「リベラルアーツ」はポピュリズムを寄せつけない。

「リベラルアーツ」という言葉が、
最近は何度も頭に浮かんでくる。
㈱商業界社長を辞して、
翌年から学校法人立教学院から給料をもらった。
ビジネスデザイン研究科の特任教授となったからだ。
リベラルアーツは一般的には、
「教養」と訳される。
立教は「専門性に立つ教養人」と表現する。
「専門という確かな軸をもった上で、
さまざまな学びの分野に触れ、
広く深い視野と多面的かつ
柔軟なものの見方を養う」
中学と高校の時代、
私が通った一貫教育の学校も、
それを重視する校風だった。
私はそう認識している。
リベラルアーツの教育を受けて、
とても良かったと思う。
大学でも1年・2年の教養課程は、
リベラルアーツのカリキュラムだ。
これも良かった。
さまざまな領域を学んだ。
自分で教科をチョイスする。
理系では数学3とコンピュータを選んだ。
数3で微分と積分を教わった。
面白かった。
早稲田キャンパス9号館の高層ビルの、
地下1階と2階が一つのコンピュータだった。
パンチ式の巨大なコンピュータで、
言語はフォートランを使った。
体育では1年次にフェンシング、
2年次でボクシングを選んだ。
これも私には良かった。
ただしピーター・ドラッカーは、
「Knowledge worker」をこう表現する。
「夕食に招く客には教養のある人がよい。
だが、砂漠では教養のある人はいらない。
何かのやり方を知っている人がよい」
「マーク・トウェインが、
1889年に書いた小説の主人公、
コネティカット出身のヤンキーは
教養ある人間ではなかった。
ラテン語もギリシャ語も知らず、
シェイクスピアを読んだこともなく、
『聖書』もほとんど顧みなかった」
ドラッカーは言う。
「しかし彼は、機械のことなら、
電気を起こすことから電話機をつくることまで、
すべて知っていた」
私はここから「知識商人」と言う概念を考えた。
商売のこと、商品のこと、
お客様のこと、地域のこと。
これらを誰よりもよく知っている専門家。
それが、知識社会の「知識商人」だ。
そして、
その専門知識に応じた専門技術を身につけ、
お客様のために動くことができる。
実行することができる。
それが「知識商人」である。
トウェインの小説は、
古き良き時代だった。
このヤンキーたちが今、
「アメリカ・ファースト」に凝り固まっているのか。
いや、「Knowledge worker」たちは、
まだまだカスタマーの役に立って、
そのカスタマーには公平公正に対応しているに違いない。
真の知識商人は、
自分の顧客を見失ってはいないだろう。
仕事こそリベラルアーツだからである。
政治家がさまざまなことを考え、
さまざまなことを言う。
さまざまな思想をもっている。
選挙のときにはそれが凝縮されて表現される。
時には正当な知識を逸脱していたりする。
それが最近は実に多い。
その明らかな間違いは、
「Knowledge worker」にはわかるのだろう。
朝日新聞「折々のことば」
第3446回。
いかなる名目も、
武器をとってもかまわない
名目とはならない。
(金子光晴『日本人について』から)
「人は神の名において戦い、
自由の名において殺しあってきた」
「『理想』を名目に無慈悲に犠牲を求め、
平気で人を見殺しにすらする」
「『理想』は本来『夢みるもの』で、
教育や政治に手渡されると
かならずや悲惨な事態を招く」
「現実の中に差し込まれたそれは
人々を熱情で包み込む。
いったん洪水になってしまえば止(とど)めようがない」
世界を放浪して無国籍者の視野を獲得した。
そして反権力、反戦の詩を多く残した。
詩人の視点のなかにも、
リベラルアーツは含まれている。
映画007シリーズ/ドクター・ノオに、
なんの教育も受けていない美女が登場する。
「私は百科事典から全てを学んだの。
8才の時、Aからはじめて、今はTよ。
たぶんあなたより物知りよ」
これもリベラルアーツの一つだ。
それは単に「お勉強」ができることではない。
いわゆるエリートではない。
世界を放浪したり、
他国の商売を見たりすることも、
人間形成に資する。
なにより自分の仕事に真摯に向き合う。
リベラルアーツは、
ポピュリズムに踊らされないのだ。
ポピュリズムを寄せつけないのだ。
〈結城義晴〉