コロナウイルス問題と大腸菌問題の「プラグマティズム」
一昨日の「ほぼ日」。
糸井重里さんのエッセイ。
「今日のダーリン」
「新型コロナウイルスのことで、
ある意味、少し
おちついてきたかと思えるのは、
感染者の数に慣れた
ということでもあるのでしょうが、
“ウイルスがゼロでないと怖い”
という心理だった人が、
“そういうことでもないかも”
くらいの気持ちで、
人びとが生活をするようになったから
じゃないかなぁ」
三密は「密閉された場所、
密集した人混み、人と人の密接」
それを避けること。
「三密を避ける」ということは、
ウイルスの薄い場所に、
薄い状態でいようということ」
ここで糸井流の思考法。
「なんでも、
ゼロでないと危ないという考え方は、
不安を煽って人目を引くには
都合がいいけれど、
ほんとうはその”考え方自体”が
危ういです」
その通り。
1970年代の日本。
スーパーマーケット業界にもあった。
「大腸菌」を防ぐ問題。
生鮮食品の鮮度管理が、
まだまだずさんだったころ。
管理の悪い店では、
食中毒は当たり前のように発生した。
最もレベルの高い企業でも、
いつも危険と隣り合わせだった。
だからバックルームから、
大腸菌を排除するノウハウの開発は、
スーパーマーケットの近代化にとって、
至上命題だった。
当時の経営者、幹部、
そしてバイヤー、店長は、
化学式の勉強から始めて、
大腸菌駆除に取り組んだ。
私も勉強させられた。
その時、
「ゼロ戦化現象」が起こりかけた。
つまり細かいところまで、
突き詰め過ぎる思考法だ。
大腸菌撲滅のコンサルタントまで登場した。
しかし、しかし、
㈱関西スーパーマーケットの、
故北野祐次社長(当時)は、
言い切った。
「大腸菌を完全に排除する必要はない。
食中毒が起こらない範囲でいい」
このプラグマティズム。
現実主義、実践主義、実用主義。
結果として、
関西スーパー方式が出来上がった。
糸井重里さん。
「ある分量までは、
“ある”と思って生活したほうが、
大きい意味での安心につながりますから、
人びともそういう考えに
なれてきたということでしょう」
「日常のなかで、いちばん
“ウイルスが濃い”のは、
しゃべっているとき、
せきをしたときに口から飛ぶ飛沫。
これは、みんなが、
ある程度マスクで減らしましょう。
手についているものは、
手を洗って薄くしましょう、
そして、手を口や鼻、目などに
触らないでいましょう。
と、そういった
“濃いウイルス対策”をしながら、
“薄い環境”をつくっていきましょう
ということです」
その通り。
今、一番欲しいのは、
新型コロナウイルスのワクチン。
その開発の先頭を走っていたのが、
イギリスの製薬会社、
アストラゼネカ。
世界で第11位の製薬会社。
2020年度売上高243億8400ドル。
1ドル100円で換算すると2兆4384億円。
日本では武田薬品工業㈱が世界第9位。
しかしそのアストラゼネカが、
ヒトでの安全性や有効性を確かめるために、
英米で行っている最終段階の臨床試験を、
一時的に中断した。
残念だ。
アストラゼネカは、
オックスフォード大学とコラボしているが、
ちょっと立ち止まって、
安全性に関するデータを検証する。
ワクチン開発は中国でもアメリカでも、
懸命に進められている。
日本国政府は、
アストラゼネカと基本合意している。
開発に成功したとして来年初めから、
1億2000万回分の供給が受けられる。
2回接種と考えると6000万人分だ。
それもちょっと遅れることになった。
考えてみるとそうそう簡単に、
ワクチンが完成するはずもない。
私たちも辛抱強く待つしかない。
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
いつも言うけれど、これしかない。
なんでも完璧で、
ゼロでないと危ないという考え方は、
不安を煽って人目を引くには
都合がいい。
「おたくはまだまだ、
標準化さえできていない。
だから先生の言うことを聞いて、
標準化を勉強しなさい」
本当は、
その”考え方自体”が
危うい。
北野イズムをこそ学びたい。
プラグマティズムを貫きたい。
〈結城義晴〉