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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

大ロシアの旅(Part 2) ~大失態の巻~

2009年07月29日(水曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
10:10 AM

ツアーは現地集合。

ドイツのミュンヘン空港乗換え、
約2時間で深夜1時にサンクトペテルブルクの空港に到着。
(ウラジオストクから約1万キロ)

無事に移民局での手続きを終え、外に出たら、
頼んでいた車が来ていたことに、まず安堵した。

初めてのロシアの旅は正直不安だった。
外は白夜で、まだ明るい。

夜2時頃ネヴァ川に係留する船に到着、
チェックインもできた。

翌日は郊外の離宮・エカテリーナ宮殿見学。
宮殿はあまりにも壮大で、大ロシアに相応しいスケール、
豪華絢爛のバロック建築だ。

ここを見ただけで、ロシアに来た甲斐があったと感じた。

音楽隊がアメリカの歌で迎えてくれた。

午後は市内に帰り、公園で配られたサンドイッチを食べた。
その間、私の視線はいつのまにか、
あの絵葉書のコーカサス美人を探していた。

期待は裏切られるが、黄色などの明るい色の服を女性が着ており、
アメリカや日本では見られないセンスに興味をもった。

それしてもネヴァ川周辺には、
威厳・風格のある巨大な建物が並び、
非常に美しい街である。

ロシアのヴェニスと言われている。
さすが大ロシア帝国の首都であっただけはある。
来て本当に良かった。

こちらは立ち寄ったスーパーマーケットの写真。

それにしても日本人の団体旅行・オバチャンが非常に多い。
アメリカではなく、ここに来ていたのか!? 
俺は遅れている。
日本のおばちゃまは韓国だけでなく、世界を征服する…。

2日目はロシアの誇る5つの建物からなる
エルミテーゼ博物館の見学。
ルーブル美術館と比較されるロシアの誇りだ。
作品ひとつに30秒かけるとして、
5年間もかかるほどの膨大な美術品があると聞いた。
広大な建物の内装は金の装飾で埋め尽くされている。
秀吉の金の茶室も、ここではおもちゃの世界だ。

2時間半の見学後、外に出ると、多くの物売りがいた。
2人の若者が、写真やガイドブックを持って近づいてきた。
もちろん断わった。
それでもしつこく、大きな声で、「プリーズ、プリーズ。」
私は両手を広げて、左右に振り、ノーを繰り返した。
50メートルくらい、ついて来たかもしれない。

やがてバスに到着、15分後に出発。
昼食をすませ、トイレに行き、
手を前に持っていくと、腰につけたパウチに触れた。
あれ?
いやに薄く手ごたえが無い。
開けてみる。
財布が無いのである。

すべての金($100相当のルーブルだけが、運良くポケットに残っていたが)
クレジット・カードもやられた。
免許証もない。
油断をしていたのか。
それにしても今まで気が付かないとは…。
ロシア人ガイドに相談したが、
「何もできません。警察に行っても相手にしないでしょう。
 彼らもどこかで繋がっている可能性があります。」

冷たいものだ、もう絶望的だ。

「次の目的地の見学中にバスで船まで送りましょう。」
「何時間後に?」
「そうですね。2時間後くらい?」 

そんなに待っていられないので、タクシーで行くことにした。
タクシーに乗るが、英語が通じない。
行き先の住所を見せ、解ったかどうかはっきりしないが、走り出した。
30分程走ったが、周辺はまったく見覚えがない。

再び住所を見せると、運転手がうなずく。
しかし、不安は増す。
行けども、行けども見知らぬ風景。

タクシーを止めて、乗り換えようか?(なにせ、現金が少ないのだ)
街の人に聞こうか?

でも英語は通じないのだ。
腹を決めた。
どこへでも連れて行け。

前方に見慣れた橋が見えてきた。
なるほど、対岸を走っていたのだ。

45分後、無事に到着。
「ハウマッチ?」
「ハンドレッド?」
100ドル、それは高いのか?
メーターはどこなのか? 
しかしメーターは見当たらない。
(後で解ったことだが、ロシアのタクシーはメーターがなく、
 交渉で料金が決まるそうだ。)

100ルーブルを出すと、運転手は指を3本出した。
300ルーブルを渡すと、今度は指を5本にした。
焦っていて$ベースの計算ができない。

早く船に帰ってクレジット・カードをキャンセルしないと!

ここで言い争いは無用。
500ルーブル払った。

私はタクシーにずいぶんボラレタ気がしたが、
急いで船に行った。
4枚のクレジットカードをキャンセルしないければいけない。
すったもんだしたが、何とかアメリカのカード会社に連絡がとれた。

しかしカードはすでに使われていた。
AMEXは6700ドル、VISAは2回で合計1000ドル。
後の2枚まだわからない。

さらに悪いニュースが知らされた。
「貴方の帰りのフライトも船のスケジュールも出発は7月31日ですが、
 ビザは30日になっていますから、飛行機を変えて一日前に帰らないとダメです。」

そんな馬鹿な。
「私はビザの申請に、フライトの写し、御社のスケジュールもすべて提出してある。
 それはロシア領事館の間違いだ。」

怒鳴っても、船の乗務員の彼女達に責任はない。
すべて自己責任だ。

『フライトの変更は不可能、新しい切符を買わないといけない、
 金もビザも盗まれて、買おうにも買えない。』

船の責任者を呼んだ。
18年前にサンフランシスコに留学をしていたドイツ人で、サッカーの選手だったそうだ。
しばし、サンフランシスコの話題で盛り上がった。
彼が笑って、「何とか、この会社の社長を通じて、政府に交渉をしましょう?」
と言ってくれた。

多少気が紛れたが、悶々として眠れない。
スリにあったのは、初めて。
良い経験(?)をした。
体験に基づく私の話だ、どこかで役に立つだろう。

それにしても恥ずかしい話である。
これから金が無い状態で旅が始まる。

寝るところ、食事は3食付いている。
それだけは幸運だ。

ベッドで思索する。
見てきたすべての宮殿をナチス・ヒットラーの軍隊は、
撤退する時に爆弾をしかけ、すべてを破壊して去った。
ロシア人はそれも元通りに再建した。
彼らの嘆きなど考えれば、私の問題など取るに足らない。

さあ、明日を夢見よう。

浅野秀二
7月28日

(追記:後で解った事だが、
 タクシー料金の500ルーブルは、僅か$16ほどであった。
 船の人に聞くと、非常に良いディールでしたねと感心された。)

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大ロシアの旅(Part1)

2009年07月27日(月曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
12:00 PM

人生残された時間は少ない。
不景気、豚インフルは絶好の時間をくれた。
今しかない。

新興大国、BRICs(ブリックス)のひとつ、
ロシアに行きたい。

できればロシア経済・投資・小売業の視察ツアーで行きたいが、
アメリカには、日本のような研修ツアーは存在しない。
あるのは神社仏閣、博物館と教会めぐり。
観光ツアーはどこの国でも、過去に焦点を当て企画されている。
結果、現地の暮らしが見えない。

彼らは何を考え、何を悩んでいるのか?
月収は?
土地の値段は?
食品の価格は?
家賃は?
経済活動は?
その先に見えるその国の未来は?

その点、日本はありがたい。
その気になれば、さまざまな研修旅行がある。

今回行くリバー・クルーズ・ツアーは、
時間があるので多少は、セミナーが企画されている。

ロシアの歴史(1917年―1995年まで、共産主義の時代)
ロマノフ王朝、ロシアの地理、ロシア語学研修など、勉強のチャンスがある。

そもそもなぜ、ロシアに行きたいのか?

天然資源と人材の豊かなロシアは必ず大化けする。
また過去150年もそうであったが、
これからも、日本の未来を左右する超大国であるから。

他にも理由はある。
それはいつもの、私特有の問題だが…。

小学生の頃である。
家にはたくさんの古い絵葉書があった。
まだ台湾、朝鮮、満州などが日本であった時代のものである。

一枚の絵葉書に、綺麗なスカーフをかぶった、
顔の小さい美人の写真があった。
黒海とカスピ海の間のコーカサス地方は、
白人が誕生した場所、世界一の美人の産地と書いてあった。
子供心に決するものがあった。
いつか必ずロシアに行きたい。

やがて、その夢は長い間忘れていた。
そしてアメリカで、白人のことをコケージョン(Caucasian)ということを知った。
これはまさに、コーカサス地方が、白人発祥の地を意味していた。
あの絵葉書は本当のことを言っていたのだ。

ソ連が崩壊し、まだロシアが貧しかった7~8年前までは、
日本中にロシアンバーがあった。
帰る度に、松江のロシアンバーに案内された。
白い肌、目は青、黒、赤、そのすべてが交じり合った緑
とでも言ったほうが正確かもしれない。
ほとんどが大学生だという。
わずかな滞在で日本語を話すことができるようになる、
才色兼備である。

「デイトしようよ?」
「ダメ、デイトはしない、結婚してくれるならOK」
「俺は50才を過ぎているから、それは無理でしょう」
「問題はないよ。子供つくって、家族養ってくれるなら、
 それで十分よ。年は関係ない」
40年前の日本女性(?)のような回答である。

その言葉には、日本人が長い間忘れていた新鮮な響きがあった。
貧しいことは、必ずしも不幸なことではない。
彼女達は日々真剣に生きているのだ。

ロシアに行きたい理由はもう一つあった。
モンゴルに行った時に、ロシアの前身は、
ジンギスカンの末裔のキプチャク汗国だったという話。
16世紀まではジンギスカンの末裔でないかぎり、
ロシアの皇帝にはなれなかった時代もあった。
モンゴル以前にも、ハンガリー、ヨーロッパに侵入した匈奴も
ロシアの地を根城にしていた。
いずれにせよ、アジア民族に2000年にわたって
蹂躙されたのが白人・ロシア人であった。

ところが、ロシア人は、
馬と弓を使用することにしか興味がなかったモンゴルを
銃の使用で簡単に滅ぼした。
(テクノロジーの勝利である。)

250年にわたってモンゴルの軍事力で蹂躙された彼らの歴史が、
その後のロシア人の考え方・政治・軍事の仕組みをつくる。
独裁政権、武力・軍事力のみが国家を束ねるという思想だ。
それはプーチン時代、そして今も変わらない。
(ついでに言えば、ロシア革命は、
 レーニン、スターリン時代に6000万人を
 殺していると言う説もある。第二大戦の2700万人も入っての話か?
 これもモンゴルの大量虐殺に似ている。)

その後、白人国家、モスクワ公国が発展して、
イワン雷帝が強力な独裁的指導で1533年、大ロシアの誕生となる。
イワン雷帝の権力の源は銃であった。
大帝ビョートル1世(1671-1725年)の時代に繁栄を迎え、
その首都はペテルブルグに築かれた。
あの有名な大黒屋光太夫など、この都で女帝エカテリーナに拝謁をした。
後に、ナポレオンを破り、
ヒットラーの軍隊を壊滅させ、戦後は、アメリカと軍事的覇権を争った。

21世紀はどうなるのか?
白人国家・ロシアはEUと結び、
長い国境を持つ中国に対抗せざるを得ない。

「ウラル山脈を境にロシアが割れる」
これが半世紀前、フランスの大統領ドゴールの見識だった。
ロシアは超大国になりつつある中国に脅威を感じている。
日本を仲間に引き込みたいはずだ。

日本はどうする?
黄色人種として、中国の省になるか? 
アメリカ、EU、インド、ロシアとうまく付き合っていけるか? 
日本の繁栄と独立の一つの鍵は、ロシアにある。


今回のツアーはサンクト・ペテルブルグを流れるネヴァ川から、
多くの湖や運河を経て、ボルガ川を遡り、モスクワまでいく船の旅である。
ロシア建国・覇権街道をめぐる船旅だ。
(日本における東海道のようなものか?) 

旅はまだ始まっていない。

なんと理屈の多い男だ。
自分がいやになる。
「ただの旅行だ、行きたいから行く」と言えば良いものを。

浅野秀二
7月25日

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ばら色の日々

2009年07月23日(木曜日)
カテゴリー:
  • アメリカからのメッセージ
  
10:02 AM

朝起きると必ずしも目の前は、
ばら色ではない。
どちらかと言えば、
霧や雲が目の前を覆っている日が多い。
仕事の90%はキャンセル。
秋に良くなっても、50%のカムバックか?
サブプライムでリタイヤメント後の貯えも消えた。

しかし、先人は言っている。
自分で解決できない問題は、
悩んではいけないのである。

人の世はとかく窮屈だ。

気持ちが乗らないと、
車でフリーウェイを無目的に走る。

そして同じ歌を何時間も、
車の窓を開けて、思いっきり、繰り返し歌う。
時々、馬鹿ではないかと思う時もある。
アメリカのフリーウェイに日本語が流れる。

今ハマッテいる歌

♪ 亜麻色の長い髪を 
風が優しくつつむ
乙女は胸に 白い花束を
羽根のように丘をくだり 
やさしい彼のもとへ
明るい歌声は 
恋をしてるから

ばら色のほほえみ 青い空
幸せな二人はよりそう
亜麻色の長い髪を 
風がやさしくつつむ
乙女は羽根のように 
丘をくだる♪

(作詞:橋本 淳 作曲:すぎやまこういち)

気がつけば、元気になっていくのがわかる。

太陽もいっぱいだ。

青い空、

海、

船、

爽やかな微風、車を止めて歩く。

リス、

サギ、

白黒のアベックのアヒル、

渡り鳥のカナダのガチョウ。

庭の花より、

名もない野の花が好きだ。

自然の中に入れば、エネルギーが溢れ出る。

我が家に帰ると、
可愛いチビタにモカがいる。

愛犬とはよく言ったものだ。
(愛猫とは言わないが、結城先生なんと言うのでしょうか?)
彼らがいれば、俺は生きていける。
そんな気がする。

かくして今夜もばら色の夢を期待して眠りにはいる。

浅野秀二
7月18日

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