みどりの日に童謡「みどりのそよ風」を批評する

みどりの日。
熱が出た。
38度7分。
すぐに薬を服用して、
とにかく大量の水を飲んだ。
そして眠り続けた。
朦朧とした中で口づさんだのが、
「緑のそよ風」♫
作詞は清水かつら、作曲は草川信。
1948年(昭和23年)1月に、
NHKラジオで発表された。
その歌詞。
みどりのそよ風 いい日だね
蝶蝶(ちょうちょ)もひらひら 豆のはな
七色畑に妹の
つまみ菜摘む手がかわいいな
みどりのそよ風 いい日だね
ぶらんこゆりましょ 歌いましょ
巣箱の丸窓 ねんねどり
ときどきおつむが のぞいてる
みどりのそよ風 いい日だね
ボールがぽんぽんストライク
打たせりゃ二塁のすべり込み
セーフだおでこの汗をふく
みどりのそよ風 いい日だね
小川のふなつり うきが浮く
静かなさざなみはねあげて
きらきら金ぶな 嬉しいな
みどりのそよ風 いい日だね
遊びにいこうよ 丘越えて
あの子のおうちの花ばたけ
もうじき苺も摘めるとさ
ん~。
メロディーは凄くいいが、
詞は駄作。
「いい日だね」なんて、
詩的ではない。
「かわいいな」も「嬉しいな」も、
私は作詩には絶対に使わない。
ほかの言葉や表現で、
かわいさを出すのがいい。
俳人の夏井いつき先生なら、
赤線を引いて削除するにちがいない。
私は早稲田大学童謡研究会の、
元幹事長だ。
作詞にも作曲にも、
結構、打ち込んだ。
会の初代顧問は西條八十。
1892年生まれ。
会は大正時代の赤い鳥運動の中で始まった。
清水かつらは1898年、
西條の6歳下だった。
だから互いに知っていただろう。
西條八十は清水をどう見ていたのだろうか。
清水作詞の『靴が鳴る』
作曲は弘田龍太郎。
お手つないで野道を行けば
みんな可愛いい小鳥になって
唄をうたえば靴が鳴る
晴れたみ空に靴が鳴る
花をつんではお頭(つむ)にさせば
みんな可愛いいうさぎになって
はねて踊れば靴が鳴る
晴れたみ空に靴が鳴る
ここでも「可愛いい」を連発している。
何度も言うけれどほかの言葉を使って、
「可愛い」を表さねばならない。
小鳥、花、うさぎ。
子どもに迎合している。
子どもの本質がわかっていない。
たとえば西條八十作詞の「かなりや」。
歌を忘れたはカナリヤは
うしろの山にすてましょか
いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
背戸(せど)のこやぶにうめましょか
いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
柳のむちでぶちましょか
いえいえそれはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは
月夜の海に浮かべれば
ぞうげの舟に銀の櫂(かい)
忘れた歌を思い出す
童謡誌『赤い鳥』に、
初めて曲のついた歌として掲載された。
主催者の鈴木三重吉が絶賛した。
八十の「かなりや」には物語がある。
こどもたちにも、
こういったファンタジーを伝えたい。
一方、作曲家の草川信は。
しっかりした歌をつくっている。
その代表的な作品。
「ゆりかごの唄」(北原白秋作詞)
「夕焼小焼」(中村雨紅作詞)
「春のうた」(野口雨情作詞)
「どこかで春が」(百田宗治作詞)
名作ばかりだ。
熱が出るとどうも攻撃的になる。
清水さんばかり非難して、
申し訳ない。
それでも「みどりの日」に、
口をついて出てきたのは、
「みどりのそよかぜ いいひだな♫」
いい歌であることは確かなのだ。
歌はメロディーが大事だ。
しかし詩がジワッと心をつかんで、
長く歌い継がれる。
無理やり商売に結び付けると、
曲という販促で顧客を引き付けても、
詞という店や商品の本質によって、
顧客の心をジワッとつかまねば、
長い繫盛は得られない。
こんなことを書いていたら、
熱が下がってきた。
ありがたい。
〈結城義晴〉























