12月の土曜日。
最近、土曜日には、
昼頃まで寝ている。
1週間の疲れを癒し、
平日の睡眠の不足を補う。
長時間眠るには体力がいる。
老人は早起きだそうだが、
私はそれに抵抗している。
眠れるならばいつまでも寝る。
そしてそれができる。
土曜日は今の私には、
年をとったことを拒否するための日だ。
夕方、出かけた。
銀座方面にゆっくり歩いて、
なまはげ銀座店。
秋田料理の店。
午後8時ごろ、
なまはげが登場して、
顧客サービスをする。
今夕は忘年会。
早稲田大学少年文学会OB・OG会。
略して「少文」。
多くの児童文学者を輩出した。
私たちが現役大学生のころは、
政治闘争を展開していた。
私は早稲田大学童謡研究会に属していた、
こちらは略称「童研」。
代々、ノンポリティカルだった。
少文と童研は、
第一学生会館19号室に同居していた。
もともとは1925年、
早稲田大学童話会が発足した。
その時の顧問が、小川未明、坪田譲治、浜田広介。
当時、「童話界の三羽烏」と呼ばれた。
紆余曲折を経て、1953年、
少年文学会となった。
NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」は、
井上ひさしと山元護久が作家として参加したが、
山元が少文出身だった。
一方の童謡研究会は、
最初の顧問に西條八十を迎えて発足。
戦前は幼稚園を経営して、
そこで童謡の創作と指導の実践をした。
1950年代にはこわせたまみを中心に、
活発な創作活動を展開した。
少文と童研は、
私たちの時代には部室を共有していたので、
仲が良かった。
童研の部会は月曜と金曜の夕方から、
少文は火曜と土曜。
それ以外の日も、
みんな19号室に集まってきて、
本を読んだり、ディスカッションしたり、
創作したり、ギターを弾いて歌ったり。
いわゆるたまり場だった。
私など毎日、この19号室に通った。
その合間に授業に出ていた。
少文は「裸婦餓鬼」という合評誌を出していた。
正式には「少年文学」という機関誌を発行した。
童研は「さぶるこ」を合評誌としていた。
「早稲田童謡」が機関誌。
裸婦餓鬼もさぶるこも、
ガリ版刷りのホッチキス止め。
発表された作品を巡って、
毎週、手厳しい合評を繰り返した。
私は童研で先輩たちに対して、
とくに辛辣な批評をした。
私たち童研は二葉南元保育園と提携して、
毎週、園児たちに童謡を教えた。
少文の1年先輩の佐藤さん。
いい作品を書いていた。
私も読んでいた。
私と同期の古川さん。
阿達秀昭君という共有の友人がいて、
阿達・結城は童研、古川は少文だった。
金子さんは中学高校の同窓。
1年後輩で卓球部だった。
私は器械体操部。
この19号室で偶然遭遇した。
理論家の、いい奴だった。
そしてこの会の幹事の高橋さん(中)と、
童研の幹事の大島さん。
来年は合同の懇親会を開催することにした。
大学生のころに親しくしていた人間が、
50年を経過すると、
こんなふうに年をとる。
私もそう見られているのだろうが、
実に興味深かった。
ありがとうございました。
さて日経新聞のコラム「大機小機」
タイトルは、
「日本の経済政策3つの悪癖」
コラムニストは反骨の学者・墨田川さん。
悪癖の第一は、
「緊急対策を乱発すること」。
「毎年秋になると経済対策の議論が始まり、
補正予算が編成され、財政支出が追加される。
もはや恒例行事と化している」
それほどの外的環境の変化がないのに、
「緊急対策」が打ち出される。
第二は「スローガンに頼ること」。
岸田文雄前首相の「新しい資本主義」、
「資産所得倍増計画」、
「デジタル田園都市国家構想」など。
「資産運用立国」「観光立国」、
それに「科学技術立国」「教育立国」など、
「立国」スローガンの乱発。
あ~あ。
第三は「宣言」にこだわること。
「景気回復宣言」「景気後退宣言」は、
繰り返し発せられてきた。
今はいつ「デフレ脱却宣言」が出されるか。
宣言は「政治的な動きに左右されやすい」
「政府が宣言を出しても出さなくても
経済は動き続ける」
墨田川さんの「落ち」はこれ。
「もう政府は宣言のようなものは出しません」
と宣言してはどうだろうか。
そういえば早稲田大学童話会からは、
1953年に鳥越信と古田足日の二人が、
「未明なんか駄目だ!」と言って、
「少年文学の旗の下に!」のタイトルコピーで、
「少年文学宣言」を発表した。
この宣言によって「少年文学会」が始まった。
私自身は2007年9月に、
「毎日更新宣言」を発して、
17年間もブログを書き続けている。
「商業の現代化」を目的としている。
知識商人の養成を標榜している。
「宣言」には効果がある。
チェーンストアの経営をするにも、
店舗を運営するにも、
「宣言」を効果的に使いたい。
ただし緊急対策のように、
スローガンだけ掲げて、
宣言するのはよろしくない。
「宣言」は、
それを貫徹しなければならない、
という宿命をもつものだ。
〈結城義晴〉