結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2011年04月13日(水曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート六章[ヨークベニマル石巻蛇田店合流物語]

横浜では、早くも、
桜の花が散り始めた。

いつも通る菊名池公園。
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池の端に溜まった桜の花びら。
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水連の葉にも桜の花びらがからみつく。
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もうすぐ桜は終わり、
新緑の季節。
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「大川に吹きあげられし桜かな」 〈小林一茶〉

毎年、思い出すが、私はこの句が大好きだ。

いつも歩く新田間川沿いの道。
桜と鳩。
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これでは句に、ならない。
一句、詠めない。

新田間川でも葉桜になりつつある。
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これから東北・北関東の被災地も、
桜の季節か。

もしかしたら、
桜よりも新緑の方が、
被災地の人たちに、
勇気と希望をもたらすかもしれない。

朝日新聞のコラム『経済気象台』に、
コラムニスト四知氏が、「民度と『官度』」。
「未曽有の東日本大震災にもかかわらず、
数多(あまた)の市民が惨事に耐えながら、
未来に向けて粛々と対処する姿は、
多くの国々に感動すら与えている」

もちろんこの中には小売商業・サービス業が含まれる。

「これは、わが国の民度の高さを改めて世界に示すとともに、
復興に向けた大いなる希望のあかしともいえるものである」

それに対して、政府、官僚、そして順官僚体質の電気事業者の、
「『官度』の低劣さは憂慮すべきもの」と嘆く。

そしてJ・F・ケネディの言葉、
「つながっていれば、
できないことはほとんどない。
バラバラなら、
できることはほとんどない」

「復興に際しての民力の強靱さには疑問の余地もない」
これが四知氏の結びだが、
「民力」に関しても、つながらねば、
できることはほとんどない。

さて、石巻のヨークベニマルの物語は続く。
3月11日に被災した湊鹿妻店。
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物江信弘店長をはじめ湊鹿妻店の人たち、
それから周辺の住民、
総勢500人は何とか生き延びた。
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石巻市内で唯一、無事だった石巻蛇田店から、
14日に救援物資が運ばれてきて、一息ついた。

その後物江店長と従業員の人たちは、
蛇田店に行った。
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蛇田店は、石巻市の山側に立地する。
新しい商業集積の中にあって、
イトーヨーカドー、ニトリなどとショッピングセンターを形成している。

石巻にヨークベニマルは、4店舗を出している。
そのうちの2店舗が完全閉鎖。
物江店長の湊鹿妻店、そして石巻街道が陥没した中浦店。
15日に、二人の店長が蛇田店にやってきた。
蛇田店の小林稔店長が待っていた。
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三人の合流。
それは三店の合流を意味した。

「無事だった!
良かった!」

三人は抱き合って喜んだ。

それからずっと、
物江店長も蛇田店で働いている。

三人の店長はそれぞれに、
被災の状況が違っていた。
そして三人はそれぞれ孤立していた。

誰の指示も得られなかった。
だからそれぞれ自分で判断した。

「自分にとって今、できることは何か。
お客様のために今、できることは何か」

それだけを考えていた。

周りに部下はいても、店長として孤独だった。
だからこそ仲間との合流は、
ひとしおうれしかった。

11日、蛇田店は、大きな揺れで、
店内ゴンドラがひっくり返ったり、
一部の天井が落ちたり、
スプリンクラーが作動したり、
やはり大変なことになった。

そのうえ、停電、断水、余震も続いた。
その日は店内を片付け、店を守った。

翌朝12日、もう、6時から顧客が、
店の前に集まってきていた。

「集まり方は半端でなかった」
小林店長は述懐する。

店内から必須の商品を駐車場に持ち出して、
暗くなるまで売った。
必死で仕事した。

「お一人様、5個まで」
400円、500円の商品も、
一律100円で売った。

それでも15日までの5日間で、
1000万円になった。

まさに私の言う「配給所」。

お客からは「ありがとう、ありがとう」
逆に元気づけられた。
もめ事もほとんどなかった。

これまでは、
「買ってあげる」
「買っていただく」

この時は違った。
「ありがとう」

小林店長は言う。
「別に、当たり前のことをやっていたのに」

そのうえ、申しわけないほどの行列で、
長いこと待っていただいて、
お一人、4個、5個の買い物。
それも申し訳ないと思った。
なんとか早く、店内でも販売したいと考えた。

しかし12日の夜は、
治安が悪かった。

真っ暗な中、若い男たちが、
ハンマーを持って、店や事務所を荒らしていた。
コンビニ、やまやなど酒販店、貴金属店、洋服店。
コンビニは暗くなるとほとんど店を閉めて、
バリケードを築いていた。

13日は、朝6時から駐車場での販売を始めた。
電話や携帯も通じないし、本部との連絡も取れない。
当然、商品は入ってこない。
だから店内の売場やバックヤードから、
商品を運び出しては並べて、売った。

14日の午前3時、
初めて本部と連絡が取れた。
小林さんの息子さんは福島県のいわきに住んでいるが、
深夜にその息子さんとの連絡が取れて、
直後に、本部からの電話もとった。
息子さんは「無事」で、
本部とも連絡がついた。

二重の安堵だったに違いない。

それまでは「何が起こっているかがわからなかった」
だから「自分たちでできることだけをやろう」
この「できることだけをやる」ことは、
震災の時の第一の心構えである。

14日は、本部の情報で、
中浦店と鹿妻店が被災していることがわかって、
鹿妻店まで10キロの泥だらけの道を、
店にあった商品を持って届けた。

近隣の中浦店は売場がまったく使えないので、
蛇田店にやってきて、一緒に販売した。

そして15日に三人の店長が合流。
それでも15日と16日は、朝8時から始めて、
昼には売り切れて、終わった。
そして売れるものは、何もなくなった。

鹿妻店の物江店長が店頭販売していると、
長靴をはいてリュックサックを背負った泥だらけの人が、
近づいてきた。

鹿妻店の常連のお客だった。
10キロも歩いて、
蛇田店に買物に来てくれたのだった。

三店合流後の復旧は早かった。

やっと本部から商品が届くようになった。
どの店も発注の4割も商品が入らない状態だった。
蛇田店には優先的に商品供給が行われた。

この間、中浦店、鹿妻店の店長たちは、
行方不明の従業員の安否確認に奔走した。
その時に物江店長が首から下げたボード。
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20日には、店内営業を始めた。
その日は朝5時からお客が並んだ。
「並ばないでください。
全員、買物できるようにしますから」
そう言って歩いた。

しかし、あまりの客数にレジがスムーズに流れない。
家族を亡くした従業員が3分の1くらい。
半分の従業員は仕事に出てくることができない。

郡山からレジを運んでもらって、売った。
午後3時までに来店した顧客には、必ず売ると約束した。
被災地から、次々にお客がやってきた。

営業本部長が20人くらいの応援部隊を、
山形・茨城から派遣してくれた。
それでほとんど並ばせない態勢をつくった。

それでも、出勤した者はみな、
仕事に打ち込んだ。

中浦店のベーカリー・マネジャーは旦那さんを失った。
しかし「毎日、仕事している方がいい」と言って、
元気に働いた。

そんなふうにして、なんとか4月1日までやってきた。
「4月に入ったら、日常に戻そう」
それが合言葉だった。

現在の店は、もちろん平常時と同じではない。
しかし、売場は輝いている。
何しろ、三人の店長が力を合わせ、
三店の従業員が協力し合っているのだから。20110411202539.jpg
私たちが訪れた4月6日も、
夕方の5時には閉店した。
まだまだ日常には戻らない。

しかし短時間に集中的に、
商品を供給する体制が出来上がった。

5時までの営業で、以前の2倍の金額を売る。
時間当たりにすると3倍売れている。

ヨークベニマルには、
「野越え山越え」の精神がある。

創業の大高善雄さんの時代、
夫婦で引き売りをした。
街から街へ、村から村へ、
お客を求めて売り歩く。

25軒目でやっと買ってもらった。
この時の精神を受け継いで、
「一人のお客様を大切にしよう」という考え方。

今回、小林店長が最後に、
この「野越え山超え」のことを口にした。
「一人のお客様の後ろには25人のお客様がいる」。

この精神は、大震災の非常時にも、
YBマンの心の中に宿っていた。

被災し疲れ切ったお客様。
余震で不安がぬぐえないお客様。
そんなストレスを背負ったお客様たちだからこそ、
こんな時にも並ばせない。

それが小林店長の石巻蛇田店全体にあふれている。

そしてこの精神は、
鹿妻店にも宿っていた。
「野越え山越え」精神があるからこそ、
一人でも多くのお客様を守ろうとした物江店長。

物江さんと小林さんは会津若松の生まれ。
同じ高校の1年違いで、二人とも東京の大学に進学し、
同じように東北のヨークベニマルに就職した。
そして30年。

二人は立派なYBマン、
スーパーマーケット店長になって、
互いに協力し合う仲間。

私も仲間に入れてもらって、
お二人と固い握手。
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ヨークベニマルという会社の良さ、強さ。
業界でも盛んに論評される。

しかし私は、私自身の意見として、はっきり言っておこう。
会社は、もっともっと、もっと努力しなければいけない。

物江信弘、小林稔、そしてすべての店長たちに、
ヨークベニマルは支えられている。
まだまだ、ひたむきで、真摯な、個人に頼っている。

それがこの大きな津波と大きな地震が、
会社に対して示したことだ。

創業の精神と個人の人間力に支えられている。

それがヨークベニマルというチェーンストアが、
東北関東大震災から教えられたことだった。
(つづきます)

<結城義晴>

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