暑い日。
長崎では原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催された。
「怒りの広島」
「祈りの長崎」
式典を見ている限り、
広島の「怒り」は少し薄れた気がする。
長崎の「祈り」はどうだろうか。
鈴木史朗市長の平和宣言。
長崎生まれの国土交通省官僚から、
長崎市長に就任。
「爆心地の方に向かうと黒焦げで炭化した人、
目が飛び出ている人、内臓が飛び出した人、
手足がない人たちが右往左往していた」
「核兵器は『絶対悪』であり、
人類と決して共存できない」
すべての国の指導者に向けて語った。
「国連憲章の理念に基づく多国間主義と
『法の支配』を早急に取り戻してください」
高市早苗首相に向けて、
「日本国憲法の平和の理念と
非核三原則を堅持し、
国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた
外交を強化してください」
きっぱりとした「祈りのスピーチ」だった。
昨年は石破茂総理が、
故永井隆博士の言葉を引用して、
挨拶した。
「ねがわくば、
この浦上をして
世界最後の
原子野たらしめたまえ」
永井隆さんは、
島根県松江市出身の医学者で、
長崎医科大学を卒業。
同大学物理的療法科部長に就任、
1945年8月9日に大学病院本館で被爆。

右側頭動脈切断の重傷を負った。
それでも被爆者の救護活動に従事した。
『長崎の鐘』を1949年に発刊。

被爆の直前、瞬間、直後、
さらにその後の情景が、
丁寧に描写されている。
「人類よ、戦争を計画してくれるな。
原子爆弾というものがある故に、
戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ」
「原子野に泣く浦上人は、
世界に向かって叫ぶ。
戦争をやめよ。
ただ愛の掟に従って相互に協商せよ」
「浦上人は灰の中に伏して神に祈る。
ねがわくば、この浦上をして
世界最後の原子野たらしめたまえと。
鐘はまだ鳴っている」
永井さんは自分の子どもたちに言葉を残した。
『この子を残して』

「友を選ぶならいちばん善い人を選べ。
そしていちばん悪い人も加えろ。
教えられる」
「一流になる
見込みのないことに
手を出すな!
手を出したら
一流になるまでやれ!」
ピーター・ドラッカーと全く同じ。
「肉体の苦痛なんて他愛ないものよ。
我慢すりゃしのげる、死んだら止まる」
「霊魂の苦痛は、とても、
自分の力だけでは、なおらぬ。
おまけに死んだって消えない」
霊魂の苦痛。
これを失ってはいけない。
それが長崎の「祈り」のもとにある。
永井隆さんは43歳で永眠した。
合掌。
私は夕方、涼しくなってから、
外へ出た。
私の自宅から一番近い店は、
ローソン。
それからクリエイトSD。
スーパーマーケットでは、
まいばすけっと。
レギュラーサイズの店は、
オーケー。
入り口の地上1階と、
地下1階の変則2層の古い店。
一丁目一番地は青果部門。
8分の1カットスイカが360円(本体)。
山形県産尾花沢すいか2L。
思わず買ってしまった。

買っただけで、
食べるのを忘れた。
プレゼンテーションは、
万代知識商人大学でも大事にしている。
スピーチやプレゼンの目的は、
聞き手に価値ある情報を届け、
具体的な行動を引き出すことだ。
単なる情報提供や答弁ではない。
上手な引用やアナロジーは必須だ。
語源は「present」、すなわち「贈り物」。
市長や首相、
社長や部長、店長の、
プレゼンテーションは、
具体的な行動につながらねばならない。
ただ人前で無難にしゃべることではない。
書かれたものを読み上げるだけではいけない。
〈結城義晴〉






















































