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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

大ロシアの旅(Part 5) ~ハイパーマーケット視察の巻~

2009年08月07日(金曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
12:43 PM

今日は最終日。
午後から自由時間だった。

しかし、ガイド・車をチャーターして
ショッピング・センターに行く金はない。

あきらめずに船の人に聞いてみた。
すると地下鉄乗り場から
無料のシャトル・バスが出ているという情報を得た。
なるほど、アメリカほど自家用車が普及していないのか、
シャトル・サービスが必要なのだ。

駅まで歩いて15分。
聞いていた黄色いミニバスがあった。

運転手にショッピング・センターの名前を見せると、うなずいた。
やった!

バスの中の母と娘に話しかけ、再確認をした。

彼女は大学生で、英語がわかった。
ありがたい。

途中に目的のオーシャン・ハイパー・マーケットが
2箇所あったが、通過してしまった。
再び不安になった。

45分後、巨大なショッピング・センターが見えてきた。
周辺は北京以上の高層マンション・アパート群である。

やはり郊外はたいへんな住宅建築ブームであった。

ここがモスクワで一番新しいメガ・モールである。

核店舗は4つ。
フランスのオーシャン・ハイパー・マーケット

家具のIKEA

他2店舗。
さらに多くの専門店。

これがアメリカそっくりである。

そしてアメリカ以上に巨大なフード・コート。

子供の遊び場。

目的のオーシャン・ハイパー・マーケットは、
キャッシュ・レジスターが95台もあり、
平日でも人が群がっている。

25年前、アメリカにハイパー・マーケットが来た時は、
成功しなかった。
しかし、モスクワでは大成功している。

ロシア全土で100店舗以上、まだまだ成長途上である。

ウォルマートはまだ進出して来たばかり。
ここではヨーロッパ勢が強い。

モスクワは所帯あたりの平均年収は1万9000 ドルと聞いている。
オーシャンの客は、年収2万5千ドルから5万ドル。
これは市民の25%程度が対象になる計算だ。

ところが、健康保険・教育・住宅は、社会主義の影響が残っており、
さらにプーティンの経済政策で、一時よりかなり改善されており、
アメリカほど金がかからない。

ゆえにロシアはリッチだ。
外貨の50%は石油と天然ガス、後は鉱物と木材、水産物など
原材料で合計70%も稼ぐ。

逆に製品輸出はキャビア、ウオッカ、ミサイルしかない。

資源価格が上がれば、国民は遊んで暮らせる。
超リッチな国である。

共産主義の時代は物が無かった。
今はなんでも欲しい。
ロシア人は宵越しの金は持たない。
ようするに老後の心配はない。
男の平均寿命は59歳。老後などない。
その上国家はこれから大発展する。
先のことなど心配は無用、プーティンの支持は盤石だ。

さて、食品の質はさすがに低い。
とても野菜も肉も
アメリカや日本では店頭に並ぶレベルではない。

傷だらけで、色も悪い。

それでもロシア人は満足なのだ。
物が溢れているだけで幸福だし、
食べてしまえば同じだ。

ようするにロシア人が大物ばかりだ。

サービス考えるレベルにはまだ至っていない。

もちろん、どこの国の人も同じ。
やがてサービスも重要になる。

価格は平均すれば米国の25~50%安いようだ。

同じような価格の商品が非常に多い。
それは外国製品が多いからだ。
ロシア人は輸入ものを好む(国産奨励は聞いた事がない)
日本製品など、すべてに憧れている。

卵は1ダースで約1ドル、
菜種油が1瓶、1ドル(これはロシア製で安い)

魚も肉もすべてパッケージされていて、冷凍である。

もちろん、対面販売などないし、
生鮮、惣菜は無きに等しい。

私は前々から日本人が中国に
ビジネスに行くのは「???」といったスタンスでいる。
中国人は商売の民だし、日本人への食い込みがうまい。

しかしロシア人はそこまで洗練されていない。
逆にそれがチャンスだ。

必ずロシアにまた帰って来たい。
たくさんの視察団と一緒に来ることができれば幸いだ。
学ぶもの? それより、エネルギーをもらおう。
これが大事だ。
石油や天然ガスの買い付けではなく、
心のエネルギー、頭を活性化するために、
ぜひ行きましょう。

浅野秀二
8月7日

(Part6)まで続きます。

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大ロシアの旅(Part 4) ~モスクワ到着の巻~

2009年08月05日(水曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
11:48 AM

モスクワが見えた。
いよいよ1100キロの船旅も終わる。

モスクワを見ずしてロシアを語るなと言われる、
政治・経済・文化の中心である。

古くは、ジンギスカンが1238年の
モスクワ・クレムリン(砦という意味)を侵略、占領、破壊した地。

1812年、ナポレオンが20万人の兵士でモスクワを占領、
撤退時に爆弾を仕掛け、クレムリン宮殿を破壊した。

1941年には、ヒットラーが300万人でロシアへ侵入。
モスクワまであと23kmのところまで迫った。

国土の広いロシアは、首都を占領され、撤退したあとでも、
反撃を開始し、勝利している歴史がある。

日露戦争も、203高地での敗北、バルチック艦隊の全滅などは、
ロシアにとってまだまだ緒戦であった。

あのまま戦争を続けていれば日本は確実に負けた。
(私の祖父は冬の満州をワラジで戦っている。
 日本には物資がなかった。
 戦利品(土産)はロシア兵の皮の長靴であった。
子供のころはそれを履いて遊んだ記憶がある。)

新渡戸稲造氏の『武士道』という本を読んだ
アメリカのルーズベルト大統領が、
その高貴な武士道の精神に触れ、
「日本を絶対に滅ぼすわけにはいかない」と、
講和を買ってでて、日本勝利のもとに戦争を終結させた。
一冊の書物、精神が国家さえ救うこともある。

モスクワは船に3泊の宿泊をした。

港から見える光景は、岸壁に積み上げられた砂利。

森の中から見える、高層建築(マンション)。

建築ブームかと思ったが、都心見学のためか、
建築ブームというほどもでなかった。

モスクワは古い建物が多かった。
(郊外はまだ見ていないが)
北京と大きな違いである。
北京のように汚れた空気、喧騒はない。
ヨーロッパの町のように洗練された雰囲気がある。
モスクワのホテルはニューヨーク並みで、
一晩$400~$500と聞いた。
我々は船の中で宿泊と食事なので、
意外とクルーズの方が安く上がるのである。

人口 1200万人、周辺人口は1500万人を越える。
街の広さは100km四方で、
70%の人々がダーチャ(別荘)を持っている。

1700年代に発展し、橋は600箇所もある。
車は約400万台あり、年間20万台増えている。
モスクワのニックネーム「世界最大の駐車場」
と言われるほど、渋滞がひどい。
BMWやベンツが中心で、
フォード、日産も多くみられる。
しかし、トヨタ車が少ない。
レクサスも10年前には評判だったが、
今はそうではないらしい。

こちらはモスクワ地下鉄の長~いエスカレーター(深さ100メートル)。

韓国の会社の広告は多く、
日本食レストランも600店以上あると聞いたが、
やはり、韓国の服を着て寿司をサービスしている。

その他、普通のレストランにも、寿司はある。

世界中で「SUSHI」となり、日本食の領域を超えた。

日本の若者は、このチャンスをものに出来ない。
日本の変化は遅い。
日本は豊か過ぎるので、若者は冒険をしない。
レストラン学科やロシアですし屋を経営する講座、
誰かやりませんか?

テレビでしか知らなかった、
赤の広場、クレムリン宮殿と砦。

数々の教会。

政治中心の宮殿の敷地に11もの修道院・教会があった。
ロシア正教、宗教が政治の中心をなしていた。
共産主義も完全に宗教を禁止出来なかった歴史がわかる。

この広場に面して、
グムと呼ばれる宮殿のようなショッピング・センターがあった。

高級ショップが多く、人も多い。

しかし、買い物袋を持っている人は少ない。

街を歩いても危険な雰囲気、
恐怖を感じる場面はない。
賑やかで、自由で楽しく、
アメリカやヨーロッパの街と変わらない。

あの私のスリ事件は何であったのか? 
被害者は私だけか?
よほど間の抜けた姿をさらしていたかもしれない。

夜はモスクワ交響楽団の音楽を聞いた。
カチューシャ、ドクトル・ジバコ、剣の舞など
お馴染みの曲が多く、大いに盛り上がった。
藤原紀香にそっくりな歌手の歌声に聞き惚れた。

途中ピエロが出てきて、
ノコギリや笛や、納豆売りのラッパなど
たくさんのガラクタを持ってきて、それで演奏した。
音楽界もエンターテイメント性がある。

ロシアは変わった。
民主化して18年。
2度と昔のロシアには戻れない。
自由と平和を楽しんでいる。

翌日、軍の歴史博物館に行った時に、
それをさらに確信した。

ロシアの栄光のこの軍の博物館には、
ロシア人は誰も来ていない。
我々と韓国の団体のみで、ガイドが嘆いていた。

現在、学校では30分しか、
ロシアの共産主義の時代・戦争の近代史を教えない。
やがて、スターリンもレーニンも知らない世代になるでしょう。

プーティンについて少し。
彼は、東ドイツに長い間住んでいたので、
ドイツ語はネイティブ、フランス語も話せる。
柔道を通じて日本を知り、尊敬する人は嘉納治五郎である。
彼は誤解されている。
本当は国際派で、ロシアは西欧州と価値観を必ず共有している。
後はロシア経済を支配するロシアン・マフィヤと
経済不効率の源泉の官僚制度をどのようにするか?
この問題解決には時間がかかる。

経済優先で来たため、
いまだに政治改革がなされていない
中国の異質性が浮かび上がる。
その中国でさえ、日本以上に留学生を海外に出している。

日本と北朝鮮こそ世界で異質な国と取られかねない。
それは右に極端か?左に極端か?だけの違いだ。
軍国主義も平和主義も危うい。

いつも最後に気になるのは、日本の事だ。
外国に住むと日本の良さがわかる。
世界で一番可愛いのは日本。
何とか、日本の良さを守ってもらいたい。

浅野秀二
8月4日

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大ロシアの旅(Part 3) ~いよいよ船出の巻~

2009年07月31日(金曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
3:17 PM

翌日は郊外一時間離れた北の離宮へ。

1000ヘクタールの敷地をもつ、
宮殿と庭園のアンサンブルの代表であるぺトルゴフは、
NHKで滝(カスケード)と噴水の宮殿として紹介されて話題になった。
ライオンの口から25メートルの水の柱が墳出をしている彫刻は有名だ。

ここには大量の絵画作品が展示されている。
ここもヒットラーは撤退時に爆破している。

午後からフリータイム。
この日を利用してスーパーの視察を予定していた。

しかしタクシーで出かける金がない。
行動は制約され徒歩圏で探すが、
港は工場と倉庫ばかり。
どちらかと言えば、豊かでない住民の町。
期待したような店はない。

40年前の日本田舎のスーパーに似た店を見つけた。

隣に老人の安アパートがあった。

結果的にスーパーマーケット視察は、
この店と、サンクト・ペテルブルグ市内の
小型のスーパーを10分見ただけに終わってしまった。

そして5日目、いよいよ船出。
これから船旅1100キロ、モスクワまで遡る。
船は3600トン、約120メートル。
乗務員100名、客は160名 乗船している。
アメリカ人とドイツ人が半々である。

バルト海(北欧)の方に流れるセルバ川、ネヴァ川を遡り、
琵琶湖の15倍もある海のような湖をいくつも通過。
パナマ運河のように水位を利用し、
高低のある川をいくつも越えていく。
やがてあのボルガの舟歌で有名な
カスピ海に流れるボルガ川(全長3630キロの大河)に入る。
そこからモスクワまで行く、5泊の行程だ。

満々と水を湛えた湖、河川、川幅は数キロもある。
限りなく続く森林地帯。
時々人家も見えるが、人は少ない。

デッキから絵のような風景を楽しむ、豊かだ。

豪邸があちこちに立っている。
アメリカの田舎の家より立派だ。

ロシアが貧しい国という偏見は捨てないといけない。
私の想像を超えた世界だ。

これでも世界の川を見てきた。
アメリカを代表とするミッシシッピー川、
コロンビア川、サクラメント川、
ベトナムのメコン川、
揚子江、黄河。

どことも違う。
水量が桁違いだ。
この森林の豊かさはどこにもない。

私は太平洋で船のデッキから夕日を眺めるのを夢見てきたが、
沈まぬ太陽(白夜)のロシアの夏の大地に感動した。

ここはロシアのヨーロッパ側。
シベリアに行けば、また想像つかない大森林地帯がある。
石油、あらゆる鉱物、天然ガスの宝庫だ。

韓国はロシアに注目をしている。
ハングル文字のバスがチャーターとして走っている。

温暖化が進めば、シベリヤは人が住める豊かな土地となる。
日本は島国根性をすて、ロシアに進出して欲しい。

一日に一回、陸にあがって教会を見学した。
ロシアにはやたら教会(ロシア正教、キリスト教)が多い。
共産主義でも宗教は禁止されなかったが、
政府は共産主義という宗教を強要した。
(ロシア人は、共産主義は宗教だと明言した。)
共産主義がなくなってからは、
またロシア正教が流行っている。
若者はこれをファッション、カッコ良いものと感じているそうだ。
教会は続々と修復、新築されている。

ロシア人は極めて宗教的だそうだ。

船ではセミナーが何度もある。

本当に我々は知らないことが多い。

1917年ロシア革命があったが、
初めから共産主義を目的として革命が起こったわけではない。
土地の所有が許されなかった農奴たちが、
土地を寄こせと反乱をおこした。
ニコライ2世は英国とフランスの協定により、
戦いたくなかった第一次世界大戦に参戦し、
ドイツと戦って500万人殺した。

これが怨嗟となり、
土地問題の反乱と一緒になって
300年のロマノフ王朝は終焉した。

しかし、すぐ共産主義になったわけではない。
選挙があった。
その中に赤軍・共産主義者もいた。
彼らは投票の10%しか得なかった。

それなにの国民の意思を無視して、
軍事力とプロパガンダで政権を取ったのだ。

今のイランや、ベネスエラなども同じかもしれない。

ロシアにはドイツ人が多い。
ロシア帝国は、長年ドイツの貧民・農民の移民を奨励、
帝政ロシアの時代には200万人近いドイツ人がいた。
ロシア王室の后は多くはドイツから来ていた。
今でもロシア・バルト海周辺の土地は
ドイツ人が大々的な投資をしている。
目に見えないところで、ドイツとロシアは繋がっている。
ドイツはロシアの持つ潜在能力を取り入れることで、
21世紀を生きようとしている。
(日本は21世紀を生き延びる世界観を持ているのか?)

スターリンは、人間は恐怖によって動くと信じた。
国民を恐怖に落としいれ命令を聞かせるために、
平気で何百万人も殺した。
人権などまったく考慮されていない。
少数民族や、意見を異にする人々は、
故郷と何千キロ離れたところに強制移動させられ、
ドイツとの戦争でロシア人は、2700万人も殺された。
それはスターリンの自国民が殺されることを
なんとも思わない、戦い方のせいでもあった。

毛沢東が革命・内戦が終わって故郷に帰るべき兵士の使い道に困って、
朝鮮戦争で自国の兵隊を殺するための参戦、それが朝鮮戦争であった。
帰るべき土地が中国にはない。
この無謀な作戦で米軍は敗北を重ねることになった。

スターリンの自国民殺人のスケールは毛沢東をしのぐか??

面白いのは、このような政治をおこなう政治家は人間不信に陥る。
自らが味方の裏切るに怯え、眠れず、酒に逃避する。
体調を壊し、やがて若くして、高血圧や心臓発作で死ぬ。

歴代のロシアの大統領はすべて体を壊し、
任務半ばで死んでいる。
例外はフルフショフとゴルバチョフだ。
彼らは権力に固守しなかった。

これからまたセミナーが続く。
ゴルバチョフのプレストロイカ、
そしてプーティン大統領に関するセミナーもある。

この船をフローティング・ユニ・バーシティー(浮かぶ大学)というそうだ。
コーディネイターが講義もするが、全員大学の先生でもある。
良いツアーを選んだ。
ロシア人から聞く話は新鮮だ。

浅野秀二
7月31日

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