次の10年への「朝に希望/昼に努力/夕に感謝」

74歳の誕生日。
多くの方からお祝いの言葉をいただいた。
心から感謝します。
ありがとうございます。
小学生のころから、
自分の誕生日には、
きまって宿題に追われていた。
社会人になってからは、
毎月原稿の締め切りがやって来て、
同じように宿題のような仕事をしている。
今日も自分の原稿を書きつつ、
商人舎内部の原稿を直したりしていた。
おそらく、ずっとこんな調子なのだろう。
今日も思い出した。
誕生日にはたびたび引用する言葉。
「人生で一番大事な日が
二日ある。
生まれた日と、
なぜ生まれたかが
わかった日である」
〈マーク・トウェインだとされている〉
“The two most important days in your life
are the day you are born
and the day you find out why.”

10年前の今日、私は64歳になった。
そのころ『LIFE SHIFT』が話題になっていた。
「100年時代の人生戦略」
リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット著。
ともにロンドン・ビジネススクール教授。
私は100歳までまだ36年もあると、
高をくくっていた。
「人生が短かった時代は、
『教育→仕事→引退』という
古い3ステージの生き方で問題なかった」
「しかし寿命が延びれば、
二番目の『仕事』のステージが長くなる。
引退年齢が70~80歳になり、
長い間働くようになるのである」
私は85歳まで現役を宣言していた。
人生の「マルチステージ」の時代。
「エイジ」と「ステージ」は、
かならずしもイコールではなくなる。
20年前の今日は、
54歳を迎えて、
私は無印だった。
54歳となってから、
㈱商人舎を創業した。
そのときに30年間、
現役を続けると宣言した。

今現在で言えば、
あと11年続けるのか。
やれそうな気がする。
私の父は70歳で引退し、
碁三昧の余生をおくった。
2014年、87歳のときに逝った。

母は2018年、92歳で亡くなった。
父と同じ年の生まれだった。
看護師を一生の仕事として、
人のために生きることを貫いた。
故渥美俊一先生は、
父と同年だったが、
2010年に83歳で逝去された。

早稲田大学のゼミの恩師壽里茂先生も、
父や渥美先生と同年だったが、
2016年10月に90歳で亡くなられた。
不思議なことに、
父のときも渥美先生のときも、
そして壽里先生のときも、
私はアメリカに滞在していた。
故倉本長治先生は、
1982年、83歳で永眠された。
私の最初の上司だった緒方知行さんは、
2015年に76歳で逝ってしまった。
2020年まで生きて、
時代を見るのだと言っていた。
だから会社の名称を㈱2020AIMとしたが、
5年を残して逝ってしまった。
自分の誕生日に、
亡くなった人たちを思うのは、
あまり良いことではないのかもしれない。
30年前の今日は、
44歳だった。
㈱商業界取締役編集担当で、
食品商業編集長を兼務していた。
このときに「商業界五十年宣言」を起草した。
思い返せば、
しんどいことばかりだった。
では、このあとは、
どうなっているのだろう。
10年後の2037年は84歳。
まだ商人舎を続けていて、
おそらく原稿を書いているだろう。
講演や講義もできるだろう。
息子や娘は脂ののった世代になり、
孫娘たちは中学生と小学生になっている。
その10年後、2047年は94歳。
この辺りはちょっと自信がない。
どんなことが起こっているか。
シンギュラリティの特異点を過ぎて、
AIは人類を超えているか。
ロボティクスはアトムを生んでいるか。

日本列島に大きな地震が起こっているか。
氷河は溶けているか。
ドナルド・トランプはいないだろう。
習近平とウラジーミル・プーチンは、
どんな姿になっているか。
そんなことを考えたら、
絶対に20年後、
いや30年後までは生きてやろうという、
意欲が湧いてきた。
岡田卓也さんは私の父や渥美先生の一つ上。
この9月19日に101歳になられる。
少しでも近づきたい。
朝に希望、
昼に努力、
夕に感謝。
みなさん、
ありがとうございます。
〈結城義晴〉























