商人舎

杉山昭次郎の「 流通 仙人日記」

 杉山昭次郎の「流通仙人日記」

スーパーマーケットの競争力強化の視点 vol.34

2010年02月22日(月曜日)
カテゴリー:
  • スーパーマーケットのマーケティング
  
10:49 AM

第34回スーパーマーケットのマーケティング-スーパーマーケットのマーケティングの定義①

■マーケティングの定義の難しさ

 「マーケティング」という言葉は、我が国では昭和30年頃から一般に使われだしたと思われる。昭和30年代のなかばには、一般消費者も、技術革新、マス媒体による広告の影響を体で感じとれるようになっていた。産業界はマネジメント・ブームに包まれていた。

 その頃、経営教育(企業内教育)をする団体に転職した私は、経営に関する理論・技法などについての“にわか勉強”をした。IE、QC(少し後になって、TQCと呼ばれるようになり、日本的経営の特徴の一つのシンボル的概念をつくり上げた)、システムOJT、等々、学生時代には学校で聞いたこともない言葉。その多くは英語、英語の頭文字で表わされていた。

 マーケティングもその中の1つであった。

 いくつかの論文を読み、いくつかのセミナーにも参加した。しかし、今から思えば当然のことながら、執筆者、講師ともに、マーケティングという言葉のコンセプトを的確には掴んでいなかったせいか、本を読んでも、講演を聞いても、納得できなかった。

 一例をあげてみよう。ある著名な商業の先生は、
「技術革新の結果、大量生産が可能になり、安く売れるようにはなったが、量が多くなりすぎて、従来の販売法では捌ききれなくなった。そこで、宣伝・販促などを行い、お客を買う気にしておいて、販売をする。宣伝・販促などは、いわば空軍の空襲、販売は歩兵の仕上げに相当する。これらの活動の総合した呼び名がマーケティングだ」と述べた。

また、別の所では、
「テレビや洗濯機のように発明があったからこそ、需要が生まれた。今までは、必要は発明の母と言われてきたが、これからは発明が必要の母となり、マーケティングは商品開発から始まる」という説明を聞いた。

 IT産業の発展振りを思うと、この説明もうなずけるであろう…が。

 ともあれ、当時、私を本当に「分かった」と思わせる解説はなかった。ただ、漠然とではあるが、広い領域の多くの問題の深い関わり合い方についての概念というようなイメージはもてるようになっていた。


■納得できるマーケティングの定義


その後、初めてのアメリカ視察旅行で、当時、カリフォルニア大学のダンカン教授が講義の中で、
「製造業で使うマーチャンダイジングと小売業のマーチャンダイジングでは意味が違う。小売業のマーチャンダイジングは、製造業のマーケティングに近く、バイング・アンド・セリング全体が含まれる。」と述べた。なぜかこの時、“マーケティングとは、このことか”と分かった気がしたことを今でも強烈に覚えている。

 その頃、「小売業にはマーケティングは不要」と言いだす指導者もいて、チェーンストア業界では、マーケティングが議論されることも少なく、それほど気にしないで、仕事をしてきた。しかし、心の底には、市場調査はマーケティングではないのかという反発はひそんでいた。

 昭和50年代の後半になると、チェーンストア産業も成長期から成熟期に移行しはじめ、各業界、業態に関する研究も進んできた。食品主体のスーパーも、本格的スーパーマーケットなどと呼ばれ、業態が確立したと言われるようになっていた。「SM」とは、本格的スーパーマーケットの略称で、「内食(家庭食)材料をワンストップ・ショッピングで調達できる、セルフ・サービス店」と定義する人もいた。この頃、スーパーマーケットのマーケティングの研究者は増え、著作も多く発刊された。

 その中の一冊、『食卓革命』の著者、黒田節子さんは、「スーパーマーケットのマーケティングとは、食生活の実態とスーパーマーケットの施策のミスマッチを正し、マッチングをはかること」と定義した。筆者は食生活を買い物の仕方、調理の仕方、テーブルの囲み方(食べ方)に分類して、ミスマッチを指摘し、正し方を論述している。

 この定義は、長年にわたり持ち続けていた私のマーケティングについて、もやもやを吹き払ってくれた。マーケティング全体の定義にはならないが、逆にスーパーマーケットに限定しているからこそ、より一層ピッタリとくる定義であった。つまり、何をすべきか、という活動計画をつくりやすくする定義ということである。一般にこのような定義などのまとめ方を「分かりやすい」というのであろう。

続きます

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スーパーマーケットの競争力強化の視点 vol.33

2010年02月15日(月曜日)
カテゴリー:
  • スーパーマーケットのマーケティング
  
4:19 PM

第33回スーパーマーケットのマーケティング…連載再開の前にひとこと

■書き出しに先立ち、お詫びと言い訳。

昨年は「競争力の視点」と題して、商人舎のブログに、雑文を何回か掲載してもらった。

 80才を越える老齢をかえりみず、雑文を書いたのは、一見単純そうに思える。しかし、チェーンストアのマネジメントシステムは、各サブシステムが極めて複雑かつ微妙にからみ合い、相互に影響し合って変容する。1つのサブシステムが整合性を失うと、トータルの機能にガタが来る。そのメカニズムを理論的に整理する枠組みを提示したかったのだ。

 そのきっかけは、私が10年ほど前、仕事からの引退を決意しかかっていた頃、友人から、「お前は業界に何も残していなかったから、せめて、身につけた知識だけでも、後輩に伝えておけ。そのための勉強会を開くから。」ということで、月一回の勉強会に参加したことであった。

 勉強会では参加者が真剣と発言したので、お互いの勉強にはなった。私の狙いは、トータルシステムの変容のダイナミックモデルをまとめることであった。しかし、これは失敗に終わった。とはいえ、一般的規範モデルはまとめられなかったが、実態は規範論通りには進まない記述的モデルを数多く手に入れることができた。
規範モデルづくりが出来なかった理由は、一口にまとめれば、参加者のほとんど全員が実務家で、与えられた問題状況の中での問題解決思考には優れていても、抽象論的な一般化思考には不馴れなため…ということであろう。

 数年前に、私は体調を崩したことがあって、勉強会からは離脱したが、多くの議論を交わしたおかげで、なんとなく今なら、前述のダイナミックモデルもまとめられそうな気になっていた。

 そんな矢先、商人舎の結城さんから書かせてやるという声がかかったので、執筆を始めた。

 チェーンストアシステムの精緻なダイナミックモデルを書き上げるのは、大仕事である。大変なエネルギーと、大量のローデータが必要であり、老化した私一人では手に負えない。
もう少し若ければ、仲間を集めて共作をしたであろうが、今となっては、せめて、大枠だけでも示して、これからの人の参考になればと思い、執筆を始めた。随筆風の文体でよいということであったので、気楽に始めたが、書き出してすぐに当惑したことは、ブログという媒体を知らなかったことである。日頃、携帯電話すら使わない私は、全く情報革命から取り残されていた。ブログの読み方と紙上の活字の読み方に違いのあることは私でも分かる。しかし、ブログの読み方は私にはわからない。それでもかまわないという商人舎側の話で、雑文を綴ったが、読者がどのような評価をしているのか、冬の今でも思い起こすと、冷汗が流れる。

 それでも、どうにか前半に書こうとしていた、使命→利益→能力開発の循環目的をモデルとするマネジメントシステムの枠組みのダイナミックモデルは、昨年の秋の始めまでに書き上げた。

 後半にはマーケティングの領域を取り上げる予定でいたのだが、机に向かって気がついたことは、私が食生活について、全く無知というか、理論的知識をもっていないことであった。
洋風化が進んだとか、魚離れ、飽食化などの言葉は自分でも使っていたが、内容はよく分からないまま、ごく大ざっぱな傾向を述べたに過ぎなかった。

 品揃改革のコンセプトを整理しようとし出して、ハッとした。私には、酒飲みの老人好みの和食メニューしか頭に浮かばないのである。それもそのはず、何10年かに渡って休日、それも月に1~2回以外、夕食を家族と共にすることがほとんどなかったのである。
したがって、子供達がどんな食事をしていたかもよく知らなかった。子供達は私の知らない食事をしながら、今では50才以上に育っていた。
こんな私に、家庭食を論ずる資格はない。

 また、私と親しい付き合いをしてくれたチェーンストアの経営者、幹部従業員、そして意欲的に活躍している商品部のバイヤー達も、夕食を自宅で家族と楽しむことは少ないのではないか推察する。少なくとも、ほとんど毎日、定時に仕事を終え、帰宅を待っている家族と食卓を囲む普通の人達と比べると、かなり少ないと思われる。
スーパーマーケットのマーケティングの基本は、後でもう少し詳しく述べるが、普通の家庭の食生活に自社の政策をマッチさせることである。
スーパーマーケットの政策計画者のほぼ全員は、私同様、普通の家族の食生活の詳細はおろか、全体像を理論的に整理して認識するための枠組すらもっていないのではあるまいか。

 こんなことを考えだした私の頭はパニックになってしまった。「グローバル化」の中で書こうと思っていた課題の土台が崩れたからである。
時間をかけ、気を取り直し、再びこの問題に向かう気になるためには数ヶ月を要した。

 これから書こうとする問題は、あえて題をつければ、「社会科学的な研究がほとんど行われていない中でも、『食生活の向上』に貢献するためのスーパーマーケットの政策」とでもいうことになろう。

 年寄りの冷水にならないよう、気をつけて筆を進めるが、不備の多い雑文に終わるであろう。
20~30代のこの業界に関心の深い人達の中から、何らかのヒントをつかんで、スーパーマーケット産業の発展に役立たせてくれる人が出れば、望外の幸せである。

続きます

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スーパーマーケットの競争力強化の視点 vol.32

2009年12月07日(月曜日)
カテゴリー:
  • グローバリゼーション
  
10:54 AM

第32回グローバリゼーション-過去の実例

この問題を考える糸口になると思える、2つのエピソードを紹介しよう。(少し古すぎて、カビが生えそうな気もするが。私がご紹介するエピソードは10年以上前のものが多く、冷汗ものである。)

■エピソード1 東北地方の新店

ある東北の新店を見学した時のことである。
250坪ほどの食品売場(450坪の店の残りは衣料品売場に割当てていた)を見て回ったが、何とも釈然としないのである。大店法の規制の中で苦労して出店した店なのに、品揃えになんの新味も見受けられなかったのである。そこで、どのように品揃えを決めたかを尋ねた。答えは、「350坪ほどのそのスーパーマーケットの主力店の品揃えから、小さい分だけアイテムをカットした。」ということであった。唖然とした私は、夕食をご馳走になった別席で、品揃えには企業の品揃コンセプト、部門別・カテゴリー別の基本コンセプトが必要であり、品揃え改善にあたっては、改善コンセプトが必要な理由を説明した。また、最終的なアイテムのラインアップに際しては、例えば30アイテムを予定しているカテゴリーでは少なくとも35、なるべくは45アイテムくらいはリストアップし、5~10アイテムを切り落とすと、よい品揃えになると話した。

しかし、次回見学に立ち寄った時にも、品揃えは大して変わっていなかった。
当時はまだ、多くのスーパーマーケットでは、品揃えのコンセプトとしては、売れ筋、並べ筋、見せ筋を組み合わせるということが主流で、我が社のコンセプト、部門別コンセプトなどという発想は、まだなかった。この企業でもバイヤー達は「売上をさらに伸ばすため、売れ筋を一つでも増やす」こと以外はほとんど工夫を行わなかったのであろう。

■エピソード2 東北地方のローカル・チェーン

次のエピソードは、理論的解明がまだ進んでいない課題の対処策にかかわる問題である。
これまた、東北の中都市のローカル・チェーンで経験した話である。私も参加して、品揃えの見直しを行っていた時のことである。菓子部門のエンドで、和菓子のコーナーを設置していた。和菓子の知識を全く持たない私は、グロサリーのバイヤーを中心に各店の担当者達が述べ合う意見を聞いていた。
パートさんの一人が発言した。「○○饅頭は××屋のを置いてください。」ブランド名も屋号も忘れてしまったが、明治の頃から地域で愛用されてきた、5~6軒の古くからの菓子屋で、製造販売されていたが、売上は全体としては低下し続けていた。しかし、なぜか××屋の商品だけは人気が持続していたという。パートさんの発言に対し、全員が賛成した。
私には正直、何のことやら全く分からなかった。数ヵ月後、確かめたことだが、この饅頭は全店で、毎日最低でも5パックは売り続けていたという。パートさんの提案は地域住民の食生活に、少なくともマイナス効果は及ぼさなかったのである。

■理論型と経験主義

最後に、話題を変えて一言。
鳴り物入りで日本に上陸したカルフールは、あえなく撤退した。私は、撤退せざるを得なかった原因の一つに、同社の食品部門のマーチャンダイジングが日本の食生活にマッチし得なかったことがあげられると思っている。
カルフールほどの大企業のことだから、食生活の実態とのマッチングを重視してきたのだろう。しかし、日本の食生活は、前にも述べたように、東西古今のメニューから混在していて理論的には解明できていない。反面、現実のマーチャンダイジングでは、理論的に説明しきれない問題でも決定せざるを得ないことが無数といえるほど多く発生する。例えば、東京のスーパーマーケットでは、5月のマグロの刺身は、本マグロ、メジ、キハダ、バチのうち、いくつの食材を品揃えすべきか、という問題がある。ヨーロッパ育ちのマーチャンダイザーは判断のしようもない問題である。これに反し、日本のスーパーマーケットのバイヤーなら、キハダ一品で充分、あるいは今年はメジでも試してみようか、というような判断が直ちに帰ってくる。当流地域の食生活の中で生活している者と、他域から流入してきた者との違いである。前述のパートさんの発言は、前者のものである。
ご当地育ち人の判断の仕方を経験主義、流入バイヤーの発想を理論型と呼ぶと、理論でもてあます問題は、経験主義で補わねばならない。スーパーマーケットのマーチャンダイジングの具体的な個々の意思決定の大多数は、経験主義に頼らざるを得ない。
カルフールは、この点がうまくいかなかったのではないかと思う。

さて、理論型と経験主義でどちらが大事か?
答えは簡単である。両方とも大事なのである。
ここで私が特に強調したいことは、経験主義的判断はすぐれている人が、理論的アプローチの勉強をし、検証(成果の分析)のレベルを高めると、よりよい成果を収められるようになる。ということである。

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