セブン‐イレブンがマクドナルドを店舗数で抜いて店舗モデルとして最優秀を証明
2007年3月末日、セブン-イレブンの世界の店舗数は3万2208店。この時点で世界のマクドナルド3万1000店の店数を追い抜いた。
小売店舗モデルが、外食店舗モデルを数で抜いた日である。
一般に、小売業のほうが店舗投資額が高い。小売業のほうが荒利益率が低い。
だから店数を増やしていくのが、難しい。
結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

セブン‐イレブンがマクドナルドを店舗数で抜いて店舗モデルとして最優秀を証明
2007年3月末日、セブン-イレブンの世界の店舗数は3万2208店。この時点で世界のマクドナルド3万1000店の店数を追い抜いた。
小売店舗モデルが、外食店舗モデルを数で抜いた日である。
一般に、小売業のほうが店舗投資額が高い。小売業のほうが荒利益率が低い。
だから店数を増やしていくのが、難しい。

スタートに当たってのメッセージ
30年前、(株)商業界に入社して『販売革新』編集部に配属された私は、すぐに「村田昭治のトップマネジメントリレー対談」という連載企画を担当することになりました。村田昭治とは慶應義塾大学商学部名誉教授の、あの村田先生です。先生はこの対談の後、『11PM』というテレビ番組にレギュラー出演し、一般人にも有名になりましたが、自ら「心のマーケティング」などと名づけた、およそ学問になりがたい論述で一世を風靡しました。
私はといえば、その後、『食品商業』の編集長となり、さらに(株)商業界編集担当取締役、専務取締役編集統括、代表取締役社長と役割が変わりました。
当時の対談相手は、私が覚えているだけでも、ダイエー中内功、イトーヨーカ堂伊藤雅俊、ジャスコ岡田卓也、ニチイ小林敏峯、ユニー西川俊男、イズミヤ和田満治、セブン‐イレブン鈴木敏文、丸井・青井忠雄、鈴屋・鈴木義雄、ヤマナカ中野富彦、関西スーパー北野祐次、サミットストア荒井伸也といったそうそうたる人物ばかりでした。
私は毎月、東京深沢の村田邸を訪れ、村田番をしました。村田先生の弁舌を学び、ご自宅を訪れてはその勉強振りを体験しました。トップの方々からも毎月、忙しい仕事の中から時間を割いていただき、直接、薫陶を受けつつ、20歳代を充実した空気の中で過ごしました。そして何とか2年余りのシリーズを全うしました。
そんな『トップマネジメントリレー対談』を今、私が村田昭治の役を担って、再開しようと考えました。
30年の企業のライフサイクルを一跨ぎする年月を経た上での『トップマネジメントリレー対談』――ご期待ください。

Publisher’s Message by Yoshiharu Yuki<18 April.2007>
「君の真のお客は誰か?」
3000人の商業者が、シンと静まりかえった会場に向けて、壇上から倉本長治は、こう叫んだ。
倉本は戦前から「商売の神様」と呼ばれ、戦後、昭和23年に㈱商業界を興した伝説上の人物である。
竹村猛志は、その言葉が、たったひとり、自分にのみ向けられている、と感じて、背筋がぞくっとした。
竹村の商売は、菓子屋。長野県小布施で90年続く老舗である。
しかし、和菓子を製造して卸す、という商売に、竹村はずっと限界を感じていた。箱根の商業界ゼミナールに通い始めて、様々な知識を得ても、なかなか商売はうまく転じなかった。
しかし、このとき、倉本長治の口から放たれた「君の真のお客」という言葉に、竹村は電気ショックのような衝撃を受けた。
「今まで自分は、菓子をつくって、それを卸す先の問屋や小売業をお客だと思っていた」
竹村はいつも悩んでいた。自分の菓子を食べてくれるお客さまの喜ぶ顔を見たときにこそ、心の底から幸せが感じられることを。
それから、竹村は、小売店を始めた。
菓子をつくって、売る。
お客の顔を見る。
また、菓子をつくって、売る。
お客の顔を見る。
自分のお客が見えてから、竹村の商売は順調に進んだ。
それから30年、今、長野県内に12店の店舗を経営する県下第1位の菓子小売企業となった。竹村は商業界全国連合同友会前会長で、今や商業界運動のリーダーである。
「方寸」というらくがんのような菓子は、1枚25円。90年間寿命のつづくこの菓子は、竹村の商売換えによって、今も、顧客から愛好されている。
「企業の目的」は「顧客の創造」である。
竹村猛志は、倉本長治の「ひと言」に目覚めて商売換えを断行した。
菓子の製造卸しから、製造小売りへ。
簡単なことのようで、ひどくやっかいな事業転換であった。
なぜなら、これまでのお得意様だった小売店が、今度はライバルや敵になってしまうからだ。今までのお客を捨てる勇気がなければできない仕事なのだ。
竹村が心酔した倉本長治は「店は客のためにある」という不変の真理を唱えていた。どんな店にも、その店の自分の客がある。その顧客のために、店は存在するのである。客が、店のために存在するのでは、断じて、ない。ただし自分の顧客とは、現在のお客とは限らない。
ドラッカーは「企業の目的」を「顧客の創造」と喝破した。「あなたの顧客は誰か」そして「あなたの顧客は何を求めているか」。
「店は客のためにある」――「君の真のお客は誰だ」と、ドラッカーと全く同じことを言った倉本の真意を、竹村はこのとき神の啓示のように感じとったのだ。
小売業でいえば、ダイエーは商売換えによって、成長へのきっかけをつくった。
中内功は、戦後、家業の薬局を継ぐ形で商人の道に入ったが、そこで得られた資金力で、「主婦の店ダイエー」を始め、スーパーの世界に進んだ。その後も誰よりも意欲的に商売換えをやりつづけて、2兆5000億円の年商をピークに、会社が傾いた。中内は一昨年、死んだ。
今、そのダイエーの株式の15%を取得し、傘下におさめつつあるイオンは、岡田屋、ジャスコ、イオンと名前を変えつつ、積極的な商売換えをやってきた。ダイエーを合わせれば6兆円の年商である。
イオンには、「大黒柱に車をつけよ」という家訓が残っている。
立地も、商売そのものも、時流にあわせて変える勇気をもて、という家訓である。
考えてみるとトヨタも、豊田佐吉が発明した「自動織機」から始まり、今や自動車会社に商売換えした企業である。
ホンダもスズキも、商売換えの連続が、その成長の歴史といってよい。
小売業や外食業は、この商売換えのことを「業態転換」と呼ぶ。
八百屋、魚屋がスーパーマーケットになる。
薬局がドラッグストアになる。
酒屋が、フランチャイズのコンビニになる。
みな、商売換えである。
商売換えの本質は、「自分の真の客」を見ながら、前の商売のやり方と前の顧客を捨てることである。新しい顧客を見つけることである。
㈱商業界社長 結城義晴
<2007年春『Pachinko-Hall Business Review』より>

米国オーガニック業界に衝撃走る!
~1位ホールフーズと2位ワイルドオーツ合併で301店~
2月21日。ウォルマートの2006年度決算が発表された翌日。
ホールフーズとワイルドオーツの合併調印が発表された。
ホールフーズマーケットは1980年にテキサス州オースティンで創業されたオーガニック&ナチュラルスーパーマーケット全米ナンバー1企業。いや、世界第1位の規模とクオリティを誇るオーガニックスーパーマーケットと表現して、異論は出ない。
2006年9月末の決算において、年商56億0700万ドル(6728億円)、純利益2億0400万ドル(225億円)。アンビリーバブルな企業なのだ。2006年の年商伸び率は19.3%。2003年が17%だったが、それ以外は21世紀に入ってこの7年間、20%を超え続ける成長を見せている。
さらに凄いのが、既存店伸張率。最新の2006年で11.1%。2005年は12.8%、2004年は14.9%。これも信じられない数値だ。ウォルマートが21世紀に入ってからの7年間、2002年の6%をピークに、だんだん既存店の数値を下げてきているのとは対照的だ。
粗利益率もずっと34%台から35%と、高い。



2007年1月~2月の「20日〆行動日誌」
□「まだ、遅くはない」――私はいつもそう思っている。まずい、失敗した。そんなときにも「まだ、遅くはない。諦めるな」――もう一人の私が、励ましてくれる。
□2007年、第5週。1月22日、8時から恒例の月曜ミーティング。午前中は、伊藤園の陳列コンテスト審査委員会。『食品商業』誌上で展開される企画ですが、おそらく日本一といってよい規模と内容をもったものです。今回も素晴らしい作品ばかりだった。23日(火)8時30分から下期予算会議。10時30分から、安土敏vs星野佳路対談でご挨拶。作家の安土さんは、ご存知、前サミット会長の荒井伸也さん。星野さんは、リゾート再生で辣腕を振るう星野リゾート社長。『商業界』4月号に前編が掲載されています。読んでみてください。「ターゲットマーケティング」の芯の部分がすっきりと理解できます。24日(水)8時30分、業態開発プロジェクトミーティングは欠席して、新横浜で「ドラッグストアMD研究会」の政策セミナーで講演。そのまま新横浜に居残って、全国セルコチェーンの新年懇親会。平富郎理事長はイキイキとしていて、本当のリーダーシップを見せてくれた。私は、小社・出版教育事業部の榊原清高シニアマネジャーを紹介しつつ、ここでも多くのトップと懇談。25日(木)、朝から2月ゼミ会議。午後、丸の内で三菱インフォメーションテクノロジーの講演会。ヤオコー大塚明常務は常連。そのまま東京會舘でパチンコチェーストア協会の新年研修会懇親会。26日(金)小社定例取締役会とジェネラルマネジャー会議。夕方、浅草で商業界関東山静同友会新年激励会。
□第6週29日、月曜ミーティング。夕方、小社監査役・田村正己先生と打ち合わせ。30日(火)、商業界五役会。その後、株主への上半期業績報告会。月が変わって2月、1日(木)、午後、2月ゼミナールのための会議。夕方、ジャパンフードコーディネータースクール。2日(金)昼、品川パシフィックホテルで2月ゼミ吉澤誠之助運営委員長と最後の打ち合わせ。15時、東京駅大丸ルビーホールで日本セルフサービス協会50周年記念事業推進委員会。ちょっと長かったけれど私、持論を展開。
□第7週2月5日(月)、8時から月曜ミーティングを終了させて、熱海へ。第75回商業界ゼミナールの前日会議。2月ゼミナール企画運営委員会から始まって、エルダー会、チューター会、全国連合同友会総会、㈱商業界会館株主総会。そして夜は「倉本長治主幹を偲ぶ会」。小社・小川寛取締役の司会で盛り上がった。小川さんは、こういう会の司会、絶品。同友会にも小川ファンは多い。よろしくお願いします。
□翌6日(火)、7日(水)、第75回商業界ゼミナール。テーマは「甦れ! 商人の原点」。本当に盛り上がった。感謝、感謝。第3回商業界商人大賞はコメリ会長・捧賢一さんに決定。捧さんのご挨拶、講演も、しんみりとして、とても良かった。私は本部長兼任で、開講式での基調の話、吉野家D&C安部修仁社長、イオン岡田卓也名誉会長、最後の良品計画・松井忠三社長の、それぞれの講座のコーディネーター。「原点を確認すると、イノベーションに至る」というストーリーを語り続けた。夜は、様々な語り合いの中に入っていって、熱闘2月ゼミ。私自身の部屋に2時半頃帰ったら、極めて親しい受講生たちが私の部屋に入って議論しながら待っていてくれた。私、「もしかして、ここは私の部屋ですか?」。全員が声を揃えて、「ハイ。お帰りなさい」。そんな調子で、朝5時まで。そして、1052人の祭りは終わった。また来年。全ての人に感謝。
□2月ゼミが終了しても、すぐに仕事。8日(木)、午後一でパチンコホール「ピーアーク」庄司正英社長インタビュー。彼の標榜する経営理論はドラッカーの「新しい組織論」でも、アダム・スミスの「見えざる手」でも、シュンペーターの「創造的破壊」でもありません。なんとチャールズ・ダーウィンの進化論「最も変化に敏感な者が生き残る」なのです。意気投合。その後、永田町の議員会館で鳩山邦夫衆議院議員インタビュー。鳩山さんとは日本民法の生みの親・我妻栄先生の話で、これまた意気投合。9日(金)、元検察官・河上和夫さんインタビューのはずが行き違いで延期。午後、新高輪プリンスホテルで寺岡精工優秀営業マン表彰式。
□第8週13日(火)、火曜日の月曜ミーティング。夕方、4時30分から、総評会館で、連合会長・高木剛さんインタビュー。高木さんとは20年以上も前からの旧知の仲。2カ月に一度ずつ、PTB有識者懇談会で議論する間柄でもある。現在は、労働界の第一人者。経団連・御手洗富士夫会長と丁々発止のやり取りが進行する超多忙な中、時間をとってもらった。「労働組合は経営の鏡である」――両者にとって重い言葉。高木さんに感謝。この日の夜は、会社に戻って、商業界労働組合と団体交渉。15日(木)午後1時30分、商業経営問題研究会で講演。これは旧「杉山ゼミ」が名前を変えたもので、大物経営コンサルタントやスーパーマーケット企業の幹部が集う恐ろしい会合。「誰がウォルマートを殺すのか?」と題した講演を100分ほど。その後質疑応答で締めて3時間ほど。勉強になりました。夜は、お台場の日航ホテルでジュエラーズジャパン創立50周年記念式典。私は、壇上から10分のスピーチ。倉本長治主幹の『チェーンストアへの道』(昭和37年刊)と小林照幸『宝石と男』(平成17年、商業界刊)を持ち出して、商業界精神と宝石ボランタリーチェーンのイノベーションを語った。16日(金)早朝から業態開発プロジェクトミーティング。
□第9週19日(月)月曜ミーティングの後、顧問の川口信雄さんとプロジェクトに関する会議。それから、立川へ。いなげや遠藤正敏社長インタビュー。変な言い方だが、いなげやらしからぬ人。1991年にピークを迎えた同社を立て直すのにうってつけの人材。昭和28年早生まれの私と同学年生。話は弾んで、その後の食事会も大盛り上がり。会場は立川の魚力。店長以下数人が挨拶に見えた。なんとこの2月ゼミナールに参加してくださって、皆さん感動して帰ってきたばかりとのこと。嬉しいことばかりで、私、1年ぶりくらいの大酩酊。遠藤さんとしっかり握手して、「心から応援します」と、くどいくらいに大声を発していたのを、かすかに覚えている。若いときは毎日、こうだった。そして友人や仲間をつくっていった。それが今、少ないことを反省した。酩酊はよろしくないけれど。
□20日(火)朝、東京八重洲でパチンコホールナンバー1企業・マルハンの韓裕副社長インタビュー。マルハンの今期は何と年商1兆8300億円。経常利益300億円。若いけれど、韓さんの経営観は素晴らしい。私、「クリティカルマス」や「マクネアーの小売りの輪論」などご披露。有意義な会談。その後、品川の笹川会館で、パチンコチェーンストア協会の第20回経営研修会で講演。松村清さんと二人羽織で、なぜか打ち合わせもないのに、つながった話だった。同志なのです。松村先生とは。夜はそのパーティ。佐藤洋治ダイナム会長には身に余るお褒めの言葉をいただいて、大恐縮。
□今月は私と㈱商業界にとって、転機の月となった。20台、30台の頃のように全力でぶつかっていくことが、今でも必要なのだ。必ず、道は拓ける。「まだ、遅くはない」。いつも私はそう思っている。「人生、まだ、遅くはない」。
〈結城義晴〉

昨2006年12月31日、大晦日。
東北のスーパーマーケットとして、
日本有数のクォリティとホスピタリティを誇るヨークベニマルの、
ある店の社員食堂でのこと。
ちょうどお昼を過ぎた時間帯。
パートタイマーさんが3人、遅い昼食休憩に入っていた。
ヨークベニマルでは、8割がたのパートタイマーが、
自分で弁当をこしらえて持ってくるという。
倹約のためだ。
忙しい年末の仕事の中の、ほっと一息つく瞬間。
突然、鉄腕アトムのテーマ音楽がかかった。
すると3人のパートさんが、誰言うとも無く、
静かに自分たちのお弁当箱にハンカチをかぶせて、
店に出て行った。

2007年1月の「20日〆行動日誌」
□東京は暖冬です。先日、山形県の酒田からお見えになったト一屋社長の荒木俊彦さんは「今年はまだ雪かきをしていないので助かります」と仰っていました。地球温暖化のほうが心配になってしまいますが、皆様、お元気でしょうか。
□さて、行動日誌は、昨年12月21日(木)に戻ります。朝8時30分から業態開発プロジェクトミーティング。このプロジェクトは私が直接タッチするもので、中嶋正樹リーダーのもと、よく機能しています。充実。この日は、夜、町田成一君の「DANCHU」編集長就任祝い。この私の行動日誌には、最近よく登場しますが、町田君は16年前に、当時、『食品商業』の編集部員でしたが、プレジデント社が食品関係の雑誌を創刊するために人材を募集し、それに応じてDANCHUに転職しました。編集長であった私の最初の部下ともいえる人間で、その町田君がいよいよ編集長です。自分のことのように嬉しい。編集を目指した者は、私もそうでしたが、編集長になった瞬間が、一生のうちでも一番、嬉しいのではないでしょうか。ありきたりの言い方ですが、その初心をもち続けられるか否か。これで人間の評価が決まります。心の底から、本当に、私はそう思います。これもありきたりですが、頑張って欲しいものです。ちょうど18年前、私が編集長になったとき、ある筆者の先生から言われたことがあります。「編集長なのだから部数を伸ばすことは当たり前、伸ばした部数、その読者に何を伝え、何を訴えるかが本当に大事なことなんだ」と。町田君にはこの夜、そんな説教は、多分しなかったと思いますが(後半は酔っ払ったので、覚えていないこともありますから、やっぱり言ったかもしれないが)、町田君ご指定の赤坂の焼酎の店で食事の後、久しぶりにカラオケなどやって、今後の活躍を祈念したのでした。ちなみに、私が新入社員から預かった編集者は、ほとんどが編集長になりました。あと2人、まだです。とても若いので、予断を許しませんが、期待しています。
□22日(金)は、朝、東邦大学付属病院で目の検査。良好。午後、小社定例取締役会。その後、ゼネラルマネジャー会議。23(土)、24日(日)は、年末の体のメンテナンス。歩け歩け運動です。
□25日(月)、8時から月曜ミーティング&マネジャーミーティング。略してMMM。この呼び名、あまり普及しませんが。会社では午前中、第2編集部会議、午後、販売部会議。夜、シニアマネジャー会議。26日(火)、営業企画部会議。ここは当面、松井康彦事業統括本部長に任せて、私は報告を聞いて、判断することにしています。26日(水)は、午後から、技秀堂印刷に『食品商業』の青焼き出張校正。「誰がウォルマートを殺すのか?」のゲラを見に行ったのですが、打ち上げまで山本恭広編集長や若い編集部に付き合って、楽しかった。古巣はいい。もちろん技秀堂・宗像章社長、阿部啓二郎会長にも1年間のお取引きの感謝を述べました。ところで『食品商業』の私の連載「誰がウォルマートを殺すのか」、ことのほか好評です。私の独断と偏見に満ち満ちたノンフィクションというか、企業評論というか、1回1万字の比較的長い連載記事なのですが、私自身、渾身の力を込めて書いています。ご一読ください。業界関係者でない方にも、本屋で立ち読みをお薦めします。
□27日(木)は朝から下期予算会議。28日(金)から年末は、私、毎年、店を見ることにしています。店を、歩け歩け。これは30年近く続いている習慣。外国に行ったときを除いて。そして、日本中のお店が、お客さまを迎えつつ、平成18年はくれていった。1年間を越えることが出来た、その事実に感謝。
□2007年第一週、1月1日(日)。今年から週を記載。深夜、近くの篠原神社に初詣。歩いて30分。今年も、歩け歩け。1日は、昨年、揃って傘寿を迎えた両親のところに集まって、新年の祝い。2日(月)は、もう、恒例となりつつあるファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんとの初打ち。有益な話が、正月から交わされて、感謝。今構築されつつある私の理論に、柳井さんの言動は大きく影響を及ぼすことになるでしょう。3日、4日、正月休みで、5日(金)、仕事始め。出版社のスタートは遅い、ご了解のほど。全社員に集まってもらって、今年私が言ったことは、「日本商業の現代化を推進することに、私たち㈱商業界が貢献し続ける」という内容です。戦後、倉本長治主幹が実現させたことは「日本商業の近代化」でした。今、私たちは「その現代化」を推進しなければなりません。よろしくお願いします。この日は、わが社のメインバンクを初め、金融関係3社への挨拶回り。
□第二週、9日(月)、今年最初の月曜ミーティングならぬ火曜ミーティング。夜、新橋ヤクルトホール。10日(火)、朝、お台場でAMUZE会長・岡田和生さんのインタビュー。同社はパチンコスロットのメーカー。歴史を遡って、面白い話を聞いた。社長の余語邦彦さんも加わってくださって、盛り上がった。その後、湯島へ。11日、横浜みなとみらいへ。オール日本スーパーマーケット協会新年トップ研修会。講演はすかいらーく会長兼社長の横川竟さん。良い話。会長の荒井伸也さんの「クリティカル・マス」とメーカーによるチェーンストアへのカウンタベーリングパワーの話は、時代がここまできたのかと感じた。翌日も研修。荒井、横川、前原さんと同道。13日、横浜伊勢崎町で中学・高校時代の親友たちと恒例の「ひこばえ会」。
□第三週、15日、月曜ミーティング。15時銀座でパチンコトラスティボード有識者懇談会。その後、帰社して、17時から『パチンコホール経営革新』0号のコテンパン会議。トップ企業の幹部に集まっていただいて、雑誌への忌憚のないご意見をいただく会議。充実。感謝。その後、懇親会。この会は今後、毎月開催されることになりました。名づけて「PH勇気会」。よろしく。17日午後、青山ペガサスビルで渥美俊一先生と面談、情報交換。18日、芝パークホテルで日本ボランタリーチェーン協会新年会。加ト吉の加藤義和会長兼社長の講演は実に面白かった。夜は、小社顧問弁護士・男澤才樹さんと打ち合わせ。19日、8時30分業態開発プロジェクトミーティング。昼、日本チェーストア協会新年賀詞交歓会。まず、岡田卓也イオン名誉会長とばったりご一緒になって、来賓ご挨拶中もぼそぼそとお話してから、雪崩れのようにチェーンストアやメーカーのトップと面談。大高善興ヨークベニマル社長との話題は、「大晦日のちょっと良い話」としてホームページに掲載。西友・渡辺紀征さんから紹介された新CEOのエド・カレッジェスキー氏とは、今、私が『食品商業』誌上に「誰がウォルマートを殺すのか?」を連載している話で盛り上がった。エドは「Wahoo!」と発言。岡田元也イオン社長には、憎まれ口を叩いて、ごめんなさい。20日、夜、代官山「パパアントニオ」でペガサスクラブ主催、関係弁護士・コンサルタント新年会。
□今年が始まった。今年の私のスローガンは「心は燃やせ。頭は冷やせ」です。どうぞ、よろしく。
(株)商業界社長 結城義晴
