦に出向く武士に主(あるじ)がいっぷくのお茶に誠心誠意を込めて“これが最初で最後の一杯だ”という気持で差し出した。それは、究極のもてなしを表す言葉と聞いております。


一瞬、一瞬を大事に、明日再び会うことが叶わないかもしれない客人に、悔いが残らないような応対を行う。それはホスピタリティーの“心のこもった接客”と通ずるものがあります。

そのことを再び、アイリーンさんというお客様を通じて教えて頂いた気がします。

  最後に、本日店に立ち寄られた彼女のお嬢様から頂いた言葉です。
「私の母は天国へ旅立ったのだけれど、ゆう子から贈られた花は今も次々に蕾を開いて、美しく咲いていて、それらは母を癒したように、今度は私を癒してくれているのよ。本当に有難う。」
私達は、どちらからともなく両手を差し出し、長いハグ(抱擁)を交わしました。

100624_agapansus.jpg    2006年5月31日

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  自宅に戻って、私は一気にこの投稿記事を書き上げた。実はアイリーンさんが亡くなったことを聞いた時、6月号の締め切り日は既に過ぎており、別の記事を既に書き上げて投稿していた。でも、どうしてもこのことを伝えたくて、編集長の江渕さんに無理を言って差し替えを頼んだ。何故だか解らなかったが、今すぐにこの思いを誰かに伝えたかった。いや、伝えなくてはいけないという気がしたのだ。


  人と言うのは不思議なもので、自分が病と戦い明日をも知れない状況の時は、本当に一瞬一瞬を大事に生きていた。朝、目が覚めて、家族や誰かに「おはよう」の一言を発する事さえ貴重な瞬間に思えて、精一杯の笑顔で挨拶をした。しかし、それを他の誰よりも判っているはずの私でさえ、社会に復帰して、日々の忙しさに押し流されて、忘れていた。
昨日と全く同じ今日など、けしてないはずなのに・・・。


私はこみ上げてくる思いを一字一句に込めながら、パソコンのキーボードを叩いた。

 五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター

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五十嵐ゆう子プロフィール

食品小売業・ ウェルネス(健康食品)・ビューティ の通訳、コーディネーター、 翻訳・コピーライター。

CMP JAPAN社の美容専門誌"ダイエット&ビューティ”に米国の美容情報記事を2005年より毎月連載中。
2008年、2009年と2年連続で東京ビッグサイトで開催の "ダイエット&ビューティ”展示会にて講演。

カリフォルニア州&ネバダ州公認エステティシャン・ライセンスを所持。
美容展示会などで講演やデモンストレーションを行う。

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