結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2011年04月19日(火曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート「九章 大船渡マイヤ、二度目の誕生」

昨日のブログ「吉野の桜」は、
凄いアクセス数。
ありがとうございました。

こういった明るいニュースや話題が、
今、強く求められてもいる。
そのことが良くわかりました。

吉野ストア社長の安川光男さん、
ほんとうに、ありがとう。

それでも東北関東大津波大震災の現実は、
もとにもどらないし、消えてなくなりはしない。

このことにも真正面から、
向き合っていかなければならない。

日経新聞最終面の『交遊抄』。
指月電機製作所社長の梶川泰彦さんと、
秋田県羽後町の大江尚征町長の交流の話。

梶川さんの指月電機の出産祝い金制度、
「第1子に3万円、第2子に2万円、第3子に1万円、
第4子以後は祝い金は無し」
だった。
なんというか、これが普通の感覚。
下村湖人作『次郎物語』など、
この感じを強く持つ。

家長主義か、長男偏重の表れか。

梶川さんは社員と相談しながら、それを変えた。
「第1子に10万円、第2子に20万円、
第3子に30万円・・・」

累進的に増額する制度。

とっても、いいことです。

これを国や市町村も、
やらねばいけない。

梶川さんの会社では、
「制度を変えて1年ほど経たあたりから、
双子誕生の話など喜ばしい話を社内で聞くようになった」

国や市町村でも、
こんなふうにならなければいけない。

これを大がかりにやる必要があると思う。
一郎・太郎だけでなく、
次郎・三郎・四郎・五郎が、
家族だけでなく社会全体から、
おおいに祝福されねばならない。

さて「東北関東大津波大震災・現地レポート九章」
岩手県大船渡の㈱マイヤの巻。

あらためて、
亡くなられた皆様に追悼の意を表し、
心からご冥福をお祈りしたいと思います。

本当につらい出来事だったが、
まずはユーチューブを見ていただこう。
大船渡の津波のビデオ。
地元カメラマンによる9分23秒の映像。
[youtubeID:1Fbv9vVo80g]

大船渡の隣の陸前高田でも、
北の釜石、宮古でも、
宮城県の石巻でも。

津波は容赦なく、
人家や店舗をさらっていった。
もちろん尊い人命も奪い去った。

朝日新聞4月5日の夕刊の記事。
「岩手 スーパー屋上の夜」

「津波が襲った日、岩手県のスーパーの屋上に、
多くの従業員や住民が取り残された。
店内に流れ着いた人を救ったり、
隣のビルに食べ物を運んだりして支え合った。
店員たちはいま、被災地に食料品を届けている。

同県陸前高田市のマイヤ高田店。
店長の新沼善寛さん(59歳) は3月11日、
3階建ての店舗の外階段を必死に駆け上がった。
下を見ると、駐車場の自分の車が波にさらわれていった。

客や従業員の多くは、津波が来る前に避難させていた。

屋上には、
最後まで店内の確認をしていた従業員や避難に来た住民、
消防団員ら13人が残った。

親子らしい女性と女の子が、
屋根の上にしがみついたまま、
沖に流されていくのが見えた。
『どうすることもできなかった』

水が少し引くと、3階はがれきの山。
燃やして暖をとろうと、
がれきを取りに行った従業員が叫んだ。
『人がいる』。

3階の天井の骨組みにずぶぬれの男性がつかまっていた。
市役所の職員が、波にのまれて運ばれていた。
職員を抱えて下ろし、消防団員が着ていた上着を着せた。

夜はコンクリートの上に発泡スチロールを敷き、
暖を取るため段ボールを体に巻き付けた。

翌朝、ヘリコプターが救助に来た。

同県大船渡市のマイヤ本店の屋上にも、
従業員や住民ら計59人が残された。

同社販売部のマネジャーの伊藤長一さん(59歳)は午後7時ごろ、
斜め向かいのホテルの屋上に避難していた人たちの叫び声を聞いた。
『食べ物がない』。

5階建てのスーパーは3階まで浸水したが、
4階には売り物の菓子類があった。

ただ、スーパーの屋上から、
ホテルの屋上までは約20メートル離れている。
伊藤さんたちは店内から荷造り用のビニール製のひもを見つけ、
その先にボールを結び付けた。

野球の経験がある従業員が、
本店屋上から向かいのホテルの屋上目がけて投げた。
何度も失敗した後にようやく届き、
菓子をいっぱい詰めたスーパーの買い物かごの持ち手にひもを通した。

スーパーとホテルの高さの違いを利用して、
ロープウエーのように買い物かごを移動させてホテル屋上に届けた。

マイヤは岩手県沿岸部を中心に16店を展開する地元スーパー。
津波で6店が店ごと流されたり、全半壊の被害を受けたりした。
従業員7人が亡くなり、約20人の行方がいまも分からない。

それでも、地震4日後から、
陸前高田市の小学校で食糧品の出張販売を始めた。
少しずつ、販売場所を増やしている。

新沼さんは
『こういう時こそ、
地元スーパーとして、
住民の力になりたい』

と、力を込めた」  〈長富由希子〉
〈全文掲載〉

4月7日の夕方、私は相棒の鈴木國朗さんと、
大船渡のマイヤ大船渡インター店に到着。
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駐車場は満杯だった。

この店が現在、
マイヤの仮設本部となっている。
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店の裏の搬入口から、
バックヤードに入って行った。

店長室を外の小窓から覗きこむと、
社長の米谷春夫さんが、机に座って、
一心不乱に、パソコンに何か打ち込んでいた。

静かに扉を開けて顔を見せると、
目があった。
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足を踏み入れ、
近寄って、
両手で固い握手。

それだけで、
涙が込み上げてきた。

3月11日、米谷さんは東京にいた。
CGCジャパンの会合が開かれる予定だった。

しかしあの大きな地震。
米谷さんは東京在住の妹さんに車を手配してもらって、
24時間、一般道を走り通しで地元にもどった。

その間、朝日新聞の記事のように大船渡本店では、
幹部をはじめとして伊藤マネジャーたちが、
陸前高田店では新沼店長が、
必死の努力を重ねていた。

それでも、すぐに停電、断水、それに余震。

幹部の判断で、被災を免れた大船渡インター店では、
被災した店舗を片付けつつ、
震災当日の11日から、
店頭販売が始まった。

駐車場にワゴンを持ち出し、
水やカップめんなどを、
50円ポッキリで売った。

お客さんが、どっと押し寄せた。
13日早朝、そんな中に米谷社長帰還。

しかし米谷さんの陸前高田の自宅は津波にさらわれて、
すべてを持っていかれた。

大事なものや先祖代々受け継いだ品々、
思い出の品など、一切が無くなった。

そのうえ、86歳のお母様、
奥様、ご長男の安否も不明だった。

あとでわかったことだが、
奥様は無事に避難していた。
長男は山田町で被災し、
自分の後ろの車まで、
水で持って行かれるという間一髪のところで、
助かった。

お母様はいまだに安否がわからない。

それでも米谷さんは、地元にもどって、
一日も休まず、働き続ける。

それは、マイヤがスーパーマーケットだから。
地域の最大のライフラインだから。

この三陸には、
「30年以内に99%の確率で大地震がくる」
そう言われていた。

だから入念に対応策を施していた。
避難訓練は欠かさなかった。
緊急マニュアルも整備していた。
倒壊防止の設備も装備した。

ただこれだけの津波は考えていなかった。

大船渡本店は5階建ての大型店だった。
25メートルの津波はその3階まで来た。

大船渡は4店舗のうち本店、中央店、綾里店の3店舗が全壊半壊、
市街地からちょっと離れたインター店だけ残った。

陸前高田は高田店とリプル店の2店舗、大槌町はマスト店が、
それぞれ全壊あるいは半壊で営業停止した。

16店のうち大型店3店を含む6店が休業。
会社にとっては大きな痛手となった。

マイヤは1961年に、
「株式会社主婦の店大船渡店」として設立された。

その前年の1960年、
三陸地方は大きな災害に見舞われた。

「チリ地震」である。

1960年、5月22日、チリ中部近海で発生し、
首都サンティアゴ始め、全土が壊滅状態に陥ったとされる。

有史以来観測された中で最大規模の巨大地震で、
この地震によって発生した地震波は地球を3周した。

本震発生から約15時間後にハワイ諸島が津波に襲われ、
さらに約22時間後、最大6mの津波が三陸海岸沿岸に訪れた。
大船渡市で53人、南三陸町で41人が亡くなった。

マイヤはこのチリ地震の津波の助成金を元手に、
1961年にスタートした会社である。

その後、1979年、CGCジャパンに加盟、
1979年、株式会社マイヤに商号変更。
1980年代は多店化を進めていく。
1981年、釜石市に㈱釜石マイヤ設立、
1993年、㈱釜石マイヤを吸収合併、
同時に大槌町シーサイドタウン「マスト」のキーテナントとして出店。
1998年には、宮城県気仙沼市に県外1号店・気仙沼バイパス店をオープン、
さらに2001年、岩手県央地域1号店として、盛岡市に青山店をオープン。

三陸地方のローカルチェーンストアとして、
16店200億円の体制を築いていた。

中心となる陸前高田ではシェア8割、
大船渡では45%。

しかしチリ地震からちょうど半世紀、50年後に、
ふたたび地震と津波によって、6店舗を失った。

この5年間は増収増益を果たし、内部留保もし、
今期は過去最高益を出す勢いだった。
社員・従業員には決算賞与を計画していた。

その矢先の壊滅的な震災。

しかし米谷社長始め、
幹部・社員・従業員の士気の衰えは、
微塵もない。

それが今の、
インター店に満ち溢れている。

「ファイティングスピリッツは健在です」
米谷さんは言う。
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3月18日に、復活宣言。
ホームページに熱いメッセージを掲載した。
私も感動し、ブログで紹介した。

「マイヤは、陸前高田の2店舗、
大船渡4店舗のうち3店舗、大槌町のマストが
それぞれ全壊あるいは半壊で営業停止しましたが、
大船渡インター店はじめ、10店舗で営業中です。
このような非常事態だからこそ、
食のライフラインを支える使命を重く認識し、
できるかぎり精一杯の商品供給に努めております。

愛して止まないふるさと・岩手の暮らしを守るため、
従業員も必死に頑張っています。
失くしたものをいつまでもくよくよせず、
残されたものに希望を託して、
一日一日をスクラムを組んで乗り越えていきましょう。

平成23年3月18日
株式会社 マイヤ 代表取締役社長 米谷 春夫」
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私は声援を送った。

頑張れ、マイヤ。
負けるな、マイヤ。

3月27日、米谷さんから、ブログに返礼コメント。
「掲載してくださって感謝申し上げます」

「とにかく大船渡と陸前高田市6万人の
ライフラインを守るため必死です」

「まだまだ商品が足りません。
防災協定を締結している3市1町にも
まだまだ供給をしなければなりません。
調味料や日配品などまったく不足しています」

「家族を失い自宅を失いながらも
避難所から通勤している従業員も多数ですが
皆んな前途に眼を向けて明るくたくましく頑張っています。
ファイティングスピリッツも健在です」

「いまこそSMの社会的地位を高める機会でもあります。
宜しくご支援くださいませ」

そのマイヤにCGCジャパン本部や東北CGC、
関東信越のCGCの仲間の企業から、
さらに主婦の店チェーンの仲間の企業からも、
次々に支援物資が送られてきた。

現在イオンと資本提携している元「主婦の店秩父」のベルクからも、
8トンの水やコメが届いた。

原島功社長からは、
「なんでも足りないものは送るから」と、
温かい電話が入った。

米谷さんは、
ベルクのレジ袋を送ってもらって、
使った。

現在は、店がなくなった分、
4カ所に出張販売所を設けて、商品を提供している。
さらに移動販売者に商品供給して、
売ってもらっている。

これらも地域のライフラインを守る役割を、
おおいに果たしている。

大船渡インター店を見ると、大繁盛。

そのレジの天井付近は抜けた。
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青いビニールシートをかけて営業している。
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4月7日段階では、
店のコンディションは、
むしろ東京・横浜の都心店などよりも、
充実していた。
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奥主通路も、あくまで明るく、快適。
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納豆など、日配品も品切れが少ない。
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精肉の品揃えもご覧の通り。
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店は不思議だ。
あんな激震が走ったというのに、
今では、何もなかったかのようだ。
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淡々と商品がつくられ、手当てされ、
並べられ、売られる。
お客さんは、淡々と買っていく。
ただし、「優しくなった」
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島陳列もいっぱいに積み上げてある。
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惣菜・米飯の品ぞろえも、
欠かせない。
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水とおにぎりばかり食べてきた被災地の人々に、
パンは重要で新鮮な商品だ。
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大船渡の3店舗が営業停止しているために、
インター店への来店客数は凄い。

盛岡の店のパートタイマーさんが、
自分で染めた「のぼり」を贈ってくれた。
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「地域の皆様と共に・・・
がんばろう!岩手」

米谷さんは宝物のように、それを掲げる。

米谷さんがインター店の売場に出ていると、
お客さんから声がかけられる。
「社長、ありがとう」

米谷さんが家を失い、着るものもなくしたことを知るお客さんは、
「下着だけど使って!」とプレゼントしてくれる。

米谷さんは述懐する。
「お客さんの表情が変わってきました」

どう、変わったのか。
「お客さんが優しくなった」

これこそ、
ライフラインを守りきったマイヤに対する地域からの評価である。
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1960年のチリ地震の助成金で始まったマイヤ。
2011年の東日本大地震で大きく被災する。
しかし本当に幸いなことに、
お客様、従業員ともに、
店にいた人々からは、
一人も死傷者が出なかった。
出勤者は全員、無事だった。

そのうえで、
故郷のライフラインを守りきる。
そうするとお客さんは、
優しくなる。

宮城県気仙沼市の熊谷電気㈱社長・熊谷光良さんは、
米谷さんの友人である。
商業界の気仙沼同友会のリーダーで、
私も尊敬する経営者。

その熊谷さんが語る。
「建物も商品もみんな流されてしまいました。
しかしお陰様で、家族も社員も全員無事でした。
多くのものをなくしたけれど、
商売で大切なものはひとつも失っていない」

マイヤにも、まったく同じことが当てはまる。

6店舗を失った。
しかしファイティングスピリッツは健在である。
そのうえお客様は優しくなった。

マイヤにとって、
商売に大切なものは全部、
残った。


かつて商業界の指導者・新保民八が絶叫したように、
それはマイヤが50年ぶりに、
「二度目の誕生」を果たしたことを、
意味している。

おめでとう。
マイヤ。

第二の誕生を確認し、
次の発展を確信しながら、
米谷春夫社長と力いっぱい握手。
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マイヤは第二の誕生を機に、
次の50年を経て、
「100年企業」となるに違いない。

<結城義晴>

2011年04月18日(月曜日)

「吉野桜」の「千客万来」と「一目千本」の「言い切りと見える化」

Everybody! Good Monday!
[vol16]

2011年第16週、4月も第4週。
もうそろそろ、
ゴールデンウィークが、
見えてきました。

東日本大震災が起こったからといって、
ゴールデンウィークに、
消費をセーブする必要はない。

もちろん政府や地方自治体、
法人、個人揃って、できる限りの、
被災地復興へ向けた努力を重ねつつ、
被災しなかった地域では、
「救国の散財」に挑みたい。

どんどん消費する。
どんどん購買を促進させる。

今週は、ゴールデンウィークの前哨戦。
そのウォーミングアップ。

わくわくする提案を用意し、
矢継ぎ早に打ち出したい。

プロ野球の東北楽天イーグルスの選手が、
何か死に物狂いで野球をやっている姿を、
商売する自分に移し替えて、
必死で売場をつくり、
必死で売り込みたい。

それが私たちができることの中で、
被災地を支援する一番の仕事だ。

昨日、日本で一番混んだところ。
そのひとつに入ることは間違いない。
奈良県の吉野山。
商人舎ファミリーの安川光男さんのお招きに応じて、
急遽、駆け足で回ってきた。
安川さんは吉野ストア社長にして、
商人舎第2回USA視察チームの団長。
その時の団長方針は、
「明るく、楽しく、元気よく」
実に、全員をよくリードしてくれた。

その吉野の桜。

私は心から堪能した。

JR新幹線で京都に降り、
それから近鉄特急で吉野駅。
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外国人客や東京からの花見客が少ないとは言っても、
今年一番の出足。
駅前の茶屋は満員。
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ロープウェイ・ケーブルカーの行列の最後尾はここ。
左側がバスの行列。
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並ぶこと50分。
ケーブル乗り場の千本口駅が見えてきた。
右側は歩いて登る人々。
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ゴンドラは28人乗り。
満員の車両が4分おきに出入りして、
吉野山に人を運ぶ。
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3分で吉野山駅。
駅を降りると、人の群れ。
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「救国の散財」などと力まなくとも、
関西をはじめ西日本の人々は、
意欲満々で生活を楽しんでいる。

もちろん誰ひとり、
震災のことを忘れているわけではない。
それが私にとって一番の収穫。

吉野山駅から両サイドの土産物屋などをのぞきながら、
重要文化財・銅の鳥居へ。
日本三大鳥居のひとつ。

広島・宮島の木の鳥居、
大阪・四天王寺の石の鳥居と、
この奈良・吉野の銅の鳥居。
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宿は、鳥居のそばの辰巳屋。
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中曽根康弘さんも泊まった部屋。

その部屋から上千本・中千本の桜が見える。
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吉野山の桜名所は4カ所に分かれる。
下千本から中千本、そして上千本、奥千本。

宿を出て、仁王門へ。
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人がいっぱい。

その仁王門。
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国宝。
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右に「あ」
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左に「うん」
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仁王門から登って2分。
国宝・金峯山寺蔵王堂。
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奈良の東大寺大仏殿に次ぐ規模。
蔵王堂が吉野山の象徴。

まだまだ人並は続く。
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吉水神社の「一目千本」に人だかり。
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その「一目千本」
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上の方の桜の集まりが「上千本」。
真ん中の桜の集団が「中千本」。

これは日本人なら、
是非とも一度は、
見るべし。
富士登山と同じ。

「一目」とはビジュアライゼーション、
最近のはやりの言葉でいえば「見える化」。
それが「千本」。
もちろんきっちり1000本ではない。

しかし1000本と言い切るところがいい。

「言い切り」と「見える化」。

「一目千本」のプロモーションは、
その根本原理を見事にとらえ、
1300年以上もの間、
日本人の心をつかまえてきた。

これが凄い。

吉水神社から、さらに、
車で一番奥まで登る。
すると奥千本。
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この道を40分歩くと、
「西行庵」。
西行法師はこの山深いところで、
5年間暮らした。

奥千本の金峯神社から下って、
高城山展望台からの「見下ろす吉野桜」。
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吉水神社の「一目千本」が「見上げる吉野桜」ならば、
ここは「見下ろす吉野桜」。
これも日本人なら、
一度は見るべし。
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吉野の桜は、他とは違う。

例えば、上野公園の桜。
皇居周辺・千鳥が淵の桜。
横浜・三ツ沢公園の桜。
菊名池公園の桜。
新田間川の桜。

自分の周りの桜ばかり見ていると、
自分が「井の中の蛙」であったことを、
思い知らされる。

そして、これも自然の凄さ、
人の営みの長さなど、
感じ取ることになる。
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高城山展望台から、
だらだらと七曲がりに道が続くと、
花矢倉展望台。
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ここからは桜吹雪を浴びながら、
桜のドームの中を歩く。
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極楽のごとし。
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そして後醍醐天皇陵のある如意輪寺。
ここからも「一目千本」。
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右上に辰巳屋が見える。

中千本、下千本と下って、
吉野駅を過ぎ、
吉野神宮。
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大正時代にできた吉野地方の大社。
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ここには、人影が見られなかったが、
吉野の山には「千客万来」。

西行法師が住み着いた。
源義経が静御前と一緒に逃げてきた。
豊臣秀吉も千利休も、
松尾芭蕉もやってきた。

もちろん万葉の貴族たちは、
吉野の桜を愛でた。

その吉野の桜。
東日本大震災の後でも、
「千客万来」。

それを支える「一目千本」。

安心した。
力をもらった。

安川光男さん、
ありがとう。
そして、頑張れ。

高野、吉野、熊野。
霊験あらたかといわれる三つの「野」。

1936年に吉野熊野国立公園、
2004年、世界遺産に指定されている。

私は21世紀の日本の中核産業のひとつを、
観光だと考えてきた。

福島第一原発の事故の風評被害で、
日本の観光資源に、
大きなマイナスイメージができてしまった。

しかし吉野山の価値は、
まったく落ちてはいない。

まさに「吉野の桜の千客万来」。
これは日本を元気づける。

元気づけられるものに、触れよう。
元気づけれるところに、行こう。
元気づけられる人に、会おう。

そして自分で元気を出そう。

元気を出そうよ、
それがあなたの
仕事です。
元気を売ろうよ、
それがあなたの
役目です。

ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。

では、今週も。
Everybody! Good Monday!

<結城義晴>

チャリティセミナー「商人支援プロジェクト」

「ひとつになろう日本!」
私は第1回の大阪会場でのトップバッターとして出講します。
テーマは「ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ」
サブテーマは「ライフラインを担う商業人の使命感が日本を救う!」

東北関東大津波大震災を経験して、
日本のスーパーマーケットをはじめとする小売流通業は、
今後、いかに考え、どう行動しなければならないか。
消費と商売と経営はどのように変わるか。
私なりの解答を出します。

元気を共有します。

日時は、5月12日(木) 12:30~17:00。
場所は、リーガロイヤルホテル大阪。

よろしく。

2011年04月17日(日曜日)

ジジと春爛漫[2011日曜版vol16]

避難所の少女猫の仔しかと抱き
〈織田美奈子・日経俳壇より〉

ジジです。
春らんまん。
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ボクにも、
こんなときが、
ありました。
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だっこしてくれているのは、
ボクのかあさん。
なまえはミント。

ユウキヨシハルのおとうさんは、
新幹線にのって、西へ。
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フジがきれいです。
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まだまだ西へ。
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ふたつのヒコーキ雲。
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どこまでいくのか、
ボクはしりません。
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でも、まってます。

まつときには、
ねる。
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春らんまんの桜の夢でも、
みながら。
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桜の花のいのちは、
みじかい。
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さみしいものです。
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だから、せいいっぱい、
さいてください。
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せいいっぱい、
主張してください。
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ボクも、おうえんします。
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でも、ことしの桜は、
みじかかったでしょうか、
ながかったのでしょうか。
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ボクには、
あっというまにおわったように、
おもえます。
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それも、
おおきな地震と、
おおきな津波の、
せいでしょうか。
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まだまだ、これから、
桜がさくところも、
たくさんあります。

それに桜のあとには、
ツツジがまっています。
そしてなにより、
新緑がやってきます。

ちいさな喜び、
ささやかな幸せ、
あすへの希望。

おとうさんがいつも、
いいます。

とてもだいじなことだと、
おもいます。

こんやも、
被災されたみなさんが、
こころやすらかにねむれますように。

<『ジジの気分』(未刊)より>

2011年04月16日(土曜日)

震災後の「フェーズ2」の政策転換と元気が出る投資家ジム・ロジャーズの日本復興論

日本チェーンストア協会会長に、
清水信次さんが就任する。

5月の通常総会で正式承認される。

清水さんはご存知、㈱ライフコーポレーション会長。
日本スーパーマーケット協会名誉会長、
社団法人新日本スーパーマーケット協会でも名誉会長。

スーパーマーケット業界の重鎮・長老が、
チェーンストア協会の現役の会長となる。

先の参議院選に立候補し、
おしくも落選はしたが、
流通業界きっての政治・行政通。

東日本大震災後のこの時期、
もういちど、清水さんの力を、
借りようということだ。

私もよく覚えているが、
清水さんは1986年から1988年までの2年間、
チェーンストア協会会長を務め、
当時の「売上げ税導入反対」の先陣を切って、
結局、中曽根康弘内閣の新税導入を阻止した。
その後、中曽根さんと清水さんは、
盟友として現在に至る。

こういう成熟した大人の人間関係、
いいですね。

それから23年ぶりの会長就任だが、
小売流通業の社会的地位を正当なものにすることに、
「無茶をせず無理をする」で、
ご活躍願いたい。

その上場小売業の2月期決算発表が相次いでいる。
昨日の日経新聞が、
68社の業績見通しを集計した。

今期の総集計の予想は、
売上高が前期比マイナス2%、
営業利益はプラス1%。

全国展開企業が多いため、
多くの企業が今回の震災の地区に店舗を出していて、
そのための特別損失を計上する予定。
従って2割分が最終減益となる。

セブン&アイ・ホールディングスが、
年商5兆1450億円(前期比0.5%増〉で、
営業利益2489億円(前期比1.9%増)の予定。

イオンは、年商5兆1000億円(前期比0.1%増)で、
営業利益1750億円(1.5%増)。

両者ともに、トントンの予算。

セブン村田紀敏社長は、
「景気は緩やかに回復しており、足もとの消費は悪くない」と発言。
イオン岡田元也社長も、
「下期には本格的な復興景気が出てくる」と明るい見通しを語る。

ローソンは本部年商4610億円で営業利益575億円。
年商は前年比プラス4.5%、営業利益はプラス3.5%。

ファミリーマートは年商3189億円、営業利益385億円。
同じく年商はマイナス0.3%であるものの
営業利益は0.7%プラス。

ローソン新浪剛史社長は、
「コンビニとスーパーマーケットの価格差が縮まる」と予測。
ファミリーマート上田準二社長は、
「高付加価値商品で客単価は上げられる」と方針を披露。

この記事のあとで、
編集委員の田中陽さんが、
震災以後、消費者行動が大きく変化していることを指摘。

「生活防衛という部分を残しつつ、
家庭や個人は消費を仕分けし始めた」

私はコモディティとノンコモディティの購買比率が、
変わってくると考えている。

被災後の「救助・救済・復旧」段階は、
生命保持のためのコモディティの消費が圧倒的に多い。

それが「復興段階」に入ってくると、
ノンコモディティ消費がどんどん広がってくる。

ただしこの1年の下期においても、
コモディティ需要は、
決して減らないということだ。

家庭においても、
店舗においても、
物流拠点においても、
コモディティ商品群が、
少しずつ備蓄される。

まさにディマンド&サプライチェーンの中で、
在庫の意識が変わる。

その意味で、POSデータそのものも、
POSデータの読み方も、
ひとつのクッションが必要になる。

そしてコモディティグッズの欠品は、
絶対に許されない。
それが顧客の安心を担保し、
顧客からの信頼を築く。

今日の日経新聞コラム『大機小機』。
コラムニスト隅田川氏が「フェーズ2への道」を書いている。

「フェーズ1」が救助・救済・復旧段階。
「フェーズ2」は復興・振興段階。

フェ-ズ1では、経済活動は大きくダウン。
フェーズ2では、逆に成長率が高まる。

フェーズ1では、
「惜しむことなく必要なコストがかけられる」。

他の政策目標とのトレードオフを気にかけることがない。
何より人命救助と被災者の生活支援。

フェーズ2は、
「トレードオフが存在する領域に入っていく」。

「政策目標の優先順位をつける必要があり、
整合性と経済合理性を備えた政策が求められる」

これは企業の政策そのもの。

さて、朝日新聞のオピニオン欄で元気の出るインタビュー。
投資家のジム・ロジャーズさん。
あのジョージ・ソロス氏と共同で、
「クォンタム・ファンド」を創設した人物。
最初に語る。
「日本は本当に大好きな国で、
心から悲しく思っています」

日本が再び成長軌道に乗るために最も必要なこと。
「まずは子どもを増やすこと」
大賛成。
「いくらお金がかかっても、
誰も使わない橋や道路に使うより、
子どもを産んでもらうことにもっと使うべきです」

これも大賛成。

だから政府の「子ども手当」などでは全然足りない。

そのための提案。
「私だったら、移民政策を促進します」
これにも私はずっと賛成してきた。

「移民は歴史を見ても、
勇敢で野心を持ち、賢い人々です。
移民は子どもをつくります」

産業について。
「日本が今後も国内で製造業に頼り続けるのは難しいでしょう。
企業は海外に出ていけばそれでいいかもしれませんが、
職を失う日本人にとっては大きな問題です」

「そのために歴史上の国々は、
産業の中心を製造業から
サービス業や金融業に移してきました」

日本に望むこと。
「なるべく早く、変化を決断することです。
今回の大災害が日本の転換点となり、
人々の考え方を変えるきっかけになるのではないか」

私も、そう思う。

私たち自身の考え方を変えるきっかけ。
「自ら変わる」ことの転換点。

ことは「変化の決断」にかかっている。
私たち自身の。

今週もこのブログ[毎日更新宣言]に来てくださって、
ありがとうございました。
みなさん、良い週末を。

そして被災地のみなさんが、
やすらかに眠ることができますように。

<結城義晴>

[追伸]
「東北関東大津波大震災」現地レポートは来週に続きます。

2011年04月15日(金曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート「八章 一物三価ビッグハウス遠野物語」

各種コラムの内容が、
どんどん深まっている気がする。

日経新聞の『大機小機』
コラムニスト盤側氏が「悲惨の中に見える本物」として本物論を展開。
「人間社会にとって本当に大事な価値とは何かを、
この悲惨な東日本大震災は我々に示してくれている」

「人間は悲惨の中に人間の尊厳を見ることができるが、
それは繁栄の中に堕落を見る目と一対のものである」

「過剰な自粛ムードは良くないと言う。
しかしそれは経済活動の循環を維持するための
一種の経済政策としての主張なのか。
否、それぞれの人間が、与えられた使命ないし天職をたゆまず
日々の要求に従って誠実に実行することの価値を認めるからだろう」

ここから、私の考え方と同期している。
「人間が自然をめでる本来の花見、
被災地の産物を買い集めての供養の花見、
今だからこそ営まれる花見があると思えば、
夜桜を見せない判断は間違いだろう。
それは人間のもっとも人間らしい営みなのだから」

「電源設備や炉心の冷却装置の欠落があってはならないことなのと同じく、
金融・資本市場健全化のための施策もそれが不十分であれば、
それは恐慌という名の悲惨の巣窟となることを歴史は教える」
これも私の意見と同じ。

「この分野でマグニチュード9.0クラスの悲劇を人間は何度も経験している。
原発だけに問題の関心を絞ってはならない」

「顧客満足フェールセーフ」の発想と酷似。

「この際、本物に求められる耐震構造を確立したいものだ」

一方、朝日新聞の『経済気象台』

こちらのテーマは「不況を呼ぶ過剰な自粛」

「各種のイベント・公演会の中止や延期が相次ぎ」
「企業も入社式や行事を中止し、
個人旅行の予約も大幅に減っている」
大学も大学院も同様。

3月28日付ニューヨーク・タイムズの見出し。
「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」

「犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、
国民経済への悪影響が懸念される」と伝えた。

内閣府によれば、今回の大地震は、
企業設備の損壊などの生産減で、
2011年度の実質国内総生産(GDP)を1.3兆~2.8兆円押し下げる。

しかし、これには計画停電や原発事故の影響による生産減や、
消費・投資への影響は含まれていない。
「インフラなどの復興需要5兆~8兆円を上回る」と予想される。

「東京電力管内のGDPは213兆円で全国シェア41%」

「あれもこれもと無定見にイベントの自粛を続ければ、
マインド不況を呼び込みかねない」。

「マインド不況」

「被災者への連帯の気持ちは、
自らを被災者と同じ状況に置き、
その状況下で可能な範囲でしか行動しない、ということではない。
そんな過剰な自粛は、被災者にとって迷惑な話でしかない」

「人間が、与えられた使命、天職を、
誠実に実行すること」こそが、
「マインド不況」を食い止める。

小売流通業やサービス業に身を置いていると、
この構図が良くわかる。

良くわかるということは、現在、
いい仕事だということになる。

さて、4月5日から7日までの3日間、
被災された東北のスーパーマーケットを巡った旅。
その現地レポートも八章となる。

昨日の奥州市Kマートは東北自動車道の付近だった。
さらにそこから海側に寄った遠野市。

私は㈱商業界に入社したばかりの昭和50年代に、
この遠野に一人旅をしたことがある。
民宿に泊まって、山歩きをし、民話のふるさとを堪能した。

柳田國男が1910年(明治43年)に発表した『遠野物語』は、
日本民俗学の黎明を告げた説話集といわれる。

その東北の原点をとどめている遠野に、
㈱ベルプラスのビッグハウス遠野店がある。20110414080537.jpg
ビッグハウスは東北CGCが実験店舗を盛岡市内に始め、
そのフォーマット・コンセプトの斬新さで、
全国のCGCジャパンの企業に採用された。
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北海道のアークスは、
これまでの中核フォーマットにしてきた。
そのオリジンがベルプラス。
そしてベルプラスは独自にビッグハウスを展開している。

そのコンセプトは「一物三価」。
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この一物三価が、震災後に、
インパクトを増した。
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遠野は盛岡市や奥州市よりも太平洋に近い。
つまり震源に近い。

だから揺れはことのほか激しかった。

しかし今回の震災の特徴だが、
津波の影響は絶無。

ただし、停電、断水は起こった。

この店にはわざわざ本部から、
ベルプラス専務の高橋政敏さん(右)と、
取締役管理部長兼社長室長の菊地甚成さん(左)が、
やってきてくれて説明を受けた。
中央はこの店の副店長さん。
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高橋さんはベルプラスの子会社社長を兼ねる。
その子会社は気仙沼でスーパーマーケットを展開。
気仙沼もご存知の通り、津波によって、街全体がやられた。
高橋社長の3店舗もすべて営業不可の状態に陥った。

しかしそれでも、被災後1週間で、
ドラッグストアが撤退したあとの150坪の物件を探してきて、
2週間で仮店舗のスーパーマーケットをオープン。
今、地域のお客様のライフラインを守る。

凄い商人魂だ。

店舗が3店津波にさらわれ、
あるいは津波に半壊されても、
すぐに新しい店を見つけてきて、
お客様のために営業する。

その店が大繁盛。

この「不屈の精神」こそ、今、日本全体に求められている。

さてビッグハウス遠野店。
被災翌日から店を開けて、店頭販売。
この点ではどこの店も同じ行動をとった。

チョッキリ価格で、端数切り捨て。
最初は水とカップラーメンなど。

それからペットフード、
オーラルケア、
トイレットペーパー、
缶詰。

一物三価だから、
お一人様1ケースという売り方。

それでも飛ぶように売れていった。

売れるものが少しずつ変わっていったが、
すべて一気になくなっていった。

11日金曜日に被災し、
12日土曜日は、
客数2600人で、売上げ550万円。


13日日曜日は2800人で700万円、

その後、3月12日~3月30日まで、
売上高は前年比190%。

被災前は前年比106%だった。

この遠野から1時間ほどのエリアにある都市がいずれも、
津波によって大被害を浴びた。

大船渡、陸前高田、大槌、釜石。
ガソリンが出回るようになると、
そこから1時間かけて、客は車で押し寄せた。

まとめ買いに適した「一物三価」。
ビッグハウスのコンセプトが、
不思議なことに震災直後のマーケットにぴったりしていた。

現在の店はシンプルながらも、
必需品に絞りこまれて、
最適の売場となっている。
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ビッグハウス遠野店には、
明らかに「震災特需」が訪れている。
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需要はある。
供給がなくなれば、
供給してくれる店に、
需要が集中する。
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それが市場のメカニズムだ。

ビッグハウスのコモディティ・ディスカウント。
そして「一物三価」が、しばらく、
消費マーケットの大きなトレンドの中核となる。
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そんなことを鮮明に教えてくれるビッグハウスの遠野物語である。

震災によって、全壊半壊し、
売上げがゼロとなる店。
一方、ゼロとなった店の売上げを吸収し、
2倍になる店。

後者を「震災特需」という。

震災特需の店は、
ゼロとなった店に変わって、
2倍売らねばならない。

1.5倍、2倍、3倍と売る。
それがその店の役目である。

売って売って売りまくる。
それが「一物三価」のビッグハウス遠野店に、
課せられた機能である。

現代の「一物三価の遠野物語」は、
柳田國男とはかけ離れた世界を描き出すが、
それは悲惨の中に人間の尊厳を見ることではあっても、
繁栄の中に堕落を見る
ことでは断じてない。

悲惨の中の売上げは、
繁栄の中の堕落ではない。

「震災特需」につつがなく対応することは、
「不況を呼ぶ過剰な自粛」よりも、
断然、社会的な活動なのだ。

<結城義晴>

2011年04月14日(木曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート「七章 水沢・Kマートの顧客満足フェールセーフ」

最初にお詫び。
本日、朝8時ごろから11時40分くらいまで、
最新ブログが画面から消えました。

サーバのトラブルでした。
お詫び申し上げます。

「フェールセーフ」が問題になっています。
もちろん福島第一原発のこと。

「なんらかの装置・システムにおいて、
誤操作・誤動作による障害が発生した場合、
常に安全側に制御すること。
またはそうなるような設計手法」

「信頼性設計」と呼ばれる考え方のひとつ。

装置やシステムは必ず故障する。
あるいは使い手は必ず誤操作をする。

それを前提に「安全側に制御」する。

商人舎のホームページは、
この「フェールセーフ」になっていないし、
私自身の誤作動もたびたびある。

一昨日の朝日新聞『経済気象台』。
「失敗しても大丈夫なフェールセーフ設計が、
できていなかったからだ。
電気制御ができなくても、
堰(せき)を開け冷却剤を流して
原子炉を安全停止させることは可能だ。
使用済み燃料を簡素なプールに貯蔵していたのも疑問だ」

「原子炉内と貯蔵プールをロボットカメラでモニターすること。
一本一本の燃料棒の詳細なデータからシミュレーションすれば、
何が起きているか明確になり、対応も変わる」

そして「国民を信頼し情報公開を急ぐべきだ」と結ばれる。

今さら遅いかもしれないが、
「フェールセーフ」は本当に重要なことだ。

翻って小売サービス業。
「顧客満足のフェールセーフ」が、
構築されていなければならない。

私はこれを「顧客満足保障」と称してきた。
「保障」は守ること。
「保証」は請け負うこと。
「補償」は損害を償うこと。

「安全保障」できなかったことを、
「補償」する手立てはない。

だからこそ「フェールセーフ」は必須である。

「以って自戒とすべし」

さて、チャリティセミナー「商人支援プロジェクト」
テーマは「ひとつになろう日本!」

講師陣がメッセージを出した。
私も300字弱の文章を書いたが、
これも当方の手違いで、
まったく違ったものが掲載されてしまった。
大至急、訂正中。

オリジナルをここに掲載。
最近、このブログに書いたものを織り交ぜ、
私の思いを表現した。

謙虚に、ひかえめに、真摯に、
被災地の商人を支援したい。
ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ、
被災地の商業の復旧と復興を応援したい。
それがやがて必ず
地域の振興につながることを信じたい。
いつも、そして、ずっと、
被災地の商人と心をひとつにしていたい。
支援し、応援し、心をひとつにすることによって、
この社会が、商人の役割を正しく認識するに違いない。
それを願いたい。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ」 合掌。

最後は、ご存知、宮沢賢治。
東北の震災だから、
賢治の言葉を使いたかった。

さて昨日の午前中は、東京駅から日本橋へ。
名物の桜並木も葉桜となっていた。
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それも悪くはない。

そして日本スーパーマーケット協会へ。
大塚明専務理事、江口法生事務局長と、
打ち合わせ、及び情報交換。

大塚さんからはいつも、かならず、
最新の情報と斬新な意見を聞くことができる。

私に対する質問も鋭くて、実務的。
「この震災を経て、マーケティングは変わるのですか?」
「うーん、マーケティングの根本は変わりません」
禅問答?

大塚さんたちも東北の被災企業を訪問してきた。
私が帰ってきた最大余震のあった日に、
同じように帰京したという。

現地の生々しい話、
晴れ晴れとしたエピソード。
互いに、話し始めたら終わらない。
それだけ私たちにとっても、
きつい出来事である。

そのあと、事務局のみなさん揃って、写真。
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一昨日は、横浜の商人舎に、来客。
ファイブ・ア・デイ協会理事長の池田健太郎さんと、
㈱ドール副社長の渡辺陽介さん。

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4月に開催予定だったドール主催の講演会が、
この震災によって延期になった。
そのお詫びのご挨拶ということだったが、
お二人とも、この間、東北の企業を慰問に訪れていて、
お互いに、良い情報交換の場となった。

さてさて「東北関東大津波大震災・懇親レポート」
その「七章」。

4月7日、昼頃、盛岡を発ち、
東北自動車道を今度は南下。
自衛隊のトラックが走る。
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江刺で降りて、奥州市へ。

ヨークベニマルやジョイス、そしてベルプラスやユニバース。
チェーンストアを訪問し、その震災への対応の話を聞いてきた。
しかし単独店はどうだったのか。
それが知りたかった。

そこで旧知のケー・マートを訪問。
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奥州市水沢でスーパーマーケットを始めて30年。

200坪の店舗が1店。
しかし、商品開発と店づくり・売場づくりに、
ユニークな特徴を出して、
まさに、「頑張っている」という表現がぴったりの営業ぶり。
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千葉喜夫社長(いちばん右)を中心に、
アットホームな会社である。
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私も、簡単な激励のスピーチをした。

水沢は岩手県でも内陸であるために、
津波の被害はなかった。
しかし地震はひどかったし、停電。
断水はなかったが、余震の揺れに悩まされた。

幸いなことに、社長が店にいて、
すぐに意思決定。

これがインディペンデントの良さ。

そのうえ社員一同、結束を固めて、
3月11日、大地震の直後、
店内のすべての安全を確認したうえで、
1時間後の4時前にはオープンした。
しかし暗くなってきたので、
1時間半で閉店。

翌日は朝9時から店を開け、
炊き出しサービスなどしながら、
夕方の6時まで営業した。

停電はこの日の夜中まで続いた。

なじみのお客様が、
どんどん押し寄せた。

すぐに商品は売れていった。

震災後10日間は前年対比で200%の売上げ、
その後は150%で推移している。

加盟している全国セルコチェーンや、
懇意にしている企業から商品を届けてもらった。

千葉社長自らトラックを調達して、
商品の集荷に回った。
地元の業者からも、
新しい取引を引き出した。
現在は店舗も売り場も、
ずいぶん回復した。

店舗入り口のプロモーション。
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カゴ盛りでセンスよく並べられている。

青果部門も1品1品吟味された品揃え。
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店舗入り口付近の日配品の冷蔵ケース前に、
丸テーブルとワインの島陳列。
白いテーブルクロスがレストランのムードを醸し出している。20110414080433.jpg

奥主通路沿いにベンチ風の平台を置いて、島陳列。
こげ茶色のクロスがグレード感を出す。
カゴ盛りの切干大根とそうめん。
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奥正面のゴンドラエンドは、美しいし、
売りたい商品の主張がはっきりしている。
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精肉売り場の商品も、
1品1品、しっかり吟味されている。
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店舗右手は惣菜やパンの売場。
パンは自家製粉の手作り、
惣菜ももちろん手作り。
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アメリカ・テキサス州のスーパーマーケットHEB。
この州でウォルマートと互角以上の闘いを見せる。
そのHEBの強さを、自らふたつに整理している。
①オーナーシップ経営の意思決定のスピード
②イーチストアの地域密着の強さ

イーチストアとは、
それぞれの店、1店1店の店ということ。

ウォルマートも自ら言っている。
「私たちは最大の企業をつくろうとは思っていない、
地域の1店1店を最良の店舗にしようと考えている」

だとすると、インディペンデントの生きる道は、
拓けている。

流通の巨人二人の言葉。
ダイエー創業者の故中内功さん。
「生まれ変わったら、ダイエーの前で八百屋をやるんや」

イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さん。
セブン&アイ・ホールディングス名誉会長。
「オーナシップ経営が一番幸せです」

私は、日本小売業界を、
「大きな森」にたとえている。

巨木もあれば雑木もある。
可憐な花も咲いている。

いろいろな植物があって、
しかしそれぞれの生命力が強い大きな森。

ミニスーパーのボランタリーチェーン「全日食チェーン」。
会長の田中彰さんは言う。
「小売業には大動脈も大静脈もあるが、
毛細血管も絶対に必要だ」

ケー・マートのみなさんに接して、
私はそう思った。

震災の時にも、素早く対応し、
一致団結してお客様に奉仕した。

ヨークベニマルの店長たち、店員たちも、
現場で頑張った。
ケー・マートの人々も、
自分の特徴を出しながら、
1店を守って頑張った。

どちらも、それによって、
自店の「顧客満足のフェールセーフ」をつくろうとした。
それが尊い。

震災はこのことをも、
私たちに教えてくれている。

<結城義晴>

2011年04月13日(水曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート六章[ヨークベニマル石巻蛇田店合流物語]

横浜では、早くも、
桜の花が散り始めた。

いつも通る菊名池公園。
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池の端に溜まった桜の花びら。
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水連の葉にも桜の花びらがからみつく。
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もうすぐ桜は終わり、
新緑の季節。
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「大川に吹きあげられし桜かな」 〈小林一茶〉

毎年、思い出すが、私はこの句が大好きだ。

いつも歩く新田間川沿いの道。
桜と鳩。
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これでは句に、ならない。
一句、詠めない。

新田間川でも葉桜になりつつある。
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これから東北・北関東の被災地も、
桜の季節か。

もしかしたら、
桜よりも新緑の方が、
被災地の人たちに、
勇気と希望をもたらすかもしれない。

朝日新聞のコラム『経済気象台』に、
コラムニスト四知氏が、「民度と『官度』」。
「未曽有の東日本大震災にもかかわらず、
数多(あまた)の市民が惨事に耐えながら、
未来に向けて粛々と対処する姿は、
多くの国々に感動すら与えている」

もちろんこの中には小売商業・サービス業が含まれる。

「これは、わが国の民度の高さを改めて世界に示すとともに、
復興に向けた大いなる希望のあかしともいえるものである」

それに対して、政府、官僚、そして順官僚体質の電気事業者の、
「『官度』の低劣さは憂慮すべきもの」と嘆く。

そしてJ・F・ケネディの言葉、
「つながっていれば、
できないことはほとんどない。
バラバラなら、
できることはほとんどない」

「復興に際しての民力の強靱さには疑問の余地もない」
これが四知氏の結びだが、
「民力」に関しても、つながらねば、
できることはほとんどない。

さて、石巻のヨークベニマルの物語は続く。
3月11日に被災した湊鹿妻店。
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物江信弘店長をはじめ湊鹿妻店の人たち、
それから周辺の住民、
総勢500人は何とか生き延びた。
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石巻市内で唯一、無事だった石巻蛇田店から、
14日に救援物資が運ばれてきて、一息ついた。

その後物江店長と従業員の人たちは、
蛇田店に行った。
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蛇田店は、石巻市の山側に立地する。
新しい商業集積の中にあって、
イトーヨーカドー、ニトリなどとショッピングセンターを形成している。

石巻にヨークベニマルは、4店舗を出している。
そのうちの2店舗が完全閉鎖。
物江店長の湊鹿妻店、そして石巻街道が陥没した中浦店。
15日に、二人の店長が蛇田店にやってきた。
蛇田店の小林稔店長が待っていた。
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三人の合流。
それは三店の合流を意味した。

「無事だった!
良かった!」

三人は抱き合って喜んだ。

それからずっと、
物江店長も蛇田店で働いている。

三人の店長はそれぞれに、
被災の状況が違っていた。
そして三人はそれぞれ孤立していた。

誰の指示も得られなかった。
だからそれぞれ自分で判断した。

「自分にとって今、できることは何か。
お客様のために今、できることは何か」

それだけを考えていた。

周りに部下はいても、店長として孤独だった。
だからこそ仲間との合流は、
ひとしおうれしかった。

11日、蛇田店は、大きな揺れで、
店内ゴンドラがひっくり返ったり、
一部の天井が落ちたり、
スプリンクラーが作動したり、
やはり大変なことになった。

そのうえ、停電、断水、余震も続いた。
その日は店内を片付け、店を守った。

翌朝12日、もう、6時から顧客が、
店の前に集まってきていた。

「集まり方は半端でなかった」
小林店長は述懐する。

店内から必須の商品を駐車場に持ち出して、
暗くなるまで売った。
必死で仕事した。

「お一人様、5個まで」
400円、500円の商品も、
一律100円で売った。

それでも15日までの5日間で、
1000万円になった。

まさに私の言う「配給所」。

お客からは「ありがとう、ありがとう」
逆に元気づけられた。
もめ事もほとんどなかった。

これまでは、
「買ってあげる」
「買っていただく」

この時は違った。
「ありがとう」

小林店長は言う。
「別に、当たり前のことをやっていたのに」

そのうえ、申しわけないほどの行列で、
長いこと待っていただいて、
お一人、4個、5個の買い物。
それも申し訳ないと思った。
なんとか早く、店内でも販売したいと考えた。

しかし12日の夜は、
治安が悪かった。

真っ暗な中、若い男たちが、
ハンマーを持って、店や事務所を荒らしていた。
コンビニ、やまやなど酒販店、貴金属店、洋服店。
コンビニは暗くなるとほとんど店を閉めて、
バリケードを築いていた。

13日は、朝6時から駐車場での販売を始めた。
電話や携帯も通じないし、本部との連絡も取れない。
当然、商品は入ってこない。
だから店内の売場やバックヤードから、
商品を運び出しては並べて、売った。

14日の午前3時、
初めて本部と連絡が取れた。
小林さんの息子さんは福島県のいわきに住んでいるが、
深夜にその息子さんとの連絡が取れて、
直後に、本部からの電話もとった。
息子さんは「無事」で、
本部とも連絡がついた。

二重の安堵だったに違いない。

それまでは「何が起こっているかがわからなかった」
だから「自分たちでできることだけをやろう」
この「できることだけをやる」ことは、
震災の時の第一の心構えである。

14日は、本部の情報で、
中浦店と鹿妻店が被災していることがわかって、
鹿妻店まで10キロの泥だらけの道を、
店にあった商品を持って届けた。

近隣の中浦店は売場がまったく使えないので、
蛇田店にやってきて、一緒に販売した。

そして15日に三人の店長が合流。
それでも15日と16日は、朝8時から始めて、
昼には売り切れて、終わった。
そして売れるものは、何もなくなった。

鹿妻店の物江店長が店頭販売していると、
長靴をはいてリュックサックを背負った泥だらけの人が、
近づいてきた。

鹿妻店の常連のお客だった。
10キロも歩いて、
蛇田店に買物に来てくれたのだった。

三店合流後の復旧は早かった。

やっと本部から商品が届くようになった。
どの店も発注の4割も商品が入らない状態だった。
蛇田店には優先的に商品供給が行われた。

この間、中浦店、鹿妻店の店長たちは、
行方不明の従業員の安否確認に奔走した。
その時に物江店長が首から下げたボード。
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20日には、店内営業を始めた。
その日は朝5時からお客が並んだ。
「並ばないでください。
全員、買物できるようにしますから」
そう言って歩いた。

しかし、あまりの客数にレジがスムーズに流れない。
家族を亡くした従業員が3分の1くらい。
半分の従業員は仕事に出てくることができない。

郡山からレジを運んでもらって、売った。
午後3時までに来店した顧客には、必ず売ると約束した。
被災地から、次々にお客がやってきた。

営業本部長が20人くらいの応援部隊を、
山形・茨城から派遣してくれた。
それでほとんど並ばせない態勢をつくった。

それでも、出勤した者はみな、
仕事に打ち込んだ。

中浦店のベーカリー・マネジャーは旦那さんを失った。
しかし「毎日、仕事している方がいい」と言って、
元気に働いた。

そんなふうにして、なんとか4月1日までやってきた。
「4月に入ったら、日常に戻そう」
それが合言葉だった。

現在の店は、もちろん平常時と同じではない。
しかし、売場は輝いている。
何しろ、三人の店長が力を合わせ、
三店の従業員が協力し合っているのだから。20110411202539.jpg
私たちが訪れた4月6日も、
夕方の5時には閉店した。
まだまだ日常には戻らない。

しかし短時間に集中的に、
商品を供給する体制が出来上がった。

5時までの営業で、以前の2倍の金額を売る。
時間当たりにすると3倍売れている。

ヨークベニマルには、
「野越え山越え」の精神がある。

創業の大高善雄さんの時代、
夫婦で引き売りをした。
街から街へ、村から村へ、
お客を求めて売り歩く。

25軒目でやっと買ってもらった。
この時の精神を受け継いで、
「一人のお客様を大切にしよう」という考え方。

今回、小林店長が最後に、
この「野越え山超え」のことを口にした。
「一人のお客様の後ろには25人のお客様がいる」。

この精神は、大震災の非常時にも、
YBマンの心の中に宿っていた。

被災し疲れ切ったお客様。
余震で不安がぬぐえないお客様。
そんなストレスを背負ったお客様たちだからこそ、
こんな時にも並ばせない。

それが小林店長の石巻蛇田店全体にあふれている。

そしてこの精神は、
鹿妻店にも宿っていた。
「野越え山越え」精神があるからこそ、
一人でも多くのお客様を守ろうとした物江店長。

物江さんと小林さんは会津若松の生まれ。
同じ高校の1年違いで、二人とも東京の大学に進学し、
同じように東北のヨークベニマルに就職した。
そして30年。

二人は立派なYBマン、
スーパーマーケット店長になって、
互いに協力し合う仲間。

私も仲間に入れてもらって、
お二人と固い握手。
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ヨークベニマルという会社の良さ、強さ。
業界でも盛んに論評される。

しかし私は、私自身の意見として、はっきり言っておこう。
会社は、もっともっと、もっと努力しなければいけない。

物江信弘、小林稔、そしてすべての店長たちに、
ヨークベニマルは支えられている。
まだまだ、ひたむきで、真摯な、個人に頼っている。

それがこの大きな津波と大きな地震が、
会社に対して示したことだ。

創業の精神と個人の人間力に支えられている。

それがヨークベニマルというチェーンストアが、
東北関東大震災から教えられたことだった。
(つづきます)

<結城義晴>

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