結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2016年03月12日(土曜日)

成城石井・原昭彦&鎌倉シャツ貞松良雄の「本籍地と現住所」

名門・ 川奈ホテル。IMG_7934-6

1936年(昭和11年)建造、
近代化産業遺産。
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椰子の木にライトがあたって、
夜景も美しい。
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年に二度の、
第一屋製パン細貝会のゴルフ懇親。
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前列右からゲスト。
エブリイの岡崎雅廣さん、
左からお二人目がさえきの佐伯行彦さん、
後列は右からお二人目が、
丸正の飯塚司郎さん、
それから和幸の日比生賢一さん、
マルナカの中山明徳さん、
和幸の日比生泰宏さん。

真ん中が第一パン会長の細貝理榮さん、
そして左が第一パン社長の前川智範さん。

今回は会社名は略称で恐縮。

ゴルフの名手が集まる会で、
もう20年も続いている。

私はこの会を、
とても大切にしている。

さて今週は、ずいぶんと、
人物がクローズアップされた。
日経新聞はすばらしい。

「私の履歴書」は、
アイリスオーヤマの大山健太郎さん。

「住」分野の大山さんに対して、
「食」と「衣」の経営者おふたり。

『私の課長時代』には、
成城石井社長の原昭彦さん。
先週今週と、上下に分けての登場。

原さんは1990年、
新卒で成城石井に入社。
生粋の成城石井マン。

入社後は、本店の成城店と並ぶ青葉台店に配属。
実家は八百屋だったが、日配部門に入った。

それから96年2月、
本部の営業一課主任に異動。

物流関係の構築やチラシ作りなどの販促、
開店の準備や店舗運営など。
スーパーマーケットの「何でも屋」

これが社長としても大いに役立っている。
そして2000年、
営業本部日配・乳製品課課長就任。
これが原さんの課長時代。

主な仕事はチーズや生ハムの買い付け。
イタリアやフランスなど海外を飛び回った。

苦労したのは為替。

課長就任当時は1ユーロ=100円前後、
それが07年には160円前後。
円安が進んで、商品価格は約1.5倍。

売価を抑えるため、
「空輸に使う航空会社を変えたり、
フランス各地で生産されたチーズを
パリに集めてから一括して運んだり」

こうした輸入業務と売価抑制の努力が、
「他店との価格面での差別化」になった。

食品添加物の含有量や規格に関する基準も、
この課長時代に勉強し、それをクリアさせた。

2000年当時の店舗数は20店舗以下。
この規模での買い付けロットは少ない。

毎週、店を回って現場を見た。
顧客と会話した。
店の担当者とも仕入れた商品の売り方を、
コツコツと話し合った。

看板商品の「プレミアムチーズケーキ」は、
発売当初は全く売れなかった。
しかし原さんは、
「価値が伝われば必ず売れる」と信じた。

07年の新丸ビル店開業時に、
専用売場をつくって、試食販売した。
1日1000本を売り切る大ヒットとなった。

その07年に営業本部本部長に就任。
店舗オペレーションの構築や管理などを改革。

この時代、100㎡規模の小型店に挑戦。
小型店化と店舗数増加のため、
物流網構築で苦労した。

現在、ローソンの傘下に入っても、
存在感を示す成城石井。

その代表取締役社長として、
原さんも存在感を示す。

店舗売場担当者から始まって、
「何でも屋」の主任を経験し、
海外でのバイヤー、
さらに営業本部長と、
営業のすべてを経験した。

これが原昭彦の強みであるし、
成城石井の強みとなっている。

もうおひとりは、
貞末良雄さん
メーカーズシャツ鎌倉社長。
日経夕刊『こころの玉手箱』に1週間登場。

私も鎌倉シャツを愛用している。

1964年、千葉工業大学電気工学科卒、
エンジニアとして勤務。
66年ヴァンヂャケット入社。
78年同社倒産により、退職後、
93年にメーカーズシャツ鎌倉を創業。
現在、国内25店、米国2店を運営。

連載第1回の月曜日の「玉手箱」は、
VANカーペンターキット。

VANヂャケットを立ち上げ、
ファッション史に名を刻んだ故・石津謙介さん。

その石津謙介に向かって、
「先生、それならあの
『カーペンターキット』をいただけないですか」

1978年4月、会社は事実上の倒産。
貞松さんは商品管理部長。

若手の再就職先探しに奔走して、
「とうとう自らも会社を去る日がやってきた」

その時の二人のやり取り。

「カーペンターキット」は米国風大工道具。

絶頂期にVANが仕掛けたのが、
米国ライフスタイル紹介キャンペーン。
その懸賞品として作られたもの。

「真っ赤な下地に白抜きでロゴの入った箱に、
迫力たっぷりのノコギリやハンマーが収納されている」

わずか100ほどしか作られなかったキットは、
まさに羨望の的で、連日電話は鳴りやまず。

社員ですら実物を見る機会がなかった。

そのキットが石津健介さんの部屋に飾られていた。
貞松さんは最後の最後にそれを所望した。

「おお、いいよ。持って行きなさい」
石津謙介さんの返答。

「VANは、ファッションを考える時の指針であり、
経営についての反面教師であった」
貞松さんは述懐する。

現在、このキットは100万円の値が付く。

いい話です。

第3回目は、
『いつどこで なにを着る?』の初版本。
石津謙介著、1965年出版。

はじめて「TPO」を提唱した本。
時間=タイム、場所=プレース、
そして場合=オケージョン。

渥美俊一先生はこれにSを加えた。
スタイル=ライフスタイル。

そのもとになるTPOは石津謙介が主張した。

「石津先生のこの本は今、
読み返しても全く古くさい感じがしない。
それは、相手に礼を尽くすという
普遍的ルールに着眼して書かれているからだ」

石津謙介への心酔ぶりがうかがわれる。

最終回の連載5回目は、
「VAN時代の復刻ブレザー」
鎌倉で起業して20年を迎えた2013年、
アイビーをよみがえらせるパーティを開こう」

当然、ドレスコードはアイビールック。

ホストたる我々のユニホームとして、
一念発起で復刻ブレザーをつくった。

厚手のメルトン生地、
胸には我が社オリジナルのエンブレム。
そして当然、金ボタン。

13年12月、
「復刻ブレザーを着た我々は、
あくまでワキ役だった」

ゲストとして集まったのは、
60代を 中心とする、かつてのアイビー小僧。
「『青春よ、よみがえれ』とばかりに
めかし込んだ熟年のしゃれ者はみな輝いていた」

このパーティと復刻ブレザーによって、
貞松さんは個人的に古巣への恩返しを考えた。

「だが終わってみれば、
これからもうひと花も、ふた花も咲かせたい
という気持ちの方が強くなっていた」

私は商人の本籍地と現住所を訴える。

貞松良雄の本籍地は、
石津謙介とVANヂャケット、
現住所は鎌倉シャツ。

原昭彦の本籍地は成城石井、
現住所はローソン傘下の成城石井。

おふたりとも本籍地を、
極めて大切にしている。

輝ける本籍地こそ、
幸せな商人の原動力である。

そういえば、川奈ホテルも、
本籍地・大倉財閥、
現住所・プリンスホテルだった。

〈結城義晴〉

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