結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2011年04月12日(火曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート「五章 ヨークベニマル湊鹿妻店長物江信弘物語〈後編〉」

チャリティセミナー
「ひとつになろう日本!商人支援プロジェクト
」
㈱商人舎として、参加、協力しています。

皆さんにも、ご参加を要請します。

私は、今回の「東北関東大津波大震災」に対して、
自然の猛威に恐れおののくとともに、
日本商業のライフラインとしての働きぶりに感動し、
商業にかかわってきた者として誇りにしたいと考えています。

その被災地の商人を支援するプロジェクト。
私たちは会社の名前を「商人舎」としました。
つまり「商人が集まるところ」。
だから、こういったプロジェクトには、
何をおいても参加します。

結城義晴にできること、
㈱商人舎に可能なことなら、
喜んで、進んで、行いたいと思っています。

従って今、進行中の単行本の印税は全額、
被災地の義援金にします。

こんなことは、あまり、
おおげさにいいたくはないのですが、
皆さんに、チャリティへの参加を要請するのですから、
呼びかける人間として、組織として、
どれだけの決意があるかは、
示させていただいた方がいいのではないかと考えるものです。

東北や茨城の企業を訪問したり、
支援したり、激励したりしています。
それが私にできるささやかな役目のひとつでもあると、
思っているからです。

そんな人たちの活躍を語り合い、
そんな人たちとともに歩むことを誓い合う。

そういった集まりになればいいと思います。
まさに商人の集まる舎(とねり)。

謙虚に、控えめに、真摯に、
被災地の商人を支援したいと思います。

ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ、
被災地の商業の復旧復興を応援したいと思います。

いつも、そして、ずっと、
心をひとつにしていたいと思います。

さて、何度もなんども、
余震がやってきます。
そのたびに携帯電話が、
「キューッ、キューッ」と鳴ります。

そしてそのたびに、
現地の人々の精神的な負担を思います。

マグニチュード9の大きな地震が始まりでした。
次に最高遡上高37.9メートルの津波が押し寄せました。
そして福島第一原発の事故と最悪のレベル7の評価。
さらに、余震はだんだん南下してきて、首都圏に迫る。

次から次へと、新しい難題が降りかかります。

「艱難が忍耐を生み、
忍耐が練達を生む。
練達が希望を生み、
その希望は絶望に終わることはない」

この新約聖書の言葉を、
今回は、信じたいと思いつつ、
「最悪を覚悟して最善を尽くす」
そんな心境になってしまいます。

けれども、へこたれてはいられません。
くじけてはいられません。

元気を出そうよ、
それがあなたの仕事です。
元気を売ろうよ、
それがあなたの役目です。

こう言い続けているのは、
私自身なのですから。

さてさて文体が変わって、ここから、
宮城県石巻市のヨークベニマル、
湊鹿妻店の物語〈後篇〉。

物江信弘店長にご案内いただいて、
石巻蛇田店から、湊鹿妻店に向かった。
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物江店長は昭和55年、ヨークベニマル入社の30年選手。
「YBマン」と称するが、その代表のような人。

話をしていても、
表現力の的確さ、豊かさに、驚かされる。
ベニマルにはこんな人材が、
うようよ、いる。

見えてきた、ヨークベニマル湊鹿妻店。
石巻の一番端の伊原津2丁目。
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ワンフロアで屋上が駐車場。
左に屋上に向かうスロープが見える。
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店舗左サイドのマクドナルドの前に、
流れ着いた人家の屋根。
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手前側500メートルほどのところに海が広がる。
その海から津波がやってきて、車や瓦礫を運んだ。
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ヨークベニマルのマークの前に、
トラックやセダンが打ち寄せられている。
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店が津波を堰止めたかのように、
ありとあらゆるものが瓦礫となって積み重なっている。
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人家がそのまま流されてきて、
横倒しになって、店舗入り口のところをふさいでいる。
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駐車場の横に人家があって、
その白い壁に浸水時のラインが残っている。
1階部分は完全に水没した。
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ヨークベニマルの隣には、ホーマック。
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こちらも同様に1階部分が壊滅した。
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今や必要なくなった「店舗入口」のサイン。

店舗のサイドも水流で突き破られている。
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ホーマックの裏側は完全崩壊。
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ヨークベニマルの裏側、プラットフォームのところ。
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プラットフォームの横のバックヤード。
手前に泥をかぶって壊れたパソコン。
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ヨークベニマルの裏手にある団地。
2階以上は無事だった。
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この団地も11日には水没していて、
ベニマルから流れてきた商品を、
住民が掬い上げて、
それを食べたり飲んだりして、凌いだという。

「あとで、団地のお客さんから感謝されました」
物江店長は笑う。

あたり一面、水に囲まれていたのだ。

正面に回って、湊鹿妻店の全容。
この屋上駐車場に2日間、
物江店長たち500人は籠城した。
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現在の店舗の中に入ってみる。
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日差しが眩しくて、
中に入ると真っ黒にしか見えない。

それでも目が慣れてくると、
すこしずつ、かつての店内が見えてくる。
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入口を入ったすぐのところ。
この天井近くまで水が来た。
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店内に流されてきた軽自動車。
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店舗右手のベーカリー部門。
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天井もはがれている。
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ベーカリーの奥の青果部門。
「Fresh Produce」のサインが見える。
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いちばん奥に「Sea Food」のマーク。
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正面は「Daily Market」。
店舗の奥には瓦礫が、
押し付けられるように詰まっている。
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冷蔵ケースが横倒しになって、
転がっている。
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フロントのATMは七十七銀行。
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店の中央の柱はしっかり残った。
この柱が屋上を支えた。
残された黒い線が津波の高さを示す。
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店舗の真ん中あたり。
瓦礫と呼ぶしかない物が集まっている。
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銘品コーナーからレジのあたりを臨む。
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左手にレジの番号が「1」「3」と見える。
レジ前の柱には「花粉対策」の文字。
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店舗の外に出てくると、眩しい。
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2011年3月11日、午後2時46分。
最大震度マグニチュード9の大地震。
物江店長は店内にいた。

5分後に第一波の津波が来た。
これは50センチほど。

さらに20分後、第二波の津波。
これがすごかった。

あとで市場の漁師に聞いたら、
地震直後に「海の底が見えた」という。

海底に亀裂が入り、
水位が下がって海底の地肌が見えた。

その大きな亀裂に海水が吸い込まれ、
その返し波が第二波となって、
猛烈な勢いで押し寄せてきた。

ただし第二波以後は、
ドーンとくることはなく、
じわり、じわり、グーッといった感じで、
次々に波が来て、
やがて店舗1階の天井近くまで、
水に埋まった。

だから店舗は壊されなかった。
しかし濁流のような引き波が、
すべてのものをさらっていった。

このとき、店舗屋上には、
車が100台くらい避難してきていた。
もちろん勤務中の従業員は全員、屋上に上がって、無事。
徒歩で屋上に避難する周辺住民もいた。

休みの人、遅番出勤の人、
4人の従業員が帰らぬ人となった。
車に乗っていてそのまま流された従業員もいた。

屋上から見ていると、
返し波の濁流に車ごと流されて、
車から助けを求める人。
家が流されて、
屋根のうえから助けを求める人。

物江店長たちは必死だった。

屋上にトラックで逃げてきた人が、
ロープをもっていた。
そのロープを投げて、
みんなで力を合わせて引きずり上げた。

ロープが届かない人もいた。
流れていくのを眺めていた。

物江店長は、暗くなる前に、
売場に懐中電灯があったと気がついて、
それを取りに降りて行った。
するとまた津波が押し寄せてきた。
水が足もとまで迫ってきて、
スロープを走って屋上に上がった。

そのスロープにはいま、
車がひっくり返っている。
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広い広い屋上。
この屋上が人々の命を救った。
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津波はじわり、じわりと水位を上げていった。
そこで屋上駐車場の機械室の上の屋根に、
まず子供たちを上げることにした。

たまたま梯子を積んでいる車があった。

「子供たちを上に上げろ!」
「妊婦さんはいないか?!」

不思議なことに、みんなで自然に、
力を合わせて、梯子を登らせた。
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故渥美俊一先生は「屋上駐車場」を否定したが、
尊敬する渥美先生の説でも、
この時ばかりは、私は思った。
屋上駐車場の有難みを。
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それから、津波が引くまで、
500人はこの屋上で助け合った。

夜は、車の人はエンジンをかけて車内で寝た。
それ以外の人たちは屋上にある社員食堂に入って寝た。
それでも人があふれていたので、
機械室のドアを壊して、
そこを開放して寝てもらった。

車にラジオがあった。
だから震災と津波の全体の情報は得られたが、
石巻に関しては一切、報道されなかった。

ヨークベニマル湊鹿妻店の屋上は、
まさに孤立無援だった。

もちろん裏の団地の人々、
隣のホーマックの人々、
それぞれに孤立無援の状態だった。

物江店長は、みんなに言った。
「1日や2日では駄目かもしれないけれど、
1週間くらい経ったら助けてもらえるから」

翌日は少しずつ津波が引いていった。
まだ水に取り囲まれているものの、
水位は低くなった。
「泥の海」のような店舗周辺一帯。

いったん家に戻ってくるという人もいた。

売場から水や食料を運び上げてきて、
人数と日数を計算して、少しずつ配った。

被災した11日金曜日は、
チラシの立ち上げの日だった。

バックヤードや冷蔵庫はパンパンだった。
従業員もいちばん多い日だった。
だから多くの人が助かった。

「今日はこれだけだよ。
これしかないから」

文句を言う者はいなかった。

それにお腹は空かなかった。
なぜか喉も乾かなかった。
水をちょっと、パンをちょっと。
それだけで生きていた。

それでも女性のためにトイレが必要だった。

食堂のロッカーをみんなで出してきて、
屋上の隅に囲いをつくった。
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その12日の夕方、
上空をヘリコプターが飛んだ。

みんなで手を振り、声を上げた。

それまで一切、報道もされず、
湊鹿妻店の500人のことは知る人もいなかった。

けれど、すぐに助けが来るわけではなかった。

「救助がくるまで避難した人たちを安全に守る」
それがYBマンの使命だと思っていた。

13日も助けは来なかった。

14日の朝、小林稔店長の石巻蛇田店から、
田んぼのようなどろどろ道をぬって、
救援物資が届けられた。

その日、給水車が来た。

市からの救援物資が届いたのは、
4日目の15日だった。

この間、湊鹿妻店は、
人々を守りきったのだった。

4月6日に私たちが訪れた時、
まだ避難者の一部の人は、
ここにいた。
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物江店長は親しげに状況を聞いた。

現在は簡易トイレが設置されている。
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手洗いのルールも決められている。
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洗濯物も集められる。
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食堂には簡易ベッドがしつらえられ、
近所の避難所よりもすこしは快適だと言う。
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13家族20人の人が、まだここで避難している。
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食堂の調理場で食事をつくる。
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暮らしのルールも決めて、集団生活が続けられている。
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救援物資も、ありがたいことに、
自宅で暮らす人よりは、ずっと潤沢だ。
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みんなが口をそろえて言う。
「ヨークベニマルのおかげ。
物江店長のおかげです」

機械室の横の壁に物江さんのメッセージ。
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物江さんは行方不明になった従業員を探して、
泥の中を歩き回った。
その時に首からぶら下げた手書きのボード。
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この駐車場が、500人の人々を救った。
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そこに、物江信弘店長に立ってもらった。
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「とりあえず食べるものはありました。
だからみんなで力を合わせて、
規則正しく生活しました」
物江さんはそう語る。
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「自分にとって今、できることは何か。
お客さんのために今、できることは何か。

それだけを考えていました」

「ベニマルさんのおかげで助かった」
地域の人々の声。

もう、それだけで、十分だと思う。
それが物江信弘に贈られる最高の勲章である。 (明日につづきます)

<結城義晴>

2011年04月11日(月曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート「四章 ヨークベニマル湊鹿妻店物語〈前編〉」

Everybody! Good Monday!
[vol15]

2011年の第15週、4月に入って第3週目。
「東日本大震災」と名づけられた地震と津波が起こってから、
数えて、1カ月。

私にはひどく長く思われた31日間だが、
実際に被災した人々には短く感じられた日々。

私たちは何を考え、どう行動したか。
そしてさらに、これから、
何を考え、どう行動するか。

それが問われている。

昨日は全国的に統一地方選挙。
石原慎太郎東京都知事が四選を果たし、
高橋はるみ北海道知事も三選、
12の都道府県知事選挙で、
9人の現職知事は全員、当選した。

私の住む神奈川県では、
ニュースキャスターの黒岩祐治候補が当選。

「現職強し」

こういった震災などの直後の選挙としては、
定石どおりの結果。

しかし、政権与党の、いわば現職の民主党は、
知事選・市長選・県議選・市議選トータルで惨敗。

対する自民党も改選前の1247議席に比べ、
獲得したのは1119議席で、1割以上の減。
決して勝ったとは言えない。

民主党が政権をとって、
二大政党時代への価値観の転換がなされたかと思ったら、
そうは単純明快ではなかった。

被災して将来に対する不安感が増幅された上に、
政治への展望が持てない。

政治の世界にも、経済や商売の分野にも、
複雑怪奇なパラダイムへの転換の時期が来ている。

複雑怪奇な言説を駆使する石原都知事の圧勝は、
東国原英男候補や渡邊美樹候補の、
過ぎたるシンプルさやわかりやすさが、
大都会の東京ではそろそろ見透かされてきたのかと、
考えさせられてしまう。

複雑で難解な価値観への大転換。
それが2011年の現在である。

シンプル過ぎる発言や提案、
わかりやすすぎる言説や誘惑は、
信用できない。

そう心得ておかねばならない。

私が言い続けているのは、
「トレード・オフ」から「オクシモロン」へ、
考え方が変わったということ。

あちらを立てれば、こちらが立たず。
こちらを立てれば、あちらが立たず。

ならば、えいやっと、
どちらかを切り捨てる。
それがトレード・オフ。

しかしあちらも立てて、こちらも立てねばならない。
それが「愚かな賢さ」「鈍い鋭さ」「創造的破壊」など、
反対の概念を包含しつつ、
問題を解決していく姿勢、
すなわちオクシモロン。

今日で、震災から1カ月。
堺屋太一さん言うところの「第2段階の救済」がほぼ終了し、
「第3段階の復旧」に移る。

もちろん現地を訪れてみると、
まだまだ救済段階だらけであることも実感できるが、
日本全体で見ると復旧に動き始める。

いよいよ、立ち上がる時だ。

元気を出して、
立ち上がれる者たちが、
立ち上がる。

そして、まだ立ち上がれない者に、
手を添えて、ともに立ちあがる。

それがこれからの日々。

だから、最初は被災地の商業人を励ましたこの詩は、
これから日本の商人全員のものとなる。

元気を出そうよ、
それがあなたの仕事です。
元気を売ろうよ、
それがあなたの役目です。

だからふたたび、
3月12日の九州新幹線全線開通のCM。
[youtubeID:UNbJzCFgjnU]
「ひとつになってくれて、ありがとう」

開通に歓喜する九州新幹線沿線の人々。

東北新幹線が復旧して、
被災地が復興したら、
絶対に、この歓喜を、
東北・北関東の人たちと、
分かち合いたい。

ともにがんばろう、東北。
負けるな、不屈の日本人。

さて、私は先週の火曜日から木曜日まで、
東北の被災地を訪問した。

その二日目の4月6日水曜日。
宮城県石巻市を訪れた。

目指すはヨークベニマル湊鹿妻店。
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しかしこの店は、被災し、閉鎖中。

そこで、まずはじめに、
石巻で営業しているヨークベニマル石巻蛇田店に行く。

ここに湊鹿妻店の物江信弘店長をはじめ、
スタッフがいて、働いている。

湊鹿妻店の物江店長(左)、
蛇田店の小林稔店長、

二人のお話を聞いた。
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それから物江店長の運転する車で、
石巻市内をご案内いただいた。

今日はその石巻の現在の状況を、
写真でレポートする。

私たちはまず、石巻市の山側にある蛇田店から、
海岸の方向にある中浦店へ。
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建物は残っているが、周辺には瓦礫が寄せられている。

その駐車場は今、一般道路となっている。
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なぜか。

店舗のわきを走っていた石巻街道の道路が、
陥没して通行できなくなったからだ。
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だから店舗の駐車場を道路にしているが、
そこに自衛隊の給水車が停まっていた。
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「ヨークベニマル」のマークとともに、
店舗の建物は一応、立っている。
マークのところに黒い筋が残っているが、
そこまで津波が来て、しばらく浸水していた。
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近寄ってみると、浸水の高さがわかる。
自動販売機の上段まで、浸かっていた。
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中浦店の中は、使えない。
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復旧の目途は立っていない。
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その中浦からさらに海に向かって走る。
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石巻米穀販売協同組合の建物。
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津波によって浸水した海水が、残る。
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建物のガラスは割れ、水流で運ばれた瓦礫が、
その建物の中に詰まっている。
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ローソンの跡。
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海に近づくにしたがって、こういった光景が多くなる。
建物の骨組みだけ残り、中には瓦礫が詰まっている。
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右手が海。
その前面は瓦礫が残されている。
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これも骨組みだけが残った建物。
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瓦礫も片付けられつつあるが、
あとは、戦場跡ような荒れ地となる。
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曲がった電信柱。
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人家の垣根には、白いものがまとわりついている。
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そして日本製紙石巻工場が見えてくる。
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巨大な工場には鉄道の引き込み線があるが、
それも津波に破壊されている。
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工場の威容だけが残るが、
メル・ギブソンが主演した映画「マッド・マックス」のようだ。
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石巻の工業埠頭に突き出るように日本製紙がある。
その埠頭は津波の大波を、もろにかぶった。
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そして巨大な鉄のかたまりとなって残った。

工場はどこまでも続くかのように感じられた。
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港から木材を積み上げて、パルプに変え、紙をつくる。
出来上がった白い紙が、工場周辺から出て、街中に散乱している。
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日本製紙石巻工場は2000人の従業員を雇用していた。
しかし、全員解雇という方針が出されている。
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工場の中心部から離れて、倉庫などが林立しているが、
それも骨組みだけの空き家となっている。
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いつまで続くのかと思われる工場。
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石巻工場にいた従業員は全員無事と伝えられる。
非番だった2人の死亡が確認され、4人が行方不明。

それが途切れると、右手に海が見えてくる。
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左手には建物跡。
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東に向かって、北上川に近づく。
周辺は荒涼たる光景。遠くにマンションの建物が見える。
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海に面した倉庫は、外壁と骨組みだけ。
中はガランドウ。
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石巻市内の真ん中を流れる北上川の、
いちばん海側の橋を渡る。
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写真の左手が旧市街及び日本製紙の工場。
右手が被災度が激しかった漁港地区。

橋のうえに避難した人がいたのだろうか。
その人たちは助かったのだろうか。
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橋を下りきると、同じように骨組みだけの建物。
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ファミリーマートも被災している。
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石巻は鯨漁の街でもあって、鯨缶詰が名物。
その巨大な広告宣伝ディスプレーが、道の真ん中に転がっている。
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石巻ガスのタンクが2基。
ヨークベニマル物江店長が教えてくれた。
「このタンクの外周の階段を頂上近くまで登って、
助かった人たちがいました」
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看板は斜めになっている。
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車はぐちゃぐちゃになって、連なっている。
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ベルプラスのビッグハウス魚町店が見えてきた。
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この店も津波に浸水し、
お客と従業員は屋上に上って、助かった。
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ビッグハウスの店舗の裏側。
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骨組みだけになって、店内には流れてきた瓦礫が、
ぎっしり詰まっている。

そしてローソン石巻緑町店。
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しまむら緑町店も同様の惨事。
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いよいよヨークベニマル湊鹿妻店に近づいてきた。

一方、石巻市中心部の商店街は、床上浸水したものの、
漁港地区や日本製紙付近ほどひどい被害は受けてはいない。20110411183639.jpg

それでも街の中は泥だらけ、瓦礫がいっぱい。
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しかし北上川に近くなるにしたがって、
どんどん被災が激しくなる。
サルコヤ楽器の店舗は、
ガラスウィンドーが割れ、
泥をかぶったピアノが並んでいる。
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瓦礫に囲まれ傾いた商店街の人家。
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商店街の交差点には、
津波に打ち上げられ、陸に上がった漁船が、
赤い船底を見せて横たわる。
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商店街の店舗も、使い物にならない廃屋と化した。
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北上川沿いの市場付近も、
ひっくり返ったようになっている。
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北上川の対岸沿いの石ノ森萬画館。
建物はしっかり残ったし、
入口の仮面ライダー看板も健在。
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橋を渡って、漁港地区の女川街道。
その街道沿いは、どんどん被害が激しくなる。
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今のところ復旧工事には手をつけられない。
ほとんどが、瓦礫撤去工事。
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女川街道沿いには、流されてきて連結してしまった人家。
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救助・救済に大活躍の自衛隊の隊列が行く。
とても頼もしく見える。
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陸橋の下には、横転して車底を見せる車。
その向こうは避難所になっている石巻市立湊小学校。20110411183905.jpg

女川街道は陥没し、水浸し。
物江店長によると、
「このあたりに水が上がったことはありません」
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ヨークベニマル湊鹿妻店近くのローソン。
山を背景にしたこの店には、
「流されてきた車が2、3台詰まっていました」
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そして山の裾野にお墓。
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墓石のうえに、
流されてきたトラックや車が載っている。
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街道沿いに車が積み重なっている。
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津波は海側から山側に押し寄せた。
だから山側には様々なものが流されてきた。
それが今も人家や建物にへばりついている。
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ショッピングセンターも形だけ残った。
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そしていよいよ、見えてきた。
ヨークベニマル湊鹿妻店。
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物江店長の息遣いが、
心なしかあらくなったように感じた。
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この石巻の惨状の中で、
ヨークベニマル湊鹿妻店は、
四方を津波に囲まれつつも、
屋上に500人の人々が避難し、
生き残った。

物江店長の胸の鼓動が、
また激しくなったように感じられた。
(物語は明日に続きます)

さて、4月第3週。
明日からプロ野球が始まる。

救済段階は1カ月。
その後、復旧段階に入る。

ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。

今月の商人舎標語。

石巻を見ていても、
復旧は途方もなく遠いことのように感じてしまうが、
それも、「ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ」

これしかない。

地道に地道に、
ひとつ、すこし、いっぽ。
その積み重ね。

気が遠くなるような仕事。
それも一人ではつらい。

1万の仕事をひとりでやると、
1万回しなければならないが、
1万人ならば、
1回ずつなせばよい。

100万の仕事なら、
100万人でやろう。
1億の仕事なら、
1億人でやろう。

この精神が、
ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつに、
元気と勇気を与えてくれる。

では、今週も、
Everybody! Good Monday!

<結城義晴>

2011年04月10日(日曜日)

ジジと震災1カ月後の桜[2011日曜版vol15]

あの震災から1カ月。
被災されたみなさんに、
お見舞い申し上げます。
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もう桜が、
満開です。
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おうちのそばの菊名池公園。
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ユウキヨシハルのおとうさんも、
この桜はすきです。
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それから、会社のそば。
新田間川の桜。
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いつも、このみちをあるいて、
会社にいきます。
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対岸にいっぽんだけ、桜。
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桜は、
けんめいに、
さいています。

それがとても、いい。
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桜はなぜか、
ひとりでさいていることがある。
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この桜はとりわけ、
いっしょういけんめい、
さいています。
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ブロガ―のナンバさんがとったこの桜は、
うえをハトがとんでいます。
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「羽ばたけニッポン」とナンバさんは、
いいました。

自然のなかで晴れやかに、
さいているのもいい。
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パッと、
さいているのもある。
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桜の花をみていると、
かんがえてしまいます。
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どんなふうに、
生きるかを。
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ボクはやはり、
しずかに、
さくのが、
いいとおもいます。
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震災から1カ月がたちました。
みじかかったのか、
ながかったのか。
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余震もありますが、
被災されたみなさんが、
こんやも、あんしんして、
ねむることができますように、
おいのりします。

<『ジジの気分』(未刊)より>

2011年04月09日(土曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴渾身の現地ルポ「三章 盛岡ジョイス/ベルプラス編」

“Think unthinkable!”
「考えられないようなことまで考えよ」

それから、
“Never say, never”
「絶対に起こらないなどとは、金輪際言うな!」

日経新聞国際面で編集委員の高坂哲郎さんが、
欧米の安全保障や危機管理の専門家の合言葉を紹介している。

中部銀次郎の言葉にすれば、
「最悪を覚悟して最善を尽くせ!」

中部さんはストイックなスポーツマンだったから、
「最善を尽くせ」と結論づけるが、
欧米人のリスクマネジメントはリアリズムだから、
「最悪を覚悟せよ」としか言わない。

しかし最善を尽くしても、
それでも人間の力ではどうにもならないことがある。

昨日の日経新聞一面コラム『春秋』。
災害社会学の第一人者・広井脩の著書『災害と日本人』から引いた。
「日本人の伝統的な災害観」の三つ。
①「天譴(てんけん)論」
「人間社会への天の戒めとみる」
関東大震災の時の渋沢栄一や内村鑑三の考え方。
石原慎太郎東京都知事がこの天譴論者。
②「精神論」
「災害に科学的に対処するよりも心構えを強調する考え方」
これは「最終的に神仏依存に通じる」
今回も振興宗教がはびこるだろう。

③「運命論」
「災害とそれによる生死を運命として受け入れる」

「そう割り切ることで悲劇性を心理的に抑える効用がある一方で、
あきらめにつながる恐れもある」
これは、広井さんの指摘。

このコラムは最後に、
東京都三宅村の平野祐康村長の言葉を出す。
「火山噴火で4年半の全島避難を経験した」ひと。
「誇れることがあったとすれば、
自殺者を出さなかったことだ」

そして結びは、「人と人のつながりがますます大切になる」。

私はそれに付け加えたい。
これから必要なのは、
「一心に仕事をすること」。

その日経の投資・財務欄。
「小売り・外食、震災が影」
セブン&アイは381億円の営業利益マイナス、
そして260億円の特別損失。

高島屋は3月、売り上げ減90億円。

ダイエーは店舗の被害などで15億円の特損。

ファミリーマートは営業利益25億円のマイナス、
40億~60億円の特損。

しまむらは90億円の売上げマイナス、
30億円の特損。

ファーストリテイリングは30億円の売り上げ減、
10億円の特損。

売上げマイナスと特別損失の、
オンパレード。

この数字の世界は、
天譴論でも精神論でも運命論でも、
逃れられないし、解決しない。

一昨昨日、
ベルプラス会長の遠藤須美夫さんとじっくり話した。
共同仕入れ機構CGCジャパンの重鎮で、
東北CGC のリーダー。
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「今回はCGCの役割が大きかったし、
今後はCGCブランドがもっともっと重要になる」

私も同感。

いわきのマルトも大船渡のマイヤも、
CGCジャパンに加盟していて、
その商品供給と仲間企業の助力に、
大いに励まされ、助けられた。

東北と北関東の広範な震災は、
ナショナルチェーンの「機能」の強さを、
再認識させた。

イオンはナショナルチェーンだし、
セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマートのコンビニも、
ナショナルチェーン。

しまむらもユニクロも、
ニトリもコメリも、
ナショナルチェーン。

ナショナルチェーンとは、
全国規模のチェーンストアであるということ。

だから東北北関東の震災に対しても、
健全な西日本の店や部門が奮起して、
東日本の店や部門を自助することができる。
CGCジャパンも全日食チェーンも、
ボランタリーチェーンのナショナルチェーン。

遠藤さんの言うCGCの役割の強さは、
地域地域のローカルチェーンが集まって、
「ナショナルチェーン」を形成していることを意味する。

ベルプラスもジョイスも、
CGCジャパン加盟のナショナルチェーンで、
まあ東北はCGCジャパンだらけということになる。

ジョイスの小苅米英樹社長は、言う。
「営業本部の全店では、
店長が中心となって店頭販売を始めたし、
総務部門はガソリンの補給をいち早く確保した。
開発本部は被害状況を素早く調べ、
商品本部はトラックで商品を集めに回った」
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「組織ごとに機能を果たし、
自動的に動くことができた」

震災が起こったときにいちばん、
やってはいけない態度。
それは「指示待ち」。
行政には未だにその傾向が顕著だが、
小売業に、それがあってはならない。

小苅米さんが言うのは、
「指示待ち」がなかったということ。

それでも営業本部の佐々木寧さんは、述懐する。
「この20日間ほどはまともに眠っていない」
組織で役割・機能分担して動くと言っても、
その組織ごとのトップは、不眠不休である。

ジョイス専務の青木洋一さんは、
この会社の懐刀だが、
「これからは体力勝負になる」と見る。

私の「寡占化が進む」という見方にも、
賛成してくれた。

それはジョイスが、リージョナルチェーンを志向しながら、
ナショナルチェーンのCGCジャパンにも加盟していることの、
バックボーンを意識した見解だと思う。

東北関東大震災の後、
日本の小売りマーケットの様相は、
確実に変わる。

私は、強く実感した。

しかしナショナルチェーンが、
重要な機能を果たしたことは確かだが、
店舗の価値が個店にあることは、
絶対的な要素である。

ここは、間違えてはいけない。

強い個店がナショナルチェーンの力によって、
さらに強くなることが起こる。

弱い個店はナショナルチェーンだろうが、
リージョナルチェーンだろうが、弱い。

小苅米さんは震災後全社にメッセージを発した。
毎週月曜日に「社長からの手紙」を出しているが、
その震災特別版。

それには呼びかけがあった。
「早く通常に戻そう」

いち早く通常に戻した者が、
顧客の支持を得る。

顧客こそが、
「はやく日常を取り戻したい」と、
熱望しているに違いないのだから。

<結城義晴>

2011年04月08日(金曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴渾身の現地ルポ「二章 宮城・岩手の人々編」

昨夜11時32分頃、
3月11日以来最大震度の余震。
震源は宮城県沖の深さ約40キロ。
マグニチュードは7.4。

私はこの瞬間、
東北自動車道上り車線・栃木県黒磯市のあたりを、
盟友・鈴木國朗さんと一緒に走っていた。

走っていたと言っても、
ランニングではなく、
ドライビング。

4月5日から3日間で、
鈴木さんとともに1600キロを走破し、
被災地の商業人を訪問、支援・激励し、
深夜の2時過ぎに横浜に帰着。

しかし、ほんの数時間前に会っていた人々が、
また震度6強の余震を被っている。
その心を察すると、私の心も痛んだ。

心より、お見舞い申し上げたい。

仙台市宮城野区や栗原市で震度6強、
岩手県大船渡市、釜石市などで震度6弱が観測された。
今日8日の午前中現在で、
死者2人、重軽傷者132人。

この余震直後から、
青森、秋田、岩手の3県全域が停電。
宮城県内も広範囲の停電。

もう、「いい加減にしてくれ」といった気分になる。

一番気がかりだったのは、原発。
幸いに大きな事故にはつながらず、
ちょっとだけ安心。

3月から運転停止中の女川原発は、
微量の放射性物質を含む使用済み核燃料プールの水が建屋内に流出。
ほんとうに微量だったため環境への影響はないと発表された。

福島第一原発は施設への影響なしとして、復旧作業続行。
柏崎刈羽原発も、新たな損傷・電源トラブルなしとの発表。

日本原燃六ケ所再処理工場は使用前検査中だったが、
外部電源が一時遮断されたものの、非常用発電機使用で問題なし。

被災地を回って、まだまだ、
「第2段階の救済レベル」の地区が多いことを実感したが、
それでも原発問題だけは未だに「快方」に向かっていない。

余震はすべての人に、
このことを思い出させた。

さて、一昨日から昨日にかけて、
会った人々。

まず、4月6日の夕方、
石巻のヨークベニマルの二人の店長。
湊鹿妻店の物江信弘さん(左)と、
石巻蛇田店の小林稔さん(右)。

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湊鹿妻店は津波によって崩壊。
物江店長は屋上に残った500人の命を守りきった。
お二人のドラマは来週月曜日4月11日、
震災1カ月後の日に紹介する。

それから盛岡市に移動して、6日の夜、
㈱ベルプラス会長の遠藤須美夫さんと、
社長の澤田司さん。

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澤田さんは、
コーネル大学リテール・マネジメント・プログラム・オブ・ジャパンの第二期生。
ベルプラスの「ビッグハウス石巻店」も、
大津波によって、すっかり破壊された。
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それでも、力を合わせて復興に邁進。

そのビッグハウス遠野店。
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この店では、ベルプラス専務の高橋政敏さん(右)と、
取締役管理部長兼社長室長の菊地甚成さん(左)に会った。
中央はこの店の副店長さん。
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がんばろう東北。
明日に向かって
力を合わせて、
がんばろう岩手。
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7日の朝には、㈱ジョイスの幹部のみなさん。
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真ん中が社長の小苅米英樹さん。
左端が専務の青木洋一さん、
右端は営業本部執行役員販売部長の佐々木寧さん。
小苅米さんと青木さんの間になぜか三井物産の花牟礼真一さん。

小苅米さんはコーネル大学RMPジャパン第一期生、
佐々木さんと花牟礼さんは第二期生。
コーネルつながりで、震災後の対応について意見交換。

ジョイスは組織の力で、
この震災を乗り切ろうとしている。
「組織力」が語られたことは、
私、ほんとうにうれしかった。

ジョイス応接室の窓から、
雪をかぶった岩手山の雄姿が見えた。
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夕方には、ジョイス大船渡店店長の五日市守さん。
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店舗裏のプラットフォームまで、
津波の水が押し寄せた。
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それでも勤務していた従業員は全員無事で、
お客様にも怪我がなかった。

今では、がんばって店を維持している。
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ジョイス大船渡店が入っているショッピングセンター「サンリア」。
ここでは「がんばろう気仙!!」
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盛岡市内では、
㈱ユニバースの盛岡南店店長の工藤公一郎さんにも、
ちょっとだけ会った。
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工藤店長はこの5月の商人舎USA視察ベーシック編に、
参加してくれる。

奥州市のKマートのみなさん。
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たった1店舗のスーパーマーケットだが、
みんなの力を合わせてお客様に奉仕し続けている。
3月の成績は前年比200%。

そして昨日の最後には、
大船渡の㈱マイヤ社長の米谷春夫さん。
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米谷さんは16店のうち6店を失った。
お母様も亡くした。
自宅は津波にさらわれた。

それでも「ライフラインを守る」使命感で店を開ける。
<マイヤ物語は、4月19日掲載となりました>

「ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ」

復旧から復興へ、私たちは歩を進める。

私のブログも、
急ぎ足ではなく、
一歩ずつ話を展開しよう。

3月11日午後2時46分の大地震と、
30分後にやってきた大津波。
そのときから、たくさんの商人の物語が始まった。
たくさんの商人の物語は、大きなうねりとなって、
そのお客様の生活を守った。
たくさんのお客様から、
普段は聞くことのできない「ありがとう」の言葉を引き出した。

一つひとつに、
一人ひとりが、
死に物狂いで取り組んだ。

それが「ありがとう」のこだまとなって、
東北の街々に響き渡った。

「ありがとう」
「ありがとう」

「ありがとう」

私はこの「ありがとう」が、
東北を蘇らせると信じている。

この「ありがとう」が、
日本を救うと確信している。

「ありがとう」が、
私たち自身を、
人間らしくさせてくれると考えている。

こころより、ありがとう。

皆さんも、良い週末を。

被災地のみなさんが、今夜、
やすらかに眠ることができますように。
被災地のみなさんのその眠りが、
明日の活力ある目覚めにつながりますように。

今週もこのブログに来てくださって、
ありがとう。

<結城義晴>

2011年04月07日(木曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート・「一章 仙台名取編」

横浜を出て、三日目。
1030キロを走った。

神奈川県から東京都、
栃木県、福島県、岩手県を移動。

東北自動車道を北上し、
郡山市から仙台市、
そして石巻市から盛岡市。
さらに奥州市から大船渡市へ。

お会いする人、
話しする人、
涙涙の交流。

商売の素晴らしさ、
それに打ち込むことの尊さ。

大地震と大津波に見舞われたからこそ、
素晴らしさ、尊さに出会った。

日経新聞では、セブン&アイ・ホールディングスやイオンで、
断裂していた東北の物流体制が、
震災前のレベルまで回復したと報告する。

しかし、被災した人々、
被災した店舗は、
まだまだ悲惨なままだ。

震災時の5つの段階。
①救助の段階
②救済の段階
③復旧の段階
④復興の段階
⑤振興の段階

セブンとイオンのロジスティクスは、
第3の復旧段階が進んだのだろうが、
被災地の人々は、まだまだ救済の段階。

実際にこの地を訪れると、
それが良くわかる。

一昨日は仙台市内のホテルに泊まった。
電気はきているが、ガスがまだ復旧しておらず、
暖房もお湯もない。

だから夜中に、毛布をかぶって、
パソコンに向かった。

昨日の朝は、仙台市内の三井物産㈱を訪問。
コーネル大学RMPジャパン第二期生の花牟礼真一さんと情報交換。
花牟礼さんは食料・リテール本部食品流通部東北営業部長。
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仙台や石巻などの情報を詳細に教えてもらった。

しかし仙台で被災した花牟礼さんも、
1週間は「自分たちができること」によって、
救援に動いたという。

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メーカーや卸売業のように拠点や物流機能を、
自ら持つわけではない。

それでも三井物産には仙台市から、
様々な要請や協力がくる。

それに対して、商社にはネットワークがある。
花牟礼さんは「ネットワークの使命感」と言った。
その使命感で、援助に協力し、
自らも避難所を訪れ、物資を提供した。
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写真は東松島市矢本学校給食センターに、
自衛隊と協力して支援物資を運び込んでいるところ。

人々がみな、自分の「できること」をやって、
被災者を支援した。

花牟礼さんは言う。
「我々が復旧することが、
被災者を支援することにつながります」

そして仙台で被災したものとしてつくづくと述懐する。
「食は最も重要なライフラインでした」

市内のダイエー仙台店は、
三井物産東北営業所の窓から見えるところにある。
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いち早く復旧し、営業を再開した。
ダイエーへの顧客の行列は、
4人の列で2ブロック、500mも続いたという。
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ダイエーも頑張っている。
私はうれしくなった。

その後、鈴木國朗さんとともに、
仙台から南に向かう高速道路を走った。
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海を左手に見て、高速を走る。
一段と高くなった高速道路が、
堤防の役を果たして、津波を堰止めた。
しかし海岸線から高速道路までの1.5キロくらいのスペースは、
荒涼たる光景。
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海の臭いと泥の臭いが絡まった異様な臭いが、
車のなかにいても鼻をつく。
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高速道路は、時折、でこぼこが出ている。
ガードレールも時々、曲がっている。
そして泥が舞い上がる。
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海岸線の防風林と高速道路の間に、
まだ海水が溜まったところが見える。
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そして一級河川の名取川。
津波は名取川をのぼり、
この部分だけは高速道路堤防を越えて、
付近を荒らしまわった。
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広大な「元」田んぼに流れてきた自動車が、
そのままに点在する。
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荒涼とした光景が続くが、
写真真ん中左手に、
打ち上げられた船が見える。
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高速道路を仙台空港のところで降りて、
津波に被災されたエリアに入る。
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海に向かって一直線にもどる道路。
両サイドには今や何もない。
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しばらく走ると、津波に流されてきたものが、
ごろごろころがっている風景が現れる。
20110407202307.jpg

海に近づいた集落の入り口。
水たまりのわきに、
流されてきた車が放置されている。
20110407202334.jpg

瓦礫のなかに、
骨ばかりになった車。
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わずかに残った二階建ての民家と車たち。20110407202422.jpg

タンクローリーも流され、ぐにゃりとつぶされている。
20110407202450.jpg

ガードレールもぐにゃぐにゃに曲がって、
道路わきに倒れている。
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高速道路のそばにも、藁にくるまった4WD。20110407202556.jpg

海岸線につながれていたボート。
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道路に上がったボート。
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仙台空港の近くは立ち入り禁止だったが、
付近にはセスナが転がっているそうだ。

津波の影響の少ないエリアもある。
その中にセブン-イレブンの店舗があった。20110407202802.jpg

店は閉鎖されている。
しかしスーパーバイザーのトヨタ・ヴィッツが、
横付けされていた。
20110407202824.jpg

海岸から離れたエリアでは、
ホームセンターが営業していた。
20110407202851.jpg

そしてパチンコホール・ダイナムの新フォーマット「信頼の森」美田園店。20110407202916.jpg

併設されているファストフード「めん六や」。20110407202937.jpg
元気に営業。

信頼の森は、「煙い・うるさい・わからない」を排除した画期的な店。
被災者や避難所暮らしのパチンコ愛好家が遊びに来ている。

沖慎司ストアマネジャーと握手。
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この店は、休暇中の社員が一人、津波にのまれて亡くなった。
隣の店で働いていた奥さんも亡くなった。

高速道路の反対側・名取地区のヨークベニマル名取西店。
このエリアでは最も激しく被災した店舗。
しかし幸いにも津波被害にはあわなかった。
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ホームセンターのホーマックが併設されていて、
どちらも元気に営業中。
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テントに商品を積んでいる。
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ヨークベニマルとホーマックの間をつなぐモール部分の天井は、
崩落している。
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天井には大きな穴があいている。
20110406022432.jpg

ヨークベニマルの入口ガラス面も壊れていて、
青いビニールシートがかけられている。
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鮮魚部門の天井との間も崩落し、
ブルーのシートがガムテープで止められている。20110406022510.jpg

ヨークベニマル名取西店店長の本多博文さん、49歳。
脂の乗り切ったYBマン。
リーダーシップを発揮して、
震災翌日の12日から店を開けた。
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その商人魂をたたえて、握手。

停電、断水、連絡も途絶え孤立した店舗。
夜通し店にいて、かたづけし、
12日、被災直後に必要な商品を店頭に持ち出して、
販売した。

お客は何重にもとぐろを巻いたように列をなして、
辛抱強く待ってから、買ってくれた。

店にある商品を順番に店頭に出して、
12日から15日まで4日間売り続けた。

電卓で打って、手から手で商品を渡した。

最初の頃は本部とも連絡が取れず、
近隣の店舗の店長と連絡をとりつつ、
知恵を出し合って、商品がある限り、売り続けた。

4日目には本部の手配で、
関西から冷蔵ケースの修理業者がやってきて、
元に戻してくれた。

そこで、16日、17日の2日を休業として、
従業員の疲れをとって、
18日から店内の一部で、
生鮮食品なども販売し始めた。

ただし1家族15個、20個と制限を加えた。
「どんどん売っても、
買えないお客様がいらっしゃるから、
公平とするために制限する」

これが本多店長の考え方だった。

お客様は驚くほど整然と、買い物してくれた。

業務総括マネジャーの土屋かほるさんは、
店長の判断力と指導力をほめたたえた。

ヨークベニマル名取西店。
まだまだ復旧には時間がかかる。
20110406022605.jpg
しかし店長をはじめ、
すべての従業員の士気は高い。

YBマンとしての誇りや使命感とともに、
お客さまからの「ありがとう」の声が、
彼らを支えている。

なぜか、心から感謝したくなる。
「ありがとう」

(つづきます)

<結城義晴>

2011年04月06日(水曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート・「序章 郡山編」

午前5時38分、福島第一原発、
流出していた高濃度汚染水が止まった。

一歩、進んだか。
期待させるニュース。
現場の努力に敬意を表したい。

原発の現場でも、
使命感に燃えて仕事してくれているに違いない。

いま、その使命感こそ、
私たち自身を支えるものだ。

立教大学総長の吉岡知哉さんから、
「新しい年度の初めにあたって」というタイトルで、
立教大学教職員に向けたメッセージが届いた。

「毎年4月、大学は新しい学生たちと新任の教職員を迎え、
新たな年度のスタートを祝います。
4分の1の学生が入れ替わるこの季節は、
大学という組織にとって、
毎年繰り返される再生の季節だということができます。

しかし、2011年4月は、
いつもとは大きく異なる春になりました。
3月11日の大地震の後、
私たちは卒業式と入学式を中止し、
授業開始をもひと月遅らせなければなりませんでした。
しかも私たちは今もなお、
終わりの見えない災害のただなかを生きています。

このたびの大震災は、未曾有の天災であると同時に、
人間社会と科学技術のあり方を根本から揺るがす出来事になりました。
学問を通じて文明社会の形成に大きな役割を果たしてきた大学は、
この出来事を真摯に受け止めるとともに、高等教育機関として、
困難を生き抜き未来を担う青年たちを育てていかなければなりません。

亡くなられた方々を悼み、
被災者の方々が一日も早く
安心して生活できるようになることを願いながら、
私たちは私たちの使命を強く自覚し、
研究と教育という日々の営みを着実に進めていくことが
何よりも大切だと思います」

「私たちの使命を強く自覚」し、
「日々の営みを着実に進めていく」

大学も小売りサービス業も商売も、
まったく変わらない。

さて昨日の朝、私は横浜を発って、
東北に向かった。
今回の「相棒」は鈴木國朗さん。
㈱アイダスグループ代表取締役社長。

スーパーマーケットのマーチャンダイジングとマーケティング、
そしてプロモーションの指導に関しては、
ナンバー1のコンサルタント。

『食品商業』には、私が編集長になる前から、
四半世紀以上、1号も欠かさず、原稿を書き続けている。
さらに『販売革新』『チェーンストアエイジ』にも連載をもっている。

私の盟友の一人。

その鈴木さんと一緒に、東北の被災企業を巡り、
経営者や働く人々の「使命感」を知る旅。

湾岸道路から東北自動車道へ。
東京スカイツリーの雄姿が、
私たちを送り出してくれた。
20110406022038.jpg

東北自動車道に入って、
私は電話で、
㈱ヨークベニマル社長の大高善興さんと話した。

現在、ヨークベニマルは、
福島県郡山市の本部に加え、
栃木県宇都宮市の御幸ヶ原店内に、
仮設本部を設けている。

原発の問題はいまだ解決していない。
だから万が一を想定して、
2本部制をとっている。

これはリスクマネジメントの基本中の基本。

いわき市のマルトも、
いわき市内の本部に加え、
今回、茨城県内に第2本部を設定した。

大高社長は語る。
「私の仕事は、社員を守ること。
なのに店長たちは、口々に言う。
店を開けさせてください、と」

そのヨークベニマルを見に行く。
宇都宮、黒磯を過ぎて、
郡山に入る。

福島県第一の都市にして、
第一の商都。
県庁所在地の福島市に対する郡山市は、
たとえて言えば、
東京に対する大阪というより、
ローマに対するミラノに近い。

その郡山、まずはイトーヨーカ堂郡山店。
20110406022113.jpg
タクシーで買い物に訪れる顧客がいる。
平日というのに、それくらいお客が入っている。

福島第一原発から60キロ圏に入る街。
福島県の浜通りから避難している人たちも多い。

総合スーパーの生活全般に対する総合性が、
現在の郡山のマーケットに、
ぴったりと合っている。

西友ザ・モール。
20110406022221.jpg
震災後、休業中。

そしてご存知、郡山を本拠とするヨークベニマル。
福島県に66店展開。
郡山市内に16店のドミナントを築いている。
20110406022131.jpg

店頭に、ポスター。
20110406022141.jpg
「がんばろう! 福島」

そして店舗入り口の青果部門のトップには、
地元福島産の野菜コーナー。
「がんばろう ふくしま!
地産地消運動」

20110406022152.jpg
放射能被害で出荷停止となったり、
風評被害に遭ったりと、
農産物や牛乳に被害が出ている。

ヨークベニマルは地元の企業として、
安全・安心を確認したうえで、積極推販している。

店舗は元気だが、
震災被害は鮮魚部門の天井と壁面などに受けた。
そこで応急処置として、
青いシートを張っている。
20110406022204.jpg
ヨークベニマルは郡山から始まった。
そして今、盤石の高占拠率をほこる。

この郡山でのローカルチェーンの考え方を、
福島、会津若松と拡げていって、
福島で絶対的な信用と売上げをつくる。

それを宮城県に43店、
山形県に15店、
茨城県に26店、
栃木県に20店、
すこしずつ広げて、
日本を代表するスーパーマーケットのリージョナルチェーンをつくった。

しかし今回の東北関東大津波大震災は、
このリージョナルチェーンであっても、
全体にわたって影響を受けることを教えた。

とりわけ、福島・宮城・茨城の浜通りの店舗群は、
決定的な打撃を被った。

そのうえ、原発問題は、
時間を経ても打開策が、おぼろだ。

大高善興社長は、言う。
「毎日、ニュースばかり見ていると、
気が滅入ってくる。
そうするとトップマネジメントとして、
消極的になるばかりだし、
冷静な意思決定ができなくなる。

だからニュースは朝晩、1回ずつしか見ない」

トップとして強い意志をもって、
将来を見つめなければならない。

「これが最後の仕事」
それが大高さんの心意気。

さて郡山では、㈱ニラクの本部を訪問した。
パチンコホールのチェーンストアとして、
49店舗を展開し、
売上高2089億3円(平成22年3月期)、
経常利益38億円。

従業員数は1583名。

ニラク本部では、谷口晶貴会長と谷口龍雄副会長が迎えてくれた。
20110406022238.jpg

ニラクは49店中、昨日現在で、
44店の営業にこぎつけた。

1店舗は福島原発20キロ圏にあり、立ち入り禁止区域。
1店舗は同じく20キロから30キロ圏内にあり、
こちらも営業再開の目途は立たない。

だが、店舗を3つに分類して、すぐに対策を練った。
①すぐに営業できる店
②復旧が早い店
③時間がかかる店

その中で46店までは4月第2週までに再開の予定。

谷口さんの話。
「パチンコホールには絶対的なファンのお客様がいらっしゃる。
ファンにとっては、こういった震災で被災されたときなど癒しとなる。
パチンコはオリンピックやワールドカップなどの大イベントの時にも、
根強いお客様があって、客数の落ち込みは少ない。
今回の震災の時にも同じだった」

ニラクでは約700人が社員。
約800人がパートタイマーやアルバイト。
震災などで店舗の閉鎖や休業があると、
そういった人たちは一気に収入が下がる。

そこで震災勃発直後に、
社長名でまず、
「ワークシェアリングのうえで雇用確保する」
メッセージを発信した。

当初は20%マイナスを予想したが、
今のところ10%に至っていない。

一つだけ残念なことは、
1583名の従業員のなかで、
1人、亡くなった点。

公休をとって、陸前高田での葬儀に参列していた人。
こういったケースは意外に多い。

谷口会長は最後に言った。
「踏ん張る覚悟はできている。
ひとつだけ、原発問題が引っ掛かる」

福島の発電力は全国の12%を占める。
その福島の電力のうち県内で使うのは12%。
残りの88%が首都圏に供給されている。

県外への電力供給88パーセントは、
だれが決めたか否かにかかわらず、
福島の使命となっていた。
それを県民が背負った。

大高さんにしても、谷口さんにしても、
郡山の経営者はそれを実感していて、
私たちの想像を超えた複雑な重圧を感じている。
最後に全員で写真。
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前列、私の隣がニラク会長の谷口晶貴さん。
後列真ん中が副会長の谷口龍雄さん。
そしてその左隣は人資部マネジャーの末次秀行さん、
その隣がニラク大学リーダーの遠藤信秀さん。
右端は経営企画室長の大石明徳さん、
私の後ろは、
今回の「相棒」アイダスグループ代表・鈴木國朗さん。
この旅は、
人間と組織の使命感を明らかにするに違いない。

私はそんな予感を抱きながら、
郡山を後に、東北自動車道を北へ。
私たちは、仙台を目指した。 (つづきます)

<結城義晴>

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