みどりの日の寺山修司と北原白秋
セブン&アイとイオンの決算。
昨年は「逆転のダイナミズム」と題して書いた。
「どちらがマーケットリーダーなのか、
どちらがマーケットチャレンジャーなのか」
「この熾烈な競争は、それぞれに
異なる特徴を有することによって、
日本のチェーンストアの世界に
ダイナミズムを生み出す」
「異質性をもつ者同士のコンペティションは、
同質で量的拡大一辺倒の従来の競争を凌駕して、
それぞれにさらなる進化と深化を
求めるからである」
今年はその次の「それぞれの道」。
などと考察していても、
思いは様々にめぐる。
閑話休題。
40年前の今日、
寺山修司が死んだ。
47歳だった。
北海道新聞「卓上四季」が取り上げた。
「万華鏡・寺山修司」
「1954年、早大に入学した同級生の
寺山修司さんと山田太一さん」
「ちょうど今ごろ、
ひょんなきっかけで親友になる。
戦争の傷痕が残る貧しい時代。
文学や芸術を熱く語り、恋愛に悩む」
「病気で長く入院した寺山と交わした
膨大な手紙が残る」
後に脚本家となる山田さん。
「情報も少く、後期少年時代」と回想する。
「とんでもない。
幅広い読書と豊かな感性、鋭い思考。
2人の才能は手紙の文面から既に明白だ」
良い友。
それが成長を促す。
「寺山の早熟ぶりはめざましい」
海を知らぬ少女の前に
麦藁帽のわれは
両手をひろげていたり
18歳のとき寺山は、
連作「チエホフ祭」で衝撃的デビューを果たす。
「病が癒えると大学を飛び出し、
多方面で活躍した」
劇作家、歌人、詩人、前衛劇団の主宰、
スポーツや競馬の評論家、映画監督…。
「多面体、それとも万華鏡か。
寺山修司というジャンルを確立した
と言えるのかもしれない」
マッチ擦る
つかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
1年366日と設定して日々、
「古今東西の偉人」の言葉が抜き出されている。
その5月4日編は北原白秋だ。
詩人、歌人、童謡作家。
銀笛のごとも哀(かな)しく
単調(ひとふし)に過ぎもゆきにし
夢なりしかな
夢は単調に過ぎてゆく。
いやはてに
鬱金(うこん)ざくらのかなしみの
ちりそめぬれば
五月(さつき)はきたる
五月は鬱金ざくらが咲いて、散る。
かくまでも
黒くかなしき色やある
わが思うひとの
春のまなざし
こんなにも黒くて悲しい色は、
あるのだろうか。
私の思う人の春のまなざし。
みどりは、
人間に喩えれば早春を象徴する。
若いころの瑞々しい感性。
寺山も白秋も、
若いころから天才ぶりを発揮した。
ゴールデンウィークには、
そんな若さがある。
明日の5月5日は子どもの日。
そして明後日の6日はもう立夏だ。
〈結城義晴〉