5月5日は、こどもの日。
端午の節句。
大学生の頃、「早稲田大学童謡研究会」に属していた。
西條八十先生が初代顧問の伝統ある研究会。
童謡を創作し、演奏の練習をし、
影絵やスライドをつくり、
幼稚園や保育園などを回った。
ミュージカルの作・演出もした。
「セロ弾きのゴーシュ」
だからこどもの日は、私にとって、
特別のものだった。
子供たちを大切にする国家、民族・家族に、
永い繁栄がもたらされる。
子供たちを大切にする店にも、
長い繁盛が約束される。
さてこのゴールデンウィーク。
3日から福岡・下関に。
3日は、㈱ダイナムの新業態「信頼の森」のクリニックと、
ワンアジアクラブの深夜までの会合と交流。
宿泊は、マリンピア豊浦。
ダイナムが所有する敷地10万坪・建物面積2000坪の研修施設。
そのマリンピアの部屋から見た景色。
このプライベートビーチも施設内にある。
マリンピアは下関市豊浦町の真崎半島のほとんどすべてを敷地としている。
正面に島影がみえる。
そして、なんといっても私の気持ちをそそるものは、
下関ゴルフ倶楽部。
マリンピアに隣接するほどのところにある。
胸像は、中部利三郎翁の像。
そう、2001年12月に早世した故中部銀次郎さんの父君。
このゴルフコースの創設者。
中部銀次郎は、アマチュアゴルフ界の至宝といわれたが、
この下関ゴルフ倶楽部でゴルフを覚え、上達した。
そして20歳のときに、日本アマチュア選手権に初勝利した。
身長170センチ、体重55キロの華奢な体躯。
子供の頃から、体が弱かった。
そこで父・利三郎が銀次郎の健康を考慮して、ゴルフを教えた。
アマチュアゴルファーとしての技術と哲学が、
中部銀次郎の中に育った。
その後、6回の日本アマ優勝。
関西オープンでは、並みいるプロを退けて優勝してしまった。
ゴルフがもっとポピュラーで、テレビなどマスメディアが発達していれば、
現在の石川遼のようなゴルファーだったに違いない。
しかし中部さんは、プロにはならなかった。
下関を発祥の地とした林兼産業、および大洋漁業の実務家として、
仕事もした。
ゴルフにも打ち込んだ。
その中部銀次郎は本を書いている。
私は、その本のほとんどを、何度も何度も読んでいる。
まあ、私がゴルフというゲームをする時、
これしかないという支えにしているのが、
中部銀次郎の考え方。
「ミスは忘れるものではない。許すものだ」
中部さんは、「ゴルフはミスのゲーム」といった。
ゴルフに限らない。
仕事は、ミスの繰り返しだ。
人生は、ミスの積み重ねだ。
だから「ミスは忘れるものではない。許すものだ」の言葉は重い。
しかし、こうもいう。
「ミスはミスでも、許せるものと許せないものはある」
「素直に、正直に、あるがままに対処する」
これが、中部さんの生き方でもあった。
商売の極意も、同様。
「大たたきしたことに感謝する」
これも中部流の考え方。
そんなことを考えつつ、
もちろん私は、下関ゴルフ倶楽部でプレーした。
それも、10数年ぶりにワンラウンド&ハーフ、27ホール。
中部銀次郎の育ったゴルフコースから、去りがたかった。
そして堪能した。
写真は、上野晴彦さん(真ん中)と岩田総一郎さん(右)。
ワンハーフ、27ホールまでご一緒してくださった。
パートナーとゴルフコースと、
そして中部銀次郎さんに、感謝。
5日朝、黒井村駅から電車に乗った。
地方駅、人の心を落ち着かせるのものがある。
ローカル線、新幹線、ジャンボジェットを乗り継いで、
現実に戻ってきた。
しかし、いい旅行、いい休暇だった。
すべての人に心から感謝。
<結城義晴>