内田憲一郎・宏美さんの結婚式と「できるまでやるからできる」
快晴の2015年12月の土曜日。
いい日はいいな。
糸井重里の『ほぼ日』
その巻頭言は「今日のダーリン」
「どうして、できるんですか?」
という質問。
答えは、
「できるまでやるから、できるんです」
糸井はちょっと怒っている。
「まだできてないというあたりでも、
形式を整えて『できた』ように
見せかけることはできる」
「でも、それが、ほんとうは
『できてない』ことを、
じぶん自身がいちばんよく知っている」
「形式さえ整っていれば問題ない、
という人種もいるが、
そういうごまかしでは、
なにも得られない」
たとえ話は、
「無人島に流れ着いたとき」
「なにか食べるものを探す」
そんなときに、
「形式が整ってる」なんて、
答えはないだろう?
「『魚をとった』とか『木の実をとった』とか、
食べるものがなきゃだめなんだよね」
「『いちおう、そのへんの草を
持ってきたんですけど』
なんてご提案は、
そういう場面では意味がないんだ」
「その草が食えるかどうかなんてことは、
魚も木の実も果物も
とれなかったときに考えることで、
『おれは、やるだけはやってるやつです』
なんてこと知りたいわけじゃないんだからさ」
「あるいは、他人の魚に
『それは小さいし、うまくない』
なんてなんくせをつけるのも、
まったく意味ないからね。
じゃ、もっと大きくてうまい魚を
とってこいっつーの。」
やっぱり糸井は、
ひどく怒っている。
「一人前に思われるような発言だとか、
どこでも通用しそうな形式だとか、
だれでもが知ってそうな知識だとかを
行ったり来たりさせてるのが、
仕事に見えちゃうんだ」
「できるまで、やるから、できる」
「しみじみ、つくづく、
唱えたい御まじないだよ」
「できるまで、やるから、できる」
同感、同感。
形だけ整えても、
まったく意味はない。
言い訳のための仕事では、
お客様は喜ばない。
顧客を考えれば、
形だけの仕事に意味がないことは、
すぐにわかる。
今日は、
内田憲一郎君と原宏美さんの結婚式。
東京・品川のグランドプリンスホテル高輪。
庭園で全員写真。
いい天気。
いい日はいいな。
披露宴では、新郎自身の挨拶のあと、
主賓のスピーチ。
真っ先に私が指名されて、恐縮。
内田君は立教大学大学院で、
結城ゼミ4期生。
その修了時には、
優れた修士論文を書いた。
「不動産仲介業における
フランチャイズビジネスの調査研究」
先行研究はなかったし、
5万字に近い論文の内容は素晴らしかった。
その後、
不動産コンサルティング会社を起業して、
この分野の旗手。
商人舎magazineの、
コンサルティングもお願いしている。
最後に祈り。
「変わるものを変えられる勇気を
変わらぬものを受け入れる心の静けさを
それらを見分ける英知をお与えください」
私の次は、下村博文さん。
前文部科学大臣の衆議院議員。
江戸後期の歌人・橘曙覧を引いた。
たのしみは
まれに魚煮て子ら皆が
うましうましといひて食ふ時
それから板橋区長の坂本健さん。
みな、内田君の将来を嘱望し、
宏美さんとの幸せな人生を祈念した。
そして巨大なケーキカット。
乾杯の挨拶と音頭は、
板橋区議会議員の松本道昌さん。
私も下村さんと乾杯。
食事はフランス料理と日本料理を、
自分でチョイスできる。
その食事とワインを堪能したら、
新郎のステージ。
学生時代の仲間をバックに、
サックスを吹いて、
自らボーカルも。
最後は先輩のボーカリスト登場。
和田悠歩さん。
乗りに乗って演奏。
新郎・内田憲一郎の独り舞台のような披露宴だが、
最後の主役は新婦・宏美さん。
そしてお開き。
内田憲一郎らしい、
配慮の行き届いた披露パーティだった。
それが何よりもよかった。
「できるまで、やるから、できる」
いい日はいいな。
そして当然ながら、
結城ゼミのOB/OGが、
ズラリとそろった。
新郎新婦を取り囲んで、
ポーズ。
武藤麻代さんと記念に一枚。
ついでに堀田直樹さんも一枚。
その後、結城ゼミだけで二次会。
みんな、仕事の転機を迎えていたり、
充実させていたり、
それぞれの人生を歩んでいる。
しかし「できるまで、やるから、できる」
そして変わるものを変えられる勇気を、
変わらぬものを受け入れる心の静けさを、
それらを見分ける英知を、もってほしい。
〈結城義晴〉