81歳、肺がんだった。
早稲田大学政経学部から1967年、
アナウンサーとしてTBSに入社。
実は9歳年下の私も、
TBSの入社試験を受けたことがある。
その時の面接官の一人が、
久米さんだった。
接点はその時だけだった。
私は落ちたけれど。
クイズ番組「ぴったしカン・カン」の司会、
音楽番組「ザ・ベストテン」でも、
黒柳徹子さんと組んで人気だった。
12年間、TBSに所属していたが、
その後、フリーのキャスターとなって、
テレビ朝日の「ニュースステーション」を、
19年間続けた。
この番組が「テレビを変えた男」、
久米宏の存在価値そのものだった。
81歳はまだ若い。
残念だ。
ご冥福を祈りたい。
おーいお茶大型コース、小型コース、
そして日本茶の日コース。
もう30年近く開催されているコンテスト。
私は商業界の食品商業編集長として、
この審査に加わったのだと思う。
そのころから比べると、
プレゼンテーション技術は飛躍的に高まった。
「陳列ハンドブック」なども制作して、
伊藤園の営業の人たちが学んだ。
最後に大賞を決めるときには全員が集まって、
議論をする場合もある。
店舗賞が決まると企業賞の選考。

最後に審査員全員が総括をする。
そして大谷翔平選手といっしょに記念写真。

真ん中から右が、
本庄大介社長、周介副社長、神谷茂専務。
私の左は松井康彦商人舎特任プロデューサー、
その隣が梅澤聡食品商業編集長。
大谷効果もあって好調な売れ行き。
翔平さん、ありがとう。
さらにスタッフ全員で写真。
このブログ用のボーズです。
ありがとう。
いつも以上に盛り上がった。
現在、伊藤園は46カ国に進出している。
イギリスのロンドンでは、
JR東日本とコラボレートして、
おにぎり屋でおーいお茶を売る。
日本の人口は減少していく。
ならば海外に進出するしかない。
「中産階級」が爆発的に増える国に、
ビジネスのチャンスを求めるのが、
それぞれのトップ企業の在り方だと思う。

審査会のあとは横浜商人舎オフィスへ。
先週のお約束。
商人舎に工藤澄人さんが加わった。
1966年、岩手県生まれ。
商業界に入社して、私の部下となった。
食品商業編集部に11年所属して、
それから月刊商業界の編集長となった。
私たちは「本誌(ほんし)」と呼んでいた。
一族の長の家を「本家」と呼ぶが、
そのニュアンス。
倉本長治が創刊した本誌。
その編集長として、
ヒット企画を連発した。
筆者も数多く育てた。
ゴーストライターとしても腕を発揮した。
「SSMに軌道をとれ」
「岡田卓也の十章」
工藤澄人&結城義晴の作品だ。
商人舎に強力なメンバーが加わった。
「人間万事塞翁が馬」
不運が幸運の原因となり、
その幸運が不運の理由となる。
また不運が幸運を引き起こす。
商業界が2020年に自己破産して、
山本恭広さんや工藤澄人さんが、
商人舎に参画してくれた。
これからの商人舎は、
商業界の本誌と販売革新と食品商業と、
さらに商人舎らしさを加えて、
商業の現代化を追究する。
よろしくお願いします。
私はその足で、
横浜シティーエアーターミナルから、
羽田空港へ。
ボケボケ写真のみなとみらいと横浜港。
ANAの国際線は第2、
JAL国際線は第3ターミナル。
明日の朝、集合して、
ニューヨークに出発する。

そのための前泊。
忙しい一日で、
清水橋から横浜、そして羽田と、
行ったり来たり。
しかしその慌ただしさがまた、
幸運をもたらしてくれる。
久米さんに採用してもらっていたら、
まったく違った人生となった。
それは幸運だったのか、
不運だったのか。
私は後悔などしていない。
〈結城義晴〉































