ベイシアの「新フォーマット」と村木厚子の「今できること」

1日中、横浜商人舎オフィス。
月刊商人舎3月号、責了しました。

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ベイシアnews|
3/25「ベイシアタウン新狭山店」、都市型新フォーマット
㈱ベイシアが3月25日(水)、
「Beisia Town新狭山店」を開業。

このニュースリリースで、
ベイシアの広報室が初めて、
「新フォーマット」という言葉を使った。
オトナリマートの記事などは、
これまで「新業態」というワードを使った。
嬉しい限りだ。
その、率直さに拍手。
私は「業種・業態・フォーマット」と呼んでいる。
業種は「売り物」、
業態は「売り方」。
その業態が行き詰った。
そこで「フォーマット」が登場した。
神戸大学名誉教授の田村正紀先生が、
『業態の盛衰』という学術書の中で明らかにした。
「フォーマットは業態が分化した一つの形である」
スーパーマーケットという業態から、
「オトナリマート」が生まれた。
「Beisia Town」も一つのフォーマットだ。
このフォーマットに名称をつける。
それが「バナー」である。
「ベイシアタウン」1号店は、
ベイシアにとって埼玉県下の24号店。
新狭山店は次世代の都市型店舗。
その新しいフォーマットづくりを切り拓くための、
「旗艦店」と位置づけられている。
異なるフォーマットを、
一つの商勢圏につくって展開する作戦を、
「マルチ・フォーマット戦略」と呼ぶ。
その典型がイギリスのテスコだ。
「テスコエクストラ」という非食品強化の大型店、
「テスコスーパーストア」というレギュラー店、
「テスコメトロ」という都心部中小型店、
そして「テスコエクスプレス」という小型店。
その間を縫って、
オンラインリテーリングを展開する。
食品の「テスコ・コム」と、
非食品の「テスコ・ダイレクト」。
こういう戦略の整理が大事だ。
さて日経新聞「私の履歴書」
村木さんは2008年に、
厚生労働省4人目の女性局長となった。
さらに2013年7月から2015年9月まで、
厚生労働事務次官を務めた。
しかしその間の2009年6月、
社会・援護局障害保健福祉部企画課長のとき、
虚偽公文書作成・同行使の容疑で逮捕された。
逮捕から5カ月後の2009年11月、
保釈請求が認められて解放された。
冤罪事件だった。
連載第5回のタイトル「勾留 164日間」
「最終的に、私の拘置所生活は164日に及んだ。
その間、自分を支えたものは何かを振り返ると、
好奇心のほかにいくつかが浮かぶ」
「ひとつは、自分なりの
危機対応方針があったことだ」
「今考えても仕方ないことは考えない。
今できることに集中する。
2人の娘を育てながら働くなかで
学んだ処世術だった」
今できることに集中する。
それが危機対応の方針だ。
拘置所でも、なぜ逮捕されたのかなどと、
振り返ってみても、仕方なかった。
だから。
「健康管理をちゃんとする。
裁判に向け準備をする。
今すべきなのは、これだけだ」
素晴らしい。
「気分転換も、大事だった」
もともと読書好きだった。
期間中に約150冊を読んだ。
これも素晴らしい。
弱きもの人間
欲ふかきもの にんげん
偽り多きもの にんげん
そして 人間のわたし
「さらに大きかったのが、
仲間や家族の存在だった」
「独房でひとり、『自分は変わったのか』
『失ったのか』と問いかけたことがある」
「いや、周りが間違えて騒いでいるだけだ。
私はなにも変わっていない」
「真実を貫け」
「逮捕されて間もないころ、
接見に来た弁護士が仕切りのアクリル板越しに
寄せ書きを見せてくれた」
「同僚や友人ら多くの名前があった。
信じてくれている人がこれだけいる。
失ったものもあるだろうが、
まだ持っているものがたくさんある」
「接見禁止が解除されると、面会は70人、
手紙は500通もいただいた」
「自分はやっていない。
ここで諦めるわけにはいかない。
娘たちが将来なにか壁にぶつかったとき、
『あのときお母さんも闘った』と
思えるようにしたい」
「結果はどうあれ、
それが自分の役割だと思えた。
娘たちの存在が、
心のつっかい棒になった」
私の履歴書はいつも、
生まれた時から始まる。
村木厚子さんだけは、
突然、逮捕された時から始まった。
そして第5回まで、
逮捕後のことが続く。
その意味で実に面白い。
危機に遭遇したら、
「今できること」に集中する。
すばらしい。
〈結城義晴〉

























