長崎原爆の日の「世界最後の原子野たらしめたまえ」

「怒りの広島」
「祈りの長崎」
長崎原爆の日は8月9日。
午前11時2分に黙祷。
平和祈念式典では、
鈴木史朗市長が平和宣言をした。
長崎で被爆した93歳の西岡洋さんが、
被爆者を代表して「平和への誓い」を述べた。
そのあと、石破茂総理のスピーチ。
最後に、長崎医科大学で被爆した、
故・永井隆博士の言葉を引用した。
「ねがわくば、
この浦上をして
世界最後の
原子野たらしめたまえ」
永井隆さんは、
島根県松江市出身の医学者。
1908年に生まれ、
1951年に亡くなった。
長崎医科大学を卒業し、
同大学物理的療法科部長に就任、
1945年8月9日に大学病院本館で被爆。
右側頭動脈切断の重傷を負った。
それでも被爆者の救護活動に従事した。
1946年7月、長崎駅頭で倒れ、病床に就く。
48年3月からたった二畳の如己堂(にょこどう)で、
愛児二人と生活した。
同年4月『この子を残して』を書き始める。
被爆の直前、瞬間、直後、その後の情景が、
丁寧に描写されている。
石破総理の引用は、
この『長崎の鐘』の最後の部分からのものだ。
「カーン、カーン、カーン」
「澄みきった音が平和を祝福してつたわってくる。
事変以来長いこと
鳴らすことを禁じられた鐘だったが、
もう二度と鳴らずの鐘となることがないように、
世界の終わりのその日の朝まで
平和の響きを伝えるように、
『カーン、カーン、カーン』とまた鳴る」
「人類よ、戦争を計画してくれるな。
原子爆弾というものがある故に、
戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。
「原子野に泣く浦上人は、
世界に向かって叫ぶ。
戦争をやめよ。
ただ愛の掟に従って相互に協商せよ」
「浦上人は灰の中に伏して神に祈る。
ねがわくば、この浦上をして
世界最後の原子野たらしめたまえと。
鐘はまだ鳴っている」
『この子を残して』から。
永井さんの子どもたちにもらした言葉。
「いわしから先に食うか?
大根からにするか?
よい物から先に手をつけろ!
いつ死ぬかわからんから……」
切ない。
「友を選ぶならいちばん善い人を選べ。
そしていちばん悪い人も加えろ。
教えられる」
「こうして寝てばかりいると、
縦のものを横にして見て暮らすわけだが、
たまに座って眺めるまともな世間も
美しいものヨ」
そんな風に世間が見えてくる。
「一流になる見込みのないことに手を出すな!
手を出したら一流になるまでやれ!」
これはドラッカーと同じ。
「節約すべきは金ではない。
時間と労力よ」
私たちの仕事も同じ。
「科学とは真理に恋することさ」
科学者の心。
私たちの心構えは、
仕事に恋することさ。
「肉体の苦痛なんて他愛ないものよ。
我慢すりゃしのげる、死んだら止まる。
霊魂の苦痛は、とても、
自分の力だけでは、なおらぬ。
おまけに死んだって消えない」
永井隆博士は43歳で永眠した。
合掌。