GEのジャック・ウェルチとTJのジョー・コロームの訃報
3月3日、桃の節句。
ひな祭り。
私にも娘が一人いて、
ずっと雛人形を飾っていた。
独立して家を出ていったこともあって、
最近はもうその人形も見ることはない。
そのうえ今年は、心が晴れない。
アメリカからの訃報が二つ。
ジャック・ウェルチさん。
元ゼネラル・エレクトリック(GE)会長。
1935年、マサチューセッツ州に生まれた。
腎不全のため3月1日、逝去。
84歳だった。
マサチューセッツ州立大学を卒業し、
イリノイ大学大学院でドクターを修得。
1960年、GEに入社し、
12年後の1972年、副社長、
1977年、上席副社長、
1979年に副会長と順調な昇格を果たし、
1981年にはGE歴代最年少の会長兼CEOとなった。
私はいつも講演や講義で、
ピーター・ドラッカーに絡めて、
ジャック・ウェルチのことを話す。
ウェルチはCEOになったら、
2つのことをやりたいと言い続けていた。
第1はGEの海外展開を図ること、
第2はドラッカーを招聘して、
指導を乞うこと。
どちらも実現させて、
ウェルチは1999年、
「Fortune」誌から、
「20世紀最高の経営者」に選ばれた。
ドラッカーは初めてウェルチに会った時、
二つのことを言った。
「世界で1位か2位になれる事業だけ、
やりなさい。
それ以外の事業は他者に任せなさい」
そこでウェルチは、
「選択と集中」という考え方を生み出した。
ただしウェルチが断行したのは、
事業の多角化・国際化と、
大規模なリストラクチャリングだった。
スクラップ&ビルドはいとわない。
レイオフも怖がらない。
そこで「Neutron Jack」と呼ばれた。
Neutronは中性子爆弾のことだ。
ドラッカーがウェルチを後押しし、
勇気づけたことは確かだが、
果たしてドラッカーは、
ニュートロン・ジャックを評価していたか。
ウェルチは2001年に退任し、
その後をジェフ・イメルトが継いだ。
さらにその後、2017年から、
ジョン・フラナガン。
Jack、Jeff、Johnの3人のJのもと、
GEは浮き沈みをした。
ドラッカーは2005年に95歳で亡くなり、
ウェルチは2020年に84歳で逝去した。
ご冥福を祈りたい。
もう一人は、
ジョー・コロームさん。
商人舎流通スーパーニュースに書いた。
トレーダー・ジョーnews|
創業者ジョー・コローム氏(89歳)逝去
月刊商人舎を創刊したばかりのころ。
2013年6月号で特集した。
[特集】
Trader Joe’s
人・品・店のすべて
自分で言うのもなんだが、
今、見直しても良い雑誌だなあ。
この号の[Message of June 2013]
ユニークな人・品・店にする!
ユニークな人間に
なろうとすると、
親からは怒られた。
先生からは嫌われた。
自分でも
友達と違うことをするのが、
嫌だった。
恐かった。
そういった環境に、
慣らされてきた。
それが当たり前だと
思い込んでいた。
しかし仕事においては、
事業にあっては、
それは没個性となる。
ノンポジショニングである。
小売りサービス業はいま、
ユニークな人をつくろう。
ユニークな品を並べよう。
ユニークな店になろう。
同じような、真似ばかりが流行るいま、
ユニークさこそ、共感を生む。
ユニークさこそ、価値を持つ。
ユニークさこそ、利益をもたらす。
ユニークな人をつくろう。
ユニークな品を並べよう。
ユニークな店になろう。
トレーダー・ジョーのように。〈結城義晴〉
この特集のなかの巻頭記事。
[伝説の創業者]
ジョー・コロームの独白
「いちばん楽しかったのは『発明』です」
1958年5月にトレーダー・ジョーを創業。
店名は自分の名前のジョー。
コロームが考えた最初のコンセプト。
私は、何よりも好きだ。
“Over educated, and under paid”
高すぎる教育を受けたが、
低すぎる給与に甘んじている人たち。
このユニークなセグメンテーションと、
ターゲティング。
それに合わせたポジショニングが、
トレーダー・ジョーの本質である。
そしてトレーダー・ジョーは、
シングルフォーマットを貫く。
あの、TJフォーマットだけの会社。
そして今や、
”America’s Best Large Employers”
Forbes誌「2019年最良雇用企業」
その意味でジャック・ウェルチとは正反対。
大きくすることを第一に考えなかった。
ウェルチが20世紀最高の経営者ならば、
コロームは21世紀を見る商人だった。
むしろ、ドラッカーは、
コロームを評価したのではないか。
伝説の経営者と、
伝説の商人。
二人の大切な人が亡くなった。
心は晴れない。
心からご冥福を祈りたい。
〈結城義晴〉