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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

盛和塾全国大会

2009年09月07日(月曜日)
カテゴリー:
  • 視察&インタビュー日記
  
12:01 PM

最近は涙が出ることは少ない。
悲しくて泣くことは、男の子として長い間封印している。
何かに感動して涙を流す…映画、読書、スポーツ。
甲子園で母校や地元が優勝すれば、これは涙ものであったが、
これも今年はベスト8で終わった。

衆議院の選挙期間中も政治家の演説を聞いたが、
どれも涙が出るほどの感激はなかった。
誰も彼も相手の揚げ足を取る、レベルの低い戦法ばかり。

9月1日、2日に出席した盛和塾の全国大会で
8名の経営者が、経営体験発表をした。

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経営というものは一般的には、決して面白く感動的なものではないが、
私は涙が頬を伝わってしょうがなかった。
ハンカチでは不十分で、タオルを出して涙を拭いた。
経営者の志や、熱意が伝わり、聞いている人々の胸を打った。

盛和塾とは、京セラ創業者の稲盛和夫氏を塾長と仰ぐ、経営勉強会である。

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メンバーは、日本、中国、ブラジル、アメリカなど、
合計で5,332名の経営者が参加している。
今回の全国大会の出席者だけでも2,768名。
中国から84名、ブラジルから82名、アメリカから42名が参加した。

民主党の小沢一郎も挨拶にきた。

seiwajuku_4_ozawa

政権交代の支持への感謝の言葉であった。
しかし、交代後の現実の政治に我々は期待している。
醒めた目で民主党の小沢一郎を見ていた。
そこには熱狂はない。
頑張って欲しい。

盛和塾は「心を高め、経営を伸ばす」日本的経営かもしれない。
個人的には日本的経営も、アメリカ的経営もないと思っている。
成功する経営の本質は、全世界普遍的だというのが、私の見解である。
しかし、それは文化や歴史や宗教の違いもあり、
表面的には違う形、ようするに表現の違いと考えている。

ここで盛和塾の「経営の原点12ケ条」を記す。

一、 事業の目的、意義を明確にする
二、 具体的な目標を立てる
三、 強烈な願望を心に抱く
四、 誰にも負けない努力をする
五、 売り上げを最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
六、 値決めは経営
七、 経営は強い意志で決まる
八、 燃える闘魂
九、 勇気をもって事にあたる
十、 常に創造的な仕事をする
十一、思いやりの心で誠実に
十二、常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で

7名の発表者は、いずれも素晴らしい経営者であった。

8番目、最後の発表者は、昨年発足した
我々シリコンバレーの代表、松井紀潔氏74歳である。

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カリフォルニアでラン栽培、世界一のラン栽培農業経営者である。

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彼を知る仲間は、日本広し、いくら優秀な経営者が集まる盛和塾メンバーでも
彼に勝る経営者はいないと思って
日本まで応援に来た。

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我々の期待を一身に受けての参加であった。
国際大会で金メダル間違いなしと期待されそれを実現する。
それは抜群の力がないと実現不可能である。
実力拮抗では番狂わせがある。

ところが、松井さんは期待どおり、最優秀経営者賞を受賞した。
彼の勝利はまさに圧巻、燃える闘魂、根性、計画性、
その緻密さ、創造性、思いやり、前向き。
家庭でも4名の子供全員はハーバード大学卒業という快挙を成し遂げている。
泣かせるようなスピーチではない、笑顔でのスピーチである。
でも多くの人が感動で涙を流していた。

25歳で、嫁と子供を置き、わずか一万円持って、
受け入れ農家が飛行機代金を支払う約束で実習生として来た。
その後、菊の栽培で全米一。バラに切り替え、全米一。
63歳でランの栽培で挑戦、4年後には世界一のラン栽培農家になった。

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もちろん、運ではなく、緻密な計画性と、
新しい市場をつくるという創造性への挑戦であった。
一時は隆盛を誇ったカリフォルニアにおける日系花栽培農家だが、
今は誰も残ってはいない。
松井さんの成功がいかに例外的なことか。
しかし、よくある海外の成功物語と違う、
私や多くの人の涙を誘ったストーリーとは?

若い頃からロータリー・メンバーとして、
自分の時間の4分の一は社会貢献に尽くした。
2005年には松井財団を発足、会社の利益の8%を
毎年、地域の貧しい学生(主にメキシコ系)の奨学金を提供。
一人あたり、年間1万ドル、4年間の提供している。
すでに60名の学生が恩恵を受け大学を卒業、
最終的には、すべて彼の財産100億円以上がこの資金として使われる。
汗水たらして、誰にも負けない努力をしてきた。
その成功報酬のすべてを社会に寄付するというのである。

家業の繁栄や、会社の発展、我が子のために、勤勉に働く人はたくさんいる。
名誉も財も成した人でも、すべてを寄付するのは難しい。
この志に我々は涙をした。
この大きな利他の心が、優秀な他の経営者との大きな違いのように思えた。
もう一つの大きな違いは
74歳と思えない言葉のエネルギー、青年のような夢と志。
これが爽やかであった。稲盛塾長も絶賛していた。

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この2つ要因こそ、単なる成功の自慢話で終わらず、
最優秀経営者として選ばれた理由であると思う。

ところで、先日ロシア紀行でロシアの(資源の)豊かさに驚いたが、
8月に台湾に行き、台湾の夜市(渋谷や、竹下通りのような若者が集まる商店街)の繁栄ぶりをみて、本当の豊かさの実現は資源ではなく、
人間が造るものとあらためて認識をした。
盛和塾の心を高める、人材養成、青少年教育こそ、
21世紀の日本を支える力となる。

日本には資源はない、人口も減る。
しかし、人材を活性化すれば、再び日は登る。

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浅野秀二
9月06日

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富士山登頂

2009年09月02日(水曜日)
カテゴリー:
  • 日本と日本人への想い
  
2:06 PM

今年、桜の季節、
6名のアメリカ人を日本に連れて来た時。
新幹線から富士山を見て登頂をしたことがあるかと?聞かれた。
2年前にも同じことを聞かれている。

日本に駐在体験のある米軍関係者の多くからも
「富士山に登頂した」と、いやになる程聞いてきた。

子供の頃から雑誌や浮世絵で見た富士、
万葉集に歌われた富士のお山、
「背比べ」の歌詞が自然と出てくる。
まさかあの高いお山のてっぺんまで登ろうとする自分を、
子供の頃は想像もしえなかった。
それは御伽噺の世界、もっと神聖な世界であったような気がする。

アメリカ人に刺激された。
今年は仕事が暇で、絶好のタイミング、時間がある。
体力と気力の挑戦をしたいと考えた。
対象は何でも良い。

富士山に登ろう。

思ったことは、すぐ行動する事にしている。
なぜか?それは動くと必ず色々な気づきがある。
それが私の快感だ。

年間25万人も登っている富士山。
老人やオバチャマも多いと聞いている。

運動靴に半ズボンですいすい登り、走って下ってやる。
そのような意気込みであった。

メールで8月中旬、
結城さんと、日本セルコの平会長も登られたと知った。
何か不思議な縁である。
話を伺うとかなり覚悟が必要な行動のようである。

登頂予定を聞いた両親からも電話が何度も掛かって来た。
「大雪山のこともある、慎重に準備、行動をしろ」
両親は私が石橋を叩いても渡らない慎重な性格を知っている。
だからあらゆる行動に最終的に賛成をしてきた歴史がある。

登頂2日目前、せめて用具は準備を完璧にしようと動いた。
1万円もあれば十分だと思っていたが、これがけっこう高い。
最終的には4万円以上掛かる計算になった。
ケチな私には大決断だった。

私の計画を聞いた、「むすんでひらいて」の原田社長御夫妻が
一緒に行動してくれるという。

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旅は道づれ、これは楽しくなりそうだ。

新宿西口集合団体でバスに乗る。
富士山5合目、約2200メートル、下界が美しく見える。

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快晴、雨も霧の予定も無い。

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中国語、韓国語、英語、ドイツ語。
外人が非常に目立つ、富士山は世界の山だ。
ところが、世界遺産には登録されていない。
それはごみが多いこと、自衛隊の演習場が問題で拒否されたと聞いた。
私は世界遺産登録など、どうでも良いと思っている。
登録された何百分の一になるより、
孤高を守ったほうが宣伝価値があると信じる。

それより観光客の増加、
特に中国人観光客の激増で将来はパニックになり、
登山者数の制限の日が来ると思っている。
豊かになる13億人を軽く見てはいけない。

若くて美しい女性が多かった。
いや、男もオバチャマもみな健康的で美しかった。
自然の中にいると、人は美しく輝く。
これは素晴らしい発見であった。

ガイドは言った。
「笑顔は今だけです。帰りは感情の無い顔になります。」
帰りも女性が美しく見えるほど、私の心に余裕があるか?
さあ、挑戦だ。

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まず、先のことは考えないようにする。
目先の一歩一歩を踏み出す、これの繰り返し。
何合目? なぜこんな苦しい? 馬鹿な挑戦をしたか?
などと自然と考えるが、
出来るだけ雑念を払って、夢遊病者のように歩いた。

若い人は軽快な足どりだ。
特別彼らが体を鍛えて来たとも思えない。
やはり若さは、すごいこととあらためて感銘。

8合目近くなると疲れ果てて、足が前に出ない。
砂利に足を取られて、バランスを崩す。
美しい景色は目に入るが、心には入らない。

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やがて8号目の山小屋に到着。
食事を終えたら、直ぐ眠った。(夜の8時ごろ)

翌日は朝の1時過ぎに起床。
ご来光を目指していよいよ2日目の登山開始。

睡眠のお陰で体力は十分回復したと思っていたが、
1時間ほどでバテテいる。
なんとか、朝の4時についに登頂成功。

何の感動もない、涙も、感激もない、だだ疲れ果てた。
ご来光を待って座り込む。
山頂は祭り広場のような騒ぎで、
足の踏み場もないほど混雑している。
これが夢でみた富士山頂??
確かに下界を見れば、高いところにいるようだ。

一時間後、空が赤く色づいた。

fuji_6

遠くが明るくなってきた。
「オーッ」とどよめきの声。

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ついに富士山頂でご来光を見ることが出来た。

後で聞いたが、我々のように、ご来光を拝む事が出来る幸運な人は、
お天気の関係で30%程度しかいないと聞いた。幸運である。

fuji_8

2日間かけて登った道を、これから一気に下る。
下山の方が難しいと聞く。

fuji_10

今回の総選挙でも感じたが、
下山に失敗した多くの自民党大物代議士がいる。
登るより、下る人生が難しい? 

何とか、下山出来た。
「足手まといになりますが、よろしく」と挨拶のあった、
原田さんの奥さんは、我々より30分以上も早く到着をしていた。
奥さんは只者ではない。
いや、2人の男が単にだらしがないだけか? 
最後の30分は馬車に乗った。

5合目でこれから登るたくさんの笑顔にあった。
「可哀想な人たちだね?」
彼らのこれからの苦労を考え、
我々は無事に登頂を終えた余裕の顔で笑った。

(その後雨が降ってきた。台風の影響だ。本当に私達は幸運であった。)

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浅野秀二

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大ロシアの旅(Part6) ~ビザで絶対絶命の巻~

2009年08月11日(火曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
11:30 AM

旅の期間中、頭の片隅にずっと気にかかっていたことがある。
それはロシアの一日期限が切れた滞在ビザのことである。
お金の問題は、すべて現地のクルーズの会社が
後で請求書を送ってくれることでケリが付いていた。
その上、当座の小遣いとして$300まで貸してくれたのである。

ビザの件も一応、クルーズ会社から書類はもらってはいた。
ロシア語で読めないがVISAの期限は31日になっているバウチャー(証拠書類)である。

これを持って空港の航空会社のカウンターで$25支払えば、
無事に出国でできると聞かされていた。
「それでも信用しない」というのが
外国生活が長い経験から来る疑心暗鬼である。

何が起こっても不思議はない。
いやな予感があった。
そして、それは見事に的中することになる。

帰国の日の朝、ビザの件があったので、
できれば他の人より早めにタクシーで空港に行き、
この件を処理しようと考えていた。
しかし、ご存知のように十分なお金はないのでバスで行くことにした。

飛行機は12:35発、空港行きのバスは朝の8:30発。
「合計4時間ある、これなら何とかなるだろう」と、安易な気持ちになっていた。
やがてバスは出発したが、走り初めて5分後、
私の後ろの席から、おばさんが叫んだ。

「私、キャビンに宝石箱を置いてきた!」

バスは緊急停車し、彼女の御主人とガイドが、走って船に戻っていった。
電話でのやり取りが聞こえてくる。
どうやら見つからないようだ…。

時間は刻々と過ぎていく。

もう一人のガイドに私の問題を説明して「間に合わないのではないか?」
と何度も暗に出発を催促した。
しかし、他の連中は静かに待っている。
私も冷静な顔をして耐えた。本当は叫びたかった。

何と45分間待ったのであった。

宝石は無事見つかり、拍手の中でバスは再出発した。
ところが、行けども、行けども空港に到着しない。
遠い…本当に遠い。成田並みだ。
結果的にそこから59分かかったようだ。

モスクワ空港は、1500万の人口が周辺に住んでいるにしては、
とても国際空港と呼べるような近代的な物ではなかった。
市民が航空機で移動するレベルの社会では無いようである。
小さな空港は人の波でパニックになっていた。
通常の手続でもチェックインができそうにも無いと思えた。

でもまだ2時間半はある。楽観的に考えようと務めた。
私とロシア人ガイドは走って行って、航空会社の担当者に問題を告げた。
すると「チェックインはできない。ビザが切れている」
と彼は冷たく言い放った。
「スーパー・バイザーと話をしろ」

一人だけオレンジの制服を着ている女性がいた。
金髪、ブルーアイで痩せている。
目がつりあがり、鼻は高く、異常に細く尖っている。
そう、魔法使いの若い時の人相だ。

これはやばい。
事情を話そうとするが、聞く耳はなさそうだ。
「見れば解るだろう、この混雑だ、貴方のビザの問題なんか、
 手助けをする暇があると思うか? 
 我々は航空会社で、ビザはロシア領事館の仕事。
 貴方の問題と我々は関係無い」
まさにとっとと消えうせろ、と言わんばかりである。

私とロシア人ガイドは、その剣幕に恐れをなして、
インフォメーション・デスクに行った。

彼らは領事館に電話を掛けてくれ、ガイドがロシア語で交渉をしてくれる。
やはり航空会社の手助けが必要なのだ。

再び航空会社のカウンターに戻り、彼女を避けて他の男性に聞いたが、
再び魔法使いの彼女のところに戻された。
彼女は先ほど以上に声を荒げて、我々を追い返した。

私とガイドは再び、インフォメーション・デスクに
事情を説明しに行ったが、結果は同じだった。
彼らも何も手助けできないと言う。

時計はフライトの出発まで1時間しかない。
船の仲間達も心配そうに見ている。
私はガイドに「もっと強く、スーパー・バイザーにロシア語で、頼んでくれ」と懇願した。
ところが、ロシア人ガイドは言い放った。
「貴方の問題を他人の私がどうして解決できるのか? 
 YOU MUST INSIST!(もっと強く主張をしないといけない)
 それは俺はやらない、お前の問題だ」

そして彼は去っていってしまった。
私はその時、目が覚めた。

「そうか、俺の依頼心が問題解決を阻んでいるのいるのかもしれない。
金も無い、ビザも無い、クレジットカードも無い。
知人は誰もいない、言葉もわからない。
タクシーでモスクワのロシア領事館やアメリカ大使館に行こうにも、金が無い。
絶対絶命、絶望だ。涙も出ない。
しかし何としてもこのフライトで帰らないといけないのだ。困るのは俺だ」

魔法使いの彼女に会いに行った。3度目には、多少暇になっていた。
私は大声で叫んだ。
「YOU MUST HELP ME! HELP ME PLEASE!(助けてくれ、お願いだ!)
 この飛行機で帰らないといけない。
 スリにあって所持金もクレジットカードもすべて取られた。
 ロシアの印象は最低だ。帰国時にまた困難に遭遇している。
 ロシア人は、どうしてそんなに不親切で、他人が困っているのを無視できるのか? 
 説明して欲しい、せめて領事館に電話をして欲しい」

彼女は目を一層吊り上げて、「電話だけはしてやる」と言ってくれた。
領事館員と約5分程度話をしていた。
部下の若い女性を呼び、「彼女と走っていけ、あと50分しかない」

2人で走った。
長く、遠い。
実際走ったのは5~6分と思うが、10分以上に感じられた。
やがてセキュリティで止められ、彼女だけが入っていった。
「領事館員を連れてくる」

時計を見ながら待つが、待ちきれない。
トイレには行きたくなるし、わずか10分間ほどであったが、絶望的な時間だった。

出てきた係員にパスポートを渡し、$25を支払う。
彼は「待っていなさい、パスポートにビザの判子を押してきます」と再び消えた。

これがまた、なかなか現れないのだ。
ユナイテッド航空の彼女も来ないし、時間は40分しかない。

「もうだめだ。
 ビザを軽く考えた私が間違っていた。」
後悔の念が頭を駆け巡る。

すると彼らが来た、助かった。
高いハイヒールを履いた彼女と走りながら、
「よくこのヒールで走れるな?若さはすごいな」と思った。

カウンターではチェックインの時間は過ぎていた。
でも親切にも全員がわれわれを待っていて、気にしてくれていたのだ。
「心配しないで、間に合わせます」

そばでセキュリティの背が高い女性が
「私についてきなさい、責任を持って貴方を飛行機に乗せます」

涙が出た。
多くの人が並ぶセキュリティで、一番前に並び、問題なくパス。
それから5分はまた走った。
やっと搭乗口が見えた。

助かった。本当に助かった。ありがとう。

彼女に持ち金すべてチップで渡そうとしたが、受け取らなかった。
彼らは誇り高い民族である。
賄賂がすべてと聞いてきたが、そうでもなかった。
実は、私のガイドに個人的に渡そうとしたチップも拒絶されていた。
金の問題ではないのだ。
国際社会で生きていくのは、強い自己主張が必要だ。

これは船上セミナーでのプーチン氏の写真。

プーチン氏の顔がたくさん写っている写真、すべて同じお顔をしている。
喜んでいるときも、怒っているときも、興奮しているときも
いつも同じ顔という、彼の特徴を示す写真。

強い意志の表れでしょう。

今回のいろいろなことを学んだ、反省の多い旅であった。
サンフランシスコまで1万5000キロ、興奮して眠れなかった。

反省点。
私のように旅慣れている人が、実は良く問題を起こすのだ。
免許証など不必要な物は外国旅行には持っていかない。
クレジットカードも国際的に認知されているので、ビサか、マスター・カードのみ。
そして家族旅行なら全員が違う番号を持つ。
当日必要なもの以外はホテル内の貸し金庫に入れて出る。
現金は分散して持つ。
クレジット・カード、パスポートも分散する。

私は腰につけるパウチに財布を入れていたので膨れていて、目立っていた可能性がある。
パウチは切られて取られる可能性もある。
鋼が入った切れない商品もあるようだ。
とにかくどこに貴重品があるのか、解るような無用心はいけない。
出発前にビザは再確認する。
用の無い人が近づいたら、それは泥棒だ。即、離れること。

アメリカに帰って2匹の犬を抱きしめた。
最初はうれしそうに鳴いていた。
ところが、途中から声が違ってきた。
犬が叫び始め、怒っているのである。
「どうしてこんなに長い間、僕らを放って出ていたのだ」
間違いなく彼らの目と声は、それを訴えていた。

浅野秀二
8月11日

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