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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

イタリア紀行【4】~フィレンツェからナポリへ~

2010年08月03日(火曜日)
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  • 旅先からのつれづれ日記
  
1:01 PM

アドリア海に面したベネチアから南下して、
イタリア中央部の都市、フィレンツェへ行くバスの中にいる。
山というより、左右の丘陵では盛んな農業が行われているようだ。
ぶどう畑、モモなどの果樹園、牧草、トウモロコシ、酪農農家もある。
カリフォルニアほど広大ではないが、良く似ている。

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ミラノで見たジプシーの家族(ジプシーはインド系、色は黒い)が
ホテル近くの公園の木の下で、夕涼みをしていた時の光景を思い出した。
子供が泣き叫ぶと、若い母親は木からつり下げた、
子供の入った籠を揺らす、やがて子供泣き止める、
やがて再び泣き叫ぶ、籠を揺らす、子供泣きやむ。
私の母も背中におぶった私を、揺すってあやした。

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今も同じだ、いつも動いていないとつらい。
中学校2年生の音楽の教科書で習った歌が、当時の僕の心を捕えた。
「遠い山の向こうの知らない街へ、いつか馬車に乗って行きたい街よ」
国語では、ヘルマン・ヘッセの詩「山の彼方に空遠く、幸い住むと人に云う」
このフレーズが気に入った。
とにかく、旅に出よう、遠くに行こう。

移動している時はストレスもなく、幸福感に溢れる。
お遍路さんや巡礼は旅の目的意識より、移動そのものが目的だ。
人間の体に血が常に流れているように、人は動いているのが自然だ。
流れが止まると病気になる。
生きること、旅すること、戦うこと、仕事もすべて、動くという同義語。

65万人から155万人(潜在者)の閉じこもり症候群の解決は、
お遍路さん・巡礼をするのがベスト。
高齢者も仕事あった方が望ましいし、流通業者ももっとアメリカに来て欲しい。
そんなことをぼんやりと考えながら、幸福感に満たされた気持ちで、
左右の景色を楽しんでいた。

フィレンツェの街が、一望出来るミケランジェロ広場へ行った。
夕暮れの中世の町が見える。
教会、宮殿、広場、ルネッサンスの街だ。

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夕闇の街はくすんで見えた。
ホテルはアルノ川の脇にあった。
鴨川を思い出し、京都の町のように思えた。
まさに古都の趣、十分である。
アメリカのワイナリーやレストラン、スーパーは、
ここトスカーナ地方の出身者が多く、それにもすごく親しみを感じた。

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翌朝は徒歩で、街の中心に繋がるヴェッキオ橋(京都でいう四条大橋?)を見学。
3つのアーチを持つ、この堅牢な橋は1345年に造られ、
ナチスの爆破から唯一逃れた、由緒あるものだった。

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ウフィッツィ美術館を見るが、美術の教科書や歴史の教科書でみた絵画が
あまりにたくさんあり、驚く。
さすがルネサンス発祥の街、暗いキリストやマリア像だけでなく、
ギリシャ・ローマ時代を思い出させる、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」など、
裸の絵なども多く、救われた。

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中世ヨーロッパ。キリスト教全盛・暗黒の時代がここで終わった。
これらアーティスト、音楽家などのスポンサーには、
金融業で財をなしたメディチ家、フランス、ドイツ・ハプスブルク王室などがいた。

いつの日かトヨタの凋落や、日本繁栄の終わりがくると20年前から言っているが、
日本がかつて体験したことの無い繁栄、世界中の金を集めた時代、
その昭和元禄には、文化遺産は何も残さなかった。
共産主義のソビエトも中国も何も残していない。
日本もトヨタもその意味では、社会主義だったとつくづく思う。

倒産するまでにトヨタ城をつくり、トヨタ美術館を造れ。
そこは世界の美術品を買い漁るのではなく、新しく人を育てて欲しい。
日本の繁栄が続かない理由がなんとなくわかる。工場ならどこでも作れる。
文化創造こそ、日本生き残りの道、その能力は日本にはある。
その試みは今、始まったばかりだ。

しかし、政治家は全員が旧社会党になった。亡国の始まりだ。
空虚な言葉だけの平和、公平、優しさが飛びかう。
富の生産の意識はなく、本気で平和、繁栄を創造する行動哲学はなく、
お経を唱えるだけだ。
彼らは分け前、分配だけが仕事だと思っている。
大学生並みだ。中学生から大学生に変化したことは、喜ぶべきか?
韓国の大統領はなかなか尊敬できる。実業界出身の政治家が欲しい。

夢の街ナポリまでは、ユーロスター・イタリアの新幹線、鉄道の旅だった。

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ローマまで行き、スイッチ・バックしてナポリまで3時間、
時速250km、左右にものすごく揺れ、立って歩けない。日本の新幹線は最高だ。

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昼食はナポリ湾を見る大衆食堂のようなレストランで食事、
ここはあの歌で有名なサンタルチア港だそうだ。
少し失望する。産業中心の港湾施設にしか見えない。

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35℃の炎天下、元気にポンペイ遺跡観光に向かう。

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79年のヴェスヴィオ火山噴火による火山灰で地中に埋もれたポンペイ遺跡。
ただの廃墟としか感じなかった。
中央広場などメキシコのマヤ遺跡に似ているような気がする。
何の接点もないはずだが?

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唯一興味を魅かれたのは、人口1万2000名の街に、
パン屋が14軒、女郎屋が17軒もあった。
「街の人が利用した?」
この質問は新婚さんからひんしゅくを買った。
女性ガイドいわく、利用したのは旅人であり、商人であった。
各部屋の前には、色彩豊かに性行為の体位が描かれていた。

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お互い言葉が解らないので、それを見て、好みの体位を選択する。
これなら言葉はいらない。再びガイドさんに聞く、
「彼女達、奴隷女は避妊をしたのか?それならその方法は??」
商売をするためには必ず、妊娠を避けないと生産性が低くなる。
「間違って子供が出来たらどう処理したか?」
もちろん、彼女は答えれなかった。
あとで調べてみると言うのでメールアドレスを渡す、
もちろん、いまだに返事はない。
塩野七生女史にもこの質問をしたい。これは真面目な質問である。

今日は朝からカプリ島観光だ。

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船にのる。地中海(この辺はティレニア海)に出た。
大学入学時にマンドリンクラブが弾いていた曲が、
「カプリ島」という曲だったような気がし、当時が蘇って来る。軽快な音楽だ。

もう心は最高潮、海は良い、カプリ島に見える高級リゾートの別荘群。

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大型クルーザー、ボート。

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色彩豊かな花々、青い海。

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思わず叫んだ、「今回の旅で今日が最高!」やっと教会・中世から解き放れた。
美しいイタリア女性現地ガイドに、日本語でサンタルチアを歌ってあげた。

「そらにしろきつきのひかり なみをふくそよかぜよ
そらにしろきつきのひかり なみをふくそよかぜよ
かなたしまへ ともよゆかん サンタルチア …」

彼女は感激で目が潤んでいた。
日本語の詞が原詞より素敵だって。

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浅野秀二
8月2日

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イタリア紀行【3】~優雅なベネチアの街~

2010年07月26日(月曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
2:18 PM

昔、メキシコで聞いたガイドの話が印象に残っている。
メキシコ最大の王朝、アステカは
他民族に押され、湖の小さな島に閉じ込められた。
そこに浮島を造ってトウモロコシなど植え、何とか生き残った。
生存が厳しいので、あらゆることに、知恵絞らなければ生きていけなかった。
この試練が彼らを大きく育てた。

塩野七生女史によれば、
紀元5世紀、ゲルマン民族に追われ、
敵が追っかけて来られないような湿地帯の島々に逃げた
ベネチア人(ベニス人)は、住む土地さえ十分なかった。
建物を建てるために、たくさんの杭を打ち、基礎を固め、
家や生活の場はすべて人工的に造った。
もちろん、農業・食料もない。

人は海に出て商いを生活の糧にする。
このような大きなハンディこそが、
工夫・知恵・根性を育て、
1000年のベネチア繁栄を築いた。
土地がないことも、貧しいことも、小数民族であることも、時には幸いする。
国の無かったユダヤ人は、今や、米国を支配している。

さて、私の故郷は、水の都・松江だが、
子供のころから松江は東洋のベニスと言われて、
ベニスの名は幼少の心に記憶がある。
映画や歌、小説、絵ハガキで何度も見た、
あのコンドラ船の優雅なベニスの街についに来た。

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リベリタ橋をバスで越え、フェリーに乗り換えた。
177の島々、400の運河、多くの建物、確かに絵のように美しい。
街は重さで、アドリア海に沈みそうである。
やがて、特に見慣れた建物や教会が見える。

ラスベガスにそっくりである。
なるほど、ラスベガスのベネチアン・ホテルこそ、
この街のコピーかと、あらためて感心する。
ラスベガスには本物と変わらない壮大なコピーがある。

それにしても暑い。
昼ごろには38℃近くにもなった。

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長い行列を待ち、やっとサン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿を見学。

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教会の絵にも宮殿の調度品にもすでに食傷気味。

目を引いたのは、政治犯を収容した牢獄と
十字軍が出兵した後、浮気な女房??にはめた貞操帯であった。

皮と金属で作られた貞操帯には穴が2か所、
前の卵型の穴にはノコギリの歯が周りに付いていた。
これではどんな勇者も委縮してしまうだろう。

それにして非衛生的。
なにより、これをはめて生活する不自由さは計り知れない。
労働をしなければいけない女性には付帯はとても無理だ。
金持ちの騎士の貴婦人のためにあったと想像される。

イタリヤ人の女性ガイドいわく、
夫の出兵が決まると出来るだけ太り、
その体型に合わせて貞操帯を作らせ、
後で激やせし、ズボンのように脱ぎ着して
浮気を楽しんでいた貴婦人もいたとか…?

ここでも人がハンディの克服を知恵で乗り越えた(明らかに言いすぎか?)。
私の知っていた話は、貞操帯を作った職人と浮気し、
カギを手に入れ、本命と何不自由なく逢瀬を楽しんだ人もいたとか…。

いつの世も男と女の世界は変わらない。

そもそもこの極端な形での貞操帯はキリスト教社会、
十字軍の時代にしか見られないのではないか?
少なくとも私は知らない。
古代人は、もともと貞操観念はなかった。
多神教で多くの神々を愛したように、男女も多くの愛を楽しんだ。

一神教が処女崇拝にし、キリスト教社会、イスラム教社会が、貞操観念を強要した。

仏教徒のタイガー・ウッズは
明らかにキリスト教的価値観の犠牲者だ。

確かに女性は子育てというハンディ・キャップもあるが、
金と権力を持つと、男性と同じことをした女傑も、
洋の東西を問わず、たくさん歴史の中にはいる。
いずれにせよ、ここで見た貞操帯の醜さと残酷さは世界史に比類がない。

このようなキリスト社会から来た日本に来た宣教師たちは、
織田信長の時代の日本の風俗に驚愕する。
当時の日本は女色、男色、何でもありだ。

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宮殿から運河の上に位置する渡り廊下(嘆きの廊下)で繋がった牢獄にも
ショックを受ける。
政治犯専用と言う。
塩野七生の本では、今と変わらぬ司法制度のもと、
非常に民主的に統治されていた。
べネチアにもいた政治犯、
一度この廊下を渡ると、二度とシャバには帰れなかった。

その渡り廊下の下は運河で、今では優雅にゴンドラが、
たくさんの観光客を乗せて遊覧している。

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それにしても牢獄は真っ暗。
トイレはなく、もちろん、おまる(便器)を使用した。
当時はベルサイユ宮殿にもトイレはなかった。
貴婦人は宮殿の広間の角で傘なようなスカートの下に
おまるを入れて立って(?)した。
そのためにスカートが広がっていた。

しかし、時には臭いものもある。
お姫様はその匂いに、羞恥心は無かったのか?
だから香水が発展したのか?その程度では匂いは解決しない。
11世紀のスイスの城にはトイレがあった。
それがどうして無くなったのか?
本当に不思議でならない。
ヨーロッパの豪華絢爛の文明にトイレ軽視、納得できない。
いつか調べてみたい。
ご存知の方、教えてください。

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牢獄は当然トイレット・ペーパーも新聞紙もない、
尻をどうやって拭いたか?
さすがに女性ガイドには聞けなかった。
暗闇の牢獄、寒さ、悪臭、まさに生き地獄だ。
裏の歴史の方が興味深い。

ベネチアは、新興国・農業、人口大国のオスマン・トルコと何度も戦争、
フランス王国の侵攻にも耐えて、ナポレオンの時代まで1000年も繁栄した。
地中海貿易で繁栄したベネチアは、アジアの胡椒貿易で莫大な利益が出した。
しかし大航海時代が始まり、
大西洋貿易の時代が来たことで胡椒価格が大暴落し、
国力を落としたことが、ナポレオンに負ける敗因となっている。

21世紀の今、その繁栄の中心は地中海から大西洋、
そして太平洋の時代が来たのだ。
それはアジアの時代だ。
脱亜入欧の歴史を持つ日本は、はたしてこの船に乗り乗れるか?
経済や軍事面より、日本の文化的・ソフト・パワー。
ここでは重要な役割を果たすと考えるべきだ。

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それにしても平和な良い時代だ。
世界中の観光客がベネチアに来ている。
戦争の勝利における繁栄より、平和の配当・繁栄が大きい。
なにより、こうして世界の料理を食べ、世界の人と仲良くすることは、本当に楽しい。
ツアーの仲間には5組の新婚さんがいた。
皆可愛くて、素敵なカップルだった。
日本の若者は優しくて、親切で好感が持てる。
彼らに未来あれと心で祈った。

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浅野秀二
7月25日

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イタリア紀行【2】~ミラノと『ロミオとジュリエット』~

2010年07月21日(水曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
1:02 PM

夕べはロスト・バゲージ(荷物行方不明)で、
着の身着のままと言うより、ほとんど裸で寝た。
今日も朝から30℃近い温度だ、ミラノの夏は暑い。

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緊急の歯ブラシで歯は磨いたが、髭は剃れない。
旅行中、髭を伸ばしてみたい衝動に駆られる。
昨日中国人の店で買った安物(7ユーロ)の服を着てみる。
冴えないが、仕方がない。

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スフォルツェスコ城に向かう。

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ライセンスを持つが、日本語の解らないイタリア人ガイドと
日本人ガイドのペアが待っていた。イタリア人は何もしない。
何もしないで金をもらっているイタリア人を哀れに思った。

城はミラノ公国の要塞、レオナルド・ダ・ヴィンチも建築に加わったという。

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あの教科書に載っているダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵のある、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は隣だ。

目を惹いたのは、荘厳なるゴシック建築の数百の尖塔を持つ、ミラノのドゥオーモ。
14世紀後半に建築を初め、19世紀のナポレオンが完成させた。気の長い話だ。

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今歴史の中にいるという感覚にあるが、
美・博物館や教会の見学では、
私の好奇心は2時間も持たない。
私は構造物に興味はあまりないようだ。

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一番楽しかった旅行は、何もない草原のモンゴルであった。
何もない方が、想像力が豊かになり、楽しい。
教科書どおりの案内ではないストーリーが聞きたい。

とにかく服がないので、1877年完成したというアーチ型ガラス天井のアーケード、
スカラザ広場にある、H&Mで買い物をする。

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多くはメイド・イン・チャイナだが、さすがデザインが違う、満足した。

街は伝統に満ち溢れ、優雅で良い雰囲気、日本人もアメリカ人も好きそうだ。

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ガイドさんの言うミラノ人、ベネチア人、ナポリ人のニュアンスが解らない。
ガイドさんに聞く。
「それは関西人、関東人、九州人のニュアンスなのか?
それとも現代の島根県人、神奈川県人の違い?
あるいは、幕末の薩摩、長州、土佐人? 」
どうも、そのどれでもない様だ。

紀元476年西ローマ帝国滅亡後、イタリアは諸侯に分かれていて、
イタリア国は1870年にエマヌエーレ2世によって統一された。
その間1400年、フランス、スペイン、ドイツ(ハプス・ブルグ王朝)
などに征服された、波乱の歴史があった。
イタリアは非常に新しい国だった。

日本のように、1500年以上も昔から同じ日本人で同じ土地に
生きてきた国とはわけが違う。
これらの都市は言葉も法律も違う外国だったのか?

ドイツも17世紀には300諸侯、19世紀でも40諸侯あった。
同じころ、1871年、ビスマルクがドイツを統一した。

さて、西ローマ帝国では、フン族に追われたゲルマン民族が平和裏に侵入、
傭兵などで雇われ、その後、彼らは反乱を起こし、
あの歴史上存在したことがない、最強国家ロ―マ帝国を滅した。

日本のような民族意識の薄い国は、
中国からの観光客と、留学生、投資で、20年以内に飲みこまれる。
バカ安い日本の山林は中国に買収され、都会では中国人の家主に
日本人が家賃を払って住む、20年以内にそんな時代が来るかも?
(アメリカの大学で博士号を取る中国人は、年間4400名以上。
対し、日本人は222名。中国は世界人脈を作って、巨大な投資大国になる。
西ローマ帝国ことを知ると、また日本のことが気にかかる…)

歴史の勉強は大切だ。薄っぺらな善意では国際社会では生き残れない。

ベネチアにバスで行く途中、シェイクスピアの小説、
『ロミオとジュリエット』の、ジュリエットの家を訪問した。

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これは実話にもとづいた話で、お互い両家は敵対関係にあったらしい。
彼女の部屋は非常に高い所にあり、驚いた。

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私が若い時は、彼らはプラトニック・ラブだと思っていたが、
今はそうとは思えない。身も心も汚れてしまった自分がいる。
たくさんの観光客が世界中から来ていた。
一冊の小説がこの田舎町に賑わいをもたらした。
いかなる産業より、継続した繁栄である。
ソフトパワー、たった一つの物語なのだ。ハードの力ではない。
シェイクスピアが日本にも必要だ。

映画のジュリエット役、オリビア・ハッセー。
布施明は彼女と結婚したが、ローマであったガイドさんは彼女にそっくりで、
エレガント、はにかみ屋で、優しそうなイタリア女性であった。
名前はアンジェラ、素敵な笑顔だ。

100721_angela.jpg

これからベネチアに移動、バスの中から景色を見ながら走るのが一番楽しい。

浅野秀二
7月20日

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