七夕。

東京・赤坂。
ホテルニューオータニ。
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小川賢太郎さんのお別れの会。
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㈱ゼンショーホールディングス代表取締役会長、
国民生活産業・消費者団体連合会名誉会長。

4月6日、77歳のご逝去。
ほんとうに惜しかった。
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白いカーネーションを献花して、
両手を合わせた。

その時、思った。
小川さんは逝き急いでいた。

実に頭のいい人で、
凄い勉強もした。

だから理屈はすべて了解していた。
それでいて武闘派でもあった。
だから「体力、気力、知力」を謳い、
自ら実践した。

小川賢太郎の一生は、
ゼンショーサポーターズクラブ会報誌に詳しい。
[ZENSHO Vision]vol47特別号。
「創業者 小川賢太郎」
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表紙は小川さんが愛用していたシステム手帳。

多くの人に、ご一読をお薦めする。

生まれは石川県羽昨。
1948年、私より4歳年上。
団塊の世代。

小川一家は東京に移り、代々木に住む。
賢太郎さんは新宿高校から東京大学へ。

しかし全学連運動にのめり込んで、
挙句、大学を自主退学。

それでも社会主義革命によって、
日本社会の変革を志した。

そこで港湾労働者の組織化を意図して、
1973年、横浜の港湾会社に入る。

その後、1977年、吉野家に転職し、
経営企画次長となるも、
1980年7月、会社更生法を適用。

小川さんは1982年6月、
横浜市鶴見区で㈱ゼンショーを設立。
資本金は500万円。

弁当店「ランチボックス」と、
牛丼専門店「すき家」1号店を開業。

弁当店は失敗。
牛丼は成功。

そこでまずは牛丼一本鎗。

一方、吉野家は1983年、
セゾングループ傘下で再スタート。

アルバイトから上がった阿部修仁さんが、
1992年に42歳で社長に抜擢されて、
再建に勤しむ。

以来22年間、経営トップの職を全うし、
「ミスター牛丼」と呼ばれた。

2003年、アメリカのBSE問題勃発。
米国産牛肉は輸入禁止となる。
阿部さんは「別のテイストの牛丼になる」と、
米国産牛肉に固執して、
2004年2月11日から牛丼の発売を停止。

小川さんは素早く豪州産牛肉に対して、
Verticalな取り組みをして、
牛丼を継続販売した。

吉野家は2008年に、
牛丼の24時間販売を再開。

ここですき家と吉野家が逆転した。

2008年にすき家の店舗数1087店舗、
吉野家1077店舗。

吉野家は吉野家らしかった。
それでいい。

小川さんは次々にM&Aを展開し、
2011年には外食業界売上首位を達成。
日本マクドナルドホールディングスを抜いた。

世界戦略も進む。

2026年3月期連結業績は、
売上高
1兆2641億円(前年同期比11.2%増)、
営業利益814億円
(同8.4%増)。
見事な増収増益。

この決算で、
グローバルすき家の売上高3144億円、
一方、グローバルはま寿司3202億円。

逆転した。

小川賢太郎、
負けん気の塊のような人だった。

若いころ、社会主義革命を志したから、
政治にも強い関心を持った。

2017年1月、生団連会長となると、
与党に対して睨みを利かせた。

2024年6月、次男の小川洋平氏が、
代表取締役社長兼CEOとなった。

洋平氏は父と同じく東大を出て、
財務省に籍を置き、
そのあとゼンショーに入った。

後継指名をしてから、
1年後に小川賢太郎さんは逝った。
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月刊商人舎で二度、
対談をした。

最初は2018年8月号。
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それまで話をしたこともなかった。

小川さんが生団連の会長に就任して、
そのタイミングをとらえて、
「ポリティカル・マーチャント」を特集した。

一瞬で意気投合した。ogawa_20180810_03

対談のタイトルは、
小川賢太郎の「檄」

冒頭で小川さんが言った。
小川 挑戦的な特集内容ですね。」

その対談の「結城義晴の述懐」を再録しよう。

――立て板に水のごとく、正論を吐く。事実や情報、世界観や歴史観がふんだんに盛り込まれて、小川賢太郎の正論は疾走する。

しかしその正論は、いわゆる大上段振りかぶり型の正論ではない。だから「集団思考」には、絶対に陥らない正論である。突き詰めれば、普通の生活者の視点からの正論である。
(中略)
㈱ゼンショーホールディングスは吸収合併や経営統合によって、日本最大のフードサービス業に成長してきた。その経営については今回、一切、聞かなかった。しかし、小川賢太郎が掲げる企業理念「世界から飢餓と貧困を撲滅する」は、まったく独自の正論中の正論である。経営に関しても、小川賢太郎の正論は貫かれている。だからどこよりもM&Aの成果を享受し、他の追随を許さない模倣困難性のマネジメントを実現させてきたのだろう。

ずっとずっと昔の若いころ。激しいデモに参加したことがある。デモ隊の中で、必死の思いで「権力」に立ち向かって踏ん張っていると、周りの人間がいつの間にかいなくなって、私はデモの先頭に一人、立ち尽くしていた。

ポリティカル・マーチャントにはそんな瞬間が訪れる。そのときにも小川賢太郎は「正論」という、実は柔軟な盾をもって、一人立ち向かうに違いない。「正論」の矛と盾による「この指とまれ」の精神こそが、ポストモダンの社会にダイナミズムを生み出す原動力となるものだ――。

七夕の日、合掌して、
ご冥福を祈った。

〈結城義晴〉

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