「牛に引かれて善光寺参り」の「戒壇巡りと小蝶」

長野は東京や横浜より寒い。
真冬用の厚手のコートを着てきた。
春風や牛に引かれて善光寺
信州の俳人小林一茶。
私も善光寺へ。
大門町中央通り。
善光寺の門前通りだ。

竹風堂が店を出しているので、
「方寸」を買った。
江戸時代から続く藤屋御本陳(ふじやごほんじん)。
かつては大名や賓客を迎えた。
境内入り口の二天門跡から本堂まで、
長さ約460mの石畳が続く。
石畳は6479枚ある。 
歩いていくと仁王門。
1752年の建立、焼失して1918年に再建。
正面に「善光寺」の額。
「善」の字は「牛」に見える。

山門に登ってみようと思った。

内部に入って怖いくらいの急な階段を、
手すりにつかまりながら2階に登った。
2階の内部には山門本尊の文殊菩薩騎獅像がある。
その四方を四天王像が守護する。
天井欄間に四国八十八ヶ所霊場御分身仏が安置。
写真は禁止。
本堂に向かう前に大香炉。
線香を供え、煙を体にかける。
無病息災の功徳が得られる。

最後に善光寺本堂。
近世建築として東大寺大仏殿につぐ大建築。
屋根の広さは日本一。
1953年に国宝に指定された。
正面から見ると2階建のようだが、6メート
平屋建てで天井が高い。
間口24m、奥行54m、棟高26m。
本尊は日本最古の一光三尊阿弥陀如来。
「絶対秘仏」と言って非公開だ。
ただし近年は七年に一度見ることができる。
善光寺は実は無宗派の単立仏教寺院だ。
どの宗教団体にも属してはいない。
ただし実際に守護し運営する役目は、
天台宗と浄土宗が担っていて、
したがって住職は二人いる。
天台宗の大勧進貫主と、
浄土宗の大本願上人。
天台宗も浄土宗も大乗仏教の宗派。
天台宗は隋の時代の中国で、
智顗(ちぎ)を開祖とする。
平安時代初期に最澄が唐にわたって、
これを学んで日本に伝導した。
だから最澄は伝教大師と呼ばれる。
帰国後、最澄は比叡山延暦寺を建立して、
後年、円仁や円珍など多くの名僧を輩出した。
「すべての衆生は成仏できる」
最澄はこの「法華一乗」の立場を説いた。
平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて、
比叡山で法然や栄西、親鸞、道元、日蓮などが学び、
鎌倉仏教を開いた。
浄土宗はそのなかの法然が開いた。
栄西は臨済宗、親鸞は浄土真宗、
道元は曹洞宗、日蓮は日蓮宗を興した。
善光寺はその天台宗と浄土宗が守り、運営する。
善光寺本堂の中央に「善光の間」がある。
その東から地下へと七段の階段を降りる。

階段を折り切ると、
真っ暗な板廊下が続く。
ご本尊の真下あたりをひと周りして、
入り口の北に出る。
これを「お戒壇巡り」という。
私も真っ暗な地下の廊下を、
手探りで歩いた。
右手で板壁を触れながら、
足先で床を探りながら、
45mをそろそろと歩く。
長く感じられるが10分くらいだろうか。
回廊の終わりあたりに板戸があって、
そこに錠前(じょうまえ)が付いている。
この錠前を握ると極楽往生できる。
心がけのよくない者は錠前をつかめず、
犬になってしまうらしい。
幸いに私はしっかりとつかんだ。
しかしこの仕掛けはよくできている。
こんな暗黒の環境は経験がない。
そこに人間を追い込んで、
自分の心の中を覗かせる。
それが「戒壇巡り」だ。
明るい光が見えてほっとする
山門から俯瞰する長野の景色と、
階段巡りの暗黒の世界。
これが「牛に引かれて善光寺参り」の、
本当の意味なのだろう。
かいだんの穴よりひらり小てふかな
〈小林一茶〉
お戒壇めぐりの穴の中から、
ひらりと小さい蝶が舞い出てきた。
真っ暗な回廊と白い小蝶の対比。
一茶の鋭い感覚も、
善光寺参りに意味を添える。
「一生に一度は善光寺参り」
お薦めしたい。
自分の仕事も商売も、
一度、暗黒の中で、
考えてみたい。
〈結城義晴〉
































