結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
すべての知識商人にエブリデー・メッセージを発信します。

2021年12月20日(月曜日)

夏原平和さん、早すぎる。惜しい。けれど見事な人生だった。

Everybody! Good Monday!
[2021vol51]

2021年第51週。
12月第4週。
今年も残すところ2週間。

12月20日。

午前1時19分、
夏原平和さんが永眠された。
㈱平和堂代表取締役会長。
夏原平和2
77歳だったが、
まだまだ若い。
ほんとうに惜しい。

父上の故夏原平次郎創業者は、
91歳で亡くなられた。

だから15年、いや10年、早い。
早すぎる。

心から、こころから、
ご冥福を祈りたい。

夏原平和さんのお生まれは、
1944年9月15日。
昭和にすると19年。

終戦の前の年の9月に、
平次郎さんのご長男として誕生。

太平洋戦争が終盤に差し掛かって、
日本は苦しい戦いを強いられていた。

国中で一億総玉砕などと言われていたときに、
平次郎さんと妻の千代さんは、
息子に「平和(ひらかず)」と名づけた。
平和を願っての命名である。

その勇気と見識には驚かされる。

平次郎さんは終戦後の1957年3月1日、
滋賀県彦根市銀座街に小売店舗を開業する。
「靴とカバンの店・平和堂」

長男に「平和」と名前をつけ、
近江で始めたお店に、
「平和堂」と屋号を冠した。

近江商人の「三方良し」を体現するのが、
「平和」のコンセプトである。

そして夏原平和は、
その思いを背に生き続けた。

優しい人柄で、温厚な紳士だが、
貫くものは太くて熱い。

株式会社平和堂には、
この「思い」が貫かれている。
それが鳩のマークに象徴されている。

「平和」への願いこそが、
平和堂のルーツであり、
DNAである。

その後、滋賀県を中心に、
チェーンストア化が図られた。
繁盛のDNAは、必然ともいえる勢いで、
多店化をもたらした。

やがて近隣の府県に店舗網は広がった。

現在は2府7県に156店舗を展開し、
小売業や外食、ビル総合管理業務など、
連結子会社は16社を数える。

平和さんは同志社大学法学部を卒業するが、
その卒業前に長い世界一人旅に出る。

当時は「カニ族」などと言われたが、
かなり危ない経験もした。
ソ連からヨーロッパ、
そして中東、インド。
夏原さんがこの話をするときには、
青年の顔になり、青年の目になる。

自身、大きな体験だった。

大学卒業後の1968年、平和堂入社。
そして直後にペガサスクラブに出向。
故渥美俊一先生の厳しい指導のもとで、
1年間、チェーンストア理論を学んだ。

平和堂にもどってからは、
チェーンストアの要所要所の経験を積んで、
1989年、代表取締役社⾧に就任。
44歳の若い社長だった。

私が商業界食品商業編集長になった年だ。

しかし平和社長就任とともに、
時代は大きく変わった。

バブル経済の崩壊である。

この年、平和社長ははやくも、
「HOPカード」を導入している。
平和堂オリジナルポイントカードである。

現在の累計発行枚数は400万枚を超え、
平和堂の固定客獲得のベースであるとともに、
プロモーションとマーケティングの礎になっている。

さらに翌年の1990 年、東証一部上場。

郊外にはSC型アル・プラザを出店する一方、
その周辺にはスーパーマーケットを配置し、
平和堂のマルチフォーマット戦略を構築した。

スーパーマーケットのバナーは「フレンドマート」だ。

国内M&A戦略も着々と進めて地域を広げ、
さらに1998年には中国湖南省に出店。
こちらは百貨店スタイルの大型店として、
4店舗が現地にとけこんでいる。

しかし2012年、
尖閣諸島問題に端を発した暴動が勃発。
店舗も大きな被害を受けた。

このとき社長自ら、いち早く現地に赴き、
陣頭指揮をとって営業体制を整えた。

社長が顔を見せたことで、
現地従業員は思いを一つにして、
暴動から2カ月後には、
全店で営業を再開。

この活躍は日本のメディアでも、
大々的に報じられた。

日本と中国との互いの理解にも貢献した。

私はこのときにも、
平和堂のDNAが生かされたのだと思った。
そして夏原さんは若返ったと感じた。

私はと言えば、
東日本大震災後の2011年6月から、
1年に2度ずつ平和堂米国研修を引率している。
コロナ禍で2020年から中断しているが、
参加者は第18団まで総勢800名を超えた。

不意にどの店に行っても、
誰かが声をかけてくれる。

事前講義をし、班ごとのテーマを決め、
視察、研修をし、講義を聞いて、
互いにディスカッションをし、
帰国してからイノベーションに取り組む。

その発表を次の団員が聴講し、
また自分のテーマを決めて、
イノベーションに挑む。

まさに鎖のようにつながって、
持続的イノベーションが展開される。

私にとっても実験的な研修方式で、
大きな成果が上がったと思っている。

夏原平和さんご自身も、
2012年の第3団にフル参加して、
この研修にかける意欲を、
幹部や社員に示した。

社長とともに学ぶことに、
第3団のメンバーは至上の喜びを感じた。

2015年、夏原さんは、
「100年企業を目指すためには」と考えて、
グループ憲章を制定した。

「全従業員の物心両面の
幸福(しあわせ)を追求するとともに、
お客様と地域社会に
貢献し続ける企業となる」

2017年に平松正嗣社長に座を譲って、
会⾧に就任してからは、
次代のリーダー育成に邁進した。

創業60 周年の2017年には、
新本部「HATOC」竣工。
「HeadOffice And Training Omotenashi Communication」

単なる本部(HeadOffice)ではなく、
研修や学び(Training)、
誠心誠意応対する(Omotenashi)、
顧客や店舗の要望を聞き、
情報や意志を伝える(Communication)。

それらが一体となったのがHATOCである。
HATOCにはもちろん、
平和の象徴鳩の意味が込められている。

夏原平和さんは、
平和を背負って生きてきた。
平和を背負って仕事をしてきた。
会社を経営してきた。

その平和を追及し続け、
三方良しを全うして、
人生の幕を閉じた。

早すぎるし、
惜しい。

けれど、
見事な人生だった。

それが残されたすべての人にとって、
救いとなり、鏡となるものである。

再び心からご冥福を祈りたい。

合掌。

〈結城義晴〉


2 件のコメント

  • 1960年東京の菓子問屋に嫁に来た家内は取引先の滋賀の平和堂さんに出荷伝票を書いていました。まだ4,5店舗ぐらいだと思いますが、担当セールスが良くフォローをしていて、ひいきにされ、たびたびの出荷伝票で記憶に残っていました。半世紀して家内が造る八ヶ岳のバラ園に二人連れのご婦人が訪れ、牧草地を望むデッキでお茶をさしあげ、どちらからとお伺いすると、滋賀の彦根からと言われた。家内は咄嗟に「昔、彦根の平和堂さんと言う得意先がありお世話になりました」と言うと、ご婦人たちは顔を見合わせ、やおら高齢の方が「私平和堂です」と答えられた。偶然にも夏原平和会長の奥様だったのです。それ以後、交流は続いているようですが、今夏お出でになられたようですが、急いで帰られた様子、暮れにご主人が亡くなられたと知り、家内は偉く落胆をしております。同時代を生きた戦士として寂しいのでしょう。平和会長と家内は同年、初めてお会いした奥様は、山から会長に電話して「私たちよりすごい人に会った」と報告していたと聞きました。皆さん多忙で会長様にはお会いすることは出来ませんでしたが、昨日、家内からお話を聞きました。ご冥福をお祈り申し上げます。    合掌

  • 谷野正志朗さま

    ご投稿、感謝します。

    平和堂も夏原会長も、おっしゃる通りの会社であり、経営者でした。
    ご冥福を祈りたいと思います。

    ありがとうございました。

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