大森壮蔵の「物と心」とマザー・テレサの「思考に気をつけよ」

台風15号、ペイパー。
各地に大雨をもたらした。
横浜も昼ごろに篠突く雨。
だが夕方には、
関東の東の海上に抜けた。
昨日までのミドルマネジメント研修会。
二度の理解度判定テストを実施した。
そして研修が終了してから、
1万字を目安としたレポートを課した。
成績を採点する。
テストが全体の5割、
レポートが5割。
テストに失敗しても、
レポートで取り返すことができる。
するとある一人の受講生。
講義が終わったその日のうちに、
レポートを仕上げて、
メールで送ってきた。
驚いた。
これまで1700人を超える履修生がいるが、
歴代でもいちばん早かった。
中身も悪くない。
私は朝から横浜商人舎オフィスに出社。
まだ月刊商人舎9月号の入稿が残った。
表紙にのせるCover Message。
特集の短いリード文。
そして編集後記。
さらさらと書いて、
最後の入稿。
それから荒天のなか、
東京・お茶の水へ。
新お茶の水ビルディング。
この建物の18階から20階までが、
井上眼科クリニック。
富田剛司先生が主治医。
元東邦大学医学部教授。
私の右目の三度の手術で執刀してくれた。
視力と視野と眼圧の検査。
そのあと診察。
このブログには何度も書いてきたが、
私は白内障、網膜剥離、
そして緑内障を患った。
今も4種類の点眼薬を、
毎日、朝、昼、晩と三度三度、
丁寧にさす。
検査の結果は、一進一退。
まあまあでしょう。
この井上眼科、
検査と診察のオペレーションが、
革新された。
待たせない。
この半年間で、
根本的に改革された。
眼科専門の病院で、
システム化は進んでいた。
しかし患者を待たせていた。
それが変わった。
嬉しいことだ。
今日は病院のハシゴ。
横浜に戻って、
浅間台歯科へ。
歯の治療。
こちらもずいぶん良くなった。
そしてオフィスに戻る。
全員で最後の校正をしていた。
それに間に合った。
私もざっとゲラをチェック。
全部終わって、
山本恭広編集長と写真。
お疲れ様。
さて、朝日新聞「折々のことば」
編著者の鷲田誠一さん。
哲学者の大森壮蔵さんの言葉を、
3日連続で取り上げた。
一昨日の第3472回。
想像を知覚から
取り去ることはできない。
〈大森荘蔵〉
「現実は虚構を藉(か)りて表現される以外にはない」
編著者。
「大森が最初にあげるのは、
物の知覚の中で、
ともに働きだしている虚構の視線だ」
例えば机は、眼に映る見え姿だけでなく、
ここからは見えない側面や背面、
ときには内部への想像をも含めて
はじめて机として了解される。
大森。
「虚に照(てら)されて、
実がはじめて実となる」
論文「三つの比喩」(『物と心』所収)から。
私たちは実際に見ている「実」の部分に、
見えない部分の「虚」を、
想像によって加えて、
たとえば机を見ている。
私の場合、視力は左目しかないが、
想像の力は両目であると考えることができる。
昨日の「折々のことば」第3473回。
彼の痛みは
わたしの感じる痛みに
似もしないし
異なりもしない。
〈大森荘蔵〉
「想像を知覚から取り去ることはできない」
大森は物を知覚することの次に、
他人の存在を例に挙げる。
「人は他人が屈(かが)む姿を見て、
痛いのだと思う」
「が、それが痛みかどうかを
確かめる術(すべ)はない」
「可能なのは、そんな時はわたしも痛いと、
自分の場合を想像的に重ねることだけだ」
「この虚構によって他人は
わたしにとって在る」
私たちは物の見える部分だけでなく、
見えない部分の「虚」を想像することで、
より正確な物の実態を知る。
他人に対しても同じだ。
その痛みを自分に当てはめて、
自分の想像によって、
他人の痛みを知る。
他人の痛みを想像によって知るからこそ、
私たちは他人を認識することができる。
愛する人もその意味で他人だ。
「折々のことば」第3474回。
わたしに今
想像できる死後風景は
ありえない。
〈大森荘蔵〉
「死んだらどうなるかと
人は思いを巡らす」
「が、死ねば人は
知覚も想像もできないのだから、
死後の世界はどこまでも
虚構としてしかありえない」
大森壮蔵は、
これが言いたかったのだ。
人間は死んでしまえば、
知ることも思うこともできない。
だから死後の世界は、
死ぬ前の「虚構」としてしか、
存在することはない。
物の知覚、他人の存在、
そして自己の死。
「人の生存の核心をなすものは、
いずれも虚構に支えられている」
鷲田さん。
「ということは、
一度かぎりで確定するものではない
ということか」
論文「三つの比喩」(『物と心』所収)から。
「虚構」すなわち「想像」。
それは「思う」こと、
「考える」こと。
自分の好む物も、
愛する他人も、
自分の死も、
すべて想像によって成り立っている。
想像の力で支えられている。
商売で言えば、
店や売場や商品も、
顧客も仲間も取引先も、
「虚」、すなわち「想像」、
つまり「思い」によって、
成り立っている。
ミドルマネジメント研修会の最後。
「マザー・テレサのことば」
思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから――。
テレサが「思考に気をつけなさい」と諭すのは、
「物」も「他人」も「自己の死」も、
「思い」に支えられているからなのだ。
〈結城義晴〉