朝、出かけるとき、
家の階段で転んだ。
リュックサックを背負って、
両手に小物を持っていた。
しかもちょっと急いでいた。
ぴったりしたデニムパンツを履いていた。
膝が上がりにくかった。
それらすべてがいけなかった。
階段の地上7段くらいのところで、
足がもつれた。
前のめりになって、
何段か飛ばしてステップを踏み、
一番下まで落ちて、
転んだ。
幸いに左の肘と肩のところを打ったが、
体は地面に転がった。
持っていた物が散乱した。
それでも両掌と肘と肩を擦りむいた。
骨折も打撲もなかった。
昔々、練習して身につけた受け身の技が活きた。
私は中学高校一貫の学校に通った。
そして中学1年から高校3年まで、
毎週必ず柔道の授業を受けた。
中1のときは、
1年間、受け身だけ教わった。
教師は講道館の道場で、
アントン・ヘーシンクと乱捕りをしたことを、
密かに自慢にしていた。
ヘーシンクは東京五輪の、
無差別級金メダリスト。
私は機械体操部だったので、
回転系の運動は得意だった。
だから受け身の技術は、
クラスでトップクラスだった。
多分、柔道部員よりうまかったと思う。
前方回転の受け身は得意中の得意だった。
左手小指の先から左腕、左肩、左背中を、
滑らかに畳に回転させていって、
体が回り切ったところで最後に、
右手で畳を強く叩いて起き上がる。
次に右手から右腕、右肩、右背中、
左手で強く叩いて起き上がる。
それを連続して行う。
教師に指名されて、
みんなの前で手本を示した。
細長い柔道場の畳の上を、
右端から左端まで、
左と右の前方回転の受け身を交互に続けながら、
往復して見せた。
その十代に学んだ受け身の技術が役立った。
だから階段から落ちても、
大した怪我をせずに済んだ。
しかし両手に物を持って、
急いで階段を駆け降りるのはやめよう。
そう自分に誓った。
さて日経新聞最終面の「私の履歴書」
今月は大谷喜一さん。
㈱アインホールディングス社長。

北海道で生まれ育ち、
名門北海高校の硬式野球部に入った。
3年生のときには2塁のレギュラーを取って、
甲子園を目指したが、
予選決勝で惜敗。
その後、方針転換。
猛勉強をして大学の薬学部に入って、
卒業すると薬剤師の資格を得た。
それから薬局を創業した。
起業家を目指していた。
持ち前のガッツと人柄で事業は順調に進んだ。
ドラッグストアの多店化を急ぎ、
同時に臨床検査事業も興した。
多くの恩人に出会った。
ドラッグストアと臨床検査、
これがアインファーマシーの特長だ、
今や、ドラッグストア産業第8位で、
年商は5000億円を視野に入れる。
4568億円、1290店舗。

1988年、資金繰りで後藤光男さんに世話になる。
元野村企業情報社長、元イトーヨーカ堂監査役。
その後もM&Aの相談に乗ってもらう。
ベンチャーキャピタルのファイナンスを受け、
将来の株式公開を展望する。
88年の事業計画書の経営理念。
「医療こそ最も人間愛あふれる
仕事でなければならない」
「公開する事が同業他社との大きな差別化になり、
業界のリーダーシップを握ることが出来る」
ここには目標企業が記されている。
「ニッショーが我が社のモデルとなる」
私、ちょっと驚いた。
大谷さんがニッショーをモデルにしていたとは。
同社の主たる業務は、
スーパーマーケットと医療器具の販売だった。
大谷さんは、
故堀内彦仁さんや故井上靖之さんからも、
薫陶を受けたのだろうか。
そこでニッショーと同じように、
「二刀流モデル」での成長を戦略とする。
失敗もあったが学びもあった。
最も学んだのが、
イトーヨーカ堂の経営のあり方だ。
その一つが検便。
多くのチェーンストアの検便は夏だけだったが、
ヨーカ堂は当時、通年で実施していた。
それだけでなく、中元や歳暮を、
一切受け取らないという姿勢。
大谷さんは「ヨーカ堂推し」になっていく。
「お客様は来てくださらないもの、
お取引先は売ってくださらないもの、
銀行は貸してくださらないもの」
故伊藤雅俊名誉会長の数々の名言。
98年に社名を「アインファーマシーズ」に変えた。
ロゴをハトのマークにした。
「ヨーカ堂推し」の結果だった。
2008年、諸江幸祐さんを通じて、
伊藤名誉会長に単独で面会した。
諸江さんは私も親しい、
元ゴールドマンサックスの、
リテールNo1アナリスト。
伊藤さんは質問魔だ。
売上高や坪効率、自己資本比率について、
大谷さんに尋ねた。
自己資本比率は当時22%ぐらいだった。
伊藤さんはこの指標に目を止めて、
「それは低いね」
「尊敬する伊藤さんが言うのだからと思い、
そこから必死に自己資本の改善に取り組んだ」
ご子息の伊藤順朗さんは、
現セブン&アイ・ホールディングス会長だが、
会食の場で何度も会って、多くの学びを得た。
それからセゾンコーポレーションの故堤清二会長、
イオンの岡田卓也名誉会長にも、
単独での面会を申し入れた。
「何を話すのか、どんなしぐさをするのか、
戦後の流通産業のリーダーの姿を
目に焼き付けたかった」
岡田さんには94年に会った。
秋田県のショッピングセンター。
「タヌキの出る場所にショッピングセンターをつくる」
岡田さんは革新的な流通産業の未来を示した。
経営者は優れた先輩経営者の姿を見て育つ。
これは実に大事なことだ。
私も多くの経営者の皆さんに会う。
インタビューして記事にすることを主眼にしているが、
その立ち居振る舞いに学ぶことが多い。
それは私の商業界や商人舎の経営に、
活きているのだろうと思う。
〈結城義晴〉






































































