おめでとうございます。
平富郎さんが、
藍綬褒章を受章された。
現在は㈱エコス名誉会長。
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エコス創業者の平富郎名誉会長が藍綬褒章受章
令和8年春の褒章。
藍綬褒章は、
「公衆の利益、社会福祉の増進、
または産業振興に尽力し、
優れた業績を挙げた人に贈られる日本の褒章」
「会社経営、各種団体での活動等を通じて、
産業の振興、社会福祉の増進等に
優れた業績を挙げた方」
平さんは1月22日に87歳になられた。
数え年では88歳の米寿。
二重にお目出度い。

「先輩たちを見ていると、
創業者が長生きしないと、
企業は成長しないし、勝てないと思う。
だから頑張らなければならない」
2023年にインタビューした。
平さんは最初にそう言われた。
1957年、18歳のときに、
1万3000円のリヤカーを買って、
夜間高校に通いながら青果の引き売りを始めた。

「この引き売り時代が一番儲かった。
1週間もすると仏壇の下に
だんだんお金がたまってくる。
お袋が『このお金どうするの。
うちに置いとくと危ないよ』と言うから、
そのつど銀行に預けた。
面白い時代だった」
1959年、20歳の時に、
立川駅前に八百屋の店を構えた。
父上が平元吉という名前だったから、
店名は「八百元(やおもと)」
そうして1965年、
青果商のたいらやを設立。
商業界でもとてもよく勉強された。
リテールマネジメントスクールの第1期生。
故川崎進一先生が校長の商人の学校。
その川崎先生の言葉を、
平さんは大切にする。
「論理なき行動は暴走である」
「紙屋と新聞屋と印刷屋を儲けさせちゃだめだ」
そう言い続けて、エコスはチラシを1枚も入れない。
「儲けさせていいのは従業員とお客さまと、
出入りの取引業者だ」
1984年には株式会社に改組。
㈱スーパーたいらやを設立。
1999年9月、商号を株式会社エコスに変更。
吸収合併や店舗譲渡を積極的に展開して、
業容を拡大した。
「アークスの横山清さんは勝ち組を集めたけど、
私は負け組ばかりを集めた」
「12月も押し迫ると、
スーパーマーケットの社長夫婦がやって来ては、
助けを求めてくる」
「そうして日本中のスーパーマーケットを助けた」
1996年10月、
日本証券業協会に株式を店頭登録。
57歳だった。
平さんはこのときが一番うれしかったようだ。
「これで信用がついたと思った。
私も男になったと思った」
売上高は250億円、経常利益は5億円だった。
2004年3月、東京証券取引所市場第二部に上場。
すぐに2005年2月、東証第一部に指定替えをした。
1995年5月には 協同組合セルコチェーン理事長に就任。
「大手チェーンに学ぶことは何もない。
これからは中小企業の時代、
地場産業の時代だ」
そう檄を飛ばして全国を回った。
2022年5月に取締役会長、
2023年5月にエコス名誉会長。
現在は長男の平邦雄さんがエコス社長として、
実にいい実績を上げ続けている。
平富郎さんはますますお元気。
70歳でゴルフを始めて、
80歳のときにホールインワンを達成した。
2009年の夏、平さんが71歳のとき。
私は富士登山にご一緒した。

5合目から登り始めた途端、篠突く雨。
全身びしょ濡れになりながら、
それでもど根性で、山頂を制覇した。
最悪の環境、最悪の体調でも、
最後まで止めない。
私はこのとき、平富郎の真価を見た。
平富郎語録。
「上手い方法と近道はない。
地味な努力をコツコツと繰り返すこと」
おめでとうございます。
わがことのようにうれしい。
さて最後に昨日に続いて、
芥川龍之介。
『芥川龍之介全集 第四巻』から。

「文芸家たらんとする諸君に与ふ」
「文芸家たらんとする中学生は、
須(すべか)らく数学を学ぶ事勤勉なるべし。
然(しか)らずんばその頭脳、
常に理路を辿(たど)る事(こと)迂(う)にして、
到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ」
「理路を辿る事迂にして」は、
「理論的であることから遠回りしてしまって」の意。
「文芸家たらんとする中学生は、
須らく体操を学ぶこと勤勉なるべし。
然らずんばその体格常に薄弱にして、
到底生涯の大業を成就せざるものと覚悟せよ」
芥川は文芸家になろうとする若者たちに、
数学と体操に勤勉であれと諭す。
これは平富郎のごとき商人にも当てはまるし、
編集者やジャーナリストにも適用できる。
理路を辿らぬ行動は暴走だ。
体力・体格の薄弱は、
生涯の大業成就を阻むものだ。
以て自戒とすべし。
〈結城義晴〉
























