終戦の日の「過去を顧みた反省」とカーの「歴史とは何か」

敗戦以来81年、
終戦の日。
日本政府が全国戦没者追悼式を主催する。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」

長田弘『すべてきみに宛てた手紙』から。
戦争に敗れた側は、
戦争の理念を失います。
戦争の理念を失うというのは、
「戦争は解決ではない」と
思い知ることです。
逆に考えれば、
戦争に勝った側には、
戦争の理念が残る。
戦争の理念とは、
「戦争は解決である」と
信じることだ。
だからアメリカは戦争を続ける。
日清戦争と日露戦争に勝った大日本帝国は、
「戦争は解決である」と信じて、
太平洋戦争に入って行った。
しかしそれに負けて、
「戦争は解決ではない」と、
思い知ったはずだった。
詩人・茨木のり子。
「わたしが一番きれいだったとき」
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
日経新聞の一面コラム「春秋」
昭和天皇は敗戦直後、
日光に疎開していた11歳の現上皇に、
手紙を送っている。
「我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて
英米をあなどった」
「我が軍人は精神に重きをおきすぎて
科学を忘れた」
貴重な手紙だ。
なぜ敗戦したのか。
その理由を息子にはっきり、
伝えようとしている。
戦没者追悼式の今上天皇陛下。
昭和天皇の孫にあたる。
「深い悲しみを新たにいたします」
「戦後の長きにわたる
平和な歳月に思いを致しつつ、
過去を顧み、深い反省の上に立って、
再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
全国民と共に、心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
日本の象徴(symbol)となった天皇が、
過去を顧み、深い反省の上に立つ。
天皇制は「上皇」の制度が生まれたとはいえ、
生涯の責任を天皇に背負わせる。
1年や数年の内閣総理大臣よりも、
長きにわたって責任を全うする。
その言葉が「過去を顧みた反省」
重い。
そして同感する。
私は戦争を知らない世代だ。
それは今上天皇も、
現首相も前首相も前々首相も同じ。
天皇象徴制は戦後のGHQ民生局が、
イギリス君主制をモデルにして考えた。
「visible symbol of unity(目に見える統合の象徴)」
1931年のウェストミンスター憲章にある。
「国王は自由な結合の象徴」
日本側にもこの考え方を説いた人がいた。
禅僧の山本玄峰(げんぽう)が、
内閣書記官長の楢橋渡に示唆した。
「戦後も天皇を国家の象徴と定義すべき」
戦前にも新渡戸稲造や津田左右吉は、
「天皇は国民統合の象徴」と考えていた。
その天皇の代々続く歴史観が、
「過去を顧みた反省」であると思う。
E・H・カーの『歴史とは何か』
原題は「What is History?」
1961年、ケンブリッジ大学での連続講義を、
一冊の本にまとめた。
だから日本語版でも「ですます調」
20世紀の歴史学における古典的入門書。

「歴史から学ぶというのはけっして、
単純な一方向のプロセスではありません」
「過去の光に照らして、
現在について学ぶというのは、
同時に現在の光に照らして、
過去について学ぶということです」
高市早苗の言動を見ていると、
一方向のプロセスしかない。
「歴史学の働きとは、
過去と現在の相互関係を通して、
過去と現在の両方の理解を
さらに深めていく促進作用なのです」

終戦の日には、
カーの思想に触れたい。
「過去を顧みた反省」は、
現在に光を当てることである。
深く、強く確認したい。
〈結城義晴〉























