俵万智の「よっこらしょっ」と不破哲三の「すべて理論で説明できる」

三が日までは年賀状でご挨拶。
おめでとうございます。

1月2日はエポックとなる日。
箱根駅伝がスリリングに展開されている。
早稲田がことのほか頑張った。
青山学院が劇的な逆転で往路優勝。
会社の年賀状はこのホームページにかえた。
facebookやLINEにも、
年賀状の画像を入れてご挨拶。
それ以外に個人的にも、
自宅から手づくりの別の年賀ハガキを送る。

こちらには個人の情報も入れる。
会社は年賀状を廃止したが、
個人は続けている。
さて、朝日新聞「折々のことば」
編著者は鷲田清一さん。
凄くいいコラム。
今年もブログを書くときにお世話になる。
以前は「折々のうた」の連載があった。
大岡信さんが1979年1月25日から、
2007年3月31日まで続けた。
短歌、俳句、漢詩、川柳、
それから近現代詩、歌謡などから、
毎日一篇をとりあげて、
簡潔な解説が行われた。
そのあとを受けた「折々のことば」
素晴らしい。
元旦の第3554回。
六十歳の肉体とともに
起きる朝よっこらしょって
なんか可愛い
〈俵万智〉
「歌人は年明けの朝も
こうして起き上がったか。
自身の体とのつきあいは、
塗(まみ)れ、呑(の)み込まれるものから、
引きずるものを経て、
やがて人生の相棒のように
僅(わず)かに距離をおいて
愛(いと)しく見やるものへと移ろいゆく」
「そのように身も軽くなり、
ついでに荷も少しずつ下ろしてゆければ、
歳(とし)を重ねるごとに
老いも愉(たの)しめるようになろうか」
〈「短歌研究」1・2月号 連作「気配」から〉

俵万智さんは、
1962年12月31日生まれ、
63歳。
神奈川県立橋本高等学校の国語教員のとき、
1987年の第一歌集『サラダ記念日』がブレイク。
この正月も「よっこらしょ」と起きたのか。
それもいい。
私は目覚めたらすぐに、
ベッドの上で、
3種類のストレッチをする。
だから「よっこらしょ」はない。
だから「なんか可愛い」でもない。
しかし僅かに距離をおいて、
愛しく見やるものへと移ろってゆく感じはする。
昨年の暮れに、
不破哲三さんが亡くなった。
12月30日午後1時20分、95歳の大往生。
共産党前議長。
「不破哲三」はペンネームで、
本名は上田建二郎。
兄は故上田耕一郎さん。
不破さんは1970年、
故宮本顕治委員長の就任に伴って、
40歳の若さで書記局長に抜擢された。
「共産党のプリンス」と言われた。
1982年に日本共産党委員長に就任、
2000~2006年には党議長を務めた。
1969年に衆院選初当選、
2003年に議員を引退。
11期務めた。
その11期の間に18人の首相と向き合った。
61代佐藤栄作首相から87代小泉純一郎首相まで。
そしてそのほとんどの総理と論戦した。
朝日新聞。
「私はね、新首相への最初の質問では
先の大戦が侵略戦争だったかどうか、
その認識を問うことにしているんだ」
「国際的に侵略であるという、
厳しい批判を受けている」
と初めて認めたのは、
故中曽根康弘首相だった。
「共産党の理論的支柱」
2004年には43年ぶりに、
党綱領全面改定を主導した。
天皇制や自衛隊を「当面容認」し、
「柔軟路線」を推進した。
しかし今、自民党をはじめとして、
「党の理論的支柱」となっている政治家は、
いるのだろうか。
今の若い人たちは、
「共産党」というだけで、
違和感を感じるかもしれない。
私の高校時代や大学時代には、
早熟の級友たちは「民青」とつながっていた。
「日本民主青年同盟」の略で、
日本共産党の下部組織だ。
早稲田でも法学部は民青の根城だった。
1972年の川口大三郎事件の時には、
私も反革マル派として活動したが、
ほとんどのセクトが玉石混交だった。
私は「一般学生」で、
民青の連中とも一線を引いていた。
このときにいろいろな人間を見た。
日経新聞が紹介した不破さんの言葉。
「政治状況はすべて理論で説明できる」
凄い自信だ。
私もこう言えるようになりたい。
「流通の状況はすべて理論で説明できる」
ご冥福を祈ろう。
〈結城義晴〉
































