結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2011年04月16日(土曜日)

震災後の「フェーズ2」の政策転換と元気が出る投資家ジム・ロジャーズの日本復興論

日本チェーンストア協会会長に、
清水信次さんが就任する。

5月の通常総会で正式承認される。

清水さんはご存知、㈱ライフコーポレーション会長。
日本スーパーマーケット協会名誉会長、
社団法人新日本スーパーマーケット協会でも名誉会長。

スーパーマーケット業界の重鎮・長老が、
チェーンストア協会の現役の会長となる。

先の参議院選に立候補し、
おしくも落選はしたが、
流通業界きっての政治・行政通。

東日本大震災後のこの時期、
もういちど、清水さんの力を、
借りようということだ。

私もよく覚えているが、
清水さんは1986年から1988年までの2年間、
チェーンストア協会会長を務め、
当時の「売上げ税導入反対」の先陣を切って、
結局、中曽根康弘内閣の新税導入を阻止した。
その後、中曽根さんと清水さんは、
盟友として現在に至る。

こういう成熟した大人の人間関係、
いいですね。

それから23年ぶりの会長就任だが、
小売流通業の社会的地位を正当なものにすることに、
「無茶をせず無理をする」で、
ご活躍願いたい。

その上場小売業の2月期決算発表が相次いでいる。
昨日の日経新聞が、
68社の業績見通しを集計した。

今期の総集計の予想は、
売上高が前期比マイナス2%、
営業利益はプラス1%。

全国展開企業が多いため、
多くの企業が今回の震災の地区に店舗を出していて、
そのための特別損失を計上する予定。
従って2割分が最終減益となる。

セブン&アイ・ホールディングスが、
年商5兆1450億円(前期比0.5%増〉で、
営業利益2489億円(前期比1.9%増)の予定。

イオンは、年商5兆1000億円(前期比0.1%増)で、
営業利益1750億円(1.5%増)。

両者ともに、トントンの予算。

セブン村田紀敏社長は、
「景気は緩やかに回復しており、足もとの消費は悪くない」と発言。
イオン岡田元也社長も、
「下期には本格的な復興景気が出てくる」と明るい見通しを語る。

ローソンは本部年商4610億円で営業利益575億円。
年商は前年比プラス4.5%、営業利益はプラス3.5%。

ファミリーマートは年商3189億円、営業利益385億円。
同じく年商はマイナス0.3%であるものの
営業利益は0.7%プラス。

ローソン新浪剛史社長は、
「コンビニとスーパーマーケットの価格差が縮まる」と予測。
ファミリーマート上田準二社長は、
「高付加価値商品で客単価は上げられる」と方針を披露。

この記事のあとで、
編集委員の田中陽さんが、
震災以後、消費者行動が大きく変化していることを指摘。

「生活防衛という部分を残しつつ、
家庭や個人は消費を仕分けし始めた」

私はコモディティとノンコモディティの購買比率が、
変わってくると考えている。

被災後の「救助・救済・復旧」段階は、
生命保持のためのコモディティの消費が圧倒的に多い。

それが「復興段階」に入ってくると、
ノンコモディティ消費がどんどん広がってくる。

ただしこの1年の下期においても、
コモディティ需要は、
決して減らないということだ。

家庭においても、
店舗においても、
物流拠点においても、
コモディティ商品群が、
少しずつ備蓄される。

まさにディマンド&サプライチェーンの中で、
在庫の意識が変わる。

その意味で、POSデータそのものも、
POSデータの読み方も、
ひとつのクッションが必要になる。

そしてコモディティグッズの欠品は、
絶対に許されない。
それが顧客の安心を担保し、
顧客からの信頼を築く。

今日の日経新聞コラム『大機小機』。
コラムニスト隅田川氏が「フェーズ2への道」を書いている。

「フェーズ1」が救助・救済・復旧段階。
「フェーズ2」は復興・振興段階。

フェ-ズ1では、経済活動は大きくダウン。
フェーズ2では、逆に成長率が高まる。

フェーズ1では、
「惜しむことなく必要なコストがかけられる」。

他の政策目標とのトレードオフを気にかけることがない。
何より人命救助と被災者の生活支援。

フェーズ2は、
「トレードオフが存在する領域に入っていく」。

「政策目標の優先順位をつける必要があり、
整合性と経済合理性を備えた政策が求められる」

これは企業の政策そのもの。

さて、朝日新聞のオピニオン欄で元気の出るインタビュー。
投資家のジム・ロジャーズさん。
あのジョージ・ソロス氏と共同で、
「クォンタム・ファンド」を創設した人物。
最初に語る。
「日本は本当に大好きな国で、
心から悲しく思っています」

日本が再び成長軌道に乗るために最も必要なこと。
「まずは子どもを増やすこと」
大賛成。
「いくらお金がかかっても、
誰も使わない橋や道路に使うより、
子どもを産んでもらうことにもっと使うべきです」

これも大賛成。

だから政府の「子ども手当」などでは全然足りない。

そのための提案。
「私だったら、移民政策を促進します」
これにも私はずっと賛成してきた。

「移民は歴史を見ても、
勇敢で野心を持ち、賢い人々です。
移民は子どもをつくります」

産業について。
「日本が今後も国内で製造業に頼り続けるのは難しいでしょう。
企業は海外に出ていけばそれでいいかもしれませんが、
職を失う日本人にとっては大きな問題です」

「そのために歴史上の国々は、
産業の中心を製造業から
サービス業や金融業に移してきました」

日本に望むこと。
「なるべく早く、変化を決断することです。
今回の大災害が日本の転換点となり、
人々の考え方を変えるきっかけになるのではないか」

私も、そう思う。

私たち自身の考え方を変えるきっかけ。
「自ら変わる」ことの転換点。

ことは「変化の決断」にかかっている。
私たち自身の。

今週もこのブログ[毎日更新宣言]に来てくださって、
ありがとうございました。
みなさん、良い週末を。

そして被災地のみなさんが、
やすらかに眠ることができますように。

<結城義晴>

[追伸]
「東北関東大津波大震災」現地レポートは来週に続きます。

2011年04月15日(金曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート「八章 一物三価ビッグハウス遠野物語」

各種コラムの内容が、
どんどん深まっている気がする。

日経新聞の『大機小機』
コラムニスト盤側氏が「悲惨の中に見える本物」として本物論を展開。
「人間社会にとって本当に大事な価値とは何かを、
この悲惨な東日本大震災は我々に示してくれている」

「人間は悲惨の中に人間の尊厳を見ることができるが、
それは繁栄の中に堕落を見る目と一対のものである」

「過剰な自粛ムードは良くないと言う。
しかしそれは経済活動の循環を維持するための
一種の経済政策としての主張なのか。
否、それぞれの人間が、与えられた使命ないし天職をたゆまず
日々の要求に従って誠実に実行することの価値を認めるからだろう」

ここから、私の考え方と同期している。
「人間が自然をめでる本来の花見、
被災地の産物を買い集めての供養の花見、
今だからこそ営まれる花見があると思えば、
夜桜を見せない判断は間違いだろう。
それは人間のもっとも人間らしい営みなのだから」

「電源設備や炉心の冷却装置の欠落があってはならないことなのと同じく、
金融・資本市場健全化のための施策もそれが不十分であれば、
それは恐慌という名の悲惨の巣窟となることを歴史は教える」
これも私の意見と同じ。

「この分野でマグニチュード9.0クラスの悲劇を人間は何度も経験している。
原発だけに問題の関心を絞ってはならない」

「顧客満足フェールセーフ」の発想と酷似。

「この際、本物に求められる耐震構造を確立したいものだ」

一方、朝日新聞の『経済気象台』

こちらのテーマは「不況を呼ぶ過剰な自粛」

「各種のイベント・公演会の中止や延期が相次ぎ」
「企業も入社式や行事を中止し、
個人旅行の予約も大幅に減っている」
大学も大学院も同様。

3月28日付ニューヨーク・タイムズの見出し。
「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」

「犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、
国民経済への悪影響が懸念される」と伝えた。

内閣府によれば、今回の大地震は、
企業設備の損壊などの生産減で、
2011年度の実質国内総生産(GDP)を1.3兆~2.8兆円押し下げる。

しかし、これには計画停電や原発事故の影響による生産減や、
消費・投資への影響は含まれていない。
「インフラなどの復興需要5兆~8兆円を上回る」と予想される。

「東京電力管内のGDPは213兆円で全国シェア41%」

「あれもこれもと無定見にイベントの自粛を続ければ、
マインド不況を呼び込みかねない」。

「マインド不況」

「被災者への連帯の気持ちは、
自らを被災者と同じ状況に置き、
その状況下で可能な範囲でしか行動しない、ということではない。
そんな過剰な自粛は、被災者にとって迷惑な話でしかない」

「人間が、与えられた使命、天職を、
誠実に実行すること」こそが、
「マインド不況」を食い止める。

小売流通業やサービス業に身を置いていると、
この構図が良くわかる。

良くわかるということは、現在、
いい仕事だということになる。

さて、4月5日から7日までの3日間、
被災された東北のスーパーマーケットを巡った旅。
その現地レポートも八章となる。

昨日の奥州市Kマートは東北自動車道の付近だった。
さらにそこから海側に寄った遠野市。

私は㈱商業界に入社したばかりの昭和50年代に、
この遠野に一人旅をしたことがある。
民宿に泊まって、山歩きをし、民話のふるさとを堪能した。

柳田國男が1910年(明治43年)に発表した『遠野物語』は、
日本民俗学の黎明を告げた説話集といわれる。

その東北の原点をとどめている遠野に、
㈱ベルプラスのビッグハウス遠野店がある。20110414080537.jpg
ビッグハウスは東北CGCが実験店舗を盛岡市内に始め、
そのフォーマット・コンセプトの斬新さで、
全国のCGCジャパンの企業に採用された。
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北海道のアークスは、
これまでの中核フォーマットにしてきた。
そのオリジンがベルプラス。
そしてベルプラスは独自にビッグハウスを展開している。

そのコンセプトは「一物三価」。
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この一物三価が、震災後に、
インパクトを増した。
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遠野は盛岡市や奥州市よりも太平洋に近い。
つまり震源に近い。

だから揺れはことのほか激しかった。

しかし今回の震災の特徴だが、
津波の影響は絶無。

ただし、停電、断水は起こった。

この店にはわざわざ本部から、
ベルプラス専務の高橋政敏さん(右)と、
取締役管理部長兼社長室長の菊地甚成さん(左)が、
やってきてくれて説明を受けた。
中央はこの店の副店長さん。
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高橋さんはベルプラスの子会社社長を兼ねる。
その子会社は気仙沼でスーパーマーケットを展開。
気仙沼もご存知の通り、津波によって、街全体がやられた。
高橋社長の3店舗もすべて営業不可の状態に陥った。

しかしそれでも、被災後1週間で、
ドラッグストアが撤退したあとの150坪の物件を探してきて、
2週間で仮店舗のスーパーマーケットをオープン。
今、地域のお客様のライフラインを守る。

凄い商人魂だ。

店舗が3店津波にさらわれ、
あるいは津波に半壊されても、
すぐに新しい店を見つけてきて、
お客様のために営業する。

その店が大繁盛。

この「不屈の精神」こそ、今、日本全体に求められている。

さてビッグハウス遠野店。
被災翌日から店を開けて、店頭販売。
この点ではどこの店も同じ行動をとった。

チョッキリ価格で、端数切り捨て。
最初は水とカップラーメンなど。

それからペットフード、
オーラルケア、
トイレットペーパー、
缶詰。

一物三価だから、
お一人様1ケースという売り方。

それでも飛ぶように売れていった。

売れるものが少しずつ変わっていったが、
すべて一気になくなっていった。

11日金曜日に被災し、
12日土曜日は、
客数2600人で、売上げ550万円。


13日日曜日は2800人で700万円、

その後、3月12日~3月30日まで、
売上高は前年比190%。

被災前は前年比106%だった。

この遠野から1時間ほどのエリアにある都市がいずれも、
津波によって大被害を浴びた。

大船渡、陸前高田、大槌、釜石。
ガソリンが出回るようになると、
そこから1時間かけて、客は車で押し寄せた。

まとめ買いに適した「一物三価」
ビッグハウスのコンセプトが、
不思議なことに震災直後のマーケットにぴったりしていた。

現在の店はシンプルながらも、
必需品に絞りこまれて、
最適の売場となっている。
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ビッグハウス遠野店には、
明らかに「震災特需」が訪れている。
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需要はある。
供給がなくなれば、
供給してくれる店に、
需要が集中する。
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それが市場のメカニズムだ。

ビッグハウスのコモディティ・ディスカウント。
そして「一物三価」が、しばらく、
消費マーケットの大きなトレンドの中核となる。
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そんなことを鮮明に教えてくれるビッグハウスの遠野物語である。

震災によって、全壊半壊し、
売上げがゼロとなる店。
一方、ゼロとなった店の売上げを吸収し、
2倍になる店。

後者を「震災特需」という。

震災特需の店は、
ゼロとなった店に変わって、
2倍売らねばならない。

1.5倍、2倍、3倍と売る。
それがその店の役目である。

売って売って売りまくる。
それが「一物三価」のビッグハウス遠野店に、
課せられた機能である。

現代の「一物三価の遠野物語」は、
柳田國男とはかけ離れた世界を描き出すが、
それは悲惨の中に人間の尊厳を見ることではあっても、
繁栄の中に堕落を見る
ことでは断じてない。

悲惨の中の売上げは、
繁栄の中の堕落ではない。

「震災特需」につつがなく対応することは、
「不況を呼ぶ過剰な自粛」よりも、
断然、社会的な活動なのだ。

<結城義晴>

2011年04月14日(木曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート「七章 水沢・Kマートの顧客満足フェールセーフ」

最初にお詫び。
本日、朝8時ごろから11時40分くらいまで、
最新ブログが画面から消えました。

サーバのトラブルでした。
お詫び申し上げます。

「フェールセーフが問題になっています。
もちろん福島第一原発のこと。

「なんらかの装置・システムにおいて、
誤操作・誤動作による障害が発生した場合、
常に安全側に制御すること。
またはそうなるような設計手法」

「信頼性設計」と呼ばれる考え方のひとつ。

装置やシステムは必ず故障する。
あるいは使い手は必ず誤操作をする。

それを前提に「安全側に制御」する。

商人舎のホームページは、
この「フェールセーフ」になっていないし、
私自身の誤作動もたびたびある。

一昨日の朝日新聞『経済気象台』。
「失敗しても大丈夫なフェールセーフ設計が、
できていなかったからだ。
電気制御ができなくても、
堰(せき)を開け冷却剤を流して
原子炉を安全停止させることは可能だ。
使用済み燃料を簡素なプールに貯蔵していたのも疑問だ」

「原子炉内と貯蔵プールをロボットカメラでモニターすること。
一本一本の燃料棒の詳細なデータからシミュレーションすれば、
何が起きているか明確になり、対応も変わる」

そして「国民を信頼し情報公開を急ぐべきだ」と結ばれる。

今さら遅いかもしれないが、
「フェールセーフ」は本当に重要なことだ。

翻って小売サービス業。
「顧客満足のフェールセーフ」が、
構築されていなければならない。

私はこれを「顧客満足保障」と称してきた。
「保障」は守ること。
「保証」は請け負うこと。
「補償」は損害を償うこと。

「安全保障」できなかったことを、
「補償」する手立てはない。

だからこそ「フェールセーフ」は必須である。

「以って自戒とすべし」

さて、チャリティセミナー「商人支援プロジェクト」
テーマは「ひとつになろう日本!」

講師陣がメッセージを出した。
私も300字弱の文章を書いたが、
これも当方の手違いで、
まったく違ったものが掲載されてしまった。
大至急、訂正中。

オリジナルをここに掲載。
最近、このブログに書いたものを織り交ぜ、
私の思いを表現した。

謙虚に、ひかえめに、真摯に、
被災地の商人を支援したい。
ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ、
被災地の商業の復旧と復興を応援したい。
それがやがて必ず
地域の振興につながることを信じたい。
いつも、そして、ずっと、
被災地の商人と心をひとつにしていたい。
支援し、応援し、心をひとつにすることによって、
この社会が、商人の役割を正しく認識するに違いない。
それを願いたい。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ」 合掌。

最後は、ご存知、宮沢賢治。
東北の震災だから、
賢治の言葉を使いたかった。

さて昨日の午前中は、東京駅から日本橋へ。
名物の桜並木も葉桜となっていた。
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それも悪くはない。

そして日本スーパーマーケット協会へ。
大塚明専務理事、江口法生事務局長と、
打ち合わせ、及び情報交換。

大塚さんからはいつも、かならず、
最新の情報と斬新な意見を聞くことができる。

私に対する質問も鋭くて、実務的。
「この震災を経て、マーケティングは変わるのですか?」
「うーん、マーケティングの根本は変わりません」
禅問答?

大塚さんたちも東北の被災企業を訪問してきた。
私が帰ってきた最大余震のあった日に、
同じように帰京したという。

現地の生々しい話、
晴れ晴れとしたエピソード。
互いに、話し始めたら終わらない。
それだけ私たちにとっても、
きつい出来事である。

そのあと、事務局のみなさん揃って、写真。
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一昨日は、横浜の商人舎に、来客。
ファイブ・ア・デイ協会理事長の池田健太郎さんと、
㈱ドール副社長の渡辺陽介さん。

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4月に開催予定だったドール主催の講演会が、
この震災によって延期になった。
そのお詫びのご挨拶ということだったが、
お二人とも、この間、東北の企業を慰問に訪れていて、
お互いに、良い情報交換の場となった。

さてさて「東北関東大津波大震災・懇親レポート」
その「七章」。

4月7日、昼頃、盛岡を発ち、
東北自動車道を今度は南下。
自衛隊のトラックが走る。
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江刺で降りて、奥州市へ。

ヨークベニマルやジョイス、そしてベルプラスやユニバース。
チェーンストアを訪問し、その震災への対応の話を聞いてきた。
しかし単独店はどうだったのか。
それが知りたかった。

そこで旧知のケー・マートを訪問。
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奥州市水沢でスーパーマーケットを始めて30年。

200坪の店舗が1店。
しかし、商品開発と店づくり・売場づくりに、
ユニークな特徴を出して、
まさに、「頑張っている」という表現がぴったりの営業ぶり。
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千葉喜夫社長(いちばん右)を中心に、
アットホームな会社である。
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私も、簡単な激励のスピーチをした。

水沢は岩手県でも内陸であるために、
津波の被害はなかった。
しかし地震はひどかったし、停電。
断水はなかったが、余震の揺れに悩まされた。

幸いなことに、社長が店にいて、
すぐに意思決定。

これがインディペンデントの良さ。

そのうえ社員一同、結束を固めて、
3月11日、大地震の直後、
店内のすべての安全を確認したうえで、
1時間後の4時前にはオープンした。
しかし暗くなってきたので、
1時間半で閉店。

翌日は朝9時から店を開け、
炊き出しサービスなどしながら、
夕方の6時まで営業した。

停電はこの日の夜中まで続いた。

なじみのお客様が、
どんどん押し寄せた。

すぐに商品は売れていった。

震災後10日間は前年対比で200%の売上げ、
その後は150%で推移している。

加盟している全国セルコチェーンや、
懇意にしている企業から商品を届けてもらった。

千葉社長自らトラックを調達して、
商品の集荷に回った。
地元の業者からも、
新しい取引を引き出した。
現在は店舗も売り場も、
ずいぶん回復した。

店舗入り口のプロモーション。
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カゴ盛りでセンスよく並べられている。

青果部門も1品1品吟味された品揃え。
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店舗入り口付近の日配品の冷蔵ケース前に、
丸テーブルとワインの島陳列。
白いテーブルクロスがレストランのムードを醸し出している。20110414080433.jpg

奥主通路沿いにベンチ風の平台を置いて、島陳列。
こげ茶色のクロスがグレード感を出す。
カゴ盛りの切干大根とそうめん。
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奥正面のゴンドラエンドは、美しいし、
売りたい商品の主張がはっきりしている。
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精肉売り場の商品も、
1品1品、しっかり吟味されている。
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店舗右手は惣菜やパンの売場。
パンは自家製粉の手作り、
惣菜ももちろん手作り。
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アメリカ・テキサス州のスーパーマーケットHEB。
この州でウォルマートと互角以上の闘いを見せる。
そのHEBの強さを、自らふたつに整理している。
①オーナーシップ経営の意思決定のスピード
②イーチストアの地域密着の強さ

イーチストアとは、
それぞれの店、1店1店の店ということ。

ウォルマートも自ら言っている。
「私たちは最大の企業をつくろうとは思っていない、
地域の1店1店を最良の店舗にしようと考えている」

だとすると、インディペンデントの生きる道は、
拓けている。

流通の巨人二人の言葉。
ダイエー創業者の故中内功さん。
「生まれ変わったら、ダイエーの前で八百屋をやるんや」

イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さん。
セブン&アイ・ホールディングス名誉会長。
「オーナシップ経営が一番幸せです」

私は、日本小売業界を、
「大きな森」にたとえている。

巨木もあれば雑木もある。
可憐な花も咲いている。

いろいろな植物があって、
しかしそれぞれの生命力が強い大きな森。

ミニスーパーのボランタリーチェーン「全日食チェーン」。
会長の田中彰さんは言う。
「小売業には大動脈も大静脈もあるが、
毛細血管も絶対に必要だ」

ケー・マートのみなさんに接して、
私はそう思った。

震災の時にも、素早く対応し、
一致団結してお客様に奉仕した。

ヨークベニマルの店長たち、店員たちも、
現場で頑張った。
ケー・マートの人々も、
自分の特徴を出しながら、
1店を守って頑張った。

どちらも、それによって、
自店の「顧客満足のフェールセーフ」をつくろうとした。
それが尊い。

震災はこのことをも、
私たちに教えてくれている。

<結城義晴>

2011年04月13日(水曜日)

「東北関東大津波大震災」現地レポート六章[ヨークベニマル石巻蛇田店合流物語]

横浜では、早くも、
桜の花が散り始めた。

いつも通る菊名池公園。
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池の端に溜まった桜の花びら。
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水連の葉にも桜の花びらがからみつく。
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もうすぐ桜は終わり、
新緑の季節。
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「大川に吹きあげられし桜かな」 〈小林一茶〉

毎年、思い出すが、私はこの句が大好きだ。

いつも歩く新田間川沿いの道。
桜と鳩。
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これでは句に、ならない。
一句、詠めない。

新田間川でも葉桜になりつつある。
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これから東北・北関東の被災地も、
桜の季節か。

もしかしたら、
桜よりも新緑の方が、
被災地の人たちに、
勇気と希望をもたらすかもしれない。

朝日新聞のコラム『経済気象台』に、
コラムニスト四知氏が、「民度と『官度』」。
「未曽有の東日本大震災にもかかわらず、
数多(あまた)の市民が惨事に耐えながら、
未来に向けて粛々と対処する姿は、
多くの国々に感動すら与えている」

もちろんこの中には小売商業・サービス業が含まれる。

「これは、わが国の民度の高さを改めて世界に示すとともに、
復興に向けた大いなる希望のあかしともいえるものである」

それに対して、政府、官僚、そして順官僚体質の電気事業者の、
「『官度』の低劣さは憂慮すべきもの」と嘆く。

そしてJ・F・ケネディの言葉、
「つながっていれば、
できないことはほとんどない。
バラバラなら、
できることはほとんどない」

「復興に際しての民力の強靱さには疑問の余地もない」
これが四知氏の結びだが、
「民力」に関しても、つながらねば、
できることはほとんどない。

さて、石巻のヨークベニマルの物語は続く。
3月11日に被災した湊鹿妻店。
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物江信弘店長をはじめ湊鹿妻店の人たち、
それから周辺の住民、
総勢500人は何とか生き延びた。
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石巻市内で唯一、無事だった石巻蛇田店から、
14日に救援物資が運ばれてきて、一息ついた。

その後物江店長と従業員の人たちは、
蛇田店に行った。
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蛇田店は、石巻市の山側に立地する。
新しい商業集積の中にあって、
イトーヨーカドー、ニトリなどとショッピングセンターを形成している。

石巻にヨークベニマルは、4店舗を出している。
そのうちの2店舗が完全閉鎖。
物江店長の湊鹿妻店、そして石巻街道が陥没した中浦店。
15日に、二人の店長が蛇田店にやってきた。
蛇田店の小林稔店長が待っていた。
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三人の合流。
それは三店の合流を意味した。

「無事だった!
良かった!」

三人は抱き合って喜んだ。

それからずっと、
物江店長も蛇田店で働いている。

三人の店長はそれぞれに、
被災の状況が違っていた。
そして三人はそれぞれ孤立していた。

誰の指示も得られなかった。
だからそれぞれ自分で判断した。

「自分にとって今、できることは何か。
お客様のために今、できることは何か」

それだけを考えていた。

周りに部下はいても、店長として孤独だった。
だからこそ仲間との合流は、
ひとしおうれしかった。

11日、蛇田店は、大きな揺れで、
店内ゴンドラがひっくり返ったり、
一部の天井が落ちたり、
スプリンクラーが作動したり、
やはり大変なことになった。

そのうえ、停電、断水、余震も続いた。
その日は店内を片付け、店を守った。

翌朝12日、もう、6時から顧客が、
店の前に集まってきていた。

「集まり方は半端でなかった」
小林店長は述懐する。

店内から必須の商品を駐車場に持ち出して、
暗くなるまで売った。
必死で仕事した。

「お一人様、5個まで」
400円、500円の商品も、
一律100円で売った。

それでも15日までの5日間で、
1000万円になった。

まさに私の言う「配給所」。

お客からは「ありがとう、ありがとう」
逆に元気づけられた。
もめ事もほとんどなかった。

これまでは、
「買ってあげる」
「買っていただく」

この時は違った。
「ありがとう」

小林店長は言う。
「別に、当たり前のことをやっていたのに」

そのうえ、申しわけないほどの行列で、
長いこと待っていただいて、
お一人、4個、5個の買い物。
それも申し訳ないと思った。
なんとか早く、店内でも販売したいと考えた。

しかし12日の夜は、
治安が悪かった。

真っ暗な中、若い男たちが、
ハンマーを持って、店や事務所を荒らしていた。
コンビニ、やまやなど酒販店、貴金属店、洋服店。
コンビニは暗くなるとほとんど店を閉めて、
バリケードを築いていた。

13日は、朝6時から駐車場での販売を始めた。
電話や携帯も通じないし、本部との連絡も取れない。
当然、商品は入ってこない。
だから店内の売場やバックヤードから、
商品を運び出しては並べて、売った。

14日の午前3時、
初めて本部と連絡が取れた。
小林さんの息子さんは福島県のいわきに住んでいるが、
深夜にその息子さんとの連絡が取れて、
直後に、本部からの電話もとった。
息子さんは「無事」で、
本部とも連絡がついた。

二重の安堵だったに違いない。

それまでは「何が起こっているかがわからなかった」
だから「自分たちでできることだけをやろう」
この「できることだけをやる」ことは、
震災の時の第一の心構えである。

14日は、本部の情報で、
中浦店と鹿妻店が被災していることがわかって、
鹿妻店まで10キロの泥だらけの道を、
店にあった商品を持って届けた。

近隣の中浦店は売場がまったく使えないので、
蛇田店にやってきて、一緒に販売した。

そして15日に三人の店長が合流。
それでも15日と16日は、朝8時から始めて、
昼には売り切れて、終わった。
そして売れるものは、何もなくなった。

鹿妻店の物江店長が店頭販売していると、
長靴をはいてリュックサックを背負った泥だらけの人が、
近づいてきた。

鹿妻店の常連のお客だった。
10キロも歩いて、
蛇田店に買物に来てくれたのだった。

三店合流後の復旧は早かった。

やっと本部から商品が届くようになった。
どの店も発注の4割も商品が入らない状態だった。
蛇田店には優先的に商品供給が行われた。

この間、中浦店、鹿妻店の店長たちは、
行方不明の従業員の安否確認に奔走した。
その時に物江店長が首から下げたボード。
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20日には、店内営業を始めた。
その日は朝5時からお客が並んだ。
「並ばないでください。
全員、買物できるようにしますから」
そう言って歩いた。

しかし、あまりの客数にレジがスムーズに流れない。
家族を亡くした従業員が3分の1くらい。
半分の従業員は仕事に出てくることができない。

郡山からレジを運んでもらって、売った。
午後3時までに来店した顧客には、必ず売ると約束した。
被災地から、次々にお客がやってきた。

営業本部長が20人くらいの応援部隊を、
山形・茨城から派遣してくれた。
それでほとんど並ばせない態勢をつくった。

それでも、出勤した者はみな、
仕事に打ち込んだ。

中浦店のベーカリー・マネジャーは旦那さんを失った。
しかし「毎日、仕事している方がいい」と言って、
元気に働いた。

そんなふうにして、なんとか4月1日までやってきた。
「4月に入ったら、日常に戻そう」
それが合言葉だった。

現在の店は、もちろん平常時と同じではない。
しかし、売場は輝いている。
何しろ、三人の店長が力を合わせ、
三店の従業員が協力し合っているのだから。20110411202539.jpg
私たちが訪れた4月6日も、
夕方の5時には閉店した。
まだまだ日常には戻らない。

しかし短時間に集中的に、
商品を供給する体制が出来上がった。

5時までの営業で、以前の2倍の金額を売る。
時間当たりにすると3倍売れている。

ヨークベニマルには、
「野越え山越え」の精神がある。

創業の大高善雄さんの時代、
夫婦で引き売りをした。
街から街へ、村から村へ、
お客を求めて売り歩く。

25軒目でやっと買ってもらった。
この時の精神を受け継いで、
「一人のお客様を大切にしよう」という考え方。

今回、小林店長が最後に、
この「野越え山超え」のことを口にした。
「一人のお客様の後ろには25人のお客様がいる」。

この精神は、大震災の非常時にも、
YBマンの心の中に宿っていた。

被災し疲れ切ったお客様。
余震で不安がぬぐえないお客様。
そんなストレスを背負ったお客様たちだからこそ、
こんな時にも並ばせない。

それが小林店長の石巻蛇田店全体にあふれている。

そしてこの精神は、
鹿妻店にも宿っていた。
「野越え山越え」精神があるからこそ、
一人でも多くのお客様を守ろうとした物江店長。

物江さんと小林さんは会津若松の生まれ。
同じ高校の1年違いで、二人とも東京の大学に進学し、
同じように東北のヨークベニマルに就職した。
そして30年。

二人は立派なYBマン、
スーパーマーケット店長になって、
互いに協力し合う仲間。

私も仲間に入れてもらって、
お二人と固い握手。
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ヨークベニマルという会社の良さ、強さ。
業界でも盛んに論評される。

しかし私は、私自身の意見として、はっきり言っておこう。
会社は、もっともっと、もっと努力しなければいけない。

物江信弘、小林稔、そしてすべての店長たちに、
ヨークベニマルは支えられている。
まだまだ、ひたむきで、真摯な、個人に頼っている。

それがこの大きな津波と大きな地震が、
会社に対して示したことだ。

創業の精神と個人の人間力に支えられている。

それがヨークベニマルというチェーンストアが、
東北関東大震災から教えられたことだった。
(つづきます)

<結城義晴>

2011年04月12日(火曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート「五章 ヨークベニマル湊鹿妻店長物江信弘物語〈後編〉」

チャリティセミナー
「ひとつになろう日本!商人支援プロジェクト

㈱商人舎として、参加、協力しています。

皆さんにも、ご参加を要請します。

私は、今回の「東北関東大津波大震災」に対して、
自然の猛威に恐れおののくとともに、
日本商業のライフラインとしての働きぶりに感動し、
商業にかかわってきた者として誇りにしたいと考えています。

その被災地の商人を支援するプロジェクト。
私たちは会社の名前を「商人舎」としました。
つまり「商人が集まるところ」。
だから、こういったプロジェクトには、
何をおいても参加します。

結城義晴にできること、
㈱商人舎に可能なことなら、
喜んで、進んで、行いたいと思っています。

従って今、進行中の単行本の印税は全額、
被災地の義援金にします。

こんなことは、あまり、
おおげさにいいたくはないのですが、
皆さんに、チャリティへの参加を要請するのですから、
呼びかける人間として、組織として、
どれだけの決意があるかは、
示させていただいた方がいいのではないかと考えるものです。

東北や茨城の企業を訪問したり、
支援したり、激励したりしています。
それが私にできるささやかな役目のひとつでもあると、
思っているからです。

そんな人たちの活躍を語り合い、
そんな人たちとともに歩むことを誓い合う。

そういった集まりになればいいと思います。
まさに商人の集まる舎(とねり)。

謙虚に、控えめに、真摯に、
被災地の商人を支援したいと思います。

ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ、
被災地の商業の復旧復興を応援したいと思います。

いつも、そして、ずっと、
心をひとつにしていたいと思います。

さて、何度もなんども、
余震がやってきます。
そのたびに携帯電話が、
「キューッ、キューッ」と鳴ります。

そしてそのたびに、
現地の人々の精神的な負担を思います。

マグニチュード9の大きな地震が始まりでした。
次に最高遡上高37.9メートルの津波が押し寄せました。
そして福島第一原発の事故と最悪のレベル7の評価
さらに、余震はだんだん南下してきて、首都圏に迫る。

次から次へと、新しい難題が降りかかります。

「艱難が忍耐を生み、
忍耐が練達を生む。
練達が希望を生み、
その希望は絶望に終わることはない」

この新約聖書の言葉を、
今回は、信じたいと思いつつ、
「最悪を覚悟して最善を尽くす」
そんな心境になってしまいます。

けれども、へこたれてはいられません。
くじけてはいられません。

元気を出そうよ、
それがあなたの仕事です。
元気を売ろうよ、
それがあなたの役目です。

こう言い続けているのは、
私自身なのですから。

さてさて文体が変わって、ここから、
宮城県石巻市のヨークベニマル、
湊鹿妻店の物語〈後篇〉。

物江信弘店長にご案内いただいて、
石巻蛇田店から、湊鹿妻店に向かった。
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物江店長は昭和55年、ヨークベニマル入社の30年選手。
「YBマン」と称するが、その代表のような人。

話をしていても、
表現力の的確さ、豊かさに、驚かされる。
ベニマルにはこんな人材が、
うようよ、いる。

見えてきた、ヨークベニマル湊鹿妻店。
石巻の一番端の伊原津2丁目。
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ワンフロアで屋上が駐車場。
左に屋上に向かうスロープが見える。
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店舗左サイドのマクドナルドの前に、
流れ着いた人家の屋根。
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手前側500メートルほどのところに海が広がる。
その海から津波がやってきて、車や瓦礫を運んだ。
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ヨークベニマルのマークの前に、
トラックやセダンが打ち寄せられている。
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店が津波を堰止めたかのように、
ありとあらゆるものが瓦礫となって積み重なっている。
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人家がそのまま流されてきて、
横倒しになって、店舗入り口のところをふさいでいる。
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駐車場の横に人家があって、
その白い壁に浸水時のラインが残っている。
1階部分は完全に水没した。
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ヨークベニマルの隣には、ホーマック。
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こちらも同様に1階部分が壊滅した。
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今や必要なくなった「店舗入口」のサイン。

店舗のサイドも水流で突き破られている。
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ホーマックの裏側は完全崩壊。
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ヨークベニマルの裏側、プラットフォームのところ。
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プラットフォームの横のバックヤード。
手前に泥をかぶって壊れたパソコン。
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ヨークベニマルの裏手にある団地。
2階以上は無事だった。
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この団地も11日には水没していて、
ベニマルから流れてきた商品を、
住民が掬い上げて、
それを食べたり飲んだりして、凌いだという。

「あとで、団地のお客さんから感謝されました」
物江店長は笑う。

あたり一面、水に囲まれていたのだ。

正面に回って、湊鹿妻店の全容。
この屋上駐車場に2日間、
物江店長たち500人は籠城した。
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現在の店舗の中に入ってみる。
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日差しが眩しくて、
中に入ると真っ黒にしか見えない。

それでも目が慣れてくると、
すこしずつ、かつての店内が見えてくる。
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入口を入ったすぐのところ。
この天井近くまで水が来た。
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店内に流されてきた軽自動車。
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店舗右手のベーカリー部門。
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天井もはがれている。
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ベーカリーの奥の青果部門。
「Fresh Produce」のサインが見える。
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いちばん奥に「Sea Food」のマーク。
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正面は「Daily Market」。
店舗の奥には瓦礫が、
押し付けられるように詰まっている。
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冷蔵ケースが横倒しになって、
転がっている。
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フロントのATMは七十七銀行。
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店の中央の柱はしっかり残った。
この柱が屋上を支えた。
残された黒い線が津波の高さを示す。
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店舗の真ん中あたり。
瓦礫と呼ぶしかない物が集まっている。
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銘品コーナーからレジのあたりを臨む。
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左手にレジの番号が「1」「3」と見える。
レジ前の柱には「花粉対策」の文字。
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店舗の外に出てくると、眩しい。
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2011年3月11日、午後2時46分。
最大震度マグニチュード9の大地震。
物江店長は店内にいた。

5分後に第一波の津波が来た。
これは50センチほど。

さらに20分後、第二波の津波。
これがすごかった。

あとで市場の漁師に聞いたら、
地震直後に「海の底が見えた」という。

海底に亀裂が入り、
水位が下がって海底の地肌が見えた。

その大きな亀裂に海水が吸い込まれ、
その返し波が第二波となって、
猛烈な勢いで押し寄せてきた。

ただし第二波以後は、
ドーンとくることはなく、
じわり、じわり、グーッといった感じで、
次々に波が来て、
やがて店舗1階の天井近くまで、
水に埋まった。

だから店舗は壊されなかった。
しかし濁流のような引き波が、
すべてのものをさらっていった。

このとき、店舗屋上には、
車が100台くらい避難してきていた。
もちろん勤務中の従業員は全員、屋上に上がって、無事。
徒歩で屋上に避難する周辺住民もいた。

休みの人、遅番出勤の人、
4人の従業員が帰らぬ人となった。
車に乗っていてそのまま流された従業員もいた。

屋上から見ていると、
返し波の濁流に車ごと流されて、
車から助けを求める人。
家が流されて、
屋根のうえから助けを求める人。

物江店長たちは必死だった。

屋上にトラックで逃げてきた人が、
ロープをもっていた。
そのロープを投げて、
みんなで力を合わせて引きずり上げた。

ロープが届かない人もいた。
流れていくのを眺めていた。

物江店長は、暗くなる前に、
売場に懐中電灯があったと気がついて、
それを取りに降りて行った。
するとまた津波が押し寄せてきた。
水が足もとまで迫ってきて、
スロープを走って屋上に上がった。

そのスロープにはいま、
車がひっくり返っている。
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広い広い屋上。
この屋上が人々の命を救った。
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津波はじわり、じわりと水位を上げていった。
そこで屋上駐車場の機械室の上の屋根に、
まず子供たちを上げることにした。

たまたま梯子を積んでいる車があった。

「子供たちを上に上げろ!」
「妊婦さんはいないか?!」

不思議なことに、みんなで自然に、
力を合わせて、梯子を登らせた。
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故渥美俊一先生は「屋上駐車場」を否定したが、
尊敬する渥美先生の説でも、
この時ばかりは、私は思った。
屋上駐車場の有難みを。
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それから、津波が引くまで、
500人はこの屋上で助け合った。

夜は、車の人はエンジンをかけて車内で寝た。
それ以外の人たちは屋上にある社員食堂に入って寝た。
それでも人があふれていたので、
機械室のドアを壊して、
そこを開放して寝てもらった。

車にラジオがあった。
だから震災と津波の全体の情報は得られたが、
石巻に関しては一切、報道されなかった。

ヨークベニマル湊鹿妻店の屋上は、
まさに孤立無援だった。

もちろん裏の団地の人々、
隣のホーマックの人々、
それぞれに孤立無援の状態だった。

物江店長は、みんなに言った。
「1日や2日では駄目かもしれないけれど、
1週間くらい経ったら助けてもらえるから」

翌日は少しずつ津波が引いていった。
まだ水に取り囲まれているものの、
水位は低くなった。
「泥の海」のような店舗周辺一帯。

いったん家に戻ってくるという人もいた。

売場から水や食料を運び上げてきて、
人数と日数を計算して、少しずつ配った。

被災した11日金曜日は、
チラシの立ち上げの日だった。

バックヤードや冷蔵庫はパンパンだった。
従業員もいちばん多い日だった。
だから多くの人が助かった。

「今日はこれだけだよ。
これしかないから」

文句を言う者はいなかった。

それにお腹は空かなかった。
なぜか喉も乾かなかった。
水をちょっと、パンをちょっと。
それだけで生きていた。

それでも女性のためにトイレが必要だった。

食堂のロッカーをみんなで出してきて、
屋上の隅に囲いをつくった。
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その12日の夕方、
上空をヘリコプターが飛んだ。

みんなで手を振り、声を上げた。

それまで一切、報道もされず、
湊鹿妻店の500人のことは知る人もいなかった。

けれど、すぐに助けが来るわけではなかった。

「救助がくるまで避難した人たちを安全に守る」
それがYBマンの使命だと思っていた。

13日も助けは来なかった。

14日の朝、小林稔店長の石巻蛇田店から、
田んぼのようなどろどろ道をぬって、
救援物資が届けられた。

その日、給水車が来た。

市からの救援物資が届いたのは、
4日目の15日だった。

この間、湊鹿妻店は、
人々を守りきったのだった。

4月6日に私たちが訪れた時、
まだ避難者の一部の人は、
ここにいた。
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物江店長は親しげに状況を聞いた。

現在は簡易トイレが設置されている。
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手洗いのルールも決められている。
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洗濯物も集められる。
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食堂には簡易ベッドがしつらえられ、
近所の避難所よりもすこしは快適だと言う。
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13家族20人の人が、まだここで避難している。
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食堂の調理場で食事をつくる。
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暮らしのルールも決めて、集団生活が続けられている。
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救援物資も、ありがたいことに、
自宅で暮らす人よりは、ずっと潤沢だ。
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みんなが口をそろえて言う。
「ヨークベニマルのおかげ。
物江店長のおかげです」

機械室の横の壁に物江さんのメッセージ。
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物江さんは行方不明になった従業員を探して、
泥の中を歩き回った。
その時に首からぶら下げた手書きのボード。
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この駐車場が、500人の人々を救った。
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そこに、物江信弘店長に立ってもらった。
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「とりあえず食べるものはありました。
だからみんなで力を合わせて、
規則正しく生活しました」
物江さんはそう語る。
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「自分にとって今、できることは何か。
お客さんのために今、できることは何か。

それだけを考えていました」

「ベニマルさんのおかげで助かった」
地域の人々の声。

もう、それだけで、十分だと思う。
それが物江信弘に贈られる最高の勲章である。 (明日につづきます)

<結城義晴>

2011年04月11日(月曜日)

「東北関東大津波大震災」結城義晴・渾身の現地レポート「四章 ヨークベニマル湊鹿妻店物語〈前編〉」

Everybody! Good Monday!
[vol15]

2011年の第15週、4月に入って第3週目。
「東日本大震災」と名づけられた地震と津波が起こってから、
数えて、1カ月。

私にはひどく長く思われた31日間だが、
実際に被災した人々には短く感じられた日々。

私たちは何を考え、どう行動したか。
そしてさらに、これから、
何を考え、どう行動するか。

それが問われている。

昨日は全国的に統一地方選挙。
石原慎太郎東京都知事が四選を果たし、
高橋はるみ北海道知事も三選、
12の都道府県知事選挙で、
9人の現職知事は全員、当選した。

私の住む神奈川県では、
ニュースキャスターの黒岩祐治候補が当選。

「現職強し」

こういった震災などの直後の選挙としては、
定石どおりの結果。

しかし、政権与党の、いわば現職の民主党は、
知事選・市長選・県議選・市議選トータルで惨敗。

対する自民党も改選前の1247議席に比べ、
獲得したのは1119議席で、1割以上の減。
決して勝ったとは言えない。

民主党が政権をとって、
二大政党時代への価値観の転換がなされたかと思ったら、
そうは単純明快ではなかった。

被災して将来に対する不安感が増幅された上に、
政治への展望が持てない。

政治の世界にも、経済や商売の分野にも、
複雑怪奇なパラダイムへの転換の時期が来ている。

複雑怪奇な言説を駆使する石原都知事の圧勝は、
東国原英男候補や渡邊美樹候補の、
過ぎたるシンプルさやわかりやすさが、
大都会の東京ではそろそろ見透かされてきたのかと、
考えさせられてしまう。

複雑で難解な価値観への大転換。
それが2011年の現在である。

シンプル過ぎる発言や提案、
わかりやすすぎる言説や誘惑は、
信用できない。

そう心得ておかねばならない。

私が言い続けているのは、
「トレード・オフ」から「オクシモロン」へ、
考え方が変わったということ。

あちらを立てれば、こちらが立たず。
こちらを立てれば、あちらが立たず。

ならば、えいやっと、
どちらかを切り捨てる。
それがトレード・オフ。

しかしあちらも立てて、こちらも立てねばならない。
それが「愚かな賢さ」「鈍い鋭さ」「創造的破壊」など、
反対の概念を包含しつつ、
問題を解決していく姿勢、
すなわちオクシモロン。

今日で、震災から1カ月。
堺屋太一さん言うところの「第2段階の救済」がほぼ終了し、
「第3段階の復旧」に移る。

もちろん現地を訪れてみると、
まだまだ救済段階だらけであることも実感できるが、
日本全体で見ると復旧に動き始める。

いよいよ、立ち上がる時だ。

元気を出して、
立ち上がれる者たちが、
立ち上がる。

そして、まだ立ち上がれない者に、
手を添えて、ともに立ちあがる。

それがこれからの日々。

だから、最初は被災地の商業人を励ましたこの詩は、
これから日本の商人全員のものとなる。

元気を出そうよ、
それがあなたの仕事です。
元気を売ろうよ、
それがあなたの役目です。

だからふたたび、
3月12日の九州新幹線全線開通のCM
[youtubeID:UNbJzCFgjnU]
「ひとつになってくれて、ありがとう」

開通に歓喜する九州新幹線沿線の人々。

東北新幹線が復旧して、
被災地が復興したら、
絶対に、この歓喜を、
東北・北関東の人たちと、
分かち合いたい。

ともにがんばろう、東北。
負けるな、不屈の日本人。

さて、私は先週の火曜日から木曜日まで、
東北の被災地を訪問した。

その二日目の4月6日水曜日。
宮城県石巻市を訪れた。

目指すはヨークベニマル湊鹿妻店。
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しかしこの店は、被災し、閉鎖中。

そこで、まずはじめに、
石巻で営業しているヨークベニマル石巻蛇田店に行く。

ここに湊鹿妻店の物江信弘店長をはじめ、
スタッフがいて、働いている。

湊鹿妻店の物江店長(左)、
蛇田店の小林稔店長、

二人のお話を聞いた。
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それから物江店長の運転する車で、
石巻市内をご案内いただいた。

今日はその石巻の現在の状況を、
写真でレポートする。

私たちはまず、石巻市の山側にある蛇田店から、
海岸の方向にある中浦店へ。
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建物は残っているが、周辺には瓦礫が寄せられている。

その駐車場は今、一般道路となっている。
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なぜか。

店舗のわきを走っていた石巻街道の道路が、
陥没して通行できなくなったからだ。
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だから店舗の駐車場を道路にしているが、
そこに自衛隊の給水車が停まっていた。
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「ヨークベニマル」のマークとともに、
店舗の建物は一応、立っている。
マークのところに黒い筋が残っているが、
そこまで津波が来て、しばらく浸水していた。
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近寄ってみると、浸水の高さがわかる。
自動販売機の上段まで、浸かっていた。
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中浦店の中は、使えない。
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復旧の目途は立っていない。
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その中浦からさらに海に向かって走る。
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石巻米穀販売協同組合の建物。
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津波によって浸水した海水が、残る。
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建物のガラスは割れ、水流で運ばれた瓦礫が、
その建物の中に詰まっている。
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ローソンの跡。
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海に近づくにしたがって、こういった光景が多くなる。
建物の骨組みだけ残り、中には瓦礫が詰まっている。
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右手が海。
その前面は瓦礫が残されている。
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これも骨組みだけが残った建物。
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瓦礫も片付けられつつあるが、
あとは、戦場跡ような荒れ地となる。
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曲がった電信柱。
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人家の垣根には、白いものがまとわりついている。
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そして日本製紙石巻工場が見えてくる。
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巨大な工場には鉄道の引き込み線があるが、
それも津波に破壊されている。
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工場の威容だけが残るが、
メル・ギブソンが主演した映画「マッド・マックス」のようだ。
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石巻の工業埠頭に突き出るように日本製紙がある。
その埠頭は津波の大波を、もろにかぶった。
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そして巨大な鉄のかたまりとなって残った。

工場はどこまでも続くかのように感じられた。
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港から木材を積み上げて、パルプに変え、紙をつくる。
出来上がった白い紙が、工場周辺から出て、街中に散乱している。
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日本製紙石巻工場は2000人の従業員を雇用していた。
しかし、全員解雇という方針が出されている。
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工場の中心部から離れて、倉庫などが林立しているが、
それも骨組みだけの空き家となっている。
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いつまで続くのかと思われる工場。
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石巻工場にいた従業員は全員無事と伝えられる。
非番だった2人の死亡が確認され、4人が行方不明。

それが途切れると、右手に海が見えてくる。
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左手には建物跡。
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東に向かって、北上川に近づく。
周辺は荒涼たる光景。遠くにマンションの建物が見える。
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海に面した倉庫は、外壁と骨組みだけ。
中はガランドウ。
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石巻市内の真ん中を流れる北上川の、
いちばん海側の橋を渡る。
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写真の左手が旧市街及び日本製紙の工場。
右手が被災度が激しかった漁港地区。

橋のうえに避難した人がいたのだろうか。
その人たちは助かったのだろうか。
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橋を下りきると、同じように骨組みだけの建物。
20110411183353.jpg

ファミリーマートも被災している。
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石巻は鯨漁の街でもあって、鯨缶詰が名物。
その巨大な広告宣伝ディスプレーが、道の真ん中に転がっている。
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石巻ガスのタンクが2基。
ヨークベニマル物江店長が教えてくれた。
「このタンクの外周の階段を頂上近くまで登って、
助かった人たちがいました」
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看板は斜めになっている。
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車はぐちゃぐちゃになって、連なっている。
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ベルプラスのビッグハウス魚町店が見えてきた。
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この店も津波に浸水し、
お客と従業員は屋上に上って、助かった。
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ビッグハウスの店舗の裏側。
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骨組みだけになって、店内には流れてきた瓦礫が、
ぎっしり詰まっている。

そしてローソン石巻緑町店。
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しまむら緑町店も同様の惨事。
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いよいよヨークベニマル湊鹿妻店に近づいてきた。

一方、石巻市中心部の商店街は、床上浸水したものの、
漁港地区や日本製紙付近ほどひどい被害は受けてはいない。20110411183639.jpg

それでも街の中は泥だらけ、瓦礫がいっぱい。
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しかし北上川に近くなるにしたがって、
どんどん被災が激しくなる。
サルコヤ楽器の店舗は、
ガラスウィンドーが割れ、
泥をかぶったピアノが並んでいる。
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瓦礫に囲まれ傾いた商店街の人家。
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商店街の交差点には、
津波に打ち上げられ、陸に上がった漁船が、
赤い船底を見せて横たわる。
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商店街の店舗も、使い物にならない廃屋と化した。
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北上川沿いの市場付近も、
ひっくり返ったようになっている。
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北上川の対岸沿いの石ノ森萬画館。
建物はしっかり残ったし、
入口の仮面ライダー看板も健在。
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橋を渡って、漁港地区の女川街道。
その街道沿いは、どんどん被害が激しくなる。
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今のところ復旧工事には手をつけられない。
ほとんどが、瓦礫撤去工事。
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女川街道沿いには、流されてきて連結してしまった人家。
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救助・救済に大活躍の自衛隊の隊列が行く。
とても頼もしく見える。
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陸橋の下には、横転して車底を見せる車。
その向こうは避難所になっている石巻市立湊小学校。20110411183905.jpg

女川街道は陥没し、水浸し。
物江店長によると、
「このあたりに水が上がったことはありません」
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ヨークベニマル湊鹿妻店近くのローソン。
山を背景にしたこの店には、
「流されてきた車が2、3台詰まっていました」
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そして山の裾野にお墓。
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墓石のうえに、
流されてきたトラックや車が載っている。
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街道沿いに車が積み重なっている。
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津波は海側から山側に押し寄せた。
だから山側には様々なものが流されてきた。
それが今も人家や建物にへばりついている。
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ショッピングセンターも形だけ残った。
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そしていよいよ、見えてきた。
ヨークベニマル湊鹿妻店。
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物江店長の息遣いが、
心なしかあらくなったように感じた。
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この石巻の惨状の中で、
ヨークベニマル湊鹿妻店は、
四方を津波に囲まれつつも、
屋上に500人の人々が避難し、
生き残った。

物江店長の胸の鼓動が、
また激しくなったように感じられた。
(物語は明日に続きます)

さて、4月第3週。
明日からプロ野球が始まる。

救済段階は1カ月。
その後、復旧段階に入る。

ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。

今月の商人舎標語。

石巻を見ていても、
復旧は途方もなく遠いことのように感じてしまうが、
それも、「ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ」

これしかない。

地道に地道に、
ひとつ、すこし、いっぽ。
その積み重ね。

気が遠くなるような仕事。
それも一人ではつらい。

1万の仕事をひとりでやると、
1万回しなければならないが、
1万人ならば、
1回ずつなせばよい。

100万の仕事なら、
100万人でやろう。
1億の仕事なら、
1億人でやろう。

この精神が、
ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつに、
元気と勇気を与えてくれる。

では、今週も、
Everybody! Good Monday!

<結城義晴>

2011年04月10日(日曜日)

ジジと震災1カ月後の桜[2011日曜版vol15]

あの震災から1カ月。
被災されたみなさんに、
お見舞い申し上げます。
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もう桜が、
満開です。
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おうちのそばの菊名池公園。
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ユウキヨシハルのおとうさんも、
この桜はすきです。
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それから、会社のそば。
新田間川の桜。
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いつも、このみちをあるいて、
会社にいきます。
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対岸にいっぽんだけ、桜。
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桜は、
けんめいに、
さいています。

それがとても、いい。
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桜はなぜか、
ひとりでさいていることがある。
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この桜はとりわけ、
いっしょういけんめい、
さいています。
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ブロガ―のナンバさんがとったこの桜は、
うえをハトがとんでいます。
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「羽ばたけニッポン」とナンバさんは、
いいました。

自然のなかで晴れやかに、
さいているのもいい。
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パッと、
さいているのもある。
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桜の花をみていると、
かんがえてしまいます。
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どんなふうに、
生きるかを。
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ボクはやはり、
しずかに、
さくのが、
いいとおもいます。
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震災から1カ月がたちました。
みじかかったのか、
ながかったのか。
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余震もありますが、
被災されたみなさんが、
こんやも、あんしんして、
ねむることができますように、
おいのりします。

<『ジジの気分』(未刊)より>

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