日曜日の日経新聞一面トップ記事。
「AIにあらがう将棋棋士」
新聞のデスクとしては、
思い切った判断だ。
将棋界ではこの土日曜の2日間。
第83期名人戦の第4局が開催されていた。
藤井聡太名人(22歳)に、
永瀬拓也九段(32歳)が挑戦した。
最も権威のある伝統のタイトル棋戦。
しかし初日の土曜日になんと千日手。
2日目の日曜朝から差し直し対局。
その日曜朝刊の一面トップ記事が、
将棋の記事だ。
この名人戦第4局は逆転に次ぐ逆転、
藤井が勝利したと思った。
AbemaのAIは78%対12%で、
藤井の圧倒的な有利を示していた。
ここまで来て、
藤井名人が負けることはない。
けれど持ち時間10分を切って、
藤井に判断ミスが出た。
形勢は覆らず、
そのまま永瀬が押し切った。
日経の記事のサブタイトルは、
「不利戦法、藤井七冠に善戦、
人の創造力探る」
永瀬が不利な戦法を使ったわけではないが、
記事のタイミングはぴったり。
記者もデスクもほくそ笑んだことだろう。
「将棋トップ棋士の間で、
AIが不利と評価する戦法、
『振り飛車』が見直されている」
その通り。
AIは振り飛車を採用した途端、
マイナス点をつける。
その振り飛車を積極的に採用する棋士が現れ、
藤井七冠とのタイトル戦でも、
指される局数が増えた。
「AI全盛の世で、
人間の創造力を探る好例」と記事。
「飛車」は攻めにも受けにも強く、
盤上で最も強力な駒だ。
将棋には大きく分けて2つの戦い方がある。
飛車を動かさない「居飛車」と、
横に大きく動かす「振り飛車」。
居飛車と振り飛車のプロ棋士の割合は約3対1。
「もともと振り飛車党は少数派だが、
近年は上位ほどその割合が減る傾向にあった」
ただしこれはプロの話。
アマチュアでは振り飛車全盛だ。
私は基本的に居飛車党だが、
ネット対局での対戦相手は、
7割くらいの人が振り飛車で向かってくる。
プロに居飛車が多い理由の一つが、
「2016年ごろから浸透してきた将棋AIの活用だ」
「飛車を動かす場所は主に3通りある」
これは間違い。
村上由樹記者には申し訳ないが、
将棋の素人だと言わざるを得ない。
仕方ないけど。
中飛車、四間飛車、三間飛車、
それに向かい飛車。
4通りある。
さらに例外的な「袖飛車」戦法もあって、
正確に言えば5通り。
まあ、いい。
「いずれも将棋AIはマイナスの評価を下す」
記事。
「2020年前後には、
8つあるタイトル戦で振り飛車は
ほぼ見られなくなった」
藤井聡太七冠は居飛車しか指さない。
これも大きい。
だからこの時期のトップ層は、
ほとんどを居飛車党の棋士が占めていた。
「だがこの1、2年で風向きが変わった」
振り飛車復活の流れを作ったのは、
居飛車派から振り飛車に「転向」した、
佐藤天彦(あまひこ)九段(37歳)。
天彦九段は居飛車を指していた時期に、
名人を3期獲得した天才だ。
それが23年秋、振り飛車に転向。
当初は慣れずに苦戦したが、
24年度はA級でトップを走った。
最終的に名人挑戦は逃したものの、
モデルチェンジの成功を印象づけた。
それによって斬新な戦術考案者に贈られる、
「升田幸三賞」を受賞した。
「振り飛車再評価の背景には、
AI研究合戦による居飛車同士の戦いの、
行き詰まり感がある」
だから今回の名人戦4局も、
居飛車戦で千日手となった。
転向派の天彦九段。
「居飛車同士の戦型はある程度、
演繹(えんえき)的な推論が成り立ち、
セオリー(定跡)ができていく」
「推論は緊密なので感覚を挟む余地がない」
AIが示す有利な戦い方を暗記し、
再現できるかが勝敗に直結する。
これ、本当だ。
永瀬九段がそれに長けている。
天彦九段の指摘。
「AI研究は若さ、時間との親和性が高い」
「体力と時間を要する研究勝負は、
若手に有利な面がある」
他方、振り飛車を指すようになった棋士は、
30代半ばが目立つ。
天彦九段。
「30代には人間同士の中で得てきた、
戦い方の知恵のようなものがある」
AI研究が進むと、
実戦で蓄積してきた感性を、
「捨てていかなきゃならなくなった」
日本将棋連盟前会長の佐藤康光九段(55歳)は、
感性型棋士の筆頭だ。
羽生善治九段(54歳)とほぼ同年の羽生世代。
この康光九段も、
居飛車と振り飛車の二刀流だ。
あるA級棋士の発言。
「研究で負かされると、
何をやっているんだろうと思う」
タイトル戦では23年度に、
純粋振り飛車党の菅井竜也八段(32歳)が、
藤井七冠に2度挑戦。
大善戦して、
藤井七冠相手にも振り飛車で、
十分戦えることを示した。
藤井七冠。
「振り飛車党でも佐藤九段と菅井八段では
棋風が全く違う。対局者の個性が出やすい」
「最善」や「真理」の追究は将棋の醍醐味だ。
対局の中で生まれるひらめきこそが、
楽しさにつながる。
それはどんな分野にも通じる喜びだ。
記事は言う。
「AI研究の先端を行く将棋界での静かな変革は、
人間とAIの関係を見つめ直す示唆に富む」
同感だ。
素人の振り飛車大流行の理由の一つは、
故大山康晴十五世名人の存在が大きいと思う。
大山は34歳になってから、
振り飛車に転向した。
そして69歳で死ぬ直前まで、
現役A級棋士として君臨した。
その原動力が振り飛車戦法だった。
「美濃囲い・四間飛車」のわかりやすい定跡と、
大山伝説は今も受け継がれている。
まだAIなど考えもつかない時代だった。
超のつく天才たちは、
AIが登場するずっと前から、
AI時代の人間の在り方を予見していた。
そう考えることができる。
ちなみに私は、
居飛車戦略を基本に、
振り飛車も指す。
将棋界ではオールラウンドと呼ぶ。
羽生善治や佐藤康光がそれだが、
私のはなまくら派だ。
ただし私の場合、振り飛車を指す時は、
「ゴキゲン中飛車」と呼ばれる戦法一本槍。
これは近藤正和七段(53歳)が考案した。
そして2002年度の升田幸三賞を受賞。
まあ、なまくら派でもこのAI時代に、
人間の創造性と触れることができるのが、
将棋の良さだ。
ボケ防止などという防御的姿勢ではない。
私はいつも攻撃的な生き方なのだ。
〈結城義晴〉