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アメリカ流通 浅野秀二のアメリカ寄稿

浅野秀二のアメリカ寄稿

盛和塾・ホノルル開塾式

2010年01月27日(水曜日)
カテゴリー:
  • アメリカからのメッセージ
  
11:46 AM

2010年のフォーチュン雑誌2月号で、
アメリカで最も働きたい会社の上位にあがった小売業・スーパー・外食産業は、
ウェグマンズが3位、
ナゲット5位、
ホール・フーズ18位、
コンテナー・ショップ36位、
ノード・ストラム53位、
スチュー・レオナルド64位、
メンズ・ウエア68位、
パブリックス86位、
スター・バックス93位となっている。

これらに共通する考え方・マネジメント哲学は、
社員を幸福にすれば、客も幸せになり、
事業が成功するという不動のフィロソフィである。

成功するアメリカの小売業を勉強するうちに、
いつものことだが、日米経営比較をしていた。

やがて稲盛・京セラ・フィロソフィに日米の共通点を見出した。

もともと京都での学生時代のアルバイトで、
松下幸之助のPHPの雑誌を、日本写真印刷で印刷をしていた。

休憩時間はその雑誌を貪るように読んだ。
吸い込まれるように私の若い頭脳に、
PHP: Peace and Happiness through Prosperity,
物心両面の繁栄により、平和と幸福を追求する理想が刻み込まれた。

3年ほど前にシリコンバレーで、京セラ哲学、稲盛経営を学ぶ、
盛和塾を仲間と立ち上げに参加した。

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この度、ホノルルで仲間達が、
ホノルルであたらしい勉強会『ホノルル塾』をつくり、
稲盛塾長を招いて盛大に開塾式が行われた。
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日ごろ出張が多く、勉強会に参加出来ていない私にはタイミング良く時間があった。
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「ハワイ?! ワイキキでビキニのねーちゃんでも見に行こう」
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このような不心得ものは、塾生には、誰か(?)を除けば、いない。

盛和塾は
・「動機善なりや、私心なかりしか」
・人生・仕事の結果は、考え方×情熱×能力
・利他行(他人に利益をあげること)を利己(否定はしない)より優先
・全社員を物心両面の幸福を追求し、社会の進歩・発展に貢献する
・共生、共存を大切にする
・京セラ会計、アメ―バ経営
などを核とする勉強塾である。

今、海外塾はアメリカ、ブラジル、中国などにあるが、
中国では稲盛塾長の本がベスト・セラーになっている。

私欲が強い商売の民、中国人がこの哲学を学ぶ… 
実は考えただけで正直おそろしい。
彼らの能力と情熱に×考え方(正しい)が、もし加わったら、
世界最強・超経営大国間違いなしだ。

アメリカや欧州キリスト教徒の国と
日本しか受け入れられなかった経営哲学が
やがて世界を席巻するか?

日本の塾生の中には、稲盛経営学・フィロソフィが
海外で通用するか、興味を持つ人がいるか、
海外で受け入れられる可能性はあるかと考える人がいるが、
私はそれは疑問の余地はないと考えている。
私にはウェグマンズや、ホール・フーズの経営・根本哲学・フィロソフィが
稲盛哲学と大きく異なっているとは思えないのである。

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稲盛京セラ創業者は、この度日本航空CEOに就任される。
世界で通用する、日本発の経営が、その真価を問われる日が間もなく来る。
我々は塾長から直に話を聞く機会があった。

「必ず、世のため、人のため、
京セラ・フィロソフィを、

とことん新生・日本航空で説き続ければ、再生は可能である。」

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稲盛塾長は1月21日、ハワイで78歳になられた。

誰も出来なかった日航立て直しを、
再生・日航会長の重責にこれから挑戦されるわけである。
この闘魂こそ、盛和塾の根本精神でもある。

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それには、もちろん、私のような不心得者(?)が
日本航空にいないことが、前提であることは、言うまでもない。
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浅野秀二
1月25日

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《Vol.4》 ドニューブ川クルーズ・最終回

2010年01月25日(月曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
11:05 AM

ウイーンで大晦日を迎えた船は、
ドナウ川の年越し花火に別れをつげ、下流・ハンガリーへ向かった。

半日後、午後1時30分、「甲板に出ろ」との船内アナウンスがあった。
プダペストに近づいたらしい。幸い、青空が見えている。
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厳冬のヨーロッパと聞いてきたが、
小雪に降られたのは今までの行程で数時間、順調な旅である。
京都の冬もシーズン・オフこそ情緒があって好きだが、
古い都のウイーン、またブダペストも冬が似合う。

突然、蜃気楼のように、川岸に荘厳な宮殿が見えた。国会議事堂らしい。
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反対の丘の上には、世界遺産のブダ城、マーチャーシュ聖堂、
アンドラシー道路など数々の世界遺産がある。
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2000年の東西文明の争いの中心地、
イスラム教とキリスト文明、アジア遊牧文化との融合の町。
プダペスト(200万人の都、ハンガリーの総人口は1700万人)の文化遺産に圧倒される。
マルコ・ポーロの歩いた道でもある。
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彼らはマジャール人、自分たちはアジア人と云う。
(フィン族の末裔、フィンランド、スペインのバスク人と同じ人種)
このあたりには古くはケルト族が住んでいた。

その後、ローマ帝国、フィン族、モンゴル族、トルコ族、
近代はドイツ系のハクスブルグ家などの血が混じって、今では白人系が多い。

大学で世界の美術史をとったことがある。
先生はハンガリー人、彼は私が日本人と知って、話しかけてきた。
「君と僕の先祖は同じだよ。日本語でWaterは何という。」
「水」 
「そうだろ。わが国でもMIZOO(?)と言う」 
同じだ。
「私の知っているだけでも30単語は、ハンガリー語と日本語は似ている。」
お陰で成績はAだった。
それ以来、ハンガリー・ファンであった。
 
 
翌日はチェコから分かれ、スロバキヤの都、ブラチスラヴァ市。
人口45万人この国の総人口は300万人。
ここで初めて元・共産国の貧しさを感じた。

町は中世そのもので、中心地には日本大使館があった。
その前には寿司屋がある。
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タイム・スリップした感のあるこの町では、大使館員が毎日寿司を食うのか?
その程度の楽しみは許されるだろう。

2時間余りの、おもちゃのような電車と徒歩で観光で、体はすっかり冷え込んだ。
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この旅初めての寒さ、風が冷たい。

船に帰って、ラウンジでオト―氏のエレクトーンを聞く。
これが彼と最後の時間だ。
優雅でロマンチックな音楽でした。旅の思い出に彼のCDを4枚買った。
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数千年の異民族、異教徒間の戦乱の歴史をくぐり抜けてきたヨーロッパが、
近代において力をもったことは当然のことのように思えた。
戦争を繰り返し、勝利者こそ時代にあった、
生存に最適なものを手にして来た。

力をもった国は必ず、隣国に影響を及ぼそうとする。
新興国が勃興する時に、戦争は始まる。
かつてスペインの無敵艦隊に挑んだ新興国家イギリス。
しかし第1次・第2次世界大戦の時は、
世界帝国イギリスに対する、新興勢力のドイツの挑戦であった。
大日本帝国とて例外ではなかった。

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新興巨人、中国は近隣諸国に向かって必ず膨張する。
国民のエネルギーを政府は押さえきれない。
恐怖のみが、彼らを思いとどまらす。
アメリカの核のはたす役割や、インドの核開発の動機だ。
軍事的に冒険は出来なくても、政治・経済的に世界の覇権国家になる。

中国とどのようにお付き合いしていくのか?
世界中が難しい選択を迫られている。

共生や共存は美しい言葉だが、
歴史的にみれば、それは征服された後の話だった。
しかし、それだけならEU設立の意義はない。

人類は平和の裏に国家の連邦制を計ろうとしている。

140年の歴史の中で独仏は5回の戦争をした。
EUはこの教訓を生かした。
この実験を成功させないと人類に未来はない。

競争相手の店が駄目になり、消えたからといって、
自分の店が良くなったわけではないと同じように。
自民党の政治がダメだった
。だから民主党に期待した。そのようにはならない。
与党がダメなら、野党もダメになる。
それが道理だ。

中国、韓国、台湾、アジア諸国も、強い日本があったから躍進した。
次は我々が彼らから学ぶ時だ。
政治のみならず、事業も競争相手がいるからこそ、自分も磨かれる。
強い国になればこそ、弱者に配慮した政治も出来る。

企業は繁栄しないと社員に愛を全う出来ない。
人材教育こそ生き残りの道、そんな気がしている。
海外研修も大切だ。
知識、行動力、根性、そうだあの時代錯誤の根性のことだ。
「地獄の特訓」ではない、米国の企業社会に、
日本の経営者の2世、3世を投げ込む、研修ブログラムを考えている。

大河ドナウ川ともお別れ。
「春の声、Voices of Spring」
燃える春のエネルギーが欲しい。
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浅野秀二
1月22日

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《Vol.3》 ドニューブ川クルーズ

2010年01月15日(金曜日)
カテゴリー:
  • 旅先からのつれづれ日記
  
2:18 PM

中部ヨーロッパの歴史、音楽、芸術も、ほとんど興味なかった。
ザルツブルグの出身であるモ―ツアルトの勉強会があったが、寝てしまった。
 
 
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このドナウ川より北は、ローマ時代以来、蛮族の住む地。その程度の知識であった。
唯一興味をそそったのは、日の沈まぬ帝国と言われ、スペイン帝国を支配下に置き、
結果として、中南米まで支配したオーストリア・ハンガリー帝国のハプスブルグ家だ。
16人の子供を産んだマリア・テルジア女王の末娘、
マリー・アントワネットは、フランスのルイ16世と結婚した。市民革命後、ギロチンで殺された。
テルジア女王は、小説・マンガの世界では有名な男好きとして知られている。
 
 
4日目は1000年の歴史を持つ、オーストリアのメルクの修道院を訪問した。
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バロック建築の宮殿のような大建築である。
1089年以来、常に修行僧が生活をしてきた場所である。
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ドレスダンの港に行き、ワチョワの田舎町の教会でオルガンを聞き、
散歩して帰ったが、途中でコンビニのような小型のスーパーがあった。
家族経営らしく、2人の娘がお手伝いをしていた。
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キャッシャーにいる小学生の娘が可愛いかったので買い物をして、
6名しか座れないイート・イン・コーナーでコーラを飲んだ。
小さな家族が力を合わせて仕事をする、これが本当の幸福だ。
家族や人のために働く、これこそ至福、彼女たちは大人になって、
この時の幸福な日々をいつか思い出すだろう。
 
 
12月31日、4日目、夜中に船でヴィエナ(ウイーン市)に到着した。
オーストリアの首都で、人口は約120万人である。(オーストリアは人口800万人)
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かつてカール大帝がアジャール人(アジア系)を追い出した後、
ドイツ人が入植し、その後、ハンガリー系・アジア系が住んでいた。
しかしそれを再びオット―大帝が追い出し、その後は神聖ローマ帝国になった。
ローマ帝国が滅びた後は、貴族バーベン・ベルガ―家となり、
その後をハプスブルグ家が治めた。
彼らは神聖ローマ帝国の後継者と名乗った。
13世紀モンゴル帝国はハンガリーまで侵入・支配するが、ハプスブルグ家は無事であった。
最初の国王フリードリッヒ3世は、聖ステファン教会に祭られている。
教会には135メートルと162メートルの2つの塔がそびえている。
彼の息子、マキシミリアン王は大変賢明であった。
「争いは他の者がやれば良い、あー、幸福なオーストリア人」と言って、
政略結婚などで、ハクスブルグ家をヨーロッパの有力、強豪王家となしたのである。

その後、オスマン・トルコが2度にわたり、ウイーンを攻めるが、勝利は得られず、退却。
ハプスブルグ家は戦勝国として南東ヨーロッパへ勢力を拡大していった。
18世紀に入ると、音楽の中心地となり、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、
シュ―ベルト、ブラームスなどが住んでいた。
しかし、この帝国も第一次世界大戦で滅びることになった。
 
 
12月31日、ウイーンの町の賑わいは、
2010年が好況の時代を迎えることを意味しているように思えた。
多くの買い物客でたいへんな賑わいである。
聖ステファン教会から、王宮(ホール・ブルグ)、国会議事堂、市役所、
国立オペラ座まで、人、人の波である。
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王宮から100メートルくらいの繁華街にある、高級スーパー、Julius Meinlに入った。
入口は洒落たペイストリー。
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左へ行くとかなり広いイート・イン・コーナー(カフェ)があり、
2階には、本格的なレストランもあった。

15年度ほど前に話題になったサンマテオ市のドレガ―と非常に似ている。
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青果売り場はどこもカラフルで陳列が洗練されている。
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魚売り場の横にはバ―のように丸いテーブルの立ち席、
酒の肴にワインを多くの人が飲んでいる。
これもホール・フーズ本店が取り入れている。

エレべ―ターが透明なガラスになっているのは、これは見たことがない。
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高級感がある、気にいった。

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大晦日の夜はウイーンでコンサート、ヨハン・シュトラウスとモーツァルトの音楽会だ。
と言っても、観客全員がタキシードにドレスと言うわけではない。
カジュアルな音楽会だ。
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2曲目にヨハン・シュトラウスの「ヴォイス オブ スプリング:春の声」が演奏された。
中学の時、放課後の掃除時間に、いつもこの曲が流れていた。
私、これを聞くとご機嫌になり、掃除をしながら、左手に箒を持ち、
1,2,3  1,2,3… とワルツを踊る真似をしたものだ。
私を踊らす、この魔法のミュージックの曲名を、友人に尋ねた。
「Voices of Spring」、いい響きだった。あれ以来、一生忘れない名曲となった。
それを本場ウイーンで50年ぶりに生で聞く事が出来た。感深い夕べになった。

ヨハン・シュトラウス亡きあと150年後に欧州のはるか彼方、
アジアの日本の田舎で、少年が箒を片手にワルツを踊っている姿や、
その少年がその45年後、ウィーンの都で彼の曲に感動の涙を流している姿など、
想像もし得なかったであろう。

バイオリニストはアスリートのように体を使い、叩きつけるようにバイオリンを弾いた。
しかも優雅に、春の喜びが、エネルギーが溢れていた。
男女ペアのダンサーがワルツを披露、テノール歌手とソプラノ歌手の共演。
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壁のように迫るテノールの声、その壁を鋭く突き破るソプラノの声。
酒に酔ったフリをして、お互いどちらが、主役か争うしぐさを見せ、観客を笑わせる。
このエンターテインメントに大いに沸いた、拍手喝さい。

それにしても、男性歌手は良い男だった。
にやけた2枚目、背も高く、女殺しの笑顔と美声。
もし私が彼だったら、野暮で修羅場の政治や経済にも興味は持たず、
ワインと美女、音楽と踊りで必ず身を持ち崩したに違いない。
人間は何が幸いするか解らない。凡人で良かった。

コンサートは、その他、モーツァルトのピアノ・ソナタ、フィガロの結婚、魔笛や、
ヨハン・シュトワルツの美しき青きドナウ川、エジプト行進など、1時間半で終わった。
 
 
100114_sunset.jpg
 
12時過ぎドナウ川の港は新年を迎える花火が川の両サイドからあがった。
2009年、大晦日良い夢を見せてもらった。

1月15日
浅野秀二

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