大船渡高校から、
日本プロ野球千葉ロッテマリーンズへ、
そして大リーグ・ロサンゼルスドジャースへ。
2001年生まれの23歳。
ポスティングシステムを使った移籍に関して、
ドジャースと契約合意した。
自身のSNSで発表。
契約金は650万ドルと米国のメディアが伝えた。
大谷翔平と山本由伸がいて、
佐々木が加わる。
日本最高のベースボーラー三人が、
チームメートになる。
昨年ワールドシリーズを制したドジャースは、
これで日本中が応援するチームとなる。
それはとてもいいことだと思う。
佐々木のコメント。
「とても難しい決断でしたが、
野球人生を終えたあとで振り返ったときに、
正しい決断だったと思えるよう頑張ります」
しっかりしている。
佐々木朗希投手は岩手県陸前高田市出身の23歳。
19m92の長身。
左足を高々とあげる投球フォーム。
最速165キロの直球と落差の大きいフォークボール。
評価は「世界で最も才能のあるピッチャーの1人」
2019年、大船渡高校3年のときに、
すでに163キロのストレートを投げた。
夏の地方大会決勝のゲームでは、
佐々木の将来を見据えて登板が回避された。
疲労が溜まることへの配慮だ。
それによって甲子園出場を逸した。
大論争となったが、
これが佐々木の育て方の基本となった。
しかしそれが逆に佐々木の限界をつくった気もする。
ドラフト会議では4球団が1位指名。
マリーンズに入団すると、
1年目には1軍で登板させず、
体力づくりに終始した。
投手コーチだった吉井理人の指導で、
1軍の練習に参加しながら調整した。
2年目に1軍登板して3勝。
大事に育てられた。
3年目は9勝4敗、防御率2.02、
奪三振数は173個。
このシーズンには史上16人目の完全試合を達成。
20歳での史上最年少の快挙だった。
この試合ではプロ野球新記録の13者連続三振、
プロ野球対記録の1試合19奪三振を奪取。
4年目はワールド・ベースボール・クラシックに出場。
5年目の昨シーズンには18試合に先発登板、10勝5敗。
ただし5月から6月にかけて、
右腕のコンディション不良などで登録を抹消。
これが佐々木の最大の課題だ。
5年間で64試合29勝15敗、防御率は2.10。
規定投球回には一度も届かなかった。
それでもシーズンが終わると、
千葉ロッテマリーンズは、
ポスティングシステムを使った大リーグ挑戦を、
容認した。
そして佐々木がポスティングを申請すると、
大リーグの30球団のうち20球団が名乗りを上げた。
佐々木の代理人ジョエル・ウルフ。
「彼は巨額の契約を結びに来たわけではない。
球団が彼の成長のために、
どんな手助けをしてくれるかを知りたがっている」
佐々木は自分の成長を第一に考えている。
ドジャースで新人王を受賞した選手は18人。
大リーグ全球団の中で最多だ。
マイナー契約から大リーグに上がって、
活躍する選手が多い。
それが佐々木の意思決定につながった。
マイナーリーグのチームスタッフと連携して、
選手ひとりひとりの育成計画をつくる。
さらに先進的な設備も充実している。
佐々木にとって、もっともいい環境だ。
その佐々木の課題は、
怪我をしないこと。
それでいて稼働すること。
日本では中6日の登板が多かった。
大リーグは通常、
5人の先発ローテーションで、
中4日、中5日での登板が普通だ。
それに佐々木が耐えられるか。
しかしドジャースは今度のシーズンで、
先発ピッチャー6人のローテーションを構想している。
大谷、山本、佐々木とあと3人。
贅沢な構想だ。
佐々木はマイナー契約でドジャースに入団する。
メジャーの選手枠は40人だから、
怪我人が出たり、契約解除などがあって、
40人の枠に空きがでれば、
メジャー契約に切り替えて、
大リーグのゲームに出場が可能となる。
楽しみなことだ。
2011年、佐々木は小学校3年の終わりに、
東日本大震災で被災した。
津波で37歳の父と祖母を亡くし、
実家も流された。
それを乗り越えて、
自分の夢に向かって邁進した。
大谷は高校の2年のときに被災した。
この年の春には最速151キロを記録した。
第93回全国高等学校野球選手権大会に出場して、
初戦の帝京高校戦では骨端線損傷で、
右翼手として先発出場した。
そして4回途中から登板し、
150キロの球を投げた。
私は東日本大震災の時に言った。
「東北の子どもたちは、
絶対にいい人間になる」
「東北・北関東の子どもたちを中心に、
新潟県中越の子どもたちを核に、
そしてかつての阪神淡路のこどもたちを主力に、
日本は蘇生されるに違いない。
私たちはそれを、
絶対に邪魔してはならない」
大谷翔平、佐々木朗希。
羽ばたいて、世界で活躍する。
艱難は人間を鍛える。
そのことを実感する、
佐々木朗希のドジャース入団である。
頑張れ。
〈結城義晴〉