ニッケコルトンプラザ。
千葉県市川市鬼高。
JR総武線本八幡駅から徒歩10分。
1988年11月開業。
オ・プランタン百貨店が核店舗で、
話題をさらった。
まだ郊外型百貨店の可能性が、
人々に信じられていたころだ。
紆余曲折があって核店が大改装オープン。
イオンスタイル市川コルトンプラザ。
商人舎総出で取材に出かけた。
もともとは日本毛織㈱の中山工場だった。
その跡地の約4万3000坪の敷地に、
1万6754坪の商業施設がつくられた。
そこで「ニッケ」と名づけられた。
プランタンはフランスの百貨店だが、
ダイエーが提携して日本で展開していた。
しかし郊外百貨店は商圏人口が決定的に足りない。
売上げも利益も思い通りにはいかなかった。
そこで8年後の1996年、
総合スーパーのダイエーに転換した。
さらに2014年11月、
リニューアルを施していた。
しかし2015年1月1日。
ダイエーはイオンの完全子会社となった。
それから10年、ダイエーは近畿圏の会社となった。
そこで関東のダイエーの物件は、
次々にイオンリテールに変わる。
ダイエー市川コルトンプラザは、
8月31日付で営業終了、
10月1日付けでイオンリテールが継承。
そしてイオンスタイルの総合スーパーに、
完全なリニューアルを果たした。
イオンスタイル市川コルトンプラザは、
衣食住フルラインのフォーマットだ。
直営面積は3572坪で売場は2階、3階にある。
2階に広大な食品売場を中心に、
ヘルス&ビューティ、ホームファッション。
3階は衣料とキッズ・ベビー。
オープン前にテープカット。

古澤康之イオンリテール社長、佐山幸司店長、
長岡豊日本毛織社長、田中甲市川市長、
それに地元自治会の関係者ら。

10時のオープンを待つ。
約2000人が行列をつくった。
オープンと同時に顧客が押し寄せる。
先頭のミカンの5㎏箱売りは、
従業員が顧客に手渡しした。
青果、日配に続いて精肉売場。
改装前のダイエーと比べると、
精肉売場のスペースは3割広がった。
黒毛和牛を詰め合わせた「お楽しみ袋」。
売価5000円だが2倍の価値がある。
顧客が殺到。
鮮魚は売場に担当者を配置して、
対面方式で売り込む。
最終コーナーはデリカテッセン。
3階のキッズリパブリック。
フロアの約半分を占める。
子育てファミリーが多いマーケットに対応した。
4階の店舗事務所に設けられた記者会見場。
佐山店長は「客数、売上げともに1.5倍を目指す」。
衣食住フルラインの強みが、
存分に発揮されることに期待している。
ダイエー時代のコミュニティ社員約200人は、
引き続き店に残って雇用される。
「即戦力になってくれてありがたい」
南関東カンパニーの熊倉淳西千葉事業部長。
従来のイオンスタイルとの違いを説明してくれた。
「最も力を入れた肉売場はインストア比率50~60%」
その熊倉さん(右)と松本信男さん(左)。
松本さんは執行役員南関東カンパニー支社長。

アメリカでは依然、総合スーパーが強い。
「ハイパーマーケット」業態である。
ウォルマートとターゲットは、
最強の店舗である。
イオンスタイルの「GMS」はそれを目指す。
顧客はダイエー時代からずっと、
この店を応援してくれている。
それが今日の繁盛の理由だ。
この店をくまなく歩いてみて、
ダイエー時代とはがらりとイメージが変わった。
しかしウォルマートスーパーセンターと比べると、
まだまだわかりにくい。
ターゲットと比べると、
もっと洗練されていい。
全体的に言えば、
もっともっとショップ形式を強めて、
「面」をくっきりと主張したほうがいいと思う。
まだ「線」のつながりでしかない。
そのうえでそれぞれのショップを、
さらに魅力的に磨き上げる。
2階でも3階でも多くお顧客がレジに並んだ。
もっと上手に入場制限をすべきだろう。
それからレジに並んだ顧客が買っていたものは、
「半額」などのオープン特売品が多かった。
顧客が「半額」を求めてやって来るのではなく、
その品の「980円」や「4900円」の価値そのものが、
確かに認められる必要がある。
そのためにプライスカードは、
もっと主張していいだろう。
この店のオープンによって、
今年度のダイエーからの承継店舗の改装は、
ひと区切りついた。
ダイエーからイオンスタイルへの転換として、
いい出来栄えだと思う。
しかしもっともっと大胆な改革を仕掛けていい。
顧客はそれを望んでいる。
〈結城義晴〉






















