結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2019年11月05日(火曜日)

「出張校正」で思い出したこと/緒方知行・椎名誠と宿澤広朗

11月に入って、
昨日が文化の日の振り替え休日。
そして今日は月刊商人舎の最終入稿日。

原稿を仕上げて、
タイトルをつけ、
写真や資料を添えて、
デザイナーの七海真理さんに送る。

すると1時間か2時間後には、
それがデジタルデザインとして出来上がって、
送り返されてくる。

そのデザインをコピー機で印刷して、
そのゲラを校正する。
IMG_25509

かつてはデザイナーが、
編集部にやって来て、
手書き原稿や写真・資料を受け渡しして、
電車や車に乗って自社に帰り、
レイアウト用紙にデザインして、
翌日持ってきて納入した。

それをチェックして、
よろしければ今度は印刷所に渡す。

印刷屋の営業マンがやって来て、
それをもって印刷工場に帰り、
印刷の原版をつくって、
ゲラ刷りにし、
それをまた編集部に持ってきた。

そのゲラを校正して、
翌日に返した。

最終段階になると、
編集部全員が印刷工場に2日ほど詰めて、
集中的に全頁の校正をした。

これを「出張校正」と呼んだ。

全員が2日ほど同じ部屋で缶詰めになる。
それがコミュニケーションを生んだ。
そこで雑談のように情報交換する。
その情報が業界最先端の内容で、
新人のころから中堅の段階まで、
とても勉強になった。

二人とも死んでしまったが、
緒方知行さんや高橋栄松さんは、
『販売革新』誌の編集長だった。

1963年創刊の初代編集長は、
故倉本初夫主幹。
二代目が緒方さん。
DSCN1703
そして三代目が高橋さん。

出張校正の後は必ず、
酒場に行って飲む。

といっても緒方さんと高橋さんは下戸で、
したがって五十嵐宅雄さん、
伊東清さん、高濱則行さんと、
いつもいつも飲んだ。

その後、全員が編集長になった。
五十嵐さんは雑誌商業界編集長、
伊東さんは販売革新と商業界の編集長。
高濱さんは緒方さんと一緒に、
㈱2020EIMという会社をつくって、
その初代編集長になった。

私は20代だった。

私が最後まで㈱商業界に残った。
編集長や取締役編集統括、
専務取締役、代表取締役社長となった。

椎名誠さんの小説。
新橋烏森口青春篇』
61CiG1dEtfL._SX348_BO1,204,203,200_

そして『銀座のカラス』
5130TQl3uCL._SX348_BO1,204,203,200_

同じような場面の描写が次々に出てくる。

私は「そうだ、そうだ」とうなづきながら、
むさぼり読んだ。

椎名さんは、
『ストアーズ・レポート』誌の編集長で、
百貨店を対象に取材し、
記事を書き、編集していた。

そして我々と同じ印刷所を使っていた。
茗荷谷の東洋社印刷。

まったく別のライバル会社だったが、
毎月、「ストアーズ」と入れ替わるように、
出張校正をした。

ちなみに椎名さんは、
ユニークで優秀な編集長だった。
51YeB666MmL._SX349_BO1,204,203,200_

㈱商業界は椎名さんをスカウトして、
基幹雑誌商業界の編集長にしようとした。
椎名さんもその気になっていたが、
最後の最後に、ストアーズを辞めて、
作家になる決意をする。

そこで椎名誠の人生は変わった。
もしかしたら私の上司になっていた。

そうはならなかった。

ずっと後になって、
椎名さんに商業界2月ゼミナールで、
基調講演をしてもらった。

その講演の冒頭で、自分で告白した。
「商業界からスカウトされかかっていた」

今は最終入稿と最終校正を、
商人舎オフィスで同じ日に、
1時間もタイムラグをおかずに、
済ますことができる。

デジタル化が仕事をスピーディに変えた。

デザイナーや印刷所も、
行ったり来たりせずに、
データで交換する。

だから今日は忙しい。

商人舎の亀谷しづえと鈴木綾子。
IMG_25519
すみません。
私の原稿が遅かったので、
仕事もギリギリになってしまった。

しかし次の号は、
「トップマネジメント発言集」

ほとんどの記事に、
【結城義晴の述懐】を書いた。

それが遅れた理由の一つでもあります。

それでも今月号も、何とか終わった。

今号は通巻79号。
2013年4月号がプレ創刊号の0号で、
1号は2013年5月号。

よくやってると、自分でも思う。

雑誌づくりは、
新入社員の1977年4月から始めて、
42年間。

その間、6年ほどブランクがあった。

㈱商人舎を設立して、
立教大学大学院の教授などに就任し、
5年間、講義とゼミを受け持った。
教員の仕事も忙しかった。

その教授職退任とつなぎ合わせるように、
月刊商人舎を創刊した。

亡くなった宿澤広朗。
早稲田大学ラグビー部の主将として活躍し、
日本代表の名スクラムハーフとなった。
その後、住友銀行に入り、
ディーラーとして頭角を現し、
最後は三井住友銀行の専務取締役。
519VYXEhehL._SX344_BO1,204,203,200_

ラグビーでは日本代表監督を務め、
1989年に初めて、
ティア1のスコットランドに勝利した。

現在の日本ラグビーの礎をつくった男。

2006年6月17日に、
登山中の心筋梗塞で急逝。
55歳だった。

その宿澤の言葉が、
「全力疾走をやめたら、失速する」

同感だ。

だから私も全力疾走をやめない。

その全力疾走の一番新しいものが、
月刊商人舎2019年11月号。

今月号の特集タイトルは、
私の雑誌づくりのなかでも、
初めてといっていい、
ちょっとした新しい試みをしました。

ご期待ください。

〈結城義晴〉

「月刊商人舎」購読者専用サイト
月刊商人舎 今月号
商人舎 流通スーパーニュース
月刊商人舎magazine Facebook

ウレコン

今月の標語
商人舎インフォメーション
商人舎スペシャルメンバー
商人舎発起人

東北関東大震災へのメッセージ

ミドルマネジメント研修会
商人舎ミドルマネジメント研修会
海外視察研修会
商人舎の新刊
チェーンストア産業ビジョン

結城義晴・著


コロナは時間を早める

結城義晴・著


流通RE戦略―EC時代の店舗と売場を科学する

鈴木哲男・著

結城義晴の著書の紹介

新装版 出来‼︎

新装版 店長のためのやさしい《ドラッカー講座》

新装版 店長のためのやさしい《ドラッカー講座》
(イーストプレス刊)

新着ブログ
毎日更新宣言カレンダー
指定月の記事を読む
毎日更新宣言カテゴリー
毎日更新宣言最新記事
毎日更新宣言最新コメント
知識商人のためのリンク集

掲載の記事・写真・動画等の無断転載を禁じます。商人舎サイトについて
Copyright © 2008- Shoninsha Co., Ltd. All rights reserved.